6:VS『深海を統べる悪魔』 1
数多の触手をうねらせた、巨大な赤黒い魔物―――――『深海を統べる悪魔』は、普段はその通り名の如く、深い海の底で生息している魔物である。しかし、仰々しい通り名ではあるが知性は殆ど無く、マーシェルの推測が正しく、魔物の性故、エリスたちの上質な魔力を求め飛び出してきたのだろう。かなり興奮した動作で触手をうねらせている。
「・・・さて、どうしたものかな?」
船首にて、この状況を冷静に分析するマーシェルは、この先の自分の一手を考えていた。
相手は数十メートル先に本体を置く魔物。対して自分は足場が不安定な船首・・・直にエリスが召喚するであろうカーバンクルの加護を得て、船自体は安定するだろうが、本格的に戦うためには、やはり、魔物本体へと近づかなければ対応はできない。・・・長剣とは言え、その攻撃範囲は魔法に比べれば断然狭く短い。
そもそも、クラーケンを始め、海に棲む魔物の大半は陸に住む魔物よりも回復・再生力が勝る
例えば、クラーケンの触手や本体は非常に柔軟で、鋭利な刃物で、腕に自信のあるものが切れば、簡単に切り落とせてしまう。しかし、切り落とした直後から、触手の再生は始まり、何か有効な手を打たない限りは、綺麗に元通りに復元されてしまう。さらに厄介なのは切り落とした触手の方も、場合によっては本体部分を再生し、非常に厄介な連鎖を生むこともある。
なので、一番の有効手段といえば、触手・本体を手早くできるだけ細かく切り刻んだ後にそれらすべてを一瞬で消し去る炎か雷の魔法をぶち込み、完全にその存在を消滅させてしまうことである。
「・・・魔法は苦手なんだけどなぁ・・・かと言って魔法道具を海産物如きに使うのも、なんだかなぁ・・・・・・」
ザシュッザシュッっと、マーシェルに向かって伸びてくる触手を剣で切り落としつつ、火炎球で消滅させながら、この戦いを勝利させる手段をしっかりと思い描いていく。
・・・因みに、確かに『深海を統べる悪魔』は海産物のタコを超巨大化させたような姿をしているが、間違っても食用ではない・・・・・・・・・・・・・・・多分。
「近づくにしてもやっぱ足場が必要だよなぁ・・・僕、風の精霊とは契約してないから飛べないし・・・・・・」
氷の魔法は苦手なんだよなぁと呟いていると、不意に淡い光が船全体を覆っていくのを感じ、エリスがカーバンクルの召喚に成功したことを知り、マーシェルはほっと安堵の息を吐いた。
「よかった。これで船は大丈夫だね。」
「マーシェル!!」
「!?・・・エリス?なんでこっちに・・・・・・」
ルーチェと一緒にその場で留まっているだろうと思っていたエリスがこちらに駆け寄ってくるのに気づき、マーシェルは驚いた表情を浮かべた。
「マーシェル一人に活躍されると、後で先生に何言われるかわかんないからね。・・・それで・・・私は何をすればいいの?」
できれば自発魔法以外でよろしく!と、マーシェルの隣に立って指示を仰ぐエリスに、マーシェルはふっと軽く吹き出した。
そう、マーシェルが知るエリスは、ただ守られるだけのか弱い姫君ではない。
「うーん・・・できれば今回はエリスには自発魔法を頑張って欲しいんだけどねぇ・・・」
「・・・え!?」
「まぁ、とりあえずは・・・エリス。僕に風の精霊の加護を。それから・・・僕がクラーケンを細かく切るから、召喚魔法でも自発魔法でもいい・・・とにかく一瞬で消滅させられるだけの炎か雷の魔法を打ち込んで欲しいんだ。」
マーシェルの説明にエリスは一瞬考え込んだ後にしっかりと了承の意味で頷くと、エリスは軽く辺りを見回した後、海風が吹く方へと視線を投げた。
