薬師の見習い。はじめてのおるすばん
どこから来たのかも判らない小さな子供(私)が拾われ一年が経った。
冬の森でパニックになりかけていた私を拾ってくれた上に、その後引き取ってもくれた女性―後の師匠―に「年齢が分からないと困るから」という理由で、見た目から判断して5歳とされたのは先日の事だ。
一番古い記憶は冬の木立の景色だ。
ふと「視界が低い」と感じた私は、更に自分の手を見て「小さい」と思った。その理由を思い出そうとした私は「何も分からない」事に気付いた。
周囲を見渡しても木々があるばかりの薄暗い森。周りに人の居た形跡も無かった。
此処は何処。どうして何も思い出せないの。どうして「視界が低い」と「小さな手」と思ったの。どうして此処にいるの。私は―リッカ?それは名前なの?何の?誰の?何処の?私の?どうして何も分からないの!!!?
どうして周りに誰もいないの。此処はどこなの。私は誰なの。分からない判らない解らないワカラナイ。わからないの。コワイ。ダレカたすけて。おねがいだれか―。
混乱して知らない内に泣いていたらしい。その泣き声を聞き付けて私を見付けてくれた師匠には感謝してもし切れないくらいだ。
落着いてから話し合った所、私の状態は所謂記憶喪失と言うものではないかと推測された。色々探してもらったが、私を知っている人は見つからなかった。その上、小さな子どもですら知っている様な一般常識もなかったらしい。
唯一覚えている「リッカ」と言う言葉を名前にしようと決めたのは師匠だった。
鏡で見た自分の姿が黒髪紺目の小さな子供だったことにも違和感を感じたが、それよりこの思考は明らかに子供じゃないと自覚した。師匠にそれを正直に相談した結果、意識は十代後半辺りではないかと予測し、それなりの扱いをして貰える事となった。不可解な事ではあるが、うん、まあそれは良い。
精神的には十代後半、しかし肉体的には幼児。―その小さな身体は予想以上に出来る事が少なかった。
*
「リッカ、これをテーブルに運んでおいてくれるかい」
「はぁい!」
渡された水差しをしっかり持ち、足元に気を付けながら運ぶ。滞りなくテーブル上に水差しを置き、少々の事では落ちないような位置に置けたのを確認してひとつ頷く。―と、台所でシチューをかき回していたお祖母ちゃん(工房以外では師匠と呼ばないよう言われたのだ)が突然噴出した。どうやら一連の動きを見ていたらしい。
「そんな笑わないでよぅ」
どうしてもこの幼い身体は舌足らずな喋りになってしまう。
言葉だけではない。小さな身体故に視界は低く、短い手足は手も小さく指も短い。物を取ろうと手を出しては空振り、届くと思った棚には指先すら掠りもしない。階段では無意識に上げた足が段の高さに合わず引っかかって転び、物を拾おうとすれば頭の重さでバランスを崩し「でんぐり返し」を披露する始末。恐らく、記憶を失う前はそれなりに成長した体だったので急な変化に無意識な部分が付いていけてないのではないか―とはお祖母ちゃんの意見である。
まあつまり、今の私は5~6歳の他の子供に比べても「そそっかしい」と言われる状態なのだ。慎重な上に更に慎重を重ねた行動になっても仕方がない。
「おやおやすまないねぇ。どうにも可愛らしくて」
くすくすと笑う祖母を恨みがましい目で見るが、更に笑われてしまった。
この祖母は小さな子供(私)がちまちまと用心深く動くのが可愛く見えるらしく、最近は私の観察をするのがお気に入りとなっているそうだ。……くやしくなんかないやい。
「さ、シチューも良い具合に出来上がったよ。食事にするから席にお付き」
「うぅー……はぁい」
私がむくれている間に、皿に盛ったシチューとパンをテーブルに運んでいたらしい祖母に声をかけられる。途端お腹が空腹を訴えクルクルと鳴き始めた。その音にまた笑みを零す祖母に、いつまでもむくれているのも大人気ないと思い、席に付いて手を合わせた。
にんじんの赤とブロッコリーの緑が冴える、とろけたかぼちゃのシチューは頗る美味でありました。
*
