アガスティア 3
――何もかもお粗末な作戦のせいだ。無理な企みに皆を巻き込んだ
閉じようとスライドを繰り返す扉を見て動けなくなったダイチの背中をカイリがそっと押した。
「ダイチさん、僕はここで待ちます。足が遅いから足手まといになりますし、コントロールパネルで何か出来ることがあるかもしれない」
カイリは早口で言うとコントロールパネルに向き直った。
「まだ諦めるには早いです。僕は危ないと思ったら逃げますから行ってください」
猛然とパネルをタッチするカイリは迷いを振り切って覚悟を決めた顔をしている。
「わかった。必ずアサトのクローンを連れて戻る。行こう、マシロ」
カイリの頭をくしゃりと撫でると、ダイチはマシロと共に部屋を出て先に進んだ。下に繋がる通路があるとすれば、この先のはずだ。そこは恐らくリスポーン室の真下だろう。思ったとおり、いくらも進まないうちにエレベーターが見えてきた。エレベーターの大きな扉の前で二人は息を整えながらあたりを見回す。
「スイッチがないな……『降りる』」
ダイチはエレベーターに向かってはっきりした発音で叫ぶ。だが、エレベーターはぴくりとも動かなかった。扉があるということは止まる事があるということではあるが……クローンを連れてリスポーン室に戻る、その繰り返しだけであればこの階に用事があるとは思えなかった。
「だめだな。ほかを探すか」
諦めて引き返そうとしたとき、エレベーターの扉が静かに開いた。そこにはどこからみても廃棄アンドロイドではない、最新式のアンドロイドが立っていた。金属の体が美しく周りの景色を映している。最新式ではあるが、人工皮膚のない……人を模っていないアンドロイドだった。
『やあ。二人ともちょっとやりすぎだよー』
そのアンドロイドが口を動かさずに語りかける。マシロの槍の先がアンドロイドの首に突き刺さる瞬間に止まって、細かく震えた。
「……その……声」
『声でわかるんだ、嬉しいなあ、マシロちゃんだっけ?』
鋼鉄の体から、からかうような声を出して、アンドロイドはエレベーターの奥に体を詰めた。乗れ、ということらしい。マシロはからん、と槍先を床につけてどう考えたらいいのかわからない、という顔でダイチを見つめた。
『さあ、乗って。選択肢はないよ』
「……アサト」
その声の持ち主の名を、ダイチは呆然と呟いた。
『大正解。さ、いいから早く乗って』
アンドロイドはアサトの声で話し、手招きをした。ダイチは片手を上げて、ジリ、とアンドロイドとの距離を測るマシロを制する。じっとアンドロイドを睨みつける。
「AIは人を殺せないはずだよな。傷つけてもいけないはずだ。用があるならこのまま聞く。……それから悪趣味な真似をするのをやめろ」
『……俺はAIじゃなくてNIなんだけど。それはまあいいか。悪趣味って声を真似てるってこと? いや、真似じゃなくて本当に俺なんだよ。つってもまあ、信じないよね……じゃあこれでどうかな』
「カイリ!」
マシロが悲鳴に似た声を上げる。エレベーターの奥の鏡がモニターになり、カイリの映像が映し出された。目隠しをされ、後ろ手に錠をかけられてぐったりとしている。目の前に居るのと同じ型のアンドロイドに抱えられ、どこかに運ばれているようだ。
『作った映像じゃないよ。NIも、確かに殺すことも傷つけることも出来ないんだけど、このまま拘束し続ける権利はあるんだなあ。なあ、イチ。イチは俺にそんなヒドイことさせないだろ? 悪いようにはしないから言うこと聞いてくんない? つかもうマジ面倒くさいし』
アンドロイドは相変わらずアサトの声で続ける。その緊張感のなさがこちらには勝ち目がないことを物語っていた。甘かった。とてつもなく考えが甘かったのだ。ダイチは硬くこぶしを握り締めた。カイリが捕まった時点で選択肢はない。見捨てていくわけにはいかないのだ。
「乗ろう、マシロ」
「ダイチ……」
「ゲームオーバーだ」
『そうそう、さすがイチ。話がわかって助かるよ』
茶化すような言い方は間違いなくサトだった。だが、サトが人を縛り上げるような真似をするはずがないし、自分のこれからについて「面倒だ」と吐き捨てるのがサトであるわけがない。
ダイチは黙ってエレベーターへと乗り込んだ。あとから不服そうな顔のマシロが続き、ゆっくりとエレベーターのドアが閉まる。
『じゃ、ゆっくりと、おやすみなさい……ったく、最初からそうしろよ、面倒クセ』
プシュ、という軽い音とともにエレベーターの中が催眠ガスで満たされた。サトの声が舌打ちする音を遠くに聞きながら二人はゆっくりと倒れた。
■
「うっ」
頭に衝撃を受けて、ダイチは目覚めた。どうやらマシロに蹴りつけられたらしい。むっとして足を掴もうとして、腕が後ろ手に拘束されていることに気づく。エレベーターで起こったことを思い出して、ダイチは首を上げて周りを見回した。机ひとつだけがぽつんと置かれた古びた狭い部屋だった。むき出しの配管が部屋の中を通っており、ブウーンというモーターのような音が、どこからか微かに聞こえている。ダイチと同じく腕を拘束されたマシロとカイリが床に座っていた。カイリの姿に安心で頬が緩んだ。
