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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
六章 フリーウィル
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フリーウィル 3

 長く伸びる縦穴は下りるにしたがって強烈な臭気を増していった。ようやく梯子が終わると、そこは広い下水道横の歩道であることがわかった。

 黄色く塗られた鉄製の手すりから下水を見下ろすと、もう使われては居ないらしく水は流れていなかった。この匂いは乾いたヘドロのようなものから発生しているのか、長年換気がなされていないための匂い残りなのか、ダイチは袖で鼻を押さえた。

 ロボタンはカチリと発光筒をつけて歩き出す。テセウスで使っていた携帯用よりは大きいサイズで足元が少し見やすくなる。光に驚いたように何か小さな生き物が慌てて逃げ出した。


「きゃ」


 マユが上げかけた悲鳴を押さえ込んで俯く。そのまま、ごめんなさい、と小さく呟いた。驚いて振り向いたものの、黙って背を向けかけたカイリが足を止めて再び振り向く。


「マユさん。手すり沿いのほうが道がいいみたいですよ? 手すりには寄りかからないほうがいいと思いますが」


 固い表情で目もあわさずにそう告げると、すぐにロボタンの後を追った。まだ怒っているのだろうに、律儀に声を掛けるところがカイリらしいとダイチは思う。

 アサトが頭を掻きながらそれに続き、マシロはよくわからない、という顔で言われたとおりに手すり側を歩き出す。立ち止まったマユが歩き出さないので、ダイチも立ち止まったまま小さな背中を見守った。


「だって、しょうがないじゃん。皆が大事だから、何かあったら嫌だよ。あたし、あたしこんなの、怖いよ」


 マユは腰を折り、二つに結んだ髪の先が床につきそうなほど俯く。ポタポタと涙が落ちるのが見えた。ダイチがその肩に触れようと手を伸ばしかけると、マユの前にカイリの細い手が伸びた。


「マユさん、さっきはきつく言ってすみませんでした」


 怒っていると思っていたカイリの顔は何故だか泣きそうに歪んでいる。マユは頭を上げずに、ぶんぶんと横に振った。カイリが更に腕を差し出す。


「掴まってください。怖い時はそう言ってくれればいいんです」


 マユはその手に気づいて驚いたように顔を上げ、しばらく黙って見つめてからそっと自分の手を乗せた。カイリは少し緊張していた顔を安心したように崩す。二人の行動に少し驚きながら、ダイチは一歩引いて二人から離れる。カイリはそっとマユの手を握って引いた。


「大丈夫ですか?」

「ん」


 マユは小さく返事をして鼻を啜る。


「……っていうか、ここ、臭すぎなんだけど」


 ぼそっとマユは文句を言った。アサトがひっひっひと笑い、そっとダイチに視線を投げて寄越してから頷いた。ダイチは訳が分からなかったが頷き返す。アサトがあの顔をしているのならとりあえずの問題は解決したのだろう。


「この先に防臭マスクがありますので、少しの間ですから我慢してください。さあ、急ぎましょう」


 ロボタンがそう言って走り出し、一同はそれに続いて黙々と長い地下道を走った。先頭をゆくロボタンが頭だけで振り返った。悪い予感にダイチ後ろを振り返るが、暗闇しか見えない。


「追っ手です!」


 ロボタンが叫んで、カイリとマユを長い腕で絡めとり更にスピードを上げた。マシロ・アサト・ダイチも全力で走る。何処を見ても何の気配もないが、ロボタンに備え付けられた何かが追手を察知したのだろう。


「ここを上ります」


 ロボタンは急停止すると、廊下に掛けられた粗末な梯子に飛びついて、マユとカイリを手に巻いたまま器用に登り始めた。


「地下階のある建物から一旦、外に出ましょう。この辺で近いのは飛行場跡です。またルートを変更です。ですがそのルートですと、無事に皆様をお連れする確率が」

「じゃあ、飛行機が残ってたらそれで逃げようよ。こうやって逃げるよりは逃げ切れる確率高いよね」


 悔しさをにじませたロボタンに、アサトが息を弾ませながら応じる。


「スピードという話なら逃げ切れるかもしれません。NIには移動という概念がありませんから、移動の技術や知識は衰退しているはずです。ですが、飛行ルートはもちろん、着陸した場所は間違いなく把握されますし」

