メメント・モリ 7
カイリが仲間入りしてから数ヶ月が経ち、テセウスに本格的な冬がやってきた。長く保存出来る物をせっせと地下洞窟に溜め込んだから、春まで食料に困ることはないだろう。それに冬にはアルコールを持ち込むファイターが多く、酒好きのダイチとアサトを喜ばせた。
冬の前に拡張した――とは言っても四人が横になるのが精一杯なのだが――ツリーハウスの中で、のんびりと過ごしていた。
「なんでなんだろうな」
細かく固い雪が降る静かな夜だった。ツリーハウスの外壁材であるバトルスーツにあたるシャリシャリとした柔らかい音に耳を傾けながら、ダイチはぼんやりと呟いた。夕飯を食べ終え、アルコールも入ってふわふわとした心地だった。横になっていたアサトが面倒くさそうに身を起こした。
「なにが?」
ゴホゴホと咳き込んで、手元にあったグラスに手を伸ばして水を飲む。少し乾燥しているのかもしれない、とダイチが湿度計に目をやると、カイリが携帯コンロの上にやかんをのせた。ダイチはゆっくりとアサトに視線を戻した。
「今は何で死にたくならないんだと思う? むしろ、死を考えると恐ろしい。あんなに憧れて……」
ダイチは、はっと言葉を切る。俺は死に憧れたことがあったか? 生きづらいとは思っていたが、明確に死にたいと思ったことがあっただろうか。記憶を辿るダイチを見てふっと笑ってアサトは再び咳き込んだ。ダイチは話題を変えようと動かない頭で考える。
「テセウスなんか作らないで、リスポーンを廃止して、皆こうやって暮らしていけばよかったんだよ」
「まあ、皆がそうじゃないだろうから……」
話の途中でアサトがまた咳き込む。ダイチはゆっくりと体を起こした。
「咳、長引いてるな。……メディカルチェッカーあったよな」
「なんでもねえよ、わかったとこで薬ないだろ」
メディカルチェッカーは十分ほど胸に当てておくだけで病を手軽にチェックできる優れものだ。だが、アサトの言うとおり、病名が判明することにあまり意味はない。睡眠薬、痛み止め、湿布剤なら多少はあるが、それ以外は皆無である。風邪なら寝て直すしかない。マシロがじっとアサトの顔を見つめた。
「ほらほら、変なこと言うからマシロちゃんが心配しちゃうでしょー」
「していない」
ふい、と視線を外すマシロを見てアサトは嬉しそうに笑う。アサトは面白がっているのか、気に入っているのか、何かにつけてはこうして子供をあやすようにマシロをかまう。まるで親子のようだ、いや……歳の離れた恋人か。ダイチが二人から視線を逸らせた先で、カイリがやかんに手を伸ばしていた。
「もうアルコールはやめましょう。生姜茶でも作ります」
「悪いな、頼む」
手を合わせて拝むアサトに頷いて、カイリはカップにお湯を注ぐ。せっかくだから、と言ってアサトは隅においてあるガラス瓶を指差した。
「あれ、お茶と一緒に食べたい?」
「食べたい」
マシロが飛び起きて手を伸ばす。貴重な甘いものが保存してある瓶だ。
「寝る前だから一個だよー。歯磨きしなさいねー」
アサトに言われて、マシロは渋々数個を瓶に戻した。
こうした柔らかい夜を、思いに耽り何も話さない夜を、声がかれるまで笑いあう夜を、静かに語り明かす夜を……たくさんの温かい冬の夜を重ねて、季節は春になっていった。
■
その日はバトルの日だというのに朝から激しい雨だった。草木は芽吹き、だいぶ暖かくなってきているが、これだけ降られるとさすがに肌寒い。どんな天候だろうとバトルは中止にはならない。だが、春の嵐ともいえるような暴風雨で、恐らくファイターたちもあまり積極的に動かないだろう。不謹慎ではあるが、戦って死んでもらわないと食料が手に入らないのだ。
