カルネアデス 6
直後、部屋の中央に設置されたモニターの電源が入り、NIサトの顔が映し出された。
「……何……これ……サト?」
裏からぐるりと前に回ったマユが、息を飲んで画像のNIサトを見つめた。両面モニターすらモニターレスの現在から考えれば非常に古いタイプなのだが、裏には映像が映らない、更に旧式のモニターだった。マユは大きく首を動かしてアサトを見る。つられるように皆の視線がアサトに集まった。アサトは肩を竦めてモニターから顔をそむけた。
『あのさ、冗談になってないからね?』
NIサトの口調は落ち着いているものの、その声に含まれる激しい苛立ちをダイチは感じた。カイリが冷たい目でNIサトを睨む。
「冗談なんかじゃないですよ。考えがあると言ったはずです」
『……なんだか、やたら食ってかかってくるなあ。君の記憶を消したのは君のNIだよ? それに殺されてリスポーンさせられたと思ってるみたいだけど……最初の一回以外、君はぜーんぶ自分で死んだんだよね?」
NIサトは呆れたようにカイリを見つめる。カイリはモニターに映るNIサトから視線を外して俯いた。指が白くなるほど拳を握り締めている。
『世の中にはさ、ルールってあるでしょ? これはやっちゃいけないことでしょ?』
ダイチは静かに話し続けるNIサトを見つめる。アサトの記憶をサトに入れた行為についてダイチを責めているのだろう。だが、これは……サトではない。アサトでも勿論ない。気にしている痛いところを責められた苦痛より、カイリを責めたことに対する怒りが上回った。
「誤魔化すな。カイリが自死しなかったら殺してたんだから、同じことだろ? お前らだか誰だかが勝手に決めたルールに俺は同意してないし、嘘の記憶を植えつけられて人生の選択の余地もない。そんなものを守れと言われても無理な話だ。違うか? お前が……俺の知ってるサトならそう思うはずだけどな」
ダイチの真っ直ぐな視線を受けて息を呑んだNIサトの映像の横に、NIイチが現われた。
『……いい加減にしろよ! お前たちは俺たちの所有物なんだよ! 一匹のクローンでしかないくせに調子に乗るな!』
NIイチは苛立ちを隠そうともしないで叫んだ。
『リスポーンを放棄したんだから、さっさと終末施設に移動しろよ! そこで死んだら次はもっとキツイ施設に送り込んでやるからな!!』
『なあ……イチ……落ち着けって』
『俺はもう目覚めたくないんだよ、お前の行動なんて、何一つ興味もない。何も考えたくない! 頼むから早く死んでくれ!』
泡を飛ばしながら怒鳴るNIイチと、それを宥めるNIサトをダイチは呆然と眺めた。イチとの決着後に振り切ったはずの思いに、ふいに足元を掬われたように「自分は自分である」という思いが揺らぐ。
NIイチに「友情に厚く、世話焼きの自分」という偽の記憶を植えつけられたのではないだろうか、という不安は確信に変わりつつあった。自分を信じて未来を選択して行動してきたのに、その自分が信用出来ない。本人の望まぬリスポーンを、自分の都合で友人に押し付け、自分が生きるためなら自分のクローンを殺す、本性は勝手で浅ましい人間である自分。
――これが本来の俺か……こんな俺に、他の誰かを殺してまで生きる価値が?
深い失意の底に沈みそうになった瞬間、ふわっと目の前にピンク色が広がった。我に返って見つめると、それはマユの髪の毛だった。
「サイテー。あんたなんて全然イチ……ダイチじゃないよ」
「……本当ですね」
マユがNIイチを睨みつけ、カイリがそれに同意する。ダイチは自分の周りの淀みに光が差したように感じた。自分の胸の内がどうあろうと、彼らは今の自分を信じてくれている。ダイチは口角を無理やりに引き上げて笑顔を作った。
「遠慮しとくよ。お前が変わりに死ねばいいだろ? どうせ寝てるだけなんだろ?」
「あ、賛成。俺たちが楽しく、一生懸命に、それはもう充実して生きるからさ。君らは遠慮なく死になよ。死んでいいんだよ? 生きてる意味ないんでしょ? ね?」
黙って成り行きを見つめていたアサトが、ダイチに同調してNIを挑発し二人で顔を見合わせてにやりと笑う。二人とは対照的にNIイチとサトの顔からは表情が消えていた。一種の恐怖を感じさせる程に空虚な表情。それは、自分の過去か未来のどこかにあった感情かもしれない。
――哀れだ
ふと浮かんだ思いに、ダイチは何も言えずに画面を見つめる。突然のノイズと共に真っ暗になり、消えた。
「……消えた。何がどうなってんのよ」
マユがぽつりと呟いて、へたりと座り込んだ。その隣でアサトが忙しなくポケットをまさぐりタバコを取り出す。ダイチと同じ気持ちを感じたに違いない。ライターを持つ指が小刻みに震えていた。マシロがタバコを奪おうと手を伸ばしたが、諦めたように引き、アサトは無事に火をつけて煙を吸い込んだ。
「俺も、何がどうなってるのか聞きたいね」
やっと、というように紫煙と共に言葉を吐き出す。ダイチが見つめると、カイリがこくんと頷いた。
