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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
一章 ドッペルゲンガー
2/59

ドッペルゲンガー 1

「サト、サト!」


 イチは倒れて動かないサトの元へと走った。

 荒地、と呼ぶのにふさわしい、石と枯れた草で覆われた平地にはびょうびょうと雨が吹きつけている。

 かまうな! 戻れイチ! と、仲間がイチに向かって叫んだ。イチはその声を無視してサトの傍らに膝を付く。サトの頭を腕に抱えてマスクを外し、顔に掛かっている細い髪を払い、青白い頬をそっと叩いた。雨粒がサトの長いまつげや血の気のない頬を濡らして流れ落ちる。

 降りしきる雨の中でさえ、鉄臭い匂いがイチの鼻に届いた。


「サト、サト」


 イチが名を呼ぶと、サトはう、と小さくうめき声を漏らした。すう、と大きく息を吸い込んで目を開ける。焦点の合わない瞳が空を彷徨ってイチの顔で止まり、像を結んだように光を取り戻した。


「……うるせえし、なんつう顔してんだよ」


 サトはかすれた声で言って、引き攣ったように笑った。サトの目に映る自分はさぞかし悲痛な顔をしているのだろう。

 イチは黙って背中から下ろし、それを枕にしてサトを横にする。少しでもサトにあたる雨を少なくしようと風上に座り込んだ。頭の後に手を回して、マスクをはぎ取って投げ捨てる。


「イチ、何やってんだ。戻れよ。すぐに安楽死してリスポーンだから、心配すんな。宿舎で会おう」


 サトは気丈にも強い声で一気に喋るとバトルスーツの掛け金を外し、胸元を開いた。開けたスーツの隙間から血が溢れ出してこぼれる。赤いバトルスーツの上を雨で薄まりながら流れていくのに尚、恐ろしいほどの赤だった。

 思わず息をのむイチの顔を見て少し笑うと、サトはスーツの中に着ていたシャツの胸ポケットからタバコを取り出して血まみれの手で一本取り出して咥えた。イチが手で傘を作ってやるとライターを取り出し、シュボっという小気味のいい音を立てて火をつける。一口、うまそうに深く吸いこんでゆっくりと吐き出す。振り落ちる水滴にタバコはあっという間に消え、タバコを持ちあげているサトの手が小刻みに震えた。


「サト、痛むのか?」

「……いいから戻れって。死ぬとこ見てるとか趣味悪いぞ」

「うるせ、どこにいようが俺の勝手」


 イチはサトからタバコを奪い取ると、火をつけて大きく吸い込む。いつもは感じない苦い味が口に広がったが、それもまた一口吸うと雨に濡れて消えてしまった。もう消えているタバコを思い切り吸い込みながらサトの横に寝転ぶ。


「あーうめえなあ……って、こういうのちょっとカッコいいよな?」

「笑わすなよ、痛えから。かっこ悪いけど、まあ初バトルなんてこんなもんだろ」


 ひっひっひ、と喉で笑っていたサトの声がとまった。すぐに新しい体に記憶を入れて復活するとわかっていても親友が苦しんでいるのを見るのはつらい。

 終わったのか……イチは恐る恐る横を向いてサトの顔を確認する。だが、サトはまだ息をしていた。雨つぶに瞬きすらせずに遠くに目を凝らしていたサトの表情が凍った。半ば開いた口からゆっくりと息を吸い込む。


「赤目だ、逃げろイチ!」


 サトがどこから出せたのか、と思うような声で叫んだ。イチは驚いてサトの視線の先に首を回す。青いバトルスーツに鬼を模ったマスクをつけた小柄なファイターが佇んでいた。今回が初バトルのイチやサトでもその名を知っている青サイド伝説のファイター「赤目」だった。短槍の中ほどを掴んでだらりと持ち、豪雨を感じさせない足取りでゆっくりと近づいてくる。