祖母の家の一階部分は店舗兼作業場(工房)となっている。森の木陰に隠れるように建つ小さな家は、周囲に結界が張られ、害意・敵意がある者はおろか主である祖母の認めた者でないと工房を見ることすら出来ないようになっているそうだ。ちなみにこの森の奥の方に、私が祖母に見つけて貰った場所がある。
祖母は「薬師」と言う職業に就いている。この工房で作った薬液や乾燥させた薬草を売ったり、薬草の調合をするのが主な仕事内容だ。
私は見習いとして、師匠である祖母から技術や知識を教えてもらっているのだ。外では薬草の知識や採取方法、工房内では各薬液等の知識を教えてもらっている。いつか祖母の様な薬師になれる事を目指し、まずは基礎を固めるのを頑張るのだ。
今、私の目の前には色とりどりの薬液が入ったビンが並べられている。師匠はその内の―ルビーの様な深紅の液体が入った―ビン二種類を指して口を開いた。
「さておさらいだよ。この赤い薬液は二種類あるね?それぞれの名前とその違いを言ってごらん」
「はい。きらきらした透明な方が『ダークルーフス』で、透明感のない赤が『ライトルーフス』です。違いは、ダークルーフスが全て手作業で作ったもので、ライトルーフスが魔法作業で作った物です」
魔法作業とは、火加減や匙等の動きを魔法で指示する事だ。簡単なものは教えてもらっているが、生活にも応用出来るので非常に便利である。何故この違いが完成品に影響するのかは不明だが、手をかける分作成者の魔力が込められるのが理由ではないかと言われている。
「原料は?」
「ルーフスの花びらです」
「では作り方」
「はい。まずはルーフスの花びらを乾燥させたものを煎じて、布でこしたら中火で煮ます。色が黄色く変わったら弱火にして、かき混ぜながら煮詰めて、色がピンクに変わったあと光ったら火から下ろして冷まし完成です」
何故こんな色の変化をするのかは不明らしいので突っ込んではいけない。そして何故植物を煎じた液を煮詰めると発光するのかも考えてはいけない。これはそういうものなのだ。
「注意点は?」
「えっと、花びら以外の物がまざらないようにする事。煎じた時に花びらが真っ白に変わるのをかくにんする事。色が変わったのをかくにんしてから火の強さを変える事。あと…えっと、えーっと……、あ!火から下ろしたら、冷めるまで薬液をまぜたりしない事!」
「そうね。ではこれに魔法付与した場合の効果は?」
「はい。主に火傷に効果のある傷薬になります」
「―うん。良く覚えていたね。注意点はきちんと守らないと効果が薄くなるからね」
よく出来ました―と頭を撫でられた。子ども扱いであっても褒められるのは嬉しいものだ。思わずにへらと笑っていると、またくすくす笑われてしまった。
「さて、今日の勉強はここまで。続きはまた明日にしよう」
「はい。ありがとうございました」
「うん。さてお茶でも入れようか。リッカ、台所の下の戸棚にビスケットが置いてあるから取って来てくれるかい?よく頑張ってるからご褒美だよ」
「お祖母ちゃんのビスケット!?すぐとって来ます!わーい!」
階段に向かって駆け出す私の後ろで盛大に噴出して笑う声が聞こえたが、こればかりは仕方ない。お祖母ちゃんのビスケットは、厚めの生地でさくさくなのにしっとりして本当に美味しいのだ。
うきうきしながら二階の部屋に入り、私でも開けられる高さの戸棚からビスケットの入った籠をそっと持ち上げる。ここで慎重に動かないと目も当てられない結果になると自分に言い聞かせ、駆け上がった階段をゆっくりゆっくり下りて行く。抱えた籠から香る甘い匂いに気を取られない様にしつつ無事到着。
籠を抱えたままお祖母ちゃんに近寄ると、何故か困った顔を作業台上の水晶玉に向けていた。
この水晶玉は通信用で、あらかじめ設定している相手と声の交換が出来る道具だ。祖母は仕事柄、近くの町の薬術師(薬液に魔法付与をする人)を含む、お得意様の一部と通話出来るよう設定している。ちなみに、水晶玉のランクによって設定できる数が決まるらしい。
「ああリッカ、ありがとう。…うーん、どうしようかねぇ」
何かあったのかと首を傾げれば、困った顔のまま頭を撫でられた。
