メメント・モリ 5
――マユ
ダイチは心の中でその名を呼ぶ。
「うるせえな、ちょっとは荷物持とうぜ」
――サト
「この辺でいいかもしれませんね。あまり奥だと誘導する前に追いつかれそうですし」
――カイ
甘く懐かしい気持ちに包まれてダイチは耳をそばだてる。
「じゃあ、この辺にするか」
ダイチには聞き覚えのない声だった。あれは……
――あれは俺だ
その瞬間、言いようのない嫌悪感が全身を貫いた。マシロの冷たい手がダイチの手を握りこむ。ひんやりとした感触に何事かと視線を下ろしたダイチは、自分が無意識で日本刀の柄に手をかけていたことを知った。いつもと変わらぬマシロの瞳に見つめられ、ダイチは引き剥がすように指を開いてゆっくりと手を離した。
「……向こうから誘導するとこの辺……」
思ったよりも近いところからカイの声が聞こえて、ダイチは穴の外に目をやる。こちらを指さしているカイがはっきりと見えた。二人はゆっくりと屈んで穴の中に頭を隠す。カイの言葉が止まったことが気になる。この距離だから見つかったとは思えないが、用心するに越したことはない。ダイチはマシロに「戻ろう」と目で合図した。マシロが頷くと同時に、カイ? と呼びかけるイチの声が聞こえた。ダイチはビクン、と体が跳ねそうになるのを抑えて、ぎゅっと唇を噛んだ。
「あのー、すみません。やっぱりもう少し向こうにしませんか?」
おずおずとしたカイの声が聞こえた。どうやら場所を気にしただけで、見られたわけではないらしい。二人は顔を見合わせてほっと息を吐く。しかも離れてくれるならそれに越したことはない。
「はあ!? 絶対に嫌だけど」
「マーユ。……どうしてだ? カイ」
「見通しがもう少し悪いほうが良いような気がして……今更すみません」
「いやいや、確率が高いほうがいいに決まってるよ、いこ」
「えー! ここでいいってばー、ねーえ! やーだー!」
「マユー。早くしろー。置いてくぞー」
四人の声はだんだんと遠ざかっていった。二人はどちらともなく立ち上がり、黙ったまま隠れ穴に戻る。梯子を降りきった瞬間、ダイチは膝から崩れ落ちた。
「おい!」
アサトが慌てて立ち上がる。マシロはアサトをチラリと見て「本体に会った」と首を竦めると、興味がないようにごろりと横になった。
「そっか」
アサトは納得したように頷いて、ポットからカップに熱いお湯を注いでダイチに手渡す。
「思った以上、というより、まるで想像もしなかった気持ちがしたろ」
アサトは労わるようにゆっくりと話す。
「……あれが俺なら俺は誰なんだ」
ダイチはやっと言葉を紡ぎだす。
「あれはイチで、お前はダイチだ」
「そんなっ……」
そんな話じゃない、アサトを睨むように顔を上げたダイチは、アサトが浮かべている柔らかい表情に驚いて言葉を飲み込んだ。
「あれはサトで、俺はアサト、な?」
ダイチの肩に腕を回して、更にアサトは言い含めるように続ける。
「気持ち悪い……あいつ、気持ち悪い」
「わかるよ。でも大丈夫。時間がたてば折り合いがついてくるから」
呆然としてつぶやくダイチの背中をぽんぽんと叩き「俺が見てくる」と言うとアサトは梯子を上っていった。ダイチは両手で包んでいた熱いお茶をすする。少し寒気がおさまると、こんな気持ちになる原因がわからずに考え込んだ。
あれは自分ではない。だが、同じ顔をした誰かでもない。三百年以上の記憶を共有しているのだ。誰にも知られたくない、知られたら生きていけないような薄暗い感情まで全てを知っている……それはとても不快だった。だが、それでもこの不快感は説明できない気がした。
もはや「生理的に受け付けない」としか言いようがない感覚だった。自分に害を与えることもない小さな虫に怯え、悲鳴を上げる時のあの感覚。ダイチは再び身震いをして、お茶を啜った。
「大丈夫か」
マシロがむっくりと起き上がって、確かめるようにダイチを見つめた。