 こちらに向けられた穂先が鈍く光りながら上下しているのを見て、イチは慌てて立ち上がった。刀を鞘から抜いて構える。


「やべえ、伝説こええ。……けど、思ったより小さいな?」

「ムリだから逃げろって!」


 先ほど同様に思ったよりしっかりした声で言うサトに向かってイチは笑う。サトは意外に軽症なのかもしれない。だとしたら……あいつをサトから引き離さなくては。イチは剣を構えて赤目に向かって走った。水を通さない仕様のバトルスーツのおかげで、豪雨の中を敵に追われた後でもそんなに体力は奪われていないし、足元も確かだ。


「そのマスク、センスわりいんだよ!」


 叫びながら、赤目の脳天を目がけて剣を振り下ろしたと思った瞬間。何が起こったのかもわからないうちに、イチは背中から硬い地面に叩きつけられた。頭も打って、一瞬意識が遠のく。ここで気を失ったら終わりだ、と立ち上がろうとするが体に全く力が入らず、激痛が走った。

 剣を振り下ろしきる前に胸元に入り込まれ、穂先で袈裟懸けに切り上げられ、返す槍で腹を刺されたのだ、と気づいたのは斜めに切り裂かれたバトルスーツと腹に刺さった槍を見たときだった。イチの赤いバトルスーツは中に着ていたシャツごと切り裂かれ、腹も相当に深いところまで刺されているようだ。破れ目から噴出している血が温かい。どくんどくん、と心臓の音が何故か耳元で大きく響いた。


――いてえ。死ぬのって寒いんだな


 遠慮なしに雨粒をぶつけてくる空に向かってイチはつぶやいた。だが、声が出ていなかった。瞬間、雨音が止んだ、と思ったら、鬼の面がイチを見下ろしていた。くりぬかれた目の部分から覗き込むように凝視している目は真っ赤だった。ああ、だから赤目か、とイチはその目を見上げる。感情がないように見えるのは、今自分を殺そうとしている相手だからだろうか。

 マスクねえから顔見られたことに気が付くが、動けないからどうにもならない。

 イチはぼんやりと考えながらも、精一杯の抵抗で赤目を睨みつけた。赤目はしばらくイチを見つめたあと、興味がなくなったように無造作に槍を引き抜いた。ごぼ、とイチが血の泡を吐く。

 赤目はふい、と向きを変えて走り去った。イチ! と叫ぶサトの声が遠くから聞こえる。ばか、黙ってろサト……と思いながら意識が遠ざかっていくのを感じた。


――生命維持に多大な支障があります。安楽処理を実行します。記憶の更新を中止します。


 デジタル音声が耳の裏の辺りで響く。すぐに肩にチクっという痛みが走り、イチは自分の体に安楽死用の神経系の薬剤が注入されるのを感じた。なんだよ、痛くねえはずじゃねえのかよ、そこまで思ったとき、イチの世界は暗転した。



 初バトルの翌日。

 白い、と思ってイチは目を開けた。この感覚は何度か味わったことがある、ああ再生したのか……と思っているうちに、ロコの輪郭がぼんやりと見えてきた。ベッドに仰向けに横たわったままイチは腕を上げて自分の手のひらを見つめる。指の隙間から心配そうなロコの青い瞳が見えた。

 イチが選んだ特注の青だ。


「おはようございます、マスター」

「ああ。おはよう、ロコ」


 イチはゆっくりと体を起こして、腹にかけられていた布をめくった。傷ひとつないが、なんだかまだ疼痛が残っている気がする。そんなはずはない、と腹を擦ってロコが差し出したシャツに腕を通した。

 どうやらここはバトルドーム「テセウス」内のリスポーン室らしい。

 リスポーンとは、培養した自分のクローン体にそれまでの記憶を移植する「クローン再生」のことをいうテセウス内での俗語である。イチはテセウスに入ってから初めてのリスポーンだったが、それは外の世界のものと何も変わっていない。

 イチは部屋を見回すと、シャツのボタンを留めながらベッドを降りた。真っ白な空間に一台のベッドだけがぽつんと置かれている部屋は、命の再生という奇跡を見守るにはいささか物寂しい、といつも思う。

