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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
三章 アガスティア
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アガスティア 7

「始まったな」


 廊下に流れる館内放送を聞いてダイチは眉を寄せた。カイに手渡されたチップの情報をカイリが読み込むのを待って十分ほどの時間をロスしている。

 

「……殺したくねえな」


 ダイチは思わず本音を口にした。それが無理な話であることはわかっている。バックヤードが広いといっても五百人に一度も見つからずに逃げ切れるわけがない。カイリが読み込み終わったチップを外して床に捨てた。


「そうですね。なるべく見つからないように逃げましょう。でも、いざとなったら僕は躊躇しません」


 カイリはきっぱりと言って、カイの残したザックと弓を持ち上げる。ダイチは緊張した面持ちのカイの頭にぽんと手を載せて苦笑する。こんなに思いつめた表情のカイリに背中を押されるとは、しっかりしなくてはと自分に言い聞かせた。


「わかった、いこう」


 そっと扉を開けてするりと廊下に出る。見つかるより見つけたほうが有利なのは戦いのセオリーだ。周りを警戒しながら足音を立てぬように進む。三人とも無言で互いの息遣いだけがやけに大きく聞こえた。


「すまない、ダイチ、カイ」


 何かに耐えかねたかのように、マシロが小声で呟いた。ダイチはその弱々しい声に驚いて振り返る。マシロは小刻みに震えていた。


「私のせいだ。アサトをリスポーンさせてくれと言ったから……ロコも……」


 そういえば、マシロはずっと大人しかった。カイのザックの中の食べ物を見た時ですら……それをずっと気にしていたのか。ダイチは何も気づかなかった自分に心の中で舌打ちした。


「マシロのせいじゃない。俺が言い出したことだ」

「……でも」


 ダイチは体ごと振り返り、マシロに笑顔を向けた。


「悪く思うなら、張り切って俺らを守ってくれるか?」


 わざとらしく演技めいた口調でダイチは言った。となりでカイリも大きく頷く。


「これ、無駄だといわれましたが、ロコさんのAIです。規格の合うボディがどこかにあるかもしれませんよ」


 そして、胸ポケットからAIチップを取り出して笑った。あの短時間で抜き出したのか? ダイチは驚いてカイリを見つめる。ダイチなどAIがどこにあるのか、どこを開ければ良いのかはもちろん、そもそもどのような形状のものであるかも知らなかった。ダイチは感謝をこめてカイリを見つめる。


「わかった」


 しっかりと言うマシロに目を戻すと、震えが止まり何かが切り替わったように体からすうっと余計な力が抜けたのがわかった。


「私が全部始末してやる。お前たちは黙って後ろで見ていればいい」


 冷たく沈む瞳が、殺すことが生きる意味だと言っていた頃のマシロに戻ったようで、ダイチは少しうろたえた。


「な、なあ、マシロ……」

「よし、そうと決まればもうすこし食べておこうと思う」

 

 カイの背中に近づき、ザックを漁りだしたマシロを見てダイチは大袈裟なため息をついた。どこまでいってもマシロはマシロだ、と思わず頬が緩む。


「お前なあ……」

「ダイチさん」


 カイリがマシロに話しかけようとするダイチに注意を促し、通路の向こうをじっと見つめた。ややあって数人の低い足音が響く。マシロがすっと臨戦態勢に入り、カイリが弓に矢を番える。武器がないからここはカイリに任せるしかない……ダイチは大きく跳ね上がる心臓を持て余した。武器を持っていない心細さもあるが、ひとつしかない命とはこれほどに重いものか……びびるのは何度目だ、ちゃんと動け、と自分の体に激を飛ばす。


「居たぞ!」


 廊下の向こうにようやく姿を現した二人のファイターは、ダイチたちを見つけて嬉々として叫んだ。高得点のチャンスが目の前にいる興奮で、ニ対三であることに気づかないのだろうか。マシロがいつも使う槍の倍ほどの長さの三叉槍を持った背の低い男と、大刀を持った太りじしの男だった。二人は新人用のマスクをつけている。見覚えのない男たちだから自分たちがドッペルゲンガーになってからテセウス入りしたのだろう。顔がばれないのは助かるが、実力が全くわからない……ダイチは身構える。