「―――――――――――【風の精霊たち】!!お願い、力を貸して!!」
そんなエリスの願いに、海風を吹かす風の精霊たちは彼女の元へとやってきて口々に「どうしたの?」「何を手伝えばいいの?」と不思議に思いながらも、エリスに呼ばれたことが嬉しくてご機嫌そうである。
「えと・・・マーシェルにあなた達の加護と―――――――――」
「僕が海に落ちないように、浮かせて欲しいんだ。」
聞こえてきた精霊たちの会話とエリスの願いに合わせてマーシェルが言うと、精霊たちはふわりとマーシェルの体に纏わりつき、「風の加護を・・・」「風の翼を・・・」と呟きながら優しい風でそれらを与えていく。
マーシェルは若干のくすぐったさを感じながらも、彼の希望通りのものを精霊たちは与えてくれていているのだという実感があった。・・・普段よりもずっと体が軽く感じるからだ。
「・・・凄い・・・っていうか、ここまでしてもらっちゃっていいのかな??」
ホント、海に落ない程度で浮かせてもらえればよかったんだけど・・・とどこか申し訳なさを含んだマーシェルの声に、エリスは微笑んだ。
「マーシェルは精霊からも気に入られてるみたいだから、そこは喜んでもいいところだと思うよ?」
「・・・・・・ありがとう、精霊達。助かるよ。」
恐らく、マーシェルが精霊に好かれているのはエリスの傍でずっと一緒にいたからだろうなと思いながら、その恩恵を最大限に受けた事に感謝し、お礼を述べると、優しい風がそっとマーシェルの頬を撫でた。
「・・・よし。じゃあ、エリス。後は任せたよ。」
たんっと、船首から勢いよく飛び降り、絶妙な風の加護を受けふわりと浮いたマーシェルの言葉に、エリスは大きく頷いた。
「うん!マーシェル、気をつけてね?」
「・・・まぁ、負ける気はしないんだけどね。」
くつりと剣を構えて笑ったマーシェルの表情はいつもの穏やかなものではなく、好戦的な、一剣士としてのそれで、エリスはそんなマーシェルが誇らしく思えた。
エリスやマーシェルが『深海を統べる悪魔』との戦闘に突入するちょっと前の、レオンハルトに当てられた船室では、彼の護衛役であるヴォルフラム(の姿を模したヴェルフレイド)が難しい表情で窓の外を眺めていた。
「・・・何か気になることでも?」
そう声をかけたレオンハルトに、彼は「いや・・・気になるというか・・・すっかり忘れていたというか・・・」と言葉を濁らせながら溜息を吐きつつレオンハルトへと向き直た。
「・・・僕の場合、こういう旅をする時って何時も魔物に魔力を感知されないよう、感知妨害の魔法道具を持ち歩くんだけど・・・レオンたちは当然用意してなかったよね?」
この場にアランフィニーク教諭が居ない(船長に話があるとかでこの場を外している)事をいいことに、普段のヴェルフレイドの口調で問いかけると、レオンハルトはハッとした表情を浮かべつつ「・・・そう・・・ですね・・・持ってないですね。」と頷くと、ヴェルフレイドは思わず頭を抱えた。
「・・・・・・だよね・・・あー失敗した。ちゃんと確認しておくんだった・・・・・・」
「・・・・・・えと・・・・・・やっぱりマズイ・・・ですか?」
がっくりと項垂れるヴェルフレイドを気遣いつつ、レオンハルトが尋ねると、ヴェルフレイドは「マズすぎるよ・・・」と呟きつつも、すっと姿勢を正し、レオンハルトを見遣った。
「僕はともかく、レオンやエリュシフィア、それにルーチェ君は稀に見る上質の魔力を持っている。・・・普段は最低ランクの魔石程度の魔力反応しかない海上に、いきなり上質の魔力が現れたら・・・・・・奪いたくなるのが魔物の性なんだ・・・・・・」
だからこの先、確実に魔物の襲撃に遭う。