 この世に自分がたった一人しかいないような気持になる。ロコがそんなイチの顔を見上げて笑った。


「先ほどサト様がお見えになりましたが、マスターがなかなか起きないので帰られましたよ」

「ふーん」


 サトは既にリスポーンを終えているらしい。身支度を整えて、イチは部屋の外に出た。広い廊下を進むと医療施設に繋がる。リスポーンするまでもない怪我を負った者が治療を受ける場所で、イチも訓練時代に何度も世話になっている。施設はどこまでも白く、突き当たりのドアを開けると共同休憩室へと繋がる。途端にさまざま色が目に飛び込んできて、イチは少しの眩暈を感じた。


「イチ」


 声の方に首を回すと、サトが立っていた。目が合うと、すかした顔で肩をすくめてみせる。


「初戦、無様に敗退だな」

「ああ、全くだ」


 サトが笑って言う。イチも笑って頭を掻いた。初めてなのだから、当たり前なのかもしれない。だけどやっぱり悔しいという思いがあった。誰にも傷を付けられず、自分たちは一方的に追われ、狩り殺されただけだ。

 昔から、イチとサトのコンビは何をしても負け知らずだった。スポーツでも、ゲームでも。負けたままではいられない、と言う気持ちがイチの中で大きくなっていった。それは目の前にいるサトも同じだということが目を見ればわかる。あ、と何かを思い出した顔でサトが口を開いた。


「そういや、ライター無くしたよ」

「え? あの形見の?」


 イチは驚いて聞き返す。サトが何十年も前に父親から譲り受けたアンティーク品のライター。作られてから数百年経つというのに、まだ実用可能というレアモノだった。

 ファイターの遺体はバトル終了後に回収される。その際に身に付けていた武器や衣類などは返却されるはずなのだが、どこにでも手癖の悪い輩はいるものだ。忌々しい、イチは思わず舌打ちを打った。


「いいさ、何かの思し召しってやつだろ。逆にすっきりしたわ」


 本当に憑き物が落ちたような顔でサトは笑った。


「思し召しは違うだろ」


 サトの顔から死神の影が消えている。テセウスに入ったのは正解だった。イチはその笑顔に心底安心した。テセウスに入ったのは間違いではなかったのだ。


 イチとサトの入ったバトルドーム「テセウス」とは、文字通り戦うためだけの施設である。テセウスのルールは大きく四つ。


一、テセウスに自ら志願して入った者は、二度と社会に戻ることは出来ない。

二、用意されている百体のクローンが無くなるまで、赤と青に分かれて戦い続ける

三、戦うことを拒否すればクローンの供給が終わり、最後の体で自然死する

四、百体のクローンを使い切っても死ぬ


 テセウス入りを希望して施設を訪れた日。これらについての同意書にサインを書きながら、長すぎる生を生きることに疲れ、かといって死を受け入れることもできない人間が堕ちる施設なんて、まるで地獄だな、とサトは皮肉を言って笑った。

 それから、イチはずっと「選択を誤ったのではないか」と思い続けてきた。親友を馬鹿なことに巻き込んだのではないか。安寧な人生に当たり前の終点を打つ前に、もう一度だけ「自分は生きている」という輝くような感覚を味わいたいと思ったものの、これは正しい選択だったのか、と。

 そして、今……サトはイチの肩を叩いてくっくっく、といかにも愉快そうに笑う。つられてイチも笑い出した。

イチは訓練中に何度も先輩ファイターに聞かされた言葉を思い出す。


――殺すにせよ、殺されるにせよ、ここで「死」を体験すればわかる事がある。自分が二度と戦場には出たくない、とリスポーンの権利を捨てる人間なのか、目が生き生きと輝きだす人間なのか。


「ああ、面白えなーイチ!」

「おう、次は絶対一人は殺ろうぜ?」


 イチもサトもどうやら後者だったらしい。あはははは、と目を輝かせて笑いあう二人をロコが複雑な表情で見つめていた。

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