フリーウィル 5
『わかりました』
ダイチがソファに腰掛けるか掛けないかのうちに、ロコの音声が響いた。
「なんだった?」
『古いタイプの保存食です。水を入れて加熱するようですね。調べた限り食べても問題ありません』
「へえ……」
ダイチはまだ手に持っていた塊を見つめる。
「やってみるのが一番早いんじゃない?」
アサトがくるりと向きを変えてコックピットに戻り、袋を幾つか掴んで戻る。ロコに手順を聞きながら、封を切り水を入れて、四角い機械に入れてボタンを押した。数分後に取り出すといい匂いが部屋中に漂った。
「……カレーだ」
マシロがごくりと咽喉を鳴らす。
「よし、マシロちゃん。食べろ」
「ちょっと、アサトさん!」
アサトが中身を皿に開けてマシロの前に差し出した。カイリが止めるのを振り切って、マシロはスプーンで大きく掬って口に入れた。
「うまい!」
マシロは目を丸くして驚いた後、とろけそうな笑顔で残りを食べ始める。
「まあ、マシロちゃんのお腹が大丈夫でも、俺らはダメかもだけどね。ほら、特に俺なんか繊細だからさ?」
アサトが、ははは、と笑う間もマシロは食べ続け、あっという間に皿はきれいになった。
『栄養価も残っているようです。水を入れてからお湯で温めることでも食べられるようですね』
「ありがとう、ロコ。……これは移動するのに軽くて良いな」
ダイチは袋を一つ持ち上げる。軽くて小さいからザックにいくらでも入るだろう。水を入れるだけで食べられ、数十年経っても劣化しないのであれば尚更便利だ。バトルに使う食料パックよりも長時間の移動に向いていると言える。ふと、視線を感じて顔を上げるとカイリがじっと見つめていた。
「どうした?」
「……なんだか……上手く行き過ぎる気がしませんか?」
神経質そうに自分の頬を撫でてからカイリは細かく瞬きした。
「……そうか?」
ウィングスーツを見つけた時にダイチの中にもかすかに芽生えた疑問だった。どう思う? 言外に伝えながらダイチはアサトを見上げた。
「確かに。偶然が重なりすぎてる気はするよな? たまたま機械に詳しいカイリが俺たちの班になって、たまたま俺たちがドッペルゲンガーになって、たまたまロコに再開して……」
考え込むように言葉を切るアサトにダイチは頷く。だが、カイリは他の班を流れて流れてダイチの班に辿り着いただけだ。赤目を狙うことにしたのも自然の成り行きだし、落とし穴の下に地底湖があったのだって偶然だ。ロコだってダイチがテセウスに入ってから自分で破棄したのだから、誰かの思惑が作用しているとは思いにくい。……全て、記憶が正しければ、だが。
「俺たちがたまたまお前たちの隠れてる部屋を見つけて、それをたまたまロボタンが見つけて……。逃げるうちにたまたまロコの規格に合う機体にたどり着く……軽くて持ち運びやすい食料付きの……」
アサトが指を折りながら数える。特にロボタンに出会ったあたりから幸運な偶然が重なっているようにも感じるが、ロボタンが以前からテセウスの「人間」をコロニーに呼び寄せたいと考えて準備をしていたのだから……示し合わせた様だったのは、この機体とロコのAIに互換性があったことくらいだろう。
だが、ロコのAIが手元にあったことはただの偶然だ。あの時、もし自分の制止を聞いてカイリが抜き取っていなかったら……思い至ってダイチはぞっと身震いした。
