メメント・モリ 4
「起きろー、働けー。生きることは働くことだー。労働をせよー」
頭にかつんかつんという衝撃を受けてダイチは目を覚ました。ううん、と言いながら目を開ける。どうやらアサトに蹴られているらしい。年ばっか食いやがっていつまでもガキか……とぶつぶつ言いながらダイチは目を擦った。
「ここじゃ働かないと食えないんだよ、新鮮だろ?」
アサトはにやりと笑ってダイチの視界の外に消えた。外の世界では人間は誰であっても労働をする必要がなかった。全ては高度にオートメーション化され、アンドロイドの製造、メンテナンスまでアンドロイドが行なう。もちろん「自分の事は自分でしたい」と思えばそうすることが出来る。何をするのも何もしないのも、全てが自由だった。
――やらなくてはいけないことがあるというのも悪くないな。
ダイチは体を起こして大きく伸びをする。アサトは四十年間で二人のドッペルゲンガーに出会ったという。だが二人とも三日と経たずにどこかに消えた。おそらく自死したのだろう、と悔しそうに笑った昨夜のアサトの顔が浮かんだ。
ダイチとて、ここで生きることに踏ん切りがついたわけではない。自死するという選択が頭の隅にあるのは否定できない。だが、そんな気など全くないようなアサトとマシロを見ているうちに「しばらくこのままでいてみようか」という気持ちになっていた。手を伸ばして、丸くなって眠るマシロの毛布を剥ぎ取る。
「おい、マシロ。起きろ、朝だってよ。起きろ!」
揺すっても叩いてもマシロは目覚めなかった。ダイチは諦めてアサトを見て首をすくめる。アサトはわかってないね、というように首を振った。
「マシロちゃん、ご飯だよー」
アサトが言うと、マシロはぱっちりと目を開けた。ダイチとアサトは顔を見合わせて吹き出す。笑いの止まらない二人をマシロはじろりと睨みつけた。
「騙したのか」
「いやいや、ちゃんとあるよ。ほい」
アサトは、薄いパックに入ったパンをマシロとダイチにひとつずつ投げた。
「これ、賞味期限が短いんだよね、今朝は我慢してこれ食って。でも、豆から入れたコーヒー付き」
更にパックのコーヒーも二人に投げる。マシロはつまらなそうにコーヒーのパックに付いた紐を引いた。すぐにポコポコと水が沸騰する音が聞こえて、小屋中にいい香りが満ち始めた。ダイチはごくりとつばを飲み込んで、自分のパックの紐を引いた。食べなれた簡易食と飽きるほど飲んだコーヒーだったが、驚くほどに美味しいと感じた。
「さて、今日なんだけど……」
おかわりを要求するマシロにパンのパックを手渡しながら、アサトが手のひらで空をなぞるようにしてドーム内の地図を空間に表示する。
「おい、繋いで大丈夫なのか?」
「繋いでない。表示させてるだけ」
アサトの返事に安心してダイチは地図を見つめる。見慣れたテセウスの地図だ。隅々まで知っている。
「スイーパーについては昨日も話した通り。簡単なプログラムしか組まれていないから、油断さえしなければまず問題ない。人工知能があるやつも「人を傷つけるべからず」のルールを破れないから問題ない……と思うんだけど、一応要注意な。ま、滅多にいないけど」
昨夜のアサトの話を思い出しながら、ダイチとマシロはこくんと頷く。アサトは満足げに目を細めると地図に目を戻した。
「掃除屋は大門から時計回りに円を書きながら中心に向かって、三日くらいかけて移動する。今恐らくこのあたりだから……午前中は赤サイドの大門付近、午後からは青サイドの西側で物資調達をする。食い物はもちろん、痛んでない服・靴も出来るだけ集める。いいか?」
つまりは死体漁りか……そう思ったダイチの心を読んだように、アサトは険しい顔でダイチを睨んだ。
「三人、あとたっぷり一ヶ月分の食料が必要なんだぞ」
