メメント・モリ 2
――こんなの、化け物じゃねえか
あんな罠で狙ったことが滑稽にすら思える。六十歳をとうに超えていた赤目を不意打ちで倒したくらいで何を勘違いしたのだろう。今回だって地下洞窟がなかったらあっという間にやられていた。
ぶんぶんと斧を振り回している赤目を見て、思わずイチは後ずさった。
「避けろ」
声とともに斧がイチの頭のすぐ横を掠めて飛んでいった。後退っていなかったら、顔面に直撃していただろう。あまりのことにイチは声も出ない。
「すまない。手がないのを忘れて持ち替えようとした」
ひょうひょうと言いながら振り返った赤目の顔は、イチが想像したものとは全く違っていた。力の入っていない表情に、こちらの気まで緩む。
「あ、ああ、平気だ」
「なによりだ」
イチはからかうように言って近づいてくる赤目を見つめた。悪鬼のような形相をしていると思っていたのに、今は薄く笑ってさえいる。
「やはり関節が弱いな。とはいえ、頭部を破壊するまで止まらない。目は固いから口を狙って……どうした?」
返事をしないイチを不審に思ったのか背の低い赤目が大柄なイチを見上げる。
「なんでもねえよ」
斧で何度も殴打していたのは、弱点を見つけるためだったのか……イチは怖がった自分が気恥ずかしくなって視線をそらせた。口調もついぶっきらぼうなものになる。
「……ああ、悪かったな。私のほうが早かった」
赤目は肩を竦めて答え、飛んでいった斧を探してウロウロし始めた。どうやら、獲物を取られて機嫌を損ねたと勘違いされているらしい。イチは肩をすくめて赤目を目で追った。
「冗談みたいに強いな」
「そう作られたと言っただろう。それに、何十年もこればかりしているんだから強くもなる」
少し謙遜を交えているものの、当たり前のように話す赤目の声に、戦いに明け暮れる人生を悲観するような色は全くない。
……こいつは外の世界ではどんな生活をしていたんだろうか、ふと湧き上がる疑問を押さえ込んで、ふう、と息を吐き、イチは再び曲刀を構えた。理由はわからないが、外の世界でのことを聞くのはテセウスでは良しとされていない。それに、残りのスイーパーが目前まで迫ってきていた。
「来たな」
「ああ」
……到着したスイーパーは全てが同じ型ではなかった。中には髪や皮膚が残っていたり、ボロ布を纏っているものもいる。明るい午前の太陽の下で、それは逆に不気味さを増していた。
「……そうか、廃棄アンドロイドか」
イチはつぶやく。どうやら棄てられたアンドロイドのボディを再利用しているらしい。
「じゃあ、よろしくお願いしますよ、赤目先生」
「先生?」
きょとんとした顔でこちらを見る赤目に向かって笑うと、イチはスイーパーの数を確認した。ニ十対二、バトルであれば絶望的な数字だった。だが、赤目と一緒ならば勝てるのかもしれないと思える。だとしたら自分は自分に出来ることをやるだけだ。イチはまっすぐに向かってきたスイーパーと対峙した。
「え?」
イチはあっけに取られて思わず声を出した。イチに向かってきたアンドロイドは武器もなしに腕を広げてイチを威嚇しつつ捕獲するような姿勢をとったのだ。隙だらけの体を脳天からまっすぐに切り落とす。スイーパーは二つに割れて倒れた。拍子抜けしながら次の標的を探してイチは回りを見渡した。
「うっわあ……」
またしても思わず声が漏れる。すでに赤目が三体のスイーパーを地に伏せさせていた。強すぎだろう、と思いながらイチは残るスイーパーを見渡した。
腕がないもの、人工皮膚が剥がれてぶら下がっているもの。ろくな修理をされていないことが一目でわかった。恐らく高性能なAIは搭載していないのだ。もともとのAIは新しいボディへと移され、人格のない排除プログラムだけを組まれているのかもしれない。……AIを新しいボディに移され、廃棄されたアンドロイドのボディ。まるでドッペルゲンガーのようじゃないか、とイチは苦笑する。
――先の一体は人格があるように見えたが……
一瞬だったのでわからない。足並みを揃えないということは、あの一体だけ誤作動していたのかもしれない。AIごと破棄されたのだとしたら、むしろこちらがドッペルゲンガーに近いのか。
――俺にも人格がある
「しまった!」
相手を甘く見てぼんやりと考え事をしたせいで、イチは背後から忍び寄る一体に気がつかなかった。曲刀で弾くのは間に合わない。腕を一本犠牲にして……イチは向かってくる短剣に向かって腕を差し出した。
「おい!」
叫び声と同時にイチの腕に刺さる寸前の短剣を、飛んできた斧が叩き落した。擦れ違いざまに一瞬だけ目を合わせて、赤目は斧を取りに走った。イチは腕を差し出した姿勢のまま動けなかった。目が合った一瞬で赤目の言いたいことは全て伝わったからだ。
――腕を犠牲に? リスポーンは適わない、医療すら受けられないこの状況で?