祖母の説明によれば、町の薬術師からの連絡だったそうだが本人が階段を踏み外して足を痛めたらしい。薬液さえあれば自分で魔法付与して手当てが出来たのだが、こんなときに限って打ち身・捻挫用の薬液を切らしてしまっているそうだ。
「在庫はあるし、馬もいるから持って行くのは問題ないんだけど…。ほら、リッカを乗せられる二人乗り用の鞍は今修理に出しているから一人用しかなくてね、リッカが一緒に乗るのは出来ないんだよ。どうしたものかねぇ…」
「えと、わたし留守番くらい出来るよ?」
「うーん…。そうだねぇ、結界は張ってあるから安心は安心なんだけど…。小さな子を一人残すのもねぇ…」
「いやあの、見た目は小さいけど中身はオトナだから!おるすばんくらいは出来るし、それに薬術師のおじさん困ってるんでしょう?」
そう、どんなに舌足らずな見た目5歳児であっても、中身は十代後半(暫定予測)なのだ。
胸を張って主張すれば、やはり友人でもある薬術師が心配だったのだろう。頷いた祖母はテキパキと薬液やお見舞いの品を用意し始めた。
「それじゃあ行って来るけど結界の外には出ないようにね。ビスケットは全部食べてもいいけど夕飯が食べられなくなる程食べない事。それから…出来るだけ早く帰って来るけど、その間に来た客は待たせておけば問題ないからね。じゃ、行って来るよ」
馬を走らせて行った祖母を見送り、その姿が見えなくなると工房の中に戻る。まぁこの工房はお祖母ちゃんのお馴染みさんなお客様しか来ないし、お馴染みさんとはこの一年の間に何度か顔を合わせている。心配する事は何も無いかと、ミルクとビスケットを並べたテーブルの前に座った。
*
うん。暇だ。
祖母の作業の音が聞こえない工房はとても静かだ。ビスケットは籠の半分を非常に美味しく食べ終わり、残りは祖母と食べようと二階の棚に戻してきた。(だって目の前にあると手が出ちゃうからね!)
元々、原料や出来上がった在庫に左右される商品を取り扱うこの工房は、来訪前に連絡がない方が珍しい。勿論例外はあるが、昨日まで連絡が無かったので本日の来客がある可能性は低い。
余りに暇なので、力と体格が及ぶ範囲で工房の掃除を始めてみたが、それも先程終えてしまった。
今度は大量にある薬液用のビンを磨いてみる。これは中々楽しい。結果は見た目と数で目に見えるし、小さめのビンは私の小さく非力な手でも十分に持てる。
きゅっきゅと音を立てながらビンを磨いていると、かしゃんと門が開く音がした。祖母が帰ってくるにはまだ早い。それ以外では「気のせい」か「来客」でしかない。
そっと磨き終えたビンを元の箱の中に戻し、接客用のカウンター前にある(私用の)踏み台に立つと、
程なくして扉が開いた―お客様だ。
「いらっしゃいませ!」
「は?………は!?」
扉をくぐり入って来たのは、黒いローブを身に纏った魔術師―いやこの工房に来るのだから薬術師の可能性の方が高いかもしれない。年は三十手前と言ったところか、割と整った顔立ちと、すらりとした高身長で手足も長い。
そのローブ姿のお兄さんは、声をかけた私を見るなり動きを止めた。次いでぐるりと工房の中を見渡したかと思えば、今度は扉の外に顔を出して周りを見回している。―この間、何故かドアノブからは手を離さないままだ。
そして意識的なのか無意識なのか、頑なに私の方には目線を向けないようにしている。
「あのー」
このまま放置して観察するのも中々楽しそうではあるが、工房への来客は大事にしなければいけない(いわゆる飯の種と言うものだし)ので、外を見たまま固まっている後姿に声をかけてみた。
何かこちらを伺うように恐る恐る振り向く薬術師(推定)のお兄さんは、ちらりと目が合ったかと思うと、振り向いた姿勢のまま目を逸らした。そして口元を覆うように手を当てると、何かぶつぶつと呟いている。と、考えが纏まったのかやっと此方に目を合わせてきた。
「えーと、その、此処はロスティリア…さんの工房で間違いない…ですよね?」
「はい!あいにく師匠はいまふざいです。たぶん一時間くらいでもどると思います。よかったらイスにすわってお待ちになってください」