「……ああ、悪い。わかってる。」
ダイチはうっかり感情を顔に出した自分を恥じた。アサトはそうやってここで生きてきたのだ。その作業に対する侮蔑はアサトの命に対しての侮蔑だ。アサトは、わかればいいんだよ、というとマシロを見てにやりと笑う。
「大食いがいるし」
アサトの視線を受けたマシロは三パック目のパンの最後の一口をごくりと飲み込んだ。
「私は自分の分くらい、ちゃんと自分で集められる」
「そうだよなマシロ。お前こそ俺たちについてこれるのか? おじいちゃん?」
ダイチは挑発するように、眉を上げる。
「おじい……ってコノヤロウ」
「お前は、あー、あっちのお前な、こないだまで俺におっさんおっさん言ってたから仕返しだよ」
「ああ、サトか……」
何か切り返されると思っていたのに、アサトはあっさり言って席を立ち、扉を開けて降りていく。恐らく何かが勘に触ったのだろう。それが何かわからずにダイチは慌てて後を追った。外に出ると、昨日よりかなり寒かった。ダイチはぶるっと体を震わせる。
「一回目の死に方、覚えてるか?」
アサトの後姿を追うダイチに、振り返らずにアサトはぼそりといった。特に腹を立てているわけではないらしい。ダイチはほっとして一回目のリスポーンを思い出す。チップを抜いてしまっているが、はっきりと思い出せた。
「ああ」
赤目にやられたんだ――ダイチは思わずマシロを振り返る。マシロは何の話だ? というように首をひねった。
「安楽処理にならなくてさ。時間オーバーを待ってお前の死体の横に転がってたんだよ。なのに時間が過ぎても俺のスーツからは安楽死薬が出なかった。作動不良ってやつだったんだな」
アサトは立ち止まり、ダイチは何も言えないまま距離を置いて立ち止まった。あのときから……四十年だ。
――四十年
不老不死を手に入れ、三百年以上生きてきた。だが、テセウスに入ってからの四十年はそれ以前の記憶を薄めるには充分な時間だった。大切だった人の思い出すら、デジタルの記憶を掘り起こさない限り思い出さなくなってきている。アサトはその時間をたった一人でこうして生きてきたのか……。長い時間だろうとは感じていたが、それは今、質量を持ってダイチの胸の中に落ちた。
「最初の一ヶ月は地獄だったよー。傷は痛いし……でも、不思議だよな……人間、いざ死ぬとなると、もがいちゃうもんなんだよ。んで、ちょっと落ち着いたら死にたくなって……でも、何が一番つらかったって、数か月後に俺たちを見つけたときだよ」
「何でだよ、声……」
「ショックだったね」
声をかければよかっただろう、というダイチの質問をアサトは遮った。アサトの口から冬の空気に冷やされた白い吐息が細く漂う。
「まず、もう一人の自分に対する嫌悪感が凄まじかった。異常だったよ……それが治まると、ああ、本当に帰る場所がないんだ、俺の居場所が奪われた、って」
吐き出すようなアサトの言葉を最後に、静かな沈黙が流れる。
「でも、今はこれでよかったって思ってるよ。ここで生活するうちに……懸命に生きて、最後はこの森の一部になるっつうのは悪くないって思うようになった。お前を誘ってここに入って良かった」
誘ったのは俺だろう、とダイチは言い返しかけてやめる。四十年前の記憶だ。メモリチップがないまま、誰とも話さずに生きたのだ。曖昧にもなるだろう。アサトが積み重ねたのはそれだけの年月なのだ。
「……最後にまたお前に会えたし」
「最後ってなんだよ」
ダイチが言い返すと、アサトは一瞬困った顔をしてから、にっと笑って腕を広げた。
「さあ、腹を空かせたくなかったら必死で食いモン集めておいで! おじいちゃんはここでゆっくりと待ーつ!」
「おう!」