――彼らもまた、憐れな見世物クローンだ。


 ふいに沸いた戦いに関係のない思考を頭の片隅に追いやって、ダイチはカイリに視線を投げる。カイリがダイチの意を察して弓を引いた瞬間、二人の間をマシロが駆け抜けていった。カイリが慌てて弓を下げる。マシロはあっという間に距離をつめて槍を構えた男の前で急停止する。その勢いを殺すことなくしゃがみ込むと、低い位置から槍を持つ腕を蹴り上げた。声も出せない男が取り落とした槍を掴んで、くん、と回転させ、まだ状況が把握できていない様子の男の腹に突き刺し、薙ぎ払う。男は一声もたてずに逝った。武器を取られたことにも気づかないままだったかもしれない。


「わあああああ」


 一拍後、何が起こったのかわからない顔で突っ立っていたもう一人は、仲間の腹から吹き出る赤い色を見てようやく状況を理解し、叫ぶ。くるりと向きを変えて逃げ出す男のがら空きの背中をマシロは遠慮なく突き刺した。


「……マシロさんがさすがすぎて声も出ないな」

「大丈夫。出てますよ」


 呆然と呟くダイチに答えて、同じく呆然とその光景を見ていたカイリは緩く笑う。


「姿が見えた瞬間射掛けるべきだったのに、誰だろうと思ってしまいました。犠牲は出る。僕らもその覚悟を決めなくては……」


 唇を噛んで悔しそうに言うカイリを見て、ダイチも、パン、と自分の頬を叩いて気合を入れた。カイリとマシロを無事にここから連れ出すのだ。たとえ、クローンは別人だと理解している自分にとってゲームではなく殺人だったとしても。


――感覚の違いだけだ。今までだって殺人だったんだ


 男の背中から無慈悲に三叉槍を捻り抜くマシロを見て、ダイチは心を決める。マシロはクローンは自分ではないといった。そのことを理解しながらテセウスで生きてきたのだ。倒した男二人のマスクを剥ぎ、槍と大刀を回収して戻ったマシロが心配そうにカイリの顔を覗きこんだ。


「カイリ。まだ気分が悪いのか?」

「もう、大丈夫です」


 笑顔で答えるカイリをみて満足そうに笑うと、マシロは槍をとんと床につく。マシロのものより長い槍は、狭い室内では不利かもしれない。ダイチがそう思った瞬間、マシロは大刀で三叉槍の柄を真っ二つに切った。


「少し刃こぼれしているが」


 マシロは何食わぬ顔で、その大刀をダイチに差し出す。「刃こぼれさせてしまったが」だろう、と思いながらダイチは大刀を受け取った。マシロは何もないよりましだから、といいながら、槍の柄のほうをカイリに渡した。綺麗に斜めに切られていて、弓が使えない場面で本当に役に立ちそうだった。


「マスクをつけたら仲間と見分けられないだろう?」


 マシロは剥ぎ取ったマスクを人差し指でくるくると回す。カイリは納得するように何度も頷いた。


「そうですね。一旦その部屋に隠れて、マスクをつけましょう。死体の目の前の部屋に隠れているとも思われにくいでしょうから」


 訓練用のマスクは自分に合うように調整しなければならないから装着に時間がかかる。カイリの提案に頷いて、マシロは目の前にある部屋の横開きのドアを少し開け、叩きつけるように閉めた。


「何やってんだ? 入れよ。早くしないと誰か来るだろ……」


 ダイチはマシロの手の上に手を重ねて扉を開け、部屋に広がる光景に声を失った。身動き出来ないダイチの後ろからカイリが首を伸ばして中を確認する。わずかに息を飲む音が聞こえた。


「入りましょう、時間が惜しい」


 カイリの有無を言わさぬ声に押されて、三人は部屋の中に入った。最後に入ったカイリがばたん、とドアを閉めた。その部屋の奥の壁際、床に大量に流れた血の上にカイが横たわっていた。薄く目を開き、何かを諦めたようなほっとしたような顔をしている。ダイチはゆっくりと近づいてその傍らに膝をつく。


「カイ……なんで……」

「こうなることはわかってました。ダイチさん、かまわず急いでマスクを……不思議ですね。死んでいればなんともない」


 急いでと言いながら、カイリも自分の死体をじっと見つめる。マシロが何も言わずにふい、と顔を逸らした。


「……こうなるってわかってた? ああ、バトル前に知ってちゃいけない記憶を見られたから、どっちにしても安楽死でリスポーンだから……」


 不思議なイベントについて調べたせいで、カイリは余計なことまで知ってしまった。生きて戻れないと思ったのだろう。ダイチは納得して、だがやるせない気持ちで、薄っすらと開いたままのカイの目を閉じる。クローンは自分じゃない。リスポーンしたとしても、本当の自分はそこで終わり。だが、このカイにとってはそうではなかったということだろう。