「留守か…。師匠って事は弟子を取ったのか。あぁよかった…今更隠し子でも出来たのかと…」
今更だが、祖母(師匠)の名はロスティリアと言う。年齢は教えてもらっていない。―まあ「母」ではなく「祖母」である事で察しろと言うことらしい。
髪は美しいラベンダー色のストレートだが、普段は作業の邪魔になる為纏めている。穏やかな雰囲気を表したような澄んだ―髪より濃いラベンダー色の瞳を持った、非常に上品で美しい老―年齢を重ねたご婦人である。
見た目に反し性格は割りと大胆で、女性が横座りで乗ることが多い馬にも普通に跨って乗りこなしたり、素材採取の際にナチュラルに木登りをしたりするので最初はかなり驚いた記憶がある。そして料理が上手い。しかし裁縫は余り得意ではなく、特にぬいぐるみ等の立体物は壊滅的だ。
薬液の製作や薬の調合については、お得意様の言葉を借りると「名人」と言う事だ。確かに祖母が作った物ではない薬液を見たことがあるが、同じ薬液でも色の深みが違った。そしてそれはそのまま効果の違いとなるそうだ。
それから、これは近くの町に行った時にガラス工房のおばさんが言っていた事だ。祖母は数年前に旦那様を亡くされたらしい。その際再婚の引合いが余りにも多くて、うんざりした祖母は自宅工房の周囲に張っていた結界を、許可を出していない者は入れない様にしたらしい。
閑話休題。
「でも…ふーん。そうか弟子ね。また随分と小さな子だなぁ、血縁―ではないか」
来店時に反して今度は観察するように眺められている。イスに座った様子から見て、祖母が帰るまで待つつもりの様だ。
「ところで、ロスティリアは君みたいな小さな子を一人残して出かけたのかい?」
「町のやくじゅつしのおじさんが急な怪我で、たりない薬液をもって行ったんです。師匠はわたしも連れて行こうとしてくれましたが、鞍がこわれてて二人乗りできなかったんです。一人でもるすばんくらいできるし、やくじゅつしのおじさんも困っているので、師匠に行ってもらったんです」
「そうか…成程ね。ではロスティリアは急いで戻って来るんだろうね。その口振りだと、結界があるとは言え一人にした事はなさそうだ。それにしても一人でお留守番か。ふふ…偉いね」
何だか町のお爺さんとかが近所の小さい子を見る様な目を向けられてしまった。いえ内面は十代後半(暫定予測)なんですけどね。
ちょっと居た堪れない気持ちになったので、お茶でも出して誤魔化そうと思う。
工房の隅に小さな台所があるが一人の時に火を使うのは禁じられている。ではどうするのかと言えば、保温保冷魔法がかかったポットに入れてあるお湯を使うのだ。
まぁこの非力な手ではお茶を入れたティーポットなんて危なくて扱えないので、まずポットを、それからカップを二つ、そして祖母特製はちみつ(ハーブとショウガ入り)のビンとスプーンを続けてカウンターへ運ぶ。合わせて三往復…早く大きくなりたいものだ。
改めて踏み台の上に戻りスプーンを手に取ると、ビンのはちみつをカップへ移す作業を始める。これは濃すぎても薄すぎても美味しくないので慎重にスプーン2杯。それからカップにお湯を注ぐ。これも量に注意して、多すぎず少なすぎず均等に。はちみつとお湯がきちんと全て混ざるようにかき混ぜる。
―よし、出来た。
うむ、と頷き満足のため息を吐くと、お客様へそっとカップの片方を差し出した。
「どうぞ。熱いので、きをつけてください」
「―ふっ。あ、ありがとう。頂くよ」
何故だ。
祖母を思い出すような笑いを口元に乗せ、来客はカップを手元に引き寄せた。…そういえば名前を聞いていない。恐らく祖母のお客様だと思うのだが、年の離れた友人かもしれないと今更気付いてしまった。
何故だか未だに微笑ましいといった顔でこちらを見ている来客をちらりと見る。あ、にっこりされた。
「えーと、おにいさんは師匠のおきゃくさまですか?おともだち?」
問い掛けに合わせて、つい首を傾げてしまった。これをすると「子ども扱い」の確立が上がる為しない様にしているのだけど、どうも癖になっているらしい。祖母にもこれをすると頭を撫でられるのだ。