憂鬱な気分を持て余してダイチは外を眺めた。窓代わりの曇った透明なビニールシートに雨が叩きつけられて流れていく。アサトが苦しそうな咳をし始めてダイチは振り返った。このところ、アサトの様子がおかしい。このような咳の発作が冬の初めくらいから続いてどんどんひどくなっている。それに本人は隠しているようだが常にだるそうもにしている。今日こそはメディカルチェックを受けさせようと、ダイチは心に決めた。
「なあアサト」
「あー、わかったわかった」
ダイチの決意をこめた声にだるそうに答えてアサトはまた咳き込む。マシロが何事かと顔を上げて二人を見つめた。カイリも顔を向けさえしないものの、二人を会話を気にしているようだ。ダイチは誤魔化されまいとアサトをじろっと睨む。
「何がわかってるんだよ」
「春だからな。正直に話すよ。春だからー」
「全然面白くねえ。誤魔化すなよ? 今日こそはチェックさせてもらうからな」
ダイチは小屋の隅の棚の引き出しをガタガタと引っ張りだした。枝に攻撃用の針を釘に加工したもので打ち付けられている棚は、微妙に歪んでいて開け閉めに苦労する。中から使い捨てのメディカルチェッカーを取り出そうとするがなかなか開けられない。どこの家にもある代物ではあるが、バトルに持ち込むファイターは少ない上に精密機械ゆえ壊れやすい。引き出しと格闘するダイチを見てアサトが笑う。
「必要ないって」
「アサト、いい加減に……」
「もう診断したんだ。肺がんだった」
何でもないことのようにアサトは打ち明けた。意味を理解した瞬間ダイチは息をのみ、カイリは拭いていたカップを取り落とす。旧時代では不治の病であったその病気は、リスポーンできる状況では何の脅威もない。だが、誰もが歴史小説の中に時々出てくる不可避の悲劇として「がん」という病名を知っていた。
「いらないよ、カイリ。バトル始まっちゃうし」
カイリが立ち上がったのを見て、アサトが声をかける。恐らく、カイリは病気について調べるため、ネットを見にいくつもりだったのだろう。病気になればリスポーンすればいいのだから、病気に対する知識がない。ダイチとて、治療法も対処法もわからない。
「まー、俺が調べた限りでは、余命一ヶ月ってトコかな」
アサトはひょうひょうとして告げる。唇を噛んで座り込み、ひざを抱えたカイリを見て、ダイチはようやくことの大きさを飲み込んだ。アサトは死ぬのだ。俺たちを置いて。そして決して、二度と、戻らない。
「お前。ふざけるなよ!」
ダイチはアサトの襟首を掴む。
「ダイチ、落ち着けって」
ダイチの手の上に、アサトはそっと自分の手を重ねて諭すように言った。
「病気なんだから仕方ねえだろ。それに俺は満足してるよ。ここで死ぬのは悪くない」
「だけど、なんでもっと早く……」
アサトの澄んだ目を見て、ダイチの手がぱたん、と落ちた。つらいのはアサトだ、それはわかっている。それでも「アサトを失う」というどうしようもない恐怖に支配され、ダイチは両手で顔を覆って座り込んだ。狭い小屋の中を重い空気が流れる。アサトが仕方がないな、というように肩を竦めた。
「なあ、そんなしんみりすんなよ。年寄りは死ぬ、これが自然。そうだ、カイリ、俺の絵を描いてくんない? 写真もいいけど、あの大広間に飾ってあったみたいな絵の具で……」
「油絵ですか?」
「おっきな木と……小さい花と、あの絵は良かったなあ」
「……ありがとうございます。あんなもので……良かったら」
カイリは頷いて、そのまま顔を上げなかった。
「……アサト、死ぬのか」
ぽつり、とマシロが呟いた。