「お前が人の心配するなんて珍しいな」
ダイチはマシロの視線を外して言った。皮肉に言うつもりだったのに、思ったよりも弱々しい声が出てダイチは自分に苦笑する。
「お前が死ぬと困る」
マシロの真剣な声色に、ダイチははっとして顔を上げた。
「とても困る」
マシロはまっすぐにダイチを見つめて同じ言葉を繰り返した。マシロの言葉がどんな意味で、どんな思いで言っているのかはわからない。それでも「誰かに自分が必要とされている」ということは今のダイチに強い力を与えた。
「大丈夫だ。死なないよ」
しっかりとマシロを見つめて強い声で言う。
「それならいいんだ」
マシロは少し笑って再びつぎはぎのシートに寝転がった。
この数ヶ月でポツポツとマシロが漏らした言葉を繋ぎ合わせると、どうやらマシロは筋力、体力、回復力、免疫力に優れている以外に老化も遅いらしい。それがどうしてなのかはまだわからないし、聞きだそうともしていない。だが、六十を過ぎても一線で戦っていたこと、イチが切り落とした腕の傷があっという間に塞がったことを考えると本当のことなのだろう。
一人になるのを寂しがるタイプでもない気がするが……ダイチはマシロの細い背中を見つめた。
――そうか、俺はいずれ必ず死ぬのか
向こうのイチにもいずれ死は訪れる。だが、彼にとってはあと九十数回の死の後にという感覚なのだ。かつての自分がそうであったように。だが、今の自分にとって死はそう遠くない存在で……いや、違う、彼も俺なのだから、俺が死んでも俺は続くのか?
「おう、夕飯だぞ」
アサトの声にはっとしてダイチは顔をあげる。堂々巡りをする思考に漂ううちにぐっすりと眠りこんでしまっていたらしい。夢から醒めないままぼんやりしていると、アサトが肩を竦めてスナックバーを投げてよこした。バトルの夜は万が一を考えて、煮炊きはせず、匂いのするものも食べない。
明かりもつけずにボソボソとしたスナックバーを水で流し込むのだ。マシロはこの食事がキライでむっとしたままバーの袋を睨みつけている。
「明日はおいしいものいっぱい食べられるから」
「肉」
「うんうん」
「野菜はいらない」
「はいはい」
いつものやり取りを聞きながら、ダイチは自分の気持ちがすっきりと落ち着いていくのを感じた。この2人と今ここで生きている。難しいことを考える必要など無い、と自分に言い聞かせる。満足そうな息をつくダイチにアサトが笑いかける。
「人間の体の細胞ってさ、六年周期で入れ替わるって習っただろ?」
「……なんだよ、急に。覚えてねえよ」
普段、ちゃらちゃらしているがアサトは学生時代、ダイチよりずっと頭がよかった。そんな授業があっただろうか、ダイチは記憶の糸を辿ってみたが、メモリチップが差し込まれていないので思い出せなかった。
「六年経てば、今、お前を構成してる細胞は一つもなくなるってこと」
「ふーん……」
何が言いたいのか、ダイチは気のない返事をしながら、アサトの言ったことを考える。全ての細胞が入れ替わる……。
「だからさ、二十歳を過ぎるまで別の環境で成長したクローンなんて、一卵性の双子と同じ。まったくの他人だよ」
「……ああ」
なるほど、と思う。ダイチはもう一人の自分を思い出した途端、湧き上がる嫌悪感に顔を顰めた。この気分の悪さはなんなのだろう。
「自分のクローンを大量に作るっていう犯罪防止の為に、クローン同士は嫌悪感を持つように作られてる、という噂があってだな」
「そうなのか!?」
ダイチは体を乗り出す。
「あくまでも噂。ま、あんまり気にすんなよ。さて、明日はまた早くから物資調達だ。とっとと寝ようぜ」
アサトは立ち上がると地下空間の隅に転がっていた寝袋を放って寄越した。ダイチはもそもそと潜り込んでチャックを閉める。間もなく二人の寝息が聞こえてきた。昼にあれだけ寝たのだから……と思いながら狭い寝袋の中で寝返りを打つうちに、ダイチもいつの間にか眠りに落ちていった。




