メメント・モリ 9
その夜、ダイチたちはバトル翌日の恒例になっている宴会を行なった。ある程度酔ったところで、カイリがアサトのカップに睡眠薬を入れる。あっという間に、アサトは眠りに落ちた。
「……酒くせえ」
「我慢してください」
アサトを背負い、一瞬固まってから顔をしかめるダイチに、カイリが笑いながら答えた。ダイチもどうにか笑顔を返す。軽すぎる体に少なくない衝撃を受けたことを隠すための憎まれ口だった。マシロがにやっと笑ってダイチを見つめた。
「いい格好だな」
「おまえね……」
大きな月の輝く明るい夜の道を赤サイドの大門から離れるように歩いて森を抜ける。そこからは壁に向かって歩いた。掃除屋たちの移動コースを把握しているとはいえ、見つかる危険を避けるため、慎重にゆっくりと歩いた。月が雲に隠れて足元がおぼつかなくなった。カイリはあたりに用心しながら、かちりと発光筒をつける。
「大丈夫そうですね。とはいえ、チップを入れればスイーパーが来るんでしょうが……」
戦えるのだろうか……知らず知らずダイチは厳しい顔になっていった。ずり落ちるアサトを背負いなおしながら歩いて、さすがに息が切れ始めた頃に壁に到着した。足がかりのない高い壁をダイチは見上げる。
「ここでいいか」
「そうですね」
ダイチはそっとアサトを下ろした。壁際なら背後から襲われる心配はないと思い、ここを選んだ。もちろん囲まれる可能性は高くなるが全てに都合の良い場所などない。ポケットからチップを取り出したカイリは、二人の目を伺うように覗いてからアサトの首の後ろにあるスロットに差し込む。
「無事、起動しました! バックアップが終了するまで一時間くらいです」
「了解」
「やったな」
嬉々として見上げてくるカイリにダイチとマシロは頷く。初期化や個体認識の変更など難しい作業は全てカイリがこなしたのだ。
「カイリ、アサトから離れるなよ。それと無茶は絶対にするな。リスポーンはないからな」
「はい」
月が分厚い雲に隠れて草原には闇が増した。三人は壁際にアサトを庇いながら、三方を見渡し、耳に全神経を集中する。マシロがじり、と体を傾けた。やがて、古い金属の擦れるような音がゆっくりと近づいてきた。カチャリ、とダイチが刀を握り直す音と、ひゅん、とマシロの短槍が空を切る音が重なる。
「来たな」
暗闇を睨みつけて、ダイチが呟く。と同時にマシロが動いた。闇の中にマシロの槍が風を切る音と衝撃音が響く。
「相変わらず非常識な強さだな」
思わず愚痴を漏らしたダイチの目にもようやく数体のスイーパーが映った。ぐん、と跳ね上がった心拍を飲み込むように喉を鳴らしてダイチは近い一体に切りかかった。落ち着いてさえいれば、廃棄アンドロイドはダイチの敵ではない。あっという間に数体を片付けた。
「うわ!」
カイリの声にダイチは慌てて振り向いた。カイリが二体のスイーパーに囲まれている。周りの状況に気が付かないとは、やはり平常心ではなかったらしい。自分の不甲斐なさに舌打ちをしてダイチは走った。
「カイリ!」
ダイチが叫んだ瞬間、二体のスイーパーのうち素手の一体が、カイリをその背中に庇うように腕を広げ、刀を構えるもう一体と向き合った。それを見た瞬間なんともいえない既視感に襲われてダイチは立ち止まる。その間に到着したマシロが刀を構えた一体を槍で刺し貫き、そのまま薙ぎ払った
「マシロ、待て!」
思わずダイチは声を上げた。マシロの槍の穂先が、母のようにカイリを背中に庇うスイーパーの喉元でピタリと止まる。止められた理由はわからないが、素手の一体ならばダイチとカイリでも問題ないと踏んだのだろう。マシロはそのままくるりを向きを変えて別のスイーパーに向かって走り去った。
「ダイチさん! 後ろに!」
カイリを庇うスイーパーの瞳を見つめるダイチの耳にカイリの叫び声が届いた。斧を持ったスイーパーがダイチの背後に近づきつつあった。ダイチが動かないのを見ると、素手のスイーパーはカイリの前で立ち上がりダイチに向かって歩き出した。マシロに刺されたスイーパーの刀を拾い、ダイチを避けて遠巻きにすれ違う。その歩調に合わせてダイチも刀を構えたままゆっくりと振り返る。
「ダイチさん! 逃げてください!」
焦れたように叫ぶカイリの顔が困惑に変わった。ダイチに背後から近づいていたスイーパーと、刀を拾ったスイーパーが合流したように見えた瞬間、スイーパーがスイーパーに切りかかったのだ。
――間違いない
その太刀筋をみつめて、ダイチはぐっとこぶしを握って湧き上がってくる思いを腹の底に沈めた。カイリを庇ったスイーパーに加勢して、斧を持つスイーパーの頭部を破壊する。
「ロコ、カイリとアサトを頼む」
一言そういって、ダイチは駆け出した。
「お任せください、マスター」
サイズの違う……恐らく別のアンドロイドのものであろう手足。人口皮膚の残っていない骨格だけのそのアンドロイドは、青い目を輝かせて機械の背中にアサトとカイリを庇った。
■
結局、マシロの超人的な強さで、アサトの記憶のバックアップが終わる前にスイーパーは片付いてしまった。
「ロコ……なんだな?」
「……はい、マスター」
刀を鞘に納めるダイチの前で、ロコは自分の姿を恥じるように小さくなっている。