「着陸してから、また逃げればいいだろ?」


 ダイチはロボタンに答える。


「そうですね。いや、しかし食料なども」

「なんとかなる」


 黙っていたマシロがロボタンを言葉を途中で制した。


「万が一、捕まるよりマシだろう」

「わかりました。カイリさん、マユさん、降ろしますよ」


 そう答えながら、ロボタンは器用に腕を垂らして、カイリとマユを梯子におろした。


「手を離しますよ?」

「了解」

「大丈夫」


 ロボタンはすごい勢いで一番上までたどり着くと、自由になった腕を伸ばして頭上の鉄蓋を持ち上げた。頭上からは薄明かりが差し込んで視界が良くなる。五人は懸命に梯子を登った。


「急いでください。もうそこまで来ています!」


 急かす声に足を速めて、最後尾のダイチも穴から這い出した。休む間もなく走り、非常階段を駆け上がる。ダイチが上りきるのとロボタンが室内に続くだろう扉にかけられている頑丈そうな鎖を切るのが同時だった。ドアが重い音を立てて開き、ロボタンが滑り込んだ。


「どれならば」


 飛行場には数機の飛行機が残されていた。二人くらいしか乗れなそうな小型のものから、とてつもなく大きなものまで……ロボタンの目が赤く光ってそれらの機体をスキャンしていく。その見た目にそぐわずロボタンが高性能なことにダイチは感謝した。


「あれなら動きそうです」


 三角形をした機体を指差して走り去るロボタンを見て、マシロがマユの手を握って走る。ダイチはカイリの手を取って走った。蛇腹のような足を伸ばし、機体の腹部に張り付いていたロボタンが振り返った。


「ハッチが開きました! 急いで!!」


 丸いハッチが開き、中から金属の梯子ががしゃん、と下りる。ロボタンはまたもや腕を伸ばしてカイリとマユを持ち上げた。


「もう。荷物じゃないんだから!!」


 喚きながらマユが高い高いされるように持ち上がっていく横で、アサトがすごいスピードで梯子を上っていく。ダイチの手が梯子に届いたところで、扉から小さなロボットが大量になだれ込んできた。小型犬のような大きさで、形は蟻と言うのが近いだろう。ダイチはぞっとして梯子を上る。蟻の群れが墨をこぼしたようにあっという間にフロアを埋め尽くした。


「マシロ、はやくしろ!」


 転がっている鉄パイプを拾いにいくマシロに向かってダイチは怒鳴る。ガコン、と音がして梯子が回収されはじめた。


「マシロ!」


 マシロはまっすぐに走り、しなやかに跳躍して梯子に片手をかけた。蟻たちはお互いの体を足掛かりに、巨大な踏み台と化してマシロへと延びる。マシロは残像しか残らないような速さで鉄パイプを振り回して、蟻で出来たタワーの先端を削ぎ落とす。だが、崩しても崩しても、新たな蟻がよじ登り、マシロへとその鉄の足を延ばす。足の先が釣り針の返しのようになっているのが見えた。


「梯子、もっと早く上がらないのかよ!? マシロ、掴まれ」


 機内に回収されたダイチは、マシロに向かって必死に手を伸ばす。マシロはゆっくり上がる梯子に今にも追いつきそうな虫たちを次々に払い落とす。


「マシロ! 危ない!」

「大丈夫だ。世界は私のものだから」

「何言ってんだ、手を伸ばせよ!」


 マシロが手を掴むと同時に機内にひっぱりあげると、ロボタンが絶妙なタイミングでハッチを占めた。アサトがぺたん、と腰を下ろす。薄暗い機内には常夜灯のような頼りない灯りしかなく、五人が悠々と動けるだけの空間がありそうな室内の全貌を把握することはできなかった。


「あっぶなかった。マシロちゃんがいなかったら確実に入られてたな」


 ほっとするのもつかの間、足元からガリガリと嫌な音が響き、マユがはっとして飛びのいた。


「ねえ、なんか。音がしてるよ」

「底を削ってるんだろう。あと少しで振り切れたのに」


 マシロはちらりとダイチを見て冷静な顔で言うと、鉄パイプを確認する。細かくついた傷が、蟻たちの足先の鋭さを物語っていた。足にでも引っ掛けられれば、死なないまでも相当の深手を負うだろう。


「穴まで開けるには、だいぶかかるでしょう。まずは滑走路へつながるハッチを開けなければいけません。ここからの操作で開くかどうか」


 ロボタンは口早に言いながら計器をいじっていた。その横でカイリもパネルを食い入るように見つめながら何かを入力している。緑色の文字の羅列が、カイリの白い頬に反射されていた。


