11.5:そして、夜が明ける
悠然とその場を立ち去っていくアルトゥールの背をただ呆然と眺めながら、マーシェルは自己嫌悪に陥っていた。
「あー・・・失敗した。やっぱレオンハルト様の誘いは断るべきだったなぁ・・・・・・って言うか、僕が意地でも止めなきゃダメだったんだ・・・」
一瞬にして苛烈な殺気を二人(主にはレオンハルトにだが)に向けたアルトゥールは、マーシェルが知る王城に務める近衛騎士や衛兵よりも過酷な、そう、人を殺めることに躊躇しない部類の人間なのだと瞬時に察した。それでも流石に一国の王子に向けるにはどうかと思うようなものではあるのだが・・・・・
「あらあら、随分とアルトにキツイお灸を据えられたようですわねぇ・・・」
「!!?」
誰も居ないと思っていたその場所に、不釣合なほどゆったりと、楽しげな声が響いてマーシェルはびくりと肩を震わせた。
「あ・・・ヒルデガルド様・・・・・・」
「ご機嫌よう、マーシェルさん。レオンハルト様のご様子は如何?」
「えっと・・・気を失っていらっしゃるのですが、顔色があまりよくなくて・・・・・・」
「でしょうねぇ・・・アルトに本気の殺気を向けられたら誰だって慄きますわよねぇ・・・・・・大大陸の事情と違うのだから、手加減すれば良かったものを・・・・・・」
あの子も解っているはずなのですけれどねぇ・・・と苦笑しながら、ヒルデガルドはレオンハルトの傍に近づき、そっと自身が今まで身につけていた水晶の腕輪を外し、気を失っている彼の右腕に付け直した。
「宝石王国の王族の宿命は夕食の時にもお話いたしましたけれど、それ以外にもわたくしたちにはやらなければならない事がありますのよ。」
「やらなければならない事・・・・・・」
「そう。レオンハルト様にはその事をお伝えしていたのですけれど、ね。端的に言えば、わたくしたちの国は数多の国と常に軍事的な意味で緊張状態が続いていますの。勿論、有事の際、先頭に立って兵を指揮するのは王族の勤め。そして、その兵たちの命を預かるのも・・・わたくしたち王族ですわね。」
国を守り、民の生活を守り、尚且つ、己が宿命と戦い続ける・・・・・・基本的にわたくしたち、自国の民以外には優しくはないのですわ。と、