「『おにいさん』か。…うん、中々いいね。いや『お父さん』でもいいかもしれないな、うちは息子ばかりだし。娘…娘か、いい響きだ…。いやしかしもう一人増やすのは妻の負担となるかな。これ以上むさ苦しいのは増やしたくないし…」
来客さんは聞き取れない何かを呟いているのだけど、どうしよう、今になって怪しい人でした、とかだったらイヤ過ぎる。お祖母ちゃん早く帰って来ないかな…。
つい胡乱な者を見る目を向けてしまっていたのか、私の目線に気付いた来客さんはひとつ咳払いをして再びにっこり笑った。
「あぁすまない。自己紹介をしていなかったね。僕はステアツェッリ・ルゥリオンフィルド。魔術薬術師だ」
「!」
魔術薬術師。
国内でも数えるほどしか居ない、魔術師・薬師・薬術師・慰療師等のトップに立つ実力者だ。各職業の従事者がそれぞれに持っている知識や技術、その全てを修め更に上回る実力を持つ者でないと、この資格は国から与えられない。勿論、勝手に名乗ることは許されない。
その肩書きを口に出せると言うことは、(正確な年齢は判らないものの)この若さで資格を賜る事の出来る有能と言う言葉では足りない程の実力者であると言うことだ。
「おや。その驚き様は『魔術薬術師』の意味を知っていると言うことだね。流石ロスティリアが弟子にするだけの事はある」
「あっ!ご、ごめんなさい。えっと、はい、お祖母ちゃ…師匠から教えて貰いました」
「そうか…うん?ロスティリアは君に『お祖母ちゃん』と呼ばせているのかい?そうだ、君の名前はなんていうのかな?歳はいくつ?」
「は、はい。なまえはリッカで5才です。あの…私身寄りがなくて、身元もわからなかったので師匠が引き取ってくれたんです」
「あぁすまない事を聞いてしまったね。リッカ…うん、可愛い名前だね。綺麗な音だ」
「気にしないでください。 名前をほめてもらってうれしいです。ありがとうございます」
私の持つたった一つの記憶を褒めて貰えたのが嬉しくて、思わずにっこりしてしまう。だらしなく笑み崩れていると、わしわしと頭を撫でられた。
「る、ルオンフィルド様は、今日はどういったご用でこられたんですか?」
「ルゥリオンフィルドだね。今日来たのは薬液の購入と、ロスティリアの顔を長く見ていなかったから様子見にね。ああ、僕の事はステアツェッリと呼んでくれるかな」
「すみません!えと、す、すてあちぇ、しゅて、すてあちゅぇ、すてあち。……ごめんなさいちょっと待ってください」
何・故・こ・こ・で、舌足らずが発動されるのか。
と言うかこの方、名前も苗字も言いにくい上に長い…。あんまり呼ぶのに失敗すると失礼だし、ちょっと練習すべき?苗字の方が呼びやすいと思うんだけど、名前でと言われたので口の中で何度か繰り返す。うーん言い難い…あれ、何かすっごい生温い視線を感じるのはどうしてなんだろう。妙な汗が出てきた気がする。
「ああそうか、実子じゃなくても問題ないか。そうすれば妻に負担をかけずに済むな」
……何か不穏な言葉が聞こえた気がす―いやきっと気のせいだ。でも何か怖くて顔が上げられない。
うぅ、お祖母ちゃーん!早く帰ってきてー!!
「ふふ。気にしなくていいよ。どうやら僕の名前は小さな子には発音し難いようだからね。リッカの呼びやすいように…いや、そうだ『お父様』と呼んでみてくれないかな?」
何か目の前のお兄さんが物凄くにっこにっこしているんです。と言うか十代後半(中身暫定予測)の身で、三十前後(推定)の方を父親とは呼べません。何だか混乱して思考まで敬語になってきましたがそんな些細な事はどうでもよいのです。それよりこの状況をどうすればいいのでしょうか。
おばあちゃぁぁん!!精神的に何だかピンチな気がします!!早く!早く帰ってきて下さい切実に!!
内心で絶叫している内に、お兄さんが更に笑みを深めながらゆっくり頭を撫でて来ました。
「さ、ほら言ってごらん。『お父様』だよ」
いや違います。無理です。
「恥ずかしいのかな?僕が言い出した事だから気にしなくていいんだよ?」
いえ違いま…え!?……うえぇえっ!?