「偶然なのでしょうけど」
どうも腑に落ちない、という表情でカイリは黙り込んだ。確かに、薄気味悪いほどうまくいっているのは否定できない。ラッキーで片付くことだろうか、ダイチとアサトは顔を見合わせた。
「カイリ、これも、ショーの一部なんじゃないかって言いたいのか?」
「そこまでは……」
ダイチが問いかけると、カイリは言葉を途中で切った。アサトがバリバリと頭を掻く。
『……マスター、あと十五分で着陸します。座ってください』
話を遮ることが申し訳なかったのか、ロコが遠慮がちな低い音量のアナウンスを流した。
「あ、ああ。よし、準備しよう。とはいえ全自動だろうから俺たちは待つだけだけどな」
ダイチは不安に沈んだ空気を払うように手を一つ打った。全員がシートに納まり、まもなく機体は徐々に減速し、山の中にぽっかり開けた川辺に着陸した。
「さて、とりあえずは食べ物を探そうか。やっぱり新鮮なものを食べないとね」
アサトの掛け声で、全員が機体を降りる。一時間はあっという間だった。いくらかの魚を捕らえた以外、食べられそうな木の実や野菜、そして肉は手に入らなかった。
肉をまだ手に入れていない、と暴れるマシロを捕獲して予定通りに離陸する。何はともあれ全員が解禁となったシャワーを浴びるため、割り当てられた部屋へと向かった。
「広いな」
ドアを開けて思わずダイチは呟いた。テセウスから砂漠を移動した乗り物よりも、ずっと広い個室だった。ダイチのサイズの着替えがベッドの上に数組、並べて置いてある。おそらくロボタンがやったのだろう。体を洗い、清潔な服に着替えた頃にはすっかり疲れてしまっていた。あの地下街で眠ってから、どれだけの時間がたったのだろうか。そもそもアサトのクローンを盗もうとテセウスに入ってから何日目だ? 何気なく横たわると、強烈な睡魔に襲われてダイチは眠りに落ちた。
◆
暗闇の中、カイリは与えられた部屋のベッドからむっくりと起き上がった。ダイチとアサトとマユは部屋に入ったきり出てこず、マシロと二人で遅い夕飯を食べて部屋に戻った。何度も繰り返した思考が、考えたくないのに脳裏に浮かぶ。
――僕は
記憶のないままテセウスに入った。何に怒り、何に笑うのか、それが記憶とともに学習されて性格に至るものなのだとすれば、記憶を消すとともにリセットされるのだろうか。考えまいと思ってもNIカイの残酷な言葉が再生される。それは時を追うごとに鮮やかになっていくようだった。
――僕は、チップを挿入したマユさんを責めた。他の誰も責めなかったのに
カイリは初めて見たときからマユが気になって仕方がなかった。理由は全くわからない。自分に必要以上の自信があり、言いたいことを言いたいように言う。どちらかと言えば好みではない女の子で、第一印象は最悪だった。
それなのにどうしても気になって目が向いてしまう。しばらく観察するうちに、本当は繊細な女の子なのだという事がわかった。同じ班になった時には、嬉しいと思った自分に驚いた。だが、どう声を掛けようかなどと悩む暇さえ与えず、マユはとことんカイリを嫌っているように振舞った。
――でも、ずっと、マユさんを見ていたからわかる。本当に嫌いな人に対してどう接するか。自分は本当には嫌われていない。そう思っていたけれど……本当は嫌われてたのではなくて怖がられていた?