「にやけ顔でいつまで寝ている」
マシロが呆れた声で言ってダイチを見下ろした。
「起きるまでだよ」
ダイチはむっとして言うと、起き上がって頭を振った。こめかみのあたりがずきずきと痛んだ。
「……くっそ。カイリ平気か?」
「すみません。ダイチさんの声で話すアンドロイドに……」
カイリは話途中で部屋の中央の机の上に設置されていたラップトップに目をやった。チキッという音が鳴ったと思うとボタンが次々と光り、ラップトップ上の空間に立体映像らしき靄が映し出される。
『えーと、おはよう、かな』
靄の輪郭が徐々にはっきりとしてきて、言葉を発した。立体映像の男が親しげに語りかける。ラフな白いシャツにベージュのパンツを身に付けて、ダイチのお気に入りの家具メーカーの白いソファに座っていた。頭をポリポリと掻いて照れたように三人を見つめている。
「ダイチ?」
マシロが不思議そうに立体映像とダイチの顔を見比べた。立体に浮かび上がっているのは間違いなくダイチだった。
「な……」
『そう睨むなよ。俺は本物のお前だよ』
軽蔑を込めた声が聞こえて、ダイチはなんとか立ち上がり、立体映像の自分と視線を合わせる。
「俺の本物は俺だよ」
訳がわからないままダイチは画像の自分に言い返す。
『うーん……お前はさ、俺のクローンなんだよ。俺は肉体を捨てることを条件に、データ化されたデジタル自然知能……NIとして人権を得た。お前は俺の捨てた肉体から作られたクローンで、厳密には俺の所有物。殺すことは出来ないけど記憶を処理する権利は……って、話にならなそうだな。サト、説明変わってくれ。俺ってこんな面倒くせえか?』
立体映像のダイチが、前を睨みつけたまま動かないダイチを見てため息をつき、ぷつ、と立体映像が途切れた。変わりに浮かんできたのはアサトだった。
「アサト……」
『マシロちゃーん』
呟くマシロに、アサトはひらひらと手を振って見せた。
『えーと、君たちの扱いはすごく難しいんだよね。本来、古い体が本体のうちに自死を決定してもらって、亡くなってから新しい体に記憶を入れてリスポーンするわけ。ところが君たちは古いクローンが死んでないのに新しいクローンがリスポーンしてる。そうなるとどっちが本体なんだ、ってことになってくるわけ。どっちも処分しちゃいけない条件が揃っちゃってる。かといってクローンを二体持つ事も禁止されてる。で、今、どうするか絶賛検討中。だから決まるまで、そこで大人しくしてろ……っつう話。理解できるよな?』
仕方ないね、というように画像のアサトは肩を竦める。ダイチは突然差し出された情報を整理することが出来ず黙り込む。そもそも事実を言っているのだろうか。その横で、カイリが不意に立ち上がって立体映像に近づいた。
「アサトさんのクローンを一体ください。すぐに出ていって、今までどおりファイターに気づかれないように森で暮らします。アサトさんの事だって四十年も放っておいたんだから構わないでしょう?」
『んー、でもいろいろ知られちゃったし? 死ぬたびにこんなことされても困るし? それにーあーうん、なんつうかさ……』
NIだというサトはぼりぼりと頭をかく。面倒くさい、という態度を隠そうともしなかった。
「駄目ならこっちにも考えがありますよ? 甘く見ているようですが、NIなんて所詮データだということをお忘れなく」
NIサトの言葉を遮って、カイリは普段のカイリとは似つかない冷たい声で言い放った。ダイチは驚きを隠せずにカイリの横顔を見つめた。どうやらカイリは自分の知らない何かを知っているらしい。NIサトは何も聞かなかったように話を続ける。
『俺は俺のクローンの一体くらい、別に良いんじゃねえかなって思うよ。でも残念だけどさ、そもそも俺たちにそれをどうこうする権利ってないんだよ』
「そうでしょうね。というか、地球上にその権利を持ってる人間って、今いるんです? だから考えがあるといってるんです」
カイリはバカにするように鼻で笑う。映像の中のNIサトがぴくりと眉を寄せる。
『思った以上に知りすぎてるねー。久々にちょっと面白いかも』
「僕はこの暮らしが気に入ってる。それに、僕なんかを見捨てなかったダイチさんとマシロさんを失わないためなら何でもする。……従わないなら覚悟しろよ、データ」
『へえ。じゃあ何が出来るのかやってみろよ』
口調も変わったカイリを何も出来ずに見つめていたダイチは、アサトの口調から微かな苛立ちを感じ取った。ダイチにしかわからないような微妙な変化だったが、間違いなくカイリの言葉の何かが、NIサトを苛立たせ余裕を無くさせている。
『ま、とりあえずは大人しくしてなって、ね』
再び軽い調子に戻ったNIサトの口調に、もう苛立ちは含まれていなかった。NIサトがうっとおしそうに手を振ると、フ、と立体映像が消えた。
カイリがマシロの耳元に口を寄せて何かを小声でささやく。マシロは頷いて手の入っていないグローブを手枷から引き抜いた。