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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
三章 アガスティア
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アガスティア 2

「ロコ、すぐ外せ!」

「もう侵食は始まっています。外しても私は助かりません。どうか、扉が開くまでお待ちください」


 ダイチの叫びに、ロコは俯いた顔を上げてしっかりとした声で答えた。繋がっていない方の手を胸にあて、何かと戦っているように握りしめる。ダイチは呆然とロコの横顔を見つめた。


「どうして」

「すみません。大丈夫だと言って差し上げたいのですが……どうして、AIはこんなときまで嘘をつけないのでしょう」


 その横顔に、流れるはずのないアンドロイドの涙を見た気がしてダイチはロコの頬にそっと手を伸ばした。


「マスター、いつか私に聞いたことがありましたよね」


 ロコはここにはいない誰かに伝えるような声で呟いた。伸ばしかけたダイチの指が止まる。


「死にたくならないか? と。今はその気持ちがわかるような気がします。私はもうあまり長くはもちません。動けなくなる前に少しでもお役に立ててよかった。マスター、私の最後はマスターの手で……それで私は幸せです」

「……ロコ」


 ダイチは再びロコに手を伸ばし躊躇いながら触れる。


「約束してください」

「……わかった。ロコ、俺のアンドロイドがロコでよかった」

「そんなことを言うのはかっこわるいですよ、マスター」


 頑なに前を見つめていたロコが、そっとダイチに顔を傾ける。そのままゆっくりカイリを見つめて、最後にマシロを見つめた。黒い空洞の中の青いガラスの目がそれぞれの表情を映している。


「皆さんも、どうか、悲しまないでください」

「ダメだ、ロコ。許さない」


 ようやく話を理解したらしいマシロが血相を変えてロコに掴みかかった。


「外しても壊れないかもしれない!」

「……そ、うです。そうですよ、やってみましょう?」


 はっと我に返ったカイリがプラグを外そうとした瞬間、マシロが蹴ってもびくともしなかった扉が音も立てずにすっと開いた。扉の向こうの通路に点々と光っている緑色のランプが見えたと思った瞬間、それは非常事態を示す赤に切り替わる。ビープ音が鳴り響き、ロコの透けている頭部に走っている回線がスパークした。


「イ……ソイデ……イチジカ……シカナイ……。マスタ……ドウカ……ワタシヲ……コワ……シテ……」


 かくん、とロコは膝を折って、片腕は壁に繋がったまま額を壁につけた。数秒の機能停止から蘇ると、人の動きではない動作で立ち上がり、指先を乱暴にスロットから抜く。


「ロコ?」


 マシロの問いかけに答えず、ロコは近くに居たカイリの首にまっすぐ手を伸ばす。カイリの咽喉に届く寸前の鋼鉄の腕をダイチの刀が肘から切断した。そのまま流れるような所作でロコの首を撥ねる。かしゃん、と思ったよりも軽い音でロコの首が床に落ち、回った。


「ア……リガ……」


 ロコの頭部は、いつもの美しい声ではない電子音を発したあと、ぷつ、と回路の光が消えた。カイが転がるロコの頭に取りすがる。


「ロコが作ってくれた時間が惜しい、行こう……」


 ダイチは頭を追うカイリに向かって呟いた。カイリは黙って頭を拾い上げ、体の近くに置く。


「ロコ……ロコ、イヤだ……」


 呆然としたまま動かないマシロの腕を掴んで引っ張りながらダイチは扉をくぐった。


「ダイチ……ダイチ!」

「何も言うな!!」


 腕を振り切ったマシロを、振り返らずにダイチは怒鳴る。正確にはアンドロイドに感情はない。主人の願いに忠実で従順であるようプログラムされ、主人の願いがなんであるかを学習・予測し実行するだけだ。だから、ロコの行動の全てはプログラムと学習機能から行なわれたことなのだとわかってはいる。それでもダイチにとって、ロコはただのアンドロイドではなかった。気を抜けば泣き崩れそうな自分を叱咤してダイチは走る。


――ロコの作った時間を無駄にしない


 廊下は僅かに左へと弧を描いている。ビープ音と赤く点滅する光に押し込められたように誰も口を開かない。こんなことを始めたことが間違いだったのかもしれない。それでも、ここで引き返したらロコは無駄死になってしまう。振り切れ、振り切れ、とダイチは全力で走った。と、五メートルほど先に開きっぱなしになっている横開きのドアが見えた。