それはそうだろう。カイリは布団の端をぎゅっと握る。マユはカイリがNIカイのような人間だと知っていたのだから。そして事実、マユの行動を理由も聞かずに怒鳴り、責めた。
思いを寄せている人にも関わらず、その裏切りを許せないと思った。本質的に自分は思いやりがないのではないだろうか。NIカイのように。それでも謝罪を受け入れて手を取ってくれたマユの、小さい手の感触が蘇る。
「ダメだ、眠れないや」
独り言を言って立ち上がり、部屋を出る。どこに行こうか、と少し悩んでコクピットに向かうことにした。誰もいないだろうがカイリは一応ノックをしてドアを開く。まっさきに目に飛び込んできたのはふわふわのピンク色だった。
「カイリ」
マユが一瞬、動揺した顔でカイリを見つめてすばやく顔を背けた。カイリもいくらか動揺し、マユから目を逸らして、迷った視線をその場にいたロボタンをに向ける。
「何か起きちゃって、ロボタンにお茶を貰ったの。じゃあ、おやすみ」
足早に自分の横を通り過ぎようとするマユの腕を、ほとんど無意識にカイリは捕まえた。
「何よ、気持ち悪い」
そう言いながら、マユは腕を振りほどきもせず、動かなかった。
「……マユさん、お話があります」
「あたしはない。つか、今すっぴんだから無理」
マユはカイリの顔を見ないで、まっすぐドアを見つめている。カイリは握る手に力をこめて俯いた。
「泣かないでよ、女々しいな」
「泣いてません」
カイリがむっとして顔を上げた瞬間、ふ、っとマユの横顔が笑った。そばかすが散って幼く見えるマユの疲れたような笑顔に、カイリは腕の力を弱めた。どうでもいいことにこだわり、マユを無駄に苦しめようとしているのではないか? すみません、おやすみなさいと言って手を離してしまえ、と自分に言い聞かせていると、マユがすうっと息を吸い込んで口を開いた。
「チップ、ごめんね」
「いや、僕のほうこそ、怒鳴ってしまってすみませんでした」
最後は声になっていなかったかもしれない。マユの中でNIカイと自分は、どんなにか重なって見えたことだろう。カイリはそっとマユの腕を離す。
「おやすみなさい」
「うん」
二、三歩遠ざかりかけたマユはその場に足を止めた。
「あたしとカイは…………幼馴染だよ」
しばらく悩んだように間を空けてから、マユは悪いことを言うように囁いた。カイリははっとしてその後姿を見つめる。
「すごく仲良しだったの。女の子の友達より、カイの隣のほうが居心地がよかった。あたし、女の子とあんまりうまくやれないし」
マユの懐かしそうな言い方に、なんと答えたらいいのかわからず、カイリはマユの後姿を見つめ続ける。
「いろいろあったんだ。でもカイリは小さい頃のカイのままだよ。優しくて可愛くて」
その「いろいろ」を聞きたいとカイリは思った。でも、なんとなく、それこそがマユをひどく傷つけることのような気がして声が出ない。
「信じて、お願い。カイは優しいんだよ。本当はあんなんじゃなかったの。あれはきっと違うの」
マユは苦しそうに言葉を吐き出してから振り向いた。まるで、自分を否定して苦しんでいることを知っているかのように、そう言ってくれているのだ。この弱い人は、自分のために言いたくないことを言ってくれているのだ。カイリは打たれたようにそう思った。
「……聞きたいことが二つあります」
カイリはまっすぐにマユの目を見つめる。マユの肩に力が入ったのがわかった。
「僕は……NIになる前に、マユさんに何をしたんですか」
「言いたくない。でも、それにカイリは全然関係ない。ふたつめは?」
次の質問をすべきか迷って、カイリは黙り込む。だが、マユはカイは優しかったと、自分はその頃のままだったといってくれたのだ。信じて、と。ならばそれを信じよう。どのみち、過去を取り消すことは出来ないのだから。
「僕は以前、つまり幼馴染だった頃も、マユさんのことが好きだったんでしょうか?」
「……は?」
一瞬にして石像のように固まったマユの首筋がどんどん赤くなって、耳まで真っ赤に染まった。つられるようにカイリも自分が赤くなるのがわかった。これでは告白ではないか、と後悔しても言葉は既に出てしまっている。
「知るわけないでしょ!」
マユはくるりと後ろを向く。立ち去られる前にこれだけは言わなくては、カイリは息を吸い込んだ。
「あと、マユさんはブスじゃないです。すごく可愛いです! すごくです!」
「だから、気持ち悪いから!」
マユは振り向かずに叫んで走り去った。カイリはぽつんと取り残される。
「……気持ち悪い、ですか?」
カイリは黙って見ていたロボタンに話しかける。ロボタンはゆったりと首を横に振った。