「AIは乗せ換えられたんじゃなかったのか?」
「私のAIは古くて、乗せ換えることが出来ませんでした。記憶だけを新しいボディのAIに書き込んだようです」
清掃などの仕事をしたあとスイーパーになったのだ、とロコは話した。
「……気がつかなかった。確認ミスだった。ロコ、すま……」
「マスター」
ダイチの言葉をロコは遮る。
「そういうことは言わないのがかっこいいのです。こんな姿ですが、またお側に置いてくださいますか」
「もちろんだ。心強いよ」
ダイチはロコを抱き寄せた。つややかだった髪が一本もなくなっている頭を撫でる。
「あの、バックアップ完了です。チップを抜きます」
遠慮がちに目を伏せたままカイリが言う。ダイチはロコを放して、アサトを再び背負った。ダイチはカイリとマシロを交互に見つめる。
「紹介するよ。俺のアンドロイド、ロコだ」
ロコは軋む体で、だが上品にお辞儀をする。
「よろしくお願いします、ロコさん」
カイリが手を差し出しロコと握手を交わす。
「カイリだ。俺のチームだった。そっちはマシロ。なんと赤目だ」
「まあ、よろしくお願いします」
「ああ」
ロコは驚いた声を上げたが、マシロはそっけなく応じる。なんだか何かようすがおかしかった。
「マシロ? どうした?」
問いかけるダイチをマシロはじっと見つめる。一瞬の躊躇の後、ゆっくりと彼方の木立を指差した。
「そこの藪にもう一体いた気がしたんだ。小さくて、目が黄色く光っていた……あれは……」
マシロは平原が広がる中にぽつぽつと群生する低木のひとつを指差す。何か言いたそうにして自制するように口をつぐむ。
「……逃げたんでしょうか、偵察かな」
カイリが呟き、ロコも藪の向こうをじっと見つめる。
「野良のアンドロイドが時々居ます」
「野良、ですか?」
「はい、そもそも再利用のアンドロイドはあまり厳しい管理をされていないのです……洗脳などもされていませんし。それでも最低限、名前と番号の登録はあるんですが、それもないので「野良」と」
「じゃあ……それかな。でもまあ疲れた、とにかく早く家に帰ろう」
ダイチはとん、とマシロの肩を叩いて促した。それでもまだ気になるように藪を振り返っていたマシロだったが、やがて諦めたように歩き出した。ずり落ちるアサトを背負いなおして、ダイチも歩を進める。いつの間にか雲が切れていた。満天の星空が広がり、大きな月があたりを照らしていた。
「ロコ、排除というのは殺すことじゃないのか」
ツリーハウスに到着し、アサトを寝かせると、ダイチは気になっていたことを口に出した。さすがに大の男を背負って歩くのはきつい。うなじに手を当ててぐるぐると首を回していると、すっとロコが後ろに回ってマッサージを始めた。マシロは余程疲れたのか、興味が無いのか、ころりと横になって顔を壁に向けてしまう。
「AIは人を殺してはいけませんから」
「僕達、まだ人扱いしてもらえてるんですね」
淡々と答えるロコから目を逸らして、カイリが自嘲気味につぶやく。ダイチは、カイリは自らドッペルゲンガーになったのに、と思ったが口には出さず、ロコに質問を続ける。
「捕まえるだけ、ということか?」
「そう……なりますね」
ロコは悩むように首を傾ける。そもそも主人の居るアンドロイドは、主人を喜ばすこと以外の学習をあまりしない。意味もないことを観察して記録するようには出来ていないのだ。
「捕まえてどうする?」
「……管理室に連れ帰ってからのことはわかりません」
「そうか……」
どうやら、テセウスの管理者たちはドッペルゲンガーが居るとわかっていても積極的に対応する気がないらしい。AIは人を殺せないし、プログラムではファイターであるドッペルゲンガーを殺す能力がないにも関わらず、なんらの対応もしていないことからそれがわかる。
……テセウスは所詮、終末施設なのだ。籠から出られないドッペルゲンガーなどに真剣に対応する気はないのだろう。そういえば、外の世界でドッペルゲンガーはどう処理されていた? ズキ、と頭が痛んでダイチは眉を寄せる。
「マスター、どうかしましたか?」
「……少し、疲れたかな」
即座に反応するロコに笑顔を作って答えるとダイチはこめかみを押した。
「とりあえず、これで少し安心ですね。僕も疲れました。休ませてもらっていいですか」
あくびをしながら言うカイリのために、ロコが移動して場所を開けた。
「ああ、そうだな。おやすみ」
カイリは横になるとすぐに寝息を立て始めた。ダイチは眠らないロコをじっと見つめる。
「会えて嬉しいよ」
「わたしもです。マスター」
ロコは表情のない顔を少し傾ける。それだけでロコの喜びと照れが伝わってくるようだった。ダイチはふっと口元を緩める。
「こんなことを口に出すのは……」
「格好悪いですけど、ね?」
ダイチは久しぶりに心が凪ぐのを感じた。今日のところは目的を果たしたのだし、ロコに会えた。次第にダイチにも緩やかな眠気が襲ってきた。
「おやすみ」
「おやすみなさい、マスター」
ロコが隣にいる安心感なのかもしれない。ずるずると横になって目を閉じると、ダイチはあっという間に眠りに落ちた。ロコはダイチの肩までブランケットを引き上げ、その肩にそっと手を置いた。