「まて」


 ダイチが小声で囁いて手を上げ、壁に体を寄せた。すぐにカイリがそれに倣う。息を切らし肩を大きく上下させていた。マシロがすっと姿勢を低くしてドアに近づく。引きとめようと伸ばしたダイチの指が空を掴んだ。集中が切れて動きが鈍った……舌打ちを堪えて、ダイチもあとに続いた。


「ダイチ、あれは何だ」


 扉から中を覗き見たマシロが振り返って囁いた。ダイチはマシロと場所を変わり、そっと中を覗く。扉の内側はガラス張りの小部屋だった。ちょうどコンサートホールのバルコニーのような作りで、眼下に広い空間が広がっている。部屋の中央にコントロールパネルがあり、その前にはニ脚のがっちりした椅子……どうやら下に広がる空間の管理室だと思われた。椅子に座ったまま、ガラス越しに広い空間を見下ろせるようになっている。

 ガラスの向こう側に広がっている光景を良く見ようとダイチは部屋に踏み込んだ。横開きの扉が閉まらぬように椅子を倒して閊え棒代わりにすると、ゆっくりとガラスに近づく。そこから、広い円形の空間がくっきりと見下ろせた。無造作かつ、無秩序に置かれたたくさんの白いベッド、椅子、などがまず目に飛び込んできた。その全てが白い。その間に白いワンピースのようなものを着た人間が、うようよと言っていい割合で居た。横になっているもの、走り回っているもの、思い思いに過ごしているようだが、その全てが怖いほどに無表情である。


「安楽死待ちの連中か? こんなに居るのか?」


 ダイチはいつの間にか両脇に立っていたマシロとカイリに向けて呟く。バトルを放棄して、リスポーンの権利を失った人々なのだろうか。


――でも……俺はこの光景を見たことがある、どこでだ?


 ダイチが記憶の糸をたどっていると、隣に立ったマシロがごくりとつばを飲み込みガラスの向こうを指差した。


「……あそこ、アサトが居る」

「は? 居るわけがないだろう。サトがバトルを放棄するはずが……」

「僕には顔までは見えませんが、バトルを放棄した人にしては数が多すぎる気がしますし……若者しか居ないように見えます」


 カイリは目を見開いて、眼下の光景を見つめて。こつん、とガラスに額を当てる。


「……おそらく、リスポーン待ちのクローンじゃないでしょうか」

「は? だって歩いて……動いて……」


 誰を聞かれているわけでもないのにカイリは声を潜める。それにつられて、ダイチも低い声で答えた。


「リスポーン前のクローンのイメージって冷凍されてたりとか、大きな試験管の中で水に浸かっているような感じですよね?」

「ああ、まあ……」

「それなら何故、リスポーン直後から普通に歩けるのでしょう?」


 ダイチはごくりと唾を飲み込んだ。これがリスポーン待ちのクローンなのだとしたら……二十年間リスポーンしなかった間の自分のクローンはどうなったのかということに思いが至った。


――吐き気がする


 ダイチは口内に沸いてくる唾液をごくりと飲み込んだ。


「数ヶ月か数年か、適正期を過ぎたクローンは……このまま……」


 ダイチの気持ちを代弁したようなカイリの声は空に消えた。ダイチはガラスに両手をついて深く息を吐き出す。マシロの言葉が正しかった。クローンはクローンであり、自分ではない。決して、自分ではない。


「僕……この光景を覚えている気がします」


 カイリは真っ青な顔で、ぼんやりと眼下の光景を眺める。ダイチはその顔を見ながら、これ以上考えれば身動きが取れなくなる、と自分の頬を叩いた。


「よし、アサトのクローンだけ攫ってとっとと帰ろう」

「……そう、ですね」


 カイリの弱い返事には迷いが含まれていた。ダイチ自身も自分の心と自分の行動に矛盾があることに気がつき始めていた。


――しなくてはいけないことのために思考を止めろ


 またこれだ、と心のどこかが思っていた。いつも正しいかどうかも良く分らないまま流されるように選んでしまう――だが「また」と感じるのは誰なのだろうか。なぜならそれは別人である以前のダイチから受取った記憶なのだ。ダイチは、がん、と目の前のガラスに額を打ちつける。


――わかっていることは諦めればアサトを失うこと、ロコの思いが無駄になること。


「……いこう」


 ダイチはガラスから頭を離し、表情のない顔でくるりと向きを変えた。その瞬間、扉が閉まり椅子に阻まれてガツン! と大きな音を出した。扉は閉まろうとして何度も椅子を挟む。


「一時間……もたなかった?」


 カイリは呆然と呟いた。

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