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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
プロローグ
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プロローグ

週一更新です。

「イチよ」


「あー」


「なんか面白いことない」


「ねえよ」


 ポコっと間抜けな音を立てて、イチの頭に当たって弾んだカップが床に落ちて回った。回転音がやけに高く長く響く。止まらない回転から逃げるようにイチは寝そべっていたソファから身を起こして振り返った。


「いやいやいや、なんでぶつけるわけ」


 ダイニングチェアに反対向きに座り、背もたれを抱くようしている友人サトを睨みつける。サトの右手はカップを投げた形のまま前に伸びていた。


「だって暇じゃん」

「おう、お前は暇だと俺の頭にカップを投げつけるわけか。で、どうだ。暇じゃなくなったか」


 サトは返事もせずに目を瞑る。色素の薄い長いまつげが、もう開きません、というように頬に影を落とした。このやろう、と思いながらイチは再びソファに沈みこみ、明るい南国の海の景色が広がっている窓の外へと目をやった。イチが五年前から住んでいる半円形の部屋は、弧になっている壁の全面が窓になっている。モノを所有するのが好きではないイチの趣味で、家具はダイニングテーブルと二人がけのソファ、キングサイズのベッドだけ。壁紙も貼られていないし、カーペットも敷かれて居なければ、絵のひとつも飾られていない質素な部屋だ。

 もうとっくに昼を過ぎているというのにいささか明る過ぎる太陽が、光を遮るものの少ない部屋を照らしている。薄く目を開けたまま砂浜で思い思いに過ごしている人々を一通り眺め、はあ、とため息をついてイチも目を閉じた。

 


「あー」


 眠っていると思ったサトが間抜けな声を上げた。眠りかけていたイチは舌打ちを堪えて目を開ける。


「どうした?」

「俺、今日誕生日じゃん」

「えっ、マジか」


 イチは慌てて身を起こした。確かに今日は四月二十日、サトの誕生日だった。ソファの後ろに設置されたダイニングテーブルを振り返ると、サトはさっきと同じ姿勢でふっと笑う。


「気にすんな、めでたくもねえ」


 親友の誕生日を忘れていたとはさすがに気が引けて、立ちあがりかけていたイチは「それもそうだな」と笑ってソファに座りなおした。


「俺ら、何歳だっけ」


 窓の前をスっと横切る海鳥を目で追いながら、誰に聞くでもない風にイチは呟いた。答えを待たずにソファの肘掛けに置かれたカップに手を伸ばして中の酒を煽る。サトは振り返ってダイニングテーブルの向かい側に顔を向ける。


「三百から数えてねえわ。ねえロコ、俺何歳?」


 影のようにサトの向かいのチェアに座ってりんごを剥いていた女性型アンドロイドのロコが顔を上げた。金色の長い髪に青い瞳、息をのむほどの美女だが、最近では時代遅れの型だ。


「サト様はあと二時間三十二分で三百二十五歳です」


 人類が、記憶のデジタル化とクローン技術の発達により、体を乗り換えることで仮初の不老不死を手に入れてからだいぶ経つ。ロコは笑顔で答えると、りんごに目を戻して手を動かし始めた。サトもロコから視線をイチに戻す。


「だってさ」


 サトは、椅子に反対向きに座っているのに疲れたらしく、イチの座っているソファの前に移動して床のクッションに座り足を投げ出した。


「なあ、なんか面白いことない?」


 そして先ほどと同じ質問をする。サトは数年前に体を交換したばかりだから、体は二十代半ばなのだが、童顔だから十代に見える。何もかも楽しかった頃と変わらない顔で、同じ言葉を繰り返している。「なーなーイチ、何か面白いことない?」目を輝かせた学生時代のサトを思い出して緩みそうになる口元にイチはカップを運んだ。あの頃は何もかも楽しかった。何でも出来るし、その時間が永遠に続くのだと思っていた。


「だから、ねえよ。つかもう帰れよ」


 イチはサトの頭を狙って空になったカップを投げる。カップは避ける素振りさえしないサトの頭に当たり、床に落ちて転がった。ロコがすっと立ちあがり、転がっている二つのカップを拾う。


「アルコールの摂取量が多めです。処理しますか」


 イチはしゃがんだまま笑顔で自分の顔を覗き込むロコの視線からそっと逃げる。体に悪いことはわかっている。でも、悪いからと言ってなんだというのだろうか。


「いや、まだいい」


 ロコは何か言いたげな顔をして立ち上がると、大量のりんごの入ったボウルを抱えてキッチンへと消えた。りんごのコンポートはサトの好物だ。買ってくれば早いのに、ロコはいちいち面倒な調理をして食事を作る。それがイチの好むやり方だからだ。


「イチ」


 ロコが消えるのを待つようにしてサトが口を開いた。ヘーゼルの瞳が窓から差し込む光を反射してきらりと光る。悪い予感が心をよぎったが、なんだよ、と何気なさを装ってイチは応じた。サトは一瞬ためらったあと、意を決したように口を開いた。


「空気がさ、腐ってるような気がすんだよね。でもまあ吸えるし、吸えば生きられるし。でも、もう吸いたくないっていうかさ」


 ああ、とうとうこの日が来てしまった。イチは天井を見上げた。イチとサトは同級生で、もともとは五人の仲間だった。

 世界中を旅行し、音楽に、映画製作に、スポーツに、あらゆることを一緒にした仲間。農業をしてみたことも、舟で暮らしてみたこともある。長い時間の間には何度も恋愛をしたが、いつでも最後に残るのはこの五人だった。消えることのないデジタルの記憶は思い出そうとさえすれば、いとも簡単に彼らの姿も声も言葉の一字一句までも再生することが出来る。

 初めて一人の仲間が欠けたのは五十年前のことだった。体の乗り換えを拒絶したうえでの安楽死だった。後を追うようにぽつり、ぽつりとかけていき、今ではイチとサトだけになった。


「ちょっと記憶を消してみるとか。あー、子供つくってみるとか」


 イチの口から当たり障りのないアドバイスが零れ落ちた。三人目の仲間が「自死」を言い出したとき、この台詞を言ったのはサトだったか。


「なんか……違うんだよねえ」


 それは、俺のアイディアじゃねえか。いつものサトならそんな風に返して笑うはずなのに、帰ってきたのはぼんやりとした一言だった。

 悪い予感は当たるんだよなあ、イチは思い切って視線をおろし、まっすぐにサトの目を見つめる。いつもふざけていて感情が読みにくいサトの、今にも泣き出しそうな顔がそこにはあった。


「お前まで居なくなるなよ」


 たまらなくなって、イチは手のひらで自分の顔を覆って呟く。一人になってしまう、それは絶望にも近かった。


「ごめんイチ、なんか、もう無理だわ」


 指の間から見えたサトが、泣いているように笑った。



 サトがイチのマンションの部屋を出て行ってから数時間がたった。窓に映る南国の景色は夕方へと変わっている。テーブルの上に載ったりんごのコンポートは一口も手を付けられないまま溶けたヴァニラアイスの中に沈んでいた。


「ロコ、窓戻して」

「はい」


 すっと窓に映っていた景色が変わる。そこにはまったく同じ形の箱型のマンションが何十棟も、まるで永遠に続くかのように、規則的に地面から生えていた。色味の少ない半円形のイチの部屋は、南国の景色の前なら居心地が良かったが、現実の景色の前では取って付けたような寒々しさを感じる。


「アルコールを処理します」


 ロコは有無を言わさずイチの腕を取り、かるく握り締める。痛みすら感じない細かな針を手のひらからイチの腕に刺し、アルコールを中和する薬剤を投入すると同時に、体外へ排泄させているのだ。酩酊感が抜けていくのと同時に、しっかりしていく頭が自分の置かれた状況を確認する。

 友人たちは全員逝った。したいこともなければ、なすべきこともない。


「どうしていいかわかんねえよ」


 イチの頬をすうっと一筋、涙が伝った。一度こぼれだした涙はあとからあとから頬を伝う。


「性欲を戻しますか」


 ロコはイチの耳元に口を寄せてそっとささやいた。


「……今はいらない。すまない」


 イチはロコに握られていないほうの手で目を覆い、涙を拭いた。


「余計なことを言いました。私はアンドロイドです。謝らないでください」


 ロコは困ったように笑って、イチの腕から手を離した。イチの二の腕に、ロコの手のひらの形の赤味がかすかに残っている。


「ロコにも感情みたいなものがあるだろ」


 アンドロイドとはいえ、女性の申し出を断るのは申し訳ないと感じてしまい、イチはロコを胸に抱き寄せて長いブロンドの髪を撫でた。ロコはイチの胸に顔をうずめて、髪と同じ色の長いまつげを伏せた。何も言わない賢さを一体どこで手に入れるのだろうか。


「ロコは死にたくならないか?」

「……すみません、それは……私には理解できません」


 申し訳なさそうに呟くと、ロコはそっと体を離して昼間の海のように真っ青な瞳でイチを見つめた。いつになく思いつめた表情で、言ってはいいものかどうか思案しているようだった。イチは促すように眉を動かす。


「マスター、……テセウスをご存知ですか」


 押し殺した低い声だった。テセウス……イチはぼんやり天井を見上げる。テセウス……そうか、テセウスだ。イチの胸に微かな希望が芽生える。サトならきっとのってくるに違いない。


「コール、サト!」


 イチは立ち上がって叫ぶ。抑えきれず、ウロウロと部屋を歩き回る。かしこまりました、と頃が答えてプツ、と回線が繋がった音がした。


「サト! おい、答えろ、面白いこと、あったぞ!」


 応答を待てずにイチは早口でまくし立てる。


「……イチ? なんだよ?」


 夢から覚めたばかりのようなサトの声がスピーカーから部屋に響く。その生気のなさに少し怯みながら、休日に遊びに誘うような気持でイチは答えを準備する。


「テセウスだ。テセウスに一緒に行くぞ、サト!」

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