「実は」
『ほらみろーーー!』
カイリが話し始める前に、ぱちん、と再びモニターの電源が入って、場違いに明るい声が響いた。
「え……カイ?」
モニターを見上げてマユが呟く。画面に映っているのはカイだった。髪が短く刈り込んであるが間違いない。NIのカイだろう。
「え? ブスミ……なんでそこにいんの? ……キモ!」
一瞬驚いたように眉を寄せたNIカイは嘲るように高い声を上げて笑った。顔は間違いなくカイである。だが、表情、仕草、口調、その全てが明らかにカイリとは違う。
「なー、俺言ったろ? 面白くなるって」
NIカイは誰かに話しかけるように振り返った。向こうは現実ではない。モニターには後ろに立つ誰かの影も写っていなければ、答える声が聞こえるわけでもなかった。状況がわからないまま、五人はモニターを見つめる。
「しかしやっぱ俺ってスゲエわ。記憶飛ばして入れたのにこれだよ? かっこよすぎね?」
NIカイはまたもや大声で笑って、横に立つ誰かと手を合わせるような動きをした。恐らく周りに友人がいるということなのだろう。酔ってふざけているような喋り方だった。
「……つか、その髪型、おかっぱ? すげえウケるんだけど……うるせえ! ホモじゃねえよ!」
「……君が……僕?」
周りにいる者と画像を見て楽しんでいるようだったNIカイは、カイリの呟きを聞いて、初めてこちらと繋がっていることに気付いたようにカイリを見つめる。
「君? そんで……僕、って? やめろよ! 俺の顔と声で気色わり! つか、本当になんでブスミが居るんだよ? お前が誘ったわけ? 記憶がないからってさあ、ブスミはないわー」
「……いい加減にしろよ、用がないなら失せろ」
ダイチはカイリとモニターの間に立ち塞がり、NIカイを睨み付ける。こいつがカイリの記憶を奪ってテセウスに放り込んだ。つまり……カイリが咽喉から手が出るほど欲しい、テセウス前の記憶を持っているのだろうが、それはカイリにとってもマユにとって気持ちの良いものではなさそうだ、と推測する。
同時に、本名が嫌いだといったマユの表情を思い出した。今、こいつとは関わらない方がいい。そう判断して睨みつけるダイチを、NIカイは不愉快なにやにや笑いを浮かべたまま、上から下まで観察した。
「生意気だな、お前。俺にそんな口きいていいのか? あ! いいこと思いついた。面白がらせてくれたお礼に、その部屋のドアを塞いでおいてやるよ。俺、データの改竄とか得意だから、お前らは逃げたことにしといてやるからさ。ちょっと面倒だけど、本当、遠慮しなくていいよ。じゃ、またあとで。三年後くらいに見にくるよ」
カイリは邪悪に顔を歪める。
「あ、そうそう。NIの自分たちに期待すんなよ? あいつら全然やる気ないし。あっても俺以上のことは出来ないし。ほら、希望って切ないじゃん? だから教えてやってるわけ。俺って本当に優しいよな。じゃ、ばいばーい。きれいなミイラになっててねー」
ひらひらと手を振りながら、にやにや笑いを残してNIカイは消えた。五人は言葉もなく立ち尽くす。塞がれる前に出なくてはいけない。だが、外には何十人というファイターがいる。ダイチはちらりとアサトを見たが、策はないというように両手を上げた。部屋には息継ぎさえ聞こえない沈黙が降りた。
「マユさん」
カイリの呟きがその沈黙を破る。
「知らない。あたし、カイなんて知らない」
マユは青い顔で首を振る。カイリは一瞬躊躇ってから口を開く。
「……でも、今の」
「知らないってば! もうやだ。全部やだ」
マユは話しながらふらふらと部屋の隅に歩き出す。壁に寄りかかってずるずると座り込んだ。ダイチは一瞬戸惑ったあと、マユに近づく。途中でぽん、とカイリの背中を叩いた。うずくまるマユを皆から隠すように座り込み、そっと頭を撫でた。マユはびくん、と震えて、荒い息をつき始めた。目を見開き、ハー、ハー、と肩を上下させて息をする。 ダイチは過呼吸を起こしそうなマユの口元に手を当てる。
「落ち着け、何とかする。大丈夫だから。あと、さっきはありがとな。マユに庇ってもらう日が来るとは思わなかったよ」
何とかなるとは思えない。でまかせを言うことに少し抵抗を感じながら、しばらく「大丈夫」を繰り返すと、マユはやっと心が外の世界に繋がったような目でダイチを見上げた。
「マユがいてくれて、助かった」
電源が入ったおもちゃの人形のように、付けまつげがびっしりと付いたマユの目が、ぱちぱちと開閉する。そして、くしゃ、と歪んだ。
「う……」
わあっと泣き出してマユはダイチの胸に縋りついた。
「よし、よし」
ダイチはマユの背中をさする。何があったのかはわからないが、どうやらカイリとマユはテセウスに入る前から知り合いらしい。NIカイの口ぶりとこのマユの様子を見ると良好な関係ではなかったのだろう……そのとき、ががが、と扉の向こうから大きな音が響いた。