威勢のいい返事をしてマシロが一気に駆け出して、ダイチは何も言えずにその後を追った。二人の姿を見送って、アサトはゆっくりとポケットから煙草を取り出す。首をかしげて年代物のライターから火をつけると美味そうに紫煙をくゆらせた。
■
それから数ヶ月。食料には全く問題がなかった。アサトが集めていた保存食だけでも三人がしばらく暮らすには充分な量があったし、それがバトルのたびに増える。徐々に暖かくなり食べられる山菜が平原や森の中に顔を出し始めて三人の舌と胃袋を満たしたし、本格的な春になるとアサトがあちこちにこっそり作っている畑に青菜が育った。初夏には芋が収穫できたし、川には魚、森にはウサギや鹿や鶏がいた。
バトルの日はじっと息を潜めて小屋に閉じこもり、手製のゲームなどを楽しんだ。テセウスから外界にはネットが繋がらないが、テセウス内のみのネットワークにならいくらでも接続できる。拾った端末は使い切れないほど積んである。遠く離れた折にダウンロードしておき、家に戻ってから音楽を聴いたり、映画を見たりした。
いつしか、季節は夏になっていた。
梅雨が明けたばかりのバトルの日、朝からギラギラとした太陽が森の隅々まで照り付けていた。木々は青々と茂らせた葉を持ってしても耐えられない、というように佇んでいる。虫たちの動きさえもだるそうに見えた。
「移動するぞー」
アサトの一声で、朝早くに起きだした三人は、あの日ダイチがマシロを背負って歩いた地下洞窟に向かっていた。
藪に隠れた入り口から潜り込み、どこも同じに見える洞窟の中をくねくねと何度も曲がった。知らなければ絶対にたどり着けないような場所に、ぽっかりと大きく口を開けた縦穴がある。アサトは四十年かけて、ここに大量の物資を蓄えていたのだ。ダイチとマシロが参加してから、備蓄は更に増えていた。穴を降りるための手製の梯子に足を掛けて三人は穴の下に降りる。
「涼しいなー、もっと早く移動しても良かったな」
ダイチは思わず声をあげる。梯子を少し降りただけでひんやりした空気が肌を包む。天然の冷蔵庫だ。底のあたりは薄ら寒いほどだった。マシロは梯子を下りると早速、バトルスーツを繋いだマットの上でごろごろしはじめる。
「アサト、腹が減った」
「アサトさん、お腹が空きました」
寝転がったまま、手を差し出すマシロを睨んで、即座にアサトが言い直した。女の子らしく……とアサトが数ヶ月もの間、諦めずにがんばっているが一向に効果はない。髪が伸びて見た目だけは少しだけ女の子らしくなったが、言葉や態度はまるでダメだった。
「何度も言うけど、マシロちゃんは貴重な女の子成分なんだから。寂しいおっさんたちを癒してくれないとさ」
「そんなことは知らん。腹が減った」
「そのようなことはわかりません、お腹が空きました」
「うるさい」
じゃれ合っているような二人を見て、ダイチはふっと微笑む。アサトが以前言ったように、この暮らしは実に悪くない。こうして過ごしてここで死んでいく、ということに何の抵抗も感じなくなってきていた。アサトがもったいぶった手つきでポケットからチョコレートバーを取り出す。
「そうようなこ……」
「シッ」
お菓子につられて言い直そうとしたマシロをダイチは制した。遠くから話し声が聞こえたような気がしたのだ。ここまで聞こえるということは、洞窟のかなり近くまで来ているだろう。
上を見てくる、とアサトにジェスチャーで合図するとダイチは日本刀を掴む。なんとか探し出した地底湖から引き上げ、時間をかけて錆を落としたものだ。ダイチは音がしないようにゆっくりと梯子を上り始めた。気がつくとマシロもついてきている。穴から這い出て横穴を戻り、藪に隠された入り口から外を伺った。
「もうやだ! またくもの巣! ねーえ、こんなトコまで赤目は追ってこないってえ」
ダイチの耳朶に良く聞き馴染んだ声が響いた。