「よし。これで遠隔操作されずに飛行できます!」


 カイリが叫んだ瞬間、前面の大きなハッチがゆっくりと開き始めて、澄んだ青い空と真っ直ぐ伸びる滑走路が見えた。


「ハッチも開くことができました」


 ロボタンが嬉しそうに言い、機内に歓声があがった。


「すっげえな俺ら。いや、主にカイリとロボタンがだけど」


 アサトがカイリの肩に腕を回して、頭をワシャワシャと撫でる。カイリは恥ずかしそうに笑ってロボタンを見つめる。手を叩きあって喜んでいたダイチとマシロもカイリの視線を追ってロボタンを見た。ロボタンはゆっくりと首を回す。


「動きません」

「何? 何で?」


 ダイチは見ても何もわからないモニターを覗き込む。


「手動で動かすには自立思考型のナビゲーションシステムが必須なのです。ですが」

「入っていない?」

「はい。わたしのナビシステムは古すぎて規格が合わないのです。書き換えるには膨大な時間が必要です」


 アサトとマシロが前面の大きな窓に貼り付き、乗り出すようにして眼下を見る。


「ゲームかよ」

「ああ。ありがたくもねえな」


 ダイチはため息をつく。その昔――AIが暴走した世界で、人類の存続をかけて戦うゲームが世界的に大流行した。ロボットやアンドロイドを蹴散らす快感に、少年だったダイチとアサトは寝る間も惜しんでプレイした。その光景にとてもよく似ていて、アサトがそのことを言っているのだとすぐに気づいた。ただ、ゲームの中では電磁銃や、アンドロイドの人工知能を麻痺させるECMランチャーという武器を装備していたが、ダイチたち丸腰である。そして、リセットもリスポーンもない。


「どうする? 私が先に下りて減らそうか?」

「いや、これちょっと強硬突破は」


 アサトが「無理だろう」という続きを飲み込み、室内に重い空気が流れた。ここで終わりなのだろうか。餓死するか、おとなしく捕まるかしか道は残されていないのだろうか。ダイチの脳裏に何かがよぎった。


「カイリ」


 声を掛けると、絶望した顔のカイリがダイチを見つめ、いやいやと首を振った。投降するくらいならカイリは死を選びそうだ。だが、ダイチが言いたいのはそれではなかった。


「いや、違うよ。ロコのAIは使えないのか? 俺には全然わからないんだけど」


 一瞬、何を言われたのかわからない、という顔をしたカイリの顔に興奮が浮かぶ。


「もしかしたらいけるかもしれません!」


 カイリはロコのAIをロボタンに手渡す。ロボタンはそこに刻まれた規格を示す細かい文字列を凝視する。


「私より新しいタイプですね……これなら、短時間でいけるかもしれません」

「僕が接続します。ロボタンは書き換えを」

「わかりました」


 カイリとロボタン以外の者は何をすることもできない。息を飲んで二人の作業を見守った。その間もガリガリ、キリキリという嫌な音が響き続ける。


「書き換え完了しました」


 ロボタンが叫ぶ。


「了解です、こっちもう少し……これで……いけ!」


 カイリがむき出しのAIに一本の線を繋ぐ。その瞬間、コクピットに色とりどりの光が溢れた。天井から優しい黄色い明りが降り注ぎ、計器が全て赤い色に光る。それはひとつづつ徐々に緑色に変わった。フロントガラスには白・青・オレンジなど様々な色で、数値やグラフが映し出される。次にはぱっと室内に白い光があふれて、全員の安堵のため息が重なった。カチ、とマイクのスイッチが入ったような音がコクピットに響く。


『おはようございます、マスター。少し痩せましたか?』


 聞き覚えのある声ではない。音声は別のものだ。けれどダイチにはその声の主を感じることが出来た。


「そうかな」

『痩せたマスターも素敵です』


 ダイチは肩の力が抜け、口元が緩むのを感じた。それを声に出す前に、ガ、ゴン、と何かが外れるような音がして目の前の景色が回り、機体はまっすぐに滑走路を向く。まぶしいほどの青空が眼前に広がった。


「今日は行楽日和だな。ちょっと遠出しよう」

『かしこまりました、マスター。揺れますのでお座りください』


 ダイチは頷いてシートに座る。シュ、とベルトが腰に巻かれた。


『離陸します』


 機体は急発進して空に飛び出した。

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