そう告げたヴェルフレイドの言葉と同時にドォォンと、大きな音を立てながら船が大きく揺れた。
「!!?」
「っ!・・・やっぱり来たか・・・」
「エリス達っ!!甲板に居ましたよね!??」
助けに行かないと!と、不安定な状態ながらも出口を目指すレオンハルトを、ヴェルフレイドは「まぁ、待つんだ、レオン。」と呼び止めた。
「お前はここでアランフィニーク教諭を待て。・・・ここは『俺』が行く。」
「!!?」
「と、言ってもマーシェルが仕切っているなら俺の出番はなさそうだけど・・・」
まぁ、旅路での護衛はレオンよりも可愛い女の子優先だって公言したからな。と、レオンハルトを押しのけて船室を出て行くヴェルフレイドは「・・・もしアランフィニーク教諭が戻ったら、そう伝えて、お前はそのまま彼の監視を。」と呟くと、そのまま振り返ることなく甲板を目指して駆けていく。
残されたレオンハルトは複雑な表情を浮かべながらも、溜息を一つ吐く事で落ち着かせ、船室に用意されたソファへと戻り腰を下ろした。
「・・・・・・はぁ・・・肝心な時に動けないなんて・・・・・・」
マーシェルが居る・・・それにヴェルフレイド様も直に追いつく・・・・・・エリスだっていざとなれば自分で身を守るだけの力は持っている。心配するまでもなく大丈夫だと、頭ではわかっているけれど・・・・・・心はそれを受け入れない。
「・・・もどかしいな・・・・・・・・」
まるで自分ひとりが取り残されているようだと、レオンハルトは思う。・・・本当は今すぐ、誰よりも早くエリスの元へと駆けつけ、安心させてあげたいのにと、そう思うのにできない状況が彼を苛立たせるものの、彼の助力をきっとエリスは受け入れないことも何故かわかってしまうから、複雑に思うのだ。
「・・・・・・一体、どこで間違えちゃったんだろう・・・・・・」
・・・たらればになってしまうけれど、あの時、エリスが言うようにその関係をしっかりと否定していたならば、今でも自分はエリスの隣にいたのだろうか?と後悔しつつも、それだけは絶対にしたくなかったという意地がレオンハルトにはある。
どちらを選んでも結局は後悔するのは同じだという不毛さに気づきながらも、レオンハルトの想いは今も昔も変わらない。・・・・・・変えられない・・・・・・
「・・・・・・おや?君一人ですか?レオンハルト君?」
「!アラン先生・・・・・」
不意に顔を覗かせたアランフィニーク教諭に苦笑しながら「えぇ。ヴォルフラムさんなら甲板にいるエリスたちの援護に向かいました。」と告げると彼もまた苦笑しながら「そうですか・・・なるべく手出しはして欲しくないんですけどねぇ。」と呟いた。
「え?」
「クエストに向かう道中のアクシデントの対応も、審査の一環だからね。できればヴォルフラム殿には大人しくしていてもらいたかったのですが・・・一足遅かったようですね。」
やれやれと言った表情を浮かべたアランフィニーク教諭は「・・・まぁ、いいでしょう。明確に釘を刺さなかったのは私ですから・・・」と一人納得するとレオンハルトには再度絶対に手出しはしないことを言いつけると、彼はそのまま船室から出て行った。
「・・・・・・・・・。」
レオンハルトは普段のアランフィニーク教諭と現在の彼の様子の差に驚き、声を失った。
(・・・・・・アラン先生って・・・・・・あんなに毒舌だったっけ?・・・こっちが素なのだとしたら学院での彼は・・・・・・・)
・・・演技だったのだろうか?そんな疑問がレオンハルトに過ぎるが、手出し無用のこの状態では何もできない。
ぎゅっと拳を握り締めたレオンハルトは、こっそりと透明化の魔法を自身にかけると、素早くアランフィニーク教諭の後を追った。