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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
五章 ミューテーション
34/59

ミューテーション 2

「よっしゃ、穴を広げて逃げるぞ」


 アサトが天井を壊すのに使った工具を手にとって、ロボタンの開けた穴に近づいた。


「ロボタンを待たないのか? 腹が減っているのだろう?」


 マシロが目を丸くしてアサトの袖を引いた。アサトはばりばりと頭を搔く。


「いやいや、さっき食べたばっかりでしょ。マシロちゃん、ええとね」


 ダイチも工具を拾ってアサトの横に立ち、困惑しているマシロの顔をちらりとみる。


「敵かもしれないだろ」

「そん、な」

「罠かもしれないんだ。ロコが操られたのを見ただろ」


 マシロを説得しているダイチに肩をすくめて見せてから、アサトは壁の穴を広げ始めた。唇を噛むマシロの腕を、カイリがそっと掴んで引いた。マシロは一瞬身を固くしたが、引かれるままに後ずさる。ダイチはマシロのことはカイリに任せ、拡張作業に加わった。カイリが遠慮がちにうなだれたマシロの顔を覗き込む。


「マシロさん、僕もあれは野良アンドロイドだと思います」


 カイリの言葉にダイチはハッとする。そういえば、ロコがそんなことを言っていた。だから、カイリもアサトも警戒が薄かったのか、思いつかなかったのは自分だけだ、と苦笑した。あれはいつのことだったか。思い出してダイチは胃の腑が竦むのを感じた。そうだ、あれはアサトの記憶を保存した夜だった。ということは、アサトの記憶にはないはず。であれば、ただの楽天家かよ、とアサトの顔を見るとアサトもこちらを見ていて視線がぶつかった。


「野良アンドロイド?」

「そうです。そういうものが居るとロコさんから聞いたことがあります。アサトさんが、その……居なかったときかも」


 アサトの問いにカイリが答える。なるほど、その言い方なら「アサトが亡くなってから」という解釈もできる。カイリはマシロに向き直った。


「でも、万が一ということもありますから、ね?」


 マシロが静かに息を吸い込む音が聞こえた。


「忘れていたけれど、私はヒトと暮らしていたことがあった。そのヒトと一緒にロボタンを見たんだ……赤いソファだった。大きな画面だった。お菓子を食べてオレンジジュースを飲んだ。あとは何も思い出せない。あれはどこだったんだろう。あのヒトはどこにいったんだろう」


 マシロの低い呟きに、ダイチは思わず作業の手を止めて振り返った。ダイチと視線のぶつかったマシロの目からぽたり、と涙が零れた。


「……そうか、あのヒトも私の大事な人だったんだな」


 そう言うと、マシロは悲しそうに笑った。その笑顔がせつなくてダイチは何も言えなくなる。涙をごしごしと手の甲で拭って、濡れた自分の手に一瞬驚いたような顔をしてから、マシロは目一杯の笑顔を見せた。


「大丈夫だ、心配そうな顔をしなくていい。今は大事な人がたくさんいる」


 それは、どこか誇らしげな笑顔だった。マシロの過去を知りたいと思った。だが、テセウスに入ってから、いやテセウスに入る前から――もちろん、それは偽の記憶かもしれないが――人の過去などに興味を持ったことがないから、うまく聞き出す術を持たない。


「……おう」


 小さく返事をして、ダイチはまた壁と格闘し始めた。自分の中にとっくに生まれていた気持ちが大きくなるのを感じながら、それを打ち消すように工具を振るう。

 天井を壊すのにも使った腕の筋肉が悲鳴を上げるのを聞きながら、遅々としか進まない作業を黙々と繰り返す。壁は三十センチメートルほどの厚みがあった。休憩を挟みつつ、代わる代わる壁を叩く。


――ついて来てくれとは言ったものの


 バトルフィールドに戻れたとして、集めた食料や隠れ家がスイーパーに見つかっていないとは限らない。直径十キロメートルというバトルフィールドで見つからないよう逃げ切りながら、NIが支配する世界を変えるなど、可能なことなのだろうか……そもそも世界にここしかクローンが居ないと仮定したとしても、NIもここにあるとは限らないではないか。建物から出ることすら困難な自分たちに何かできるのだろうか。バトルフィールドで何もできずに余生を過ごすだけなら、週末施設で過ごすのと何が違うのだろう。皆の安全を思えばそれが一番なのかもしれない。それでもやはり、自分はそれを選べない……単調な作業を繰り返していると、考えても仕方のないようなことが次々と脳裏をよぎった。


「もう、通れるんじゃないか?」


 アサトが手を止めて確認し、ダイチを見上げる。


「お前が通れれば全員いけるよ。ほら、いってみ?」


 にっと笑うアサトを睨んで、ダイチは慎重に穴の中に入った。


「向こうも部屋だな。廊下じゃない」


 かなりきつかったがなんとか通り抜け、ダイチは隣の部屋に滑り込んだ。穴から差し込む以外の光はなくてほぼ真っ暗だったが、通路ではないのは確かだ。壁の向こうからいくつかのがっかりしたようなため息が漏れた。密室だったらまた壁を壊さなくてはいけないのだ。ロボタンの開けた小さな穴があってこれなのだから、最初から開けるのは至難の業だろう。


「ロボタ……スイーパーが入ってきたドアが開いてるかもしれない」


 皆を励ますために明るく言って、カチッと発光筒を点ける。マシロも穴から這い出てきてあたりを見回す。マユ、カイリが続き、最後に入ってきたアサトが反対向きに部屋に戻り、机を引っぱって穴を隠した。


