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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
一章 ドッペルゲンガー
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ドッペルゲンガー 3

「やっべえ……けど、風下だからばれねえかな」


 岩の隙間から向こう側を除いていたサトが振り返って首をすくめた。そこには鬼の面を被った小柄なファイターが佇んでいる。槍をだらりと持ち、ゆっくりと左右を見回していた。その姿は獲物を探す肉食動物を思わせる。テセウスでは知らぬものの居ない青サイドのトップファイター、赤目だった。


――赤目を見かけたら全力で逃げろ


 それは赤サイドのファイターたちの暗黙の了解だ。


「出会えば十死の鬼だ。隙を見て逃げるぞ」


 イチも岩影に身を潜めたまま囁く。赤目はテセウスが稼動した五十年前の第一戦から参加していると言われている。その間のリスポーン数はたったの一回だ。本当だとすれば、現在は六十歳をとうに超えている計算となる。

 たった一回のリスポーンは赤サイドのファイター総がかりで勝ち取ったものだった。赤目は五十三人までを無傷で切り倒し、五十四人目の剣が膝をかすった。腕を刺され、わき腹を切り裂かれ、全身に傷を負った赤目が倒れた傍らには百以上の赤サイドのファイターの屍が転がっていた。それは一バトル中に一人で殺した最多記録であり、今後、破られることはないだろうと言われている。赤目はテセウスの生きる伝説なのだった。

 その赤目が、目の前わずか数十メートル先にいる。老いて鈍くなっているとは聞くが出来ればやり合いたくない相手だった。カイの視力がなかったら気がつかずに近づき、全滅していただろう。赤目がイチたちの居る方向とは逆にゆっくりと歩き出した。


「よし、少しづつ離れよう」


 イチの先導で、四人はじりじりと後退し始めた。姿を隠すことの出来る林までもう一息という時に、ひゅう、と風が鳴って赤目がこちらに顔を向けた。見つかった、と思った瞬間には赤目は駆け出していた。あっという間に距離が詰まる。


「逃げろ! 走れ!」


 イチの叫び声と同時に四人は全力で走る。足の遅いカイがどんどん離れていった。


「いってください!」


 カイは叫んで振り返り、弓に矢を番えひゅう、と射った。相当の練習を積んだのだろう。すべるように滑らかな動きだった。矢は糸がついているように赤目に向かってまっすぐに伸びていく。だが、赤目はその矢を短槍でかつん、と簡単に弾いた。


「サト! マユを頼む!」


 イチはくるりと向きを変えて走った。どうせ重くなってきた体だ。この辺でリスポーンするのもいい。カイは矢筒から数本の矢を抜き取って地面に打ち立てて、次から次へと休むことなく矢を射っている。赤目は正確に急所を襲ってくる矢を次々と弾き飛ばしながらカイに近づいていた。

 矢を避けながらなんて早さだよ……イチが思わずその動きに見惚れた瞬間、赤目の体がぐらりと揺れた。その好機を逃さず放ったカイの矢が、赤目の太ももと肩に突き刺さる。


「やったあ、あたったあ」


 遠くからマユの声が響く。イチが視線を流すと、投石器を振り回してぴょんぴょんはしゃいでいるマユの姿が目に入った。布に鉄球を挟んで振り回し遠心力だけで投げつける原始的な武器だが、当たりどころが悪ければ致命傷にもなる。


「ばかマユ! サト、早くつれて逃げろ!」


 イチは赤目に意識を戻しながら叫んで、刀を構えた。イチの武器は二十年一緒に戦ったファイターの形見だった。ニホントウというらしい。軽いのに恐ろしいほど切れる。刀越しに赤目が太ももに刺さった矢を自ら引き抜きながら立ち上がるのが見えた。


「カイ、お前も逃げろ」


 イチは赤目からは目を逸らさず、静かな声でカイに告げる。顔を見なくても不服そうな感情がカイから向けられていることがわかった。


「足手まといだ」

「……はい」


 悔しそうな返事をして走り去るカイの足音を聞きながら、イチはカチャリと刀を握りなおした。ゆっくりと刀を右手で振り上げ、顔の横で左手を添える。赤目は矢傷を負っているとは思えないスピードでイチとの距離をつめる。平静を装いながら、あーなんて怖いんだろうね、とイチは心の中で苦笑した。生き返ることがわかっていても、何度経験していても「殺される」と肌で感じる瞬間は身がすくむほど恐ろしかった。

 ひゅいっと音を立てて赤目の穂先が伸びてくる。イチは一撃目をかろうじて避け、赤目の懐に飛び込もうとした……刹那、電光石火の速さで続いた赤目のニ撃目にわき腹を刺し貫かれた。速いね……でもこっちは一人じゃないんだよ、ダイチは刺さった短槍を抜かれまいとしっかり握り締めて引き寄せた。腕を伸ばして咄嗟のことに槍を手放すのが遅れた赤目の腕を掴む。マスクの間から覗く瞳が見開かれた。


「……サトっ」

「あいよー」


 血を吐きながらダイチは体を屈める。イチの背中を蹴ってサトが飛び出し、赤目の首を、開いた腕を上げたガードごと曲刀でなぎ払った。派手に血飛沫が舞い上がり、赤目はかくっと膝をついた。イチに突き飛ばされ、ゆっくりと後ろに倒れながらサトの首筋を狙って仕込み刀を放つ。まっすぐに飛び出した小刀は、サトの曲刀に弾かれてカツン、と地面に落ちた。周囲は静まり返り、風の音だけが通り過ぎる。


「あ、はははははは」


 しばらくして、サトの笑い声が響いた。


「嘘だろ!? 赤目をやった!」

「……だな。本当に逃げたんじゃないかとひやひやしたよ」


 興奮して跳ね回るサトを見ながらイチもにやりと笑う。脂汗が体中を伝っていたが自然に口元が緩んだ。あの赤目をこんな少数でやったのは俺たちだけだ。腹の傷で動けないが、イチも興奮ではちきれそうだった。


「うっわあ。やだあ、イチ痛そう。大丈夫ー」


 走ってきたマユがイチを支えてそっと座らせる。心配そうに覗き込むマユの頭を撫でて、イチはぼんやりとした目で自分を見つめて立っているカイを見つめた。神経質な動きで、指先に自分の髪をくるくると撒き付けている。何かを不安に思っているときのカイの癖だということを知っているダイチはカイにそうっと手を伸ばした。気がついてしゃがみこむカイの頭に手を載せる。


「カイの手柄だな」

「そんな」


 カイは真っ赤になって慌てて否定して、マユは「マユの手柄だもん」を口を尖らせた。


「ママンはゆっくり死んでなさい。あとはパパが責任もって逃げ回るから」


 イチの面倒見の良さをいつものようにからかって、サトはひらひらと手を振る。せっかく倒した赤目だが、討伐のポイントは他のファイターと変わらない。しかもポイントはサトに入る。リスポーンして減点されたのでは意味がないな、イチは苦笑した。


「おう。頼む」

「じゃあなー五回目。あとは六回目と仲良くやるぜ」


 嬉しくて溜まらないというようにサトは笑った。何か言い返そうと思ったイチの耳にポン、という電子音が聞こえた。


――生命維持に多大な支障があります。安楽処理を実行します。記憶の記録を中止します。


 サトの嬉しそうな顔を見ながら、耳の後ろで響く音声を聞いた。 

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