カルネアデス 5
部屋を出たアサトは得意のニヤニヤ笑いを振りまきながら、長い廊下を歩き始めた。廊下の先の人影が、アサトに気付いて片手をあげ、汚れたバトルスーツに気がついて目を見開いた。
「おい、アサト、まさか……」
ダイチも良く知る古参のファイターだった。息を飲んでアサトに話しかけると彼のチームのメンバーも気がついて、一行に視線が集まった。ダイチは不自然にならぬよう注意を払って、すっと顔を下げた。
「正解。今月のイベントバトルは俺らの一人勝ちで終了でーす」
アサトが両手をあげて叫び、視線はアサトに集まった。
「マジかよ!? やられたなー! くっそ!!」
更に先の廊下にいたファイターにもその声が届いたらしく。悔しさを隠しもせずに叫んでからこちらに走りよってきた。思わず大勢に囲まれて歩くようにな格好になる。鋭い視線を感じて、ダイチは怪我を装って顔を歪め腕を擦りながら深めに俯いた。集まったファイターの一人がマシロに気づいて指を指した。
「こいつか? ドッペルゲンガー? 誰だよ?」
「ん? そういや見たことないねー。まあ誰でもいいんじゃない?」
「残りは?」
「全部殺ったよ」
アサトの周りで盛大なため息が重なる。
「で、残りも知らないやつだったのか?」
「んー、内緒」
「……あっそ。……ああ、近くまで来てたのか……畜生があ!」
ファイター達は皆、悔しそうにマシロを眺める。戦利品として見世物にしているようでダイチには気が引けたが、マシロは気にした風もなく自然に歩く。
「……あんた」
ずっとダイチを見つめていた女性ファイターが、道を塞ぐように身を乗り出した。まずい、ダイチは身を硬くした。曰くありげな表情をした彼女の名前をダイチは知らなかった。
「ちょっと、どいてくんない? オル。 あ、あれえ、急に思い出したんだけど、あんた朝、イチになんて言ったっけ?」
マユがダイチと女の間に割り込んで絡みだした。
「一年前に赤目を倒したのは偶然、ランキングは運で実力じゃない、だっけ? イチに相手にしてもらえないからって変な言いがかり……」
「マユ、やめろ。……すまんな」
ダイチはマユを止めて叱りながら、女に向かってニヤリと笑う。ふん! と鼻を鳴らして女は顔を背けた。
――助かった
ダイチはマユに微笑みかけ、背中に流れる汗を気取られないように余裕の顔を作って歩く。微妙に長さの違う髪や、少し日に焼けた肌を女性なら見抜くかもしれない。ダイチたちは気の抜けた様子のファイター達と同じ方向に向かって同じ歩調で歩く。ダイチは周りのファイターたちの会話に耳を傾けた。
「あーあ、走り回り損だよ」
「全くだ……それより、終了のアナウンスがねえな」
「久々のイベントだったけど……何かいまいちだったよな」
「イベントってしょっちゅうあるんですか?」
「……昔はあったよな。ここ数年なかったけど」
一方向に進んでいるファイターの波から外れて、アサトは皆とは違う方向に通路を曲がった。
「おい、エレベーターはこっちだぞ」
気がついたファイターにダイチたちは呼び止められた。
「ああ、この子を指定の場所に連れてくんだよ。確認が取れたら終了アナウンスがなるんじゃない?」
アサトは軽く振り返って答えた。呼び止めたファイターは納得したように頷いてエレベーターへと続く廊下に進んでいった。なんて頼りになるのだろう、ダイチはアサトの後姿を眺めた。性格からか、一緒に居るとダイチがリーダーのように扱われるが、知識や判断力や決断力……どの能力をとってもアサトには適わない、とダイチは思っている。ただ単にアサトは面倒なことが嫌いだから、ダイチに仕切り役が回ってくるだけなのだ。
ダイチは黙ってアサトの後ろを歩いていた。会話をしていた方が自然に見えると思うのだが、言葉が出てこなかった。ファイター達と別れた廊下の端がようやく見えなくなった時、廊下にピーンポーンという間抜けなアナウンスが響いた。
『新しいイベントです。ダイチ、アサト、カイリ、マユミ、マシロを……』
「走れ!!」
アナウンスが終わらぬうちにダイチは叫んだ。全員が一気に駆け出す。
『……捕らえてください。一人あたり五十ポイントが加算されます。繰り返します。新しい……』
「走れ! 走れ!!」
……今度こそ逃げ切れないかもしれない、ダイチはその不安を吹き消すように叫ぶ。アナウンスは何度も不吉なゲームの開始を繰り返している。全力で走る五人の後ろでは、内容を理解した十数人のファイターが五人を狩るために走り出しているだろう。
「フィールドを目指すんですよね? その先を左です!」
カイリが叫ぶ。カイの調べた地図がインプットされたとはいえ、メモリチップを抜いた状態でもしっかり覚えているのがありがたい。腹を押さえて走るカイリをダイチとアサトが横から支え、マユが前方にいたファイターに投石した。石つぶてを顔に受けたファイターが声もなく倒れる。その後もポツポツと廊下にいるファイターは、ほぼマユが一人で片付けた。たまに取りこぼされたファイターは可哀想にマシロの槍の餌食になった。通路はだんだんと幅が細くなり、カイリは遠くの扉を指差す。