「よっ…と、うっわー軽いなぁ。うーんそれに息子たちとは違って柔らかい…そうか筋肉が少ないのかな。あぁやっぱり娘も欲しいな…。妻も娘がいれば着せ替えして遊…楽しめると言っていたし」
お、おばあちゃぁん!アナタのお友達がカウンター越しに手を伸ばして私を持ち上げましたが!?あぁそのまま抱っこされてしまいましたがどうしましょう!?更にほっぺたを指でつつかれてます!その上言い直しても尚おかしな事を呟いていますがどうしましょう!?
思わずぱっかり口を開いてお兄さんの顔を見上げていると、私を片腕で抱きかかえたまま、もう片方の手で頭を撫でてきました。
「ふふ。かわいいね。リッカ、うちの子供になるかい?」
―――お祖母ちゃあぁぁん!!!
「嫌かい?我が家は僕の両親と妻、それから息子が三人いるんだよ。父―あぁリッカから見るとおじいちゃんはちょっと口数が少ないけど優しいひとだよ。それから母、おばあちゃんはとても料理が上手だし、妻は料理もお菓子作りもとても上手なんだよ。それに何より両親と妻も優しいし子ども好きで、女の子を欲しがっているから可愛がってもくれるよ。勿論僕も大事にすると約束しよう。そうそう三人の息子はリッカより年上ばかりだね。まぁちょっと…やんちゃだけど、リッカは女の子だし大切に守ってくれる…様にさせるから大丈夫だよ」
ぎゃーーー!なんか家族紹介し始めてるー!と言うか息子さんが三人って…マジでこの人何歳なんだろう。そして息子の紹介にちょいちょい不安な部分が入るのはなんでなんだろう。って言うかもう本当にお祖母ちゃん早く帰ってきて下さいー!!
ぷるぷると首を横に振って拒否を示すが、相手は笑顔で拒否を見なかったように頭を撫でてくる。どうしてだろう、このままでは連れ去られてしまうのではないかと言う嫌な予測が脳裏を過ぎった。
「あぁ口で説明しても分からないよね。我が家に遊びに来れば家族全員が歓迎するから、リッカも安心できるし我々も楽しい。一石二鳥だね。大丈夫、ロスティリアには手紙を書いて行くから」
「おやおや。久しぶりの声を聞いたかと思えば、顔も見ずに何の手紙を書くつもりだい?」
おおおおばあちゃぁあん!!
待ってました!マジでおかえりなさい!思ったより早く帰って来てくれてありがとう!!大好きです!!!
取りあえず、この状況から助けて下さいー!!
「ただいまリッカ。お留守番ご苦労様だったね。客はコイツだけかい?」
「お祖母ちゃんお帰りなさい!おきゃく様はひとりでした!」
「コイツとは酷いなロスティリア。さり気無くリッカまで持って行かないでくれないか?」
お祖母ちゃんの素敵微笑みにリッカの精神ダメージが回復しました!ありがとうございます!
何かもう安心感とか緊張からの解放とかで思考が乱れているけど気にしない!
さらりと私をお兄さんの腕から奪還するその手際も素敵ー!はっとした顔のお兄さんが私に手を伸ばすけど行きません!これ以上精神的負担は増やしたくありませんもの!ぎゅっとお祖母ちゃんに抱き付けば、しっかりと抱え直してくれた。
でもお祖母ちゃんはいつ工房に入って来たのでしょうか。…ま、いいか。取りあえずは目先の(精神的)安全確保!