「……多分、僕はもうリスポーンしません」

「は?」

「……僕は、僕で最後です」


 カイリはマスクをかぶる。顔は見えないが震えているようだった


「もともと限界だったんです。記憶のない不安を抱えて、一人寂しく生き返り続けることが……リスポーンするのは自分ではないからかまわない、なんて思えないくらいには寂しかった」


 マスクから覗くカイリの目が冷たく沈んだ。


「そのサイクルから僕は逃げ出せた。でも彼は……僕にチップを渡したときには決断していたと思います」


 ダイチは弾かれるように誰かの言葉を思い出す。


――空気が腐ってる気がするんだ


 あれを言ったのは誰だったか。それすらもNIに作られた記憶なのかもしれない。だが、この閉塞感を、このやるせなさを、この怒りを……今、感じているのは間違いなく自分だ。ダイチはぎり、と唇を噛む。その音に我に返ったようにカイリが泣き出しそうな笑顔でダイチにマスクを差し出した。


「さあ、ダイチさんもマスクをしてください。マシロさんもしたほうがいいけど……二つしかないから、顔がばれてる僕たちがつけたほうが……」


 ダイチは早口で喋るカイリに何を言えばいいのかわからず黙り込む。その空気を裂くようにカツンという音が響いた。振り返るとマシロが槍を取り落としていた。


「寂しくて死んだのか。カイは……寂しかったのか? 寂しいと死ぬのか?」


 マシロはぼんやりと呟くと、目を見開いてカイリを見つめた。その目から涙だけがぽたぽたとこぼれ落ちる。そして、そんなことをするのは生まれて初めてだというようなぎこちない動きでカイリを抱きしめた。


「もう、大丈夫だ。ずっと、一緒だ。カイリ。もう寂しくないぞ、カイリ。だから死ぬな」


 一瞬大きく見開いたカイリの目がクシャリと歪み、涙がこぼれた。ダイチは、血を流して壁に寄りかかるまだ暖かいカイの頬をそっと撫でる。

 死ぬこともなく、若い体のまま永遠に生きられる。この世界が楽園ならどうして友は死んだ? どうして俺はここに入った? どうしてカイは死んだ? どうしてカイリが泣いている? どうしてマシロが泣いている?


――間違ってる


 ダイチは震えるほどの怒りを感じながら、黙ってマスクをつける。世界を変える必要がある。それはアサトのリスポーンを諦めなければならない選択だ。


「すまん。アサトのリスポーンは一旦やめにしよう」


 ダイチは決意をもって呟く。マシロが一瞬目を見開いてから俯き、カイリはしばらくのあと、ゆっくり頷いた。


「で、俺、あいつらをぶっ壊すことに決めたわ」


 カイリが不思議そうに首を傾げて、あいつらに思い至ってはっと息を飲む。マシロは零れた涙も拭かずに静かにダイチを見つめた。


「ダイチさん、それは簡単に……」

「わかってる。一人の人間が決めていいことじゃない。簡単に出来ることでもない。でも、だからやらないというなら、いつ誰がやるんだ? 神様がどうにかしてくれんのか? 完全無欠のヒーローが現われて助けてくれるのか? 俺たちはサイクルから逃げ出して満足した死を迎えられるかもしれない。でも俺のクローンはこれからも何人もここで生まれるんだ! マユのもサトのもマシロのも……本体になれない無数のクローンも! これでいいわけがないだろう!」


 話しているうちに、興奮が高まっていく。ダイチの声は徐々に大きくなった。マシロは零れる涙を袖で拭いて、ダイチの腕を掴んだ。


「……わかった。協力しよう。私も少しうんざりした。だがその為には、まず今を切り抜けなくてはいけない。仲間たちを大勢殺すことにもなるだろう。それでもなるべく殺したくないと思うなら落ち着け、外に聞こえる」

「そうです。まずはここから逃げないと……」


 カイリが言い終わるか終わらないかのうちに、マシロが弾けるように槍を拾い上げて振り向き、扉に向かって槍を構えた。カイリもすばやく弓に矢を番える。


「おわ、もう死人が出てる。まさかもう居ないだろうけど、この部屋も一応、開けてみようか」

「いいからさっさと開けてよ、カイリに何かあったんだよ?」


 扉の向こうから聞きなれた声が響く。


「どうして……」


 カイリの唇から絶望を含んだ呟きが漏れた。

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