「そこの扉を開けると上りの階段があります」
マシロが先に走り、扉の取っ手に手を掛けた。
「開かない」
「え……」
カイリは息をのむ。はあはあと息を付いて、困惑したように扉を見つめた。
「ドアの開閉のデータも入ってたのに……ここは開いていたはずです」
ダイチもドアに手を掛けて引く。扉はびくともしなかった。
「……アナウンスといい、計画変更で閉められたんだろうな」
「ねえ! どうすんの? 追いつかれるよ!」
後ろを振り返りながらマユが叫ぶ。
「バトルが終わるまで持ちこたえるしかねえだろ。どこか篭城できそうな部屋はあるか?」
……バトルがいつもどおり二十四時間で終わる保証はない。誰もがそう思うが口には出さなかった。それに、閉められた扉がある以上、開いている扉の部屋には何かが仕掛けられている可能性もある。
「……この先に、扉がひとつしかない部屋があります。内側に手動のロックが付いています。手動ということは自動で閉められていない可能性があります……けど……」
罠かもしれない、カイリもダイチと同じことを思っているのだろう。低い声で俯きがちにいった。ダイチはその頭をぽんと撫でる。
「いってみよう」
カイリの案内でしばらく進むと、古い扉のついた部屋にたどり着いた。ここです、とカイリが言うと、マシロが取っ手に飛びついた。
「……開いた!」
周りに人が居ないことを確認して、五人は部屋に滑り込んだ。内側から手動ロックをかけて荒い息を整える。かなり分厚い扉で、鍵もしっかりしている。工具がなくては力づくで開けるのは不可能だろう。ダイチはひとまずはほっとして、あたりを注意深く見渡した。
「……周りに気をつけろよ、罠かもしれない」
非常灯しかついていない部屋に目が慣れるのを待つ。徐々に見えてきたのは広々とした天井の高い部屋で、数多くの作業台が並んでいた。様々な工具が天井からぶら下がっている。床には避けなくては歩けないほど、様々な機械や器具が打ち捨てられていた。そして部屋の両脇にずらりと並んだ大きな円柱形の水槽……。そこに沈んだ何ものかの骨。カイリが近くの作業台の上から、アンドロイドの肘から上のパーツを持ち上げた。
「アンドロイドの修理施設……だった……んですかね?」
「何かの実験施設っぽくもあるな。まあ、これだけ広けりゃ催眠ガスを流されてもすぐには効かないだろ」
カイリが頷きながら、肘のパーツをくるくると持て遊ぶと、ウイイイーン、という音と主に指が開閉した。アサトがマユの耳に口を寄せる。
「……こういう風景って見たことあるよね、主にゾンビ映画で」
「やーめてよ! バカ! ねえ、向こうにも続き部屋があるよ」
マユの指差す方向を四人は見つめる。確かに両開きのガラスの扉が見える。ダイチとカイリは目を合わせて頷くと、散らかった床の隙間を縫って扉へと向かった。ドアに手を翳すと、プシュ、という音と共に開く。事務所のような管理室のような部屋だった。カイリは入り口の床に落ちていた冊子を拾い上げる。広げようとするとポロポロと手の中で崩れた。
「紙って……。かなり昔の施設なんでしょうか。なんだかテセウスの地下には無駄に捨てられてる施設が多すぎる気がしますよね」
「ああ。紙なんて久しぶりに見た」
カイリの手に残る紙切れを掴んで、ダイチはその文字を見つめる。何かの装置について書かれているらしいが、知らない単語の方が多くて理解はできなかった。今でも手帳を愛用したり、メモを使ったりする習慣はある。しかし、こういったマニュアルが紙媒体で使われていたのはダイチの生まれるずっと前の話だろう。その時、だん、と扉を叩く音が響いた。マユがひっと言って隣に居たアサトの腕にしがみ付く。
「しばらくは大丈夫だよ、マユ」
笑いを堪えたようなアサトの声に、マユは乱暴に手を解く。
「でもまあ、怖かったらいくらでも抱きついて……」
「何か食べよう」
マユを茶化そうとしたアサトの前にマシロが立ち塞がった。
「えー。大事に食べないとなくなるぞ」
ぶつぶつ言いながら背中のザックを下ろして中を漁りはじめるアサトと、その横にぴったりとついてザックの中を見つめるマシロから、ダイチはそっと目を逸らした。つまらない嫉妬心を誤魔化す為にきょろきょろと部屋を眺める。
カイリはちらりとダイチの顔を見てから、部屋の隅にあるパネルに向かった。マユがちょこちょことそのあとについていき、ダイチは一人残されて手持ち無沙汰に書類棚を見つめた。
「あ、電源がありました」
カイがパネルを操作すると部屋に明るい光が満ちた。ホコリが光に照らされてキラキラと舞う。ウイーンという音と共に工場が目を覚ましていく様子にダイチは薄い感動を覚える。いつか来る誰かを待ちながら、この部屋は何年眠っていたのだろうか。
『本当、やってくれるよな』
甘い妄想を覚ます声が部屋に響いた。