死んでしまう……ぶるっと体を震わせて、イチは深呼吸をする。いや、違う。死んでも何の支障もないじゃないか。消えるのは今回のバトルの記憶だけなのだ。今頃は宿舎では新しい自分が目覚めているだろう。ロコから着替えを受け取り「やっぱり赤目は無理だよ」などとサトと笑いあっているだろう。イチは自分に向かってくるスイーパーに慌てて曲刀を向ける。
――だけど、それは俺か?
イチの膝ががたがたと無意識に震えた。死んだことは何度もある。慣れることのないその瞬間の恐怖も知っている。意識が一瞬で飛ぶほどの痛みや、安楽死までの数分が耐えられないほどの苦痛も味わった。だが、それらとは全く違う「死んで無になる」ということへの絶望的ともいえる恐怖が全身を貫いた。
「うわああ」
片手のないスイーパーが突き出した槍を大きく避ける。相手はただの廃棄アンドロイド、鈍いし学習能力もない鉄くずに遅れを取るわけもない。必死でそう思おうとしても恐怖で固まった体は動かない。イチは繰り出される槍を避けながら、じりじりと後退する。汗で手が滑って曲刀を取り落とし、パニックを起こしかけた。
瞬間、赤目が別のスイーパーと対峙しながら近づいてきて、イチを襲っているスイーパーを一撃で切り崩した。情けない……イチは落とした曲刀を拾い上げる。だがどうしてもスイーパーに向かっていくことが出来なかった。一太刀も浴びぬよう、安全な場所を求めて這いずるように逃げ回った。
ふと気づくと回りにスイーパーは一台もいなくなっており、イチは肩で息をして腰を抜かすように平原に仰向けに倒れた。
「どこかやられたのか」
赤目がイチを見下ろした。イチは首を振って両手で顔を覆う。死にたくない、と無様に逃げ回り、戦闘用ですらない廃棄アンドロイドの一体にさえ立ち向かえなかった自分が情けなかった。皮を切らせて骨を絶つ、などという芸当はリスポーンできるという保険があって初めて出来ることだったのだ。武士や騎士を気取るつもりはないが、ランク上位というレッテルはいつの間にか自分の中で誇りになっていたらしい。
「気にするな。お前は弱いのだから。すぐには襲って来ないだろう。戻って鹿を焼いてくれ」
「……お前……ちょっとは慰めるとか」
当たり前のことを伝えただけ、というようなあまりに自然な声にイチは指の隙間から赤目の顔を見上げて言った。赤目はしばらく考え込む。
「あー、前の私をやった時は少しマシだった。……調子が悪かったんだろう。まあ、あの時は私も調子が悪かったんだが」
赤目は、見下ろした姿勢のまま微笑んだ。笑うんだ……イチがじっと見つめると、赤目はふい、と視線をそらせた。それにしてもこいつにとって昨日の俺と、何も出来なかった今の俺の違いは「少しマシ」程度なのか? 恥じていることも、腹を立てることもばかばかしくなってきて、イチは大きなため息をついた。
「悪い。慰めるのはあまり得意ではない。仲間というものを持ったことがないんだ」
イチは困ったように言う赤目の横顔を観察する。仲間持たず、点を競って殺し合うためだけに生きることは虚しくはなかったのだろうか……そこまで考えてイチは失笑する。自分だって同じ穴の狢だ。仲間と協力していたから何が違うというのだろう。
「お前、名前は?」
寝転がったまま、イチは赤目にたずねた。
「シロ、と呼ばれている」
ふうん、見たままだな、とイチはつぶやき、そうだな、と赤目は答えた。
「俺はイチ、ダイチだ」
イチが差し出した手を赤目は少し不思議そうに見つめ、気がついたように手を伸ばす。イチはその手を握り締め立ち上がった。不意打ちだし、かなりの体格差があるのに赤目はぐらりともせず、イチを支える。
「私はマシロだ。よし、どうでもいいから鹿を焼いてくれ。すぐにだ」
思ったよりもずっと強い力で、イチの手は握り返された。