「おや、私の可愛い孫を私が愛でて何か悪い事があるのかい?それにお利口にも一人で留守番まで遣って退けたんだ。あぁお茶の用意までしたんだね。流石は私の自慢の孫だ。ありがとうリッカ」
「あぁ一生懸命ポットやカップを用意して、僕の為に、お茶を作ってくれるリッカは大層可愛かったよ」
「そうだろう。お茶の時間は毎回そんな風に用意してくれるんだよ。まあリッカの可愛さはそれだけじゃないけどね。私の手伝いをしようと後ろを付いて回るリッカの可愛い事と言ったら、ちょっとの時間じゃ語りつくせないね」
「くっ……。相変わらずだねロスティリア、変わりなくて何よりだよ…」
何故だか睨み合うように話をする祖母とお兄さん。そして何だか敗色濃厚なお兄さんに、お祖母ちゃんは何故そんなドヤ顔で笑っているんでしょうか。
でも気にしない。折角お祖母ちゃんの腕の中なんだもの。安心感から襲ってくる眠気に抗いきれずウトウトしつつ、お祖母ちゃんの肩口にぐりぐりとおでこを擦り付けた。この小さな身体はまだお昼寝を必要としているのだけど、そう言えば今日はお昼寝してなかったなぁ…。
「おやリッカ、眠たいのかい?そうか、今日はまだお昼寝をしていなかったね。もう出掛ける用事はないから大丈夫だよ。ゆっくりお休み」
「うーん。僕にはそんな可愛い仕草はしてくれなかったなぁ…。まぁ今日会ったばかりだから仕方ないか。……ロスティリア、今度我が家に二人で遊びに来てくれないか?僕の家族にもリッカを会わせてあげたいんだ。元々今日来たのは薬液購入の目的以外にもその話があったからなんだけど、妻達が君に会いたいと言っていてね。ほら、以前料理の話を母や妻としていただろう?」
「そう言えばそうだったね。その後魔術薬術師の資格下賜とかでルゥリオンフィルド家も慌ただしい事になっていたから、お祝い以降はすっかり無沙汰をしてしまったね」
「仕方ないよ。僕の方もやっと最近落着いて来たからね、ここに来れたのも随分と久しぶりだ。……ふふ、それにしてもロスティリアが孫と呼ぶ弟子を持つとはね。変わらず元気そうな事もだけど安心したよ」
やっぱりお祖母ちゃんとお兄さんはお友達だったんだなぁ。あぁ何かもう本格的に眠い。二人の声は聞こえるけど、段々内容が把握出来なくなってきてる。
「もう寝そうだね。ふふ…可愛いな。ロスティリアが帰って来なければ連れて帰っていたよ。妻と母がリッカを見たら狂喜乱舞しそうだなと思ってね」
「おや、リッカは私の孫だからそんな事はさせないよ。まぁその内リッカを連れて遊びに行くからそれで勘弁しておくれ」
「それで我慢するしかないか…。さて、リッカを寝かせたら薬液を見せてもらえるかい?届けては貰っていたけど、ロスティリアの作品はやっぱり全種類を直に目で見たいからね」
「ふふ、高名な『若き魔術薬術師』様にそう言って貰えるとは光栄の至りってとこだね。寝かせてくるからお茶でも飲んで待っていなよ」
「うん、そうするよ。お休みリッカ」
ゆらゆら。お祖母ちゃんが手に持っていたマントに包まれて暖かい。そのまま運ばれているのかゆらゆら揺れるのが気持ちいい。お兄さんお休みなさい。
「ゆっくりお休みリッカ」
おやすみなさいお祖母ちゃん。
*
良い匂いに目を覚ませば夕方まであと少しといった時間だった。
今日は工房の作業はお終いと言う祖母と、夕飯の支度から夕食・お風呂等を済ませればもう夜だ。昼寝をしてもまた夜は眠くなるのだから、我が事ながら燃費が悪い気がする。
祖母一人ではスペースが余りまくるベッドに一緒に入り、眠るまで色んな話をするのが一日の締めくくりだ。今日の話題は勿論、本日唯一の来客であるお兄さん。
あのお兄さん―何度繰り返してもどこかで名前を噛んでしまうし、その度に祖母が笑うので諦めた―はその後薬液を買って帰ったそうだ。昨年29歳の時、前代未聞の二十代にて「魔術薬術師」の資格を賜った稀代の天才は、祖母の古くからの友人でもあり、この家の結界も手掛けた人物でもあるそうだ。
「いずれ遊びに行くと約束したからね、リッカも連れて行くよ。その時はお土産用のお菓子を一緒に作ろうかね」
と言う祖母に、ぶんぶん首を動かして肯定した。何のお菓子が良いか相談しているうちに睡魔が訪れる。
そうか、これからもあのお兄さんに会う機会があるのなら、今度こそ噛まずに名前を言える様に練習しなくちゃ。
そんな事を考えながら、深い眠りに落ちて行った。
以前投稿した「薬師の見習いです。」の関連です。
切り所が分からず、異常に長いまま投稿させて頂きました。未熟者ですが、少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
ステアツェッリさんは、もっと格好良くて、家族愛と才能に溢れた素敵なオジサマになる予定だったのに、何だかとても残念な方になって行っている気がします…。