「ええと、ドアと、そうだな。電源探してくれ。移動したのがバレるかもだが、こう暗くちゃ何もできない」

「了解だ」

「わかった」

「りょー」


 五人はそれぞれに部屋を物色し始める。発光筒の緑色の光がホタルのように部屋をさまよった。ひとつピンク色があるのはマユだ。発光筒の動きを見る限り、どうやら入ってきた部屋よりはだいぶ狭いらしい。


「あ、電源ありました。入れます」


 カイリの声に続いて、ひゅん、と音がしてぱっと部屋が明るくなった。会議室……だろうか。一段高いステージがあり、そこに向かって机が円形に並んでいた。ドアは一つ、アサトがすっと近づき施錠を確認する。


「閉まってる」


 ちっと舌打ちをして、アサトが振り返った。問題は他に出口があるかどうかだ。


「あ、あそこ」


 マユが部屋の一角を指差す。壁際に並べられた紙の資料用と思われる棚が少しずれている。ダイチはそっと近づいて棚の後ろを覗きこんだ。


「穴があいてる。ロボ、じゃないあのスイーパーのサイズだ。来た!」


 ダイチは刀を構える。全員が武器を構えて棚を見つめた。


「もうしわけナイ! ワタシはショクジをはこべなかっタ! どうカ ごどうコウネがいタイ!」


 穴から這い出て土下座するロボタンを見て、ダイチは困惑して皆を見回す。最後にアサトを見つめた。はいはい、交渉役は俺ですね、とばかりにアサトはダイチと場所を替わった。


「あー、君? ロボタン? が遅いからさ。穴を広げて出て来ちゃったわけだけども。食事はあるもので食べたから大丈夫。で、単刀直入に聞くけど、俺らはロボタンを信用していいのかな? 罠だったりしない?」

「メ めっそうモ ナイ!」


 ロボタンは顔を上げてぐるぐると回す。


「じゃあ、なんで助けてくれるのか聞いてもいい?」

「それハ」


 ロボタンの頭の回転が止まって、片方しかついていない黄色い電球がチカチカと瞬いた。泣いているのだろうか? ふ、と湧き上がった自分の気持ちに驚く。アンドロイドが泣くわけがない。ダイチは軽く首を振って、ロボタンの言葉の続きを待った。


「ワタシは ヒトの やくニ たつたメニ つくらレマした  でモ ひつヨウ ナクなった わたシは ふよウ に ナッタ」


 かしゃん、とロボタンは立ち上がる。良く見ると、銀色だと思っていたボディはもともと赤い色だったことがわかった。


「ユウちゃんハ モウ カエラない  わたしハ カツドウをヤメること ガ できナイ  ジコしゅうゼン ぷろぐラム に サカラえナイ そしテ アナタたちハ わたシヲ シンジない ダカラ ヒツヨウト シナい」

「いや、あの」


 アサトは思わず、というように口ごもった。


「わたしニ いみは ナイ イミが ナイのに カツドウを ヤメルことガ デキない」


 ロボタンはまっすぐダイチに歩み寄る。


「わたシ は ねがイ を くちニ ダセない わかリマすか」


 黄色い目のランプが強く光った。何故、俺を選ぶ? ダイチはロボタンをじっと見つめる。ロボットにこいつなら理解してくれる、と思われたのだろうか。そして――その通り、ダイチはロボタンの気持ちが理解できるような気がした。


「壊して欲しいのか?」

「わタシ は ソレ ニ こたえラレない うなづク コトも デキない」


 ダイチは大きく息を吸って吐き出す。


「わかった。引き受けよう」

「ダイチ!」


 マシロが悲鳴のような声をあげ、マユが張り詰めた目でダイチを見つめた。小さく首を振っている。


「ただし、俺たちの役にたった後、という条件でいいか? 俺たちには今、お前が必要だ」


 ダイチを見つめるロボタンの目の黄色い光が、ゆっくりと優しい色に変わったようにダイチには見えた。AIは嘘を付けない。もちろん「それが真実だとインプットされているスパイ」である可能性がないわけではない。ただの勘だといえば無責任になるが、ロボタンは信用に値するような気がした。それに、怪しいところがあればその時に対処しても遅くはないだろうとダイチは考えた。


「じゃあ、とりあ」


 要求を言いかけるダイチの背中にマシロが抱きついてきた。細い腕がダイチの腹の前あたりで組まれている。驚くと同時に、なんて小さな手なのだろうと思った。そして、片手しかない。ありがとうダイチ、というくぐもった声が背中に響いて、ダイチは泣きたいような気持ちになった。動けないダイチの目の前で、ロボタンは上下に伸び縮みを始めた。


「いたしカタなし! なんでモ もうサレヨ! この ロボたんニ まかせなサイ」


 更に手足までも伸ばしてぐるぐると回りはじめる。


――テレレレッテッテ テレレレー


「よし、とりあえず音楽はいらないから止めろ。俺たちはここから出たいんだ。安全に。方法はあるか? って、落ち着け!!」


 ダイチが叫ぶと、ひゅーん、とロボタンの手足が縮んだ。


「ココカラ デタいの デスね ワカリましタ! ここデ シバシ おまちクダサイ」


 ロボタンは再び、穴の中に消えた。一連の騒ぎに毒を抜かれたように、ダイチはぼんやりそれを見送った。アサトがニヤニヤと笑いながら座る。


「まあ、待てって言うんだから待とうか? スイーパーがどっと押し寄せたら、そこが逃げ道になるしね。そして押し寄せたスイーパーはマシロちゃんが一掃する、と」


 気が付くと、マシロはダイチの背にしがみついたままだった。


「マシロ」


 ダイチは自分の腹の前で組まれている真っ白な手の上に、そっと自分の手のひらを載せる。


「……離してくれ、中身が出そうだ」


 一瞬ぽかんとしたアサトが声を立てて笑った。

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