七時
前の女騎士の味が忘れられない。というわけではないが、あれはなかなか良かった。あれほどの上玉、そうお目にかかれるものではない。結局前の街じゃ娼館による暇もなかったし、これからしばらく。少なくとも次の町へ辿り着くまでは、セルフ禁欲生活の始まりになる。途中で淫魔系の魔物と出会わない限りは。
藪をかき分け森の中。逃した冒険者たちからの情報の拡散。それによって起こるであろう街道の警戒の強化を恐れ、道無き道を歩き続けて何日か。時間の流れを遅くして保存を良くした食料のお陰で食いつないではいるものの、そろそろ残りが心許なくなってきた。いざとなればそこらにいる獣を狩って食うのも視野に入れねば。
そうして歩き続けていると、森の中でも一つ開けた場所に出た。円形に開けた土地。小さな草原。その中央に、大きな卵。貴重な食料。手出しするか否か。
やめておこう。まだそこまで切羽詰まっているわけではない。竜種の卵を狙うなんてそんな命知らずな真似をするなんて、一攫千金を狙う冒険者や騎士じゃあるまいし。命を代価にするほどの魅力はない。見つかる前に下がろうと思うと一瞬辺りが暗くなり、巨大な風圧と轟音、衝撃を伴って、緑色の壁。巨大な飛竜が目の前に降ってきた。その巨体からくる迫力、その威圧感。おそらくは森の主。
刺激しないよう、注意して森の中に下がろうとする。しかし、大口を開けて迫る巨体を見て考えを変える。刻印魔法を使い、自身に加速。周りの動きが遅くなる。目の前に開かれた大口が、本当にゆっくりと閉じられていく。まだ一度もマトモに使ってない鉈を抜いて、大きく振りかぶりその鼻先に叩きつける。が、硬い。まるで鉄を叩いたようだ。やはり地竜とは違う。
一歩飛び下がり、加速を解除。刻印のおかげで消費が少ないとはいえ、連続使用はしたくない。
さすがに顔面への鉄塊での打撃は堪えたのか、痛がるような仕草で相手も下がってくれる。小さいながら傷も入っているし……逆に言えば、それだけしか攻撃が通っていない。
卵を守るために襲いかかってきた獣、魔獣の類に中途半端な攻撃を加えたら、どうなるか。
「ーーーー!」
一度大きく咆哮し、その音量に思わず耳を塞ぐ。そして、大きく翼を広げる。翼膜の下で、強烈な風が渦を巻く。
「人だけじゃなく、竜にまで狙われるとか。ねえわ」
森に入り、一本の木の後ろに回り込んで、その木に左手で触れる。さらに外套で体を完全に覆い、停止魔法を使う。直後、破壊を撒き散らす暴風が、俺の隠れている木だけを残して周りの木を根こそぎ吹き飛ばしていった。流石に災害扱いされるだけある。あんな化物を人の手で殺すなんて、そりゃ無理な話。五種の魔が竜だと言われているのも、全く信じられないような話でもない。
暴風が止み、その後に少し強い程度の風が吹いて土煙を飛ばす。煙にまぎれて逃げようと思っていたのに、これじゃ逃げられない。逃げられないなら殺るしかない。
獣と魔獣の違いは寿命の有無と、生きる限り成長するか否かの二点。普通の獣―ヒトもこれに含まれる―が長く生きれば生きるほどに力が弱まるのに対し、魔獣は長く生きれば生きるほど強くなる。あの竜も森の主として長く生きているからこそ、あれほど強いのだ。
強い相手なら弱くいいのだが、正直、やりたくはない。これほどド派手に暴れてくれたのだから、遠くない内に調査が入るだろう。そしてそこに破壊の痕跡に見合わぬサイズの竜の死体があれば、そこに時魔法使いが居るという証拠にもなる。この前冒険者達に魔法を見せつけたところだし、痕跡をたどられたら進路も割れる。そうなれば、先回りして警備を強化される。そうしたらまた逃げなきゃならん。追われるのは慣れっこだが、休みなしで逃げるのは辛いのだ。
「まぁ、命にゃ変えられんわな」
再度、刻印魔法で加速。もう一度魔法を使おうとする竜のその足に触れ、加速を解除。また別の魔法を使う。今度は逆行。加速の術式の刻印とはまた別の刻印が光り、竜の体が少しだけ小さくなる。足が動いたので蹴られる前にもう一度離れ、翼膜に紐付きナイフを投げる。刺さる。引っ張る。
小さな返しが付いたナイフは刺さった傷口を広げながら引きぬかれ、俺の手元に戻ってくる。当てた場所が違うとはいえ、最初の鉈で小さなキズ一つだったのに比べれば、かなり大きな打撃だろう。
これで俺を怖がってくれれば、余計な痕跡を残さずに逃げられる。あいつも死なずに卵を守れる。どちらにとっても良い結果となる。
「……さあ、どうだ」
「……」
翼を畳み、卵を守りに引き下がっていく。それでいい。無駄な痕跡を残させてくれるな。卵を襲う気はないという意志を示すため、円形に開けた土地の縁を歩く。相手もこちらをじっと見続けるが、襲う気がないとわかってくれたのか、それとも恐れているだけか、すっかりと先ほどまでの迫力は消え失せた。気をゆるめ、再び森の中へと進む。
その直後、背後で爆発。振り返ると、先ほどの平地で大きな火の手が上がっていた。何が起きたのか。それを確認したい気持もある。しかし、逃げたほうがいいという経験からくる警告もある。
どちらに従うべきか悩んだ結果、木に隠れて様子を見ることにした。少しだけ道を遡って見に行けば、先ほどの竜が焼け焦げて地面に倒れ、動かなくなっていた。そしてその直後に、三人のヒトが出てきた。それも、騎士とも貴族とも違う軽装の、見慣れぬ服装。性別は、綺麗な顔の女が二人。同じく男が一人。両手に花とは羨ましい。
三人の内、誰が魔法を使ったのかはわからないが。ともあれ気付かれていないようだし、もう少し観察を続ける。じっくりと、顔を見ておく。遠目に、ぼんやりとだが俺を追いかけてきた冒険者達の中にはあんな顔の連中は居なかった。
さて、顔も覚えた。見つからない内に逃げるか。あんなヤバい連中に見つかってしまえば、貴重な水をばらまかなきゃ簡単に命を落とせる。
音を立てないように、静かに。静かに森の奥へとまた姿を消す。




