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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
六章 フリーウィル
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フリーウィル 2

「朝です。起きてください、朝なのです!」


 甲高い声とカンカンカンという音でダイチは目を覚ました。ロボタンが丸い腕の先を自分の頭にぶつけて出している音だと気がつき、唖然として見つめる。


「移動を始めます。急ぐのです。食事は歩きながらです」


 声はどんどん大きくなり、カンカンカンという音も速さと大きさを増していく。食事と聞いて、マシロが二段ベッドの上から飛び降りた。


「食事か。早く起きろマユ、食事だぞ」


 マシロは二段ベッドの下で、掛け布団をぎっちりと巻きつけて寝ているマユを布団ごと引きずりだした。


「やめてマシロ、やめてってば。起きたから! もう!」


 抵抗むなしく布団を奪われたマユが、喚きながらどすどすと洗面台に向かった。カイリが目を擦りながらその後に続く。それを見て満足げに頷くと、ロボタンはカンカンをやめて三人がけのソファに横たわるアサトを揺さぶり起こしはじめた。


「五分ですよ。五分後に出発です」

「んーじゃあ、あと五分寝る」

「アサトさん。それでは準備が出来ません!」

「エリー、に、おぶって、もら……」


 アサトとロボタンのやり取りに苦笑いしながら、ダイチが顔を洗うために立ち上がると、洗面所から戻ってきたマユと擦れ違った。


「おはよ、マユ」

「ん」


 まだ寝ぼけているのかマユは無表情のまま通り過ぎた。バトルの日は気がつかなかったが、そういえばミーティングなどにはよく遅刻するし、マユは寝起きが苦手なのか、とダイチはその丸まった背中を見つめる。


「さあさあ、行きますよ」


 五人はロボタンに急かされて、押し出されるように古い休憩室をあとにした。元よりたいした荷物もないから、準備の必要もさほどない。手渡された食品のパックを開け、水で腹に押し込みながら無言で歩く。

 ところどころで階段を降りて、ダイチの見当では地下6回というところだろうか。太い通路を避けているらしく、薄汚れた細い道を進んだ。小料理屋のような店が両脇に並ぶ道や、よくわからない大量の部品が並んだ油の匂いのする道……を通り過ぎて歩く。排気のシステムが生きているらしく空気はきれいだった。とはいえ、エリーに搭載されているライトに照らされている部分しか見えないので、ほとんど真っ暗である。何かの気配が残っているような気持ち悪さがあった。

 アサトは食べ終わった空のパックをぽい、と道の端に投げ捨てる。歩くことに退屈したようにモーターのようなものが並ぶショーウィンドウを鼻をつけるようにして覗き込んだ。


「これ、何年前に使われてたんだよ」

「混乱の時期以前の詳しいデータは残っていないのです。もちろん、あるところにはあるのかもしれませんが」


 アサトに答えながら、ロボタンは投げ捨てられたパックを腕を伸ばして拾う。ゴミだらけの道に今更パックのひとつが増えたところで何も変わらないだろうに、彼のプログラムがそれを許さないのだろう。

 微かに習った記憶しかない嘘の歴史。その残骸のような地下都市を見て、ダイチは不思議な感慨に打たれていた。大気や土にしみ込んだ毒。いつ発病し果てるかわからない絶望。生きているものも恐らく体調が良くはなかっただろう。弱々しく泣く子供を腕に抱きながら、新しい体に生まれ変わることの出来る技術を彼らは切望したのかもしれない。感傷的な考え事をしたまま歩き、汚れたショウウインドウの前で足を止めたカイリにぶつかりそうになりダイチは慌てて立ち止まった。


「テセウスも」


 カイリの発した独り言のような言葉の意味が分からずに、ダイチは返事に窮した。


「テセウスの中でもこんな光景が広がってたのかなってこと?」


 続くアサトの質問で、ダイチはようやく理解する。


「はい。シェルターとして作られたようですから、ここよりは安全だったかもしれませんね。混乱はしていたでしょうけど」


 テセウスの地下で生き残るために必死に戦っていた人々。バトルフィールドは地球環境を少しでも維持するように作られた箱庭だったのかもしれない。NIはそこを人殺しを鑑賞するための舞台に再利用したのだ。


「不謹慎なのでしょうか」

「え?」


 ダイチからはカイリの横顔しか見えない。カイリの視線を追って、ショウウインドウに移ったカイリの目にぶつかった。懐かしく愛しいものを見るような目にダイチは困惑する。色素の薄い、ガラスのようなカイリの瞳は薄い光と熱を帯びているようにさえも見える。


「僕は今、こうやって生きようともがく事が楽しい。だからここにいた人たちもそんなに哀れではなかったのではないかなって。そんなはずないですよね。僕がおかしいのかな」


 カイリの声がだんだん小さくなり消えた。マユがふいに立ち止まって顔が見えないくらい小さく振り返る。


「あ……」

「いや、俺も面白いと思ってるけど?」


 先頭を歩いていたアサトが、体ごと振り返ってニカっと笑った。その前に声を発しかけたマユが気になり、ダイチはそのピンク色の頭を見つめる。


「そうですよね!?」


 カイリが嬉しそうに言って振り返り笑った。ダイチはマユに声を掛けよう準備した言葉を引っ込めて、苦笑いで頷く。


「でもまあ、ここで死ぬのを待つような生活をしてた人たちが聞いたら怒るかもな」

「それは、はい」


 カイリは大人しく前に向きなおり歩き出す。止まったアサトを追い抜いたマシロがくるりと向き直って後ろ向きに歩きだした。


「死んでるんだから聞かないだろう? カイリが楽しいならそれでいい。アサトもな」


 そのままマシロは後ろ向きで歩き続ける。こんな薄暗がりで、よくそんなことが出来るな、とダイチは思う。


「おい、前を見ろ、危なっ」


 注意しようと声を掛けた瞬間、マシロが倒れていた街灯に足をとられた。しかし、素晴らしい体幹と反射神経で、くるりと前向きに戻って街灯を飛び越え、何もなかったかのように歩き続けた。


「……くねえな」


 ダイチは苦笑いして、カイリの横を歩くマユのピンク色の頭を見つめた。いつもは高く二つに結った毛先がピョコピョコ上下しているのに、なんだかやはり元気がないように見える。


「マユ?」


 ダイチに呼ばれ、マユはびくりと肩を震わせた。


「マユさん?」


 それに気がついたカイリの問いかけにマユは立ち止まる。カイリも立ち止まり、困ったようにダイチを振り返った。マユは立ち止まり、後ろから見てもわかるほどに震える手で首の後ろからチップを外し、カラン、と地面に落とした。カイリがはっと息を飲む。


「それ」

「いつからつけていましたか? マユさん」


 ロボタンが冷静な声で聞く。しかしその声に含まれた緊張に誰もが気づいた。


「……今朝。だって、帰ったほうがいいよ、テセウスに。どうせこの命で終わりならみんなで終末施設で安全に過ごしたほうが」

「どうして!」


 カイリの叫びに震え声で話すマユはびくりとして首をすくめた。


「僕たちはそうやって終われても、また記憶を書き換えられたクローンがどこかに送り込まれるんですよ? そんなこともわからないんですか!」

「カイリ、落ち着け。これは強制じゃないと昨日言っただろ?」

「だったら一人で勝手に投降すればいい! 皆でってなんなんだよ!」


 ダイチはマユに掴みかかりそうな勢いで叫ぶカイリを押さえ込む。


「今それを議論しても仕方ありません。恐らくもう見つかっています。急ぎましょう」


 最後尾を歩いていたロボタンは、きっぱり言うと、皆の間をすり抜けて先頭に立ち走り出した。みんな一斉に後を追う。ダイチは動かないマユの腕を掴んで、ひっぱりながら一緒に走った。


「細い道を行きます。エリー、Bルートに変更です。先行していてください。くれぐれも気をつけて」


 ロボタンは前向きに走りながら長く手を伸ばし、エリーの背中から必要な荷物を解いて掴むとそれぞれに配る。そうやって手渡されたザックを背負いながら、ダイチは俯いて走るマユの横顔を見つめた。

 マユはそんなに固い決心でついてきたわけではない。追われるような生活の中、粗末なベッドに寝かされ、食料も少ない。しかも、この命ひとつしかないのだ、安全なところに帰りたいと思って当たり前なのに、その不安にどうして気づいてやれなかったのか。

 先頭のロボタンが立ち止まり、細い通路の先を覗き込んだ。くるりと首だけをエリーに向ける。


「エリー、ではあとで。皆さん、ついて来てください」


 それだけ言うと、ロボタンは狭い通路に身を滑り込ませた。


「また会うぞエリー、必ずだ」


 エリーに別れを告げるマシロ、そしてアサトがそれに続く。カイリが滑り込んだ後にマユを押し込んで、ダイチは最後尾を走った。

 慌てている様子のロボタンの後を黙々と追って、狭い階段や梯子をいくつか上る。どうやら上階に向かっているらしい。最後に停まっているエスカレーターを上りきると、ガラス越しに外の世界が見えた。アサトが「大丈夫か?」というようにダイチを振り返った。ダイチの目にも同じ気持ちを見たのだろう、頷いて前を向く。


「なあロボタン、外に出るのか?」

「アサトさん、大丈夫です。いや、地下から出れば目視される危険が増えますが、まだ目視できる地点に敵はいません。それにBルートに入るにはここを通るしかないのです」


 ロボタンが口早に説明する。ダイチとアサトは納得して頷きあい、ショッピングモールのような建物の中を走りぬける。割れたガラス窓から外に出て、ビル街の真ん中をしばらく走ってひとつの路地に入る。ロボタンは大きな丸い鉄製の蓋の前で止まった。


「マンホールと呼ばれるもので、地下の下水道に繋がっています」

「下水?」

「使い終えた水を流す水路です。とにかく降りましょう。少し匂いますよ」


 ロボタンがマンホールの蓋の凹みを上手く握って持ち上げる。底が見えない細い穴には、鉄製の簡単なはしごがかけられていた。穴からはなんともいえない悪臭が立ち上っている。無言でマシロが梯子に手をかけて降り始め、アサトが続いた。マユが躊躇していると、カイリが黙ってその横を追い抜いて降りていく。ダイチはそっとマユの肩に手を掛けた。


「……マユ、ここに残るか? チップがなくとも、ここならすぐに見つけてもらえるだろうし」


 言いながらロボタンに視線を送ると、首を縦に動かして肯定した。だが、目に一杯の涙を溜めてマユは首を横に振る。


「じゃあ、一緒に降りよう。ほら、行って」


 こくん、と頷くとマユは梯子を降りはじめ、ダイチも穴の中に滑り込んだ。ロボタンが降りてきた気配があり、ゴウンと鐘のような音を響かせて、鉄の蓋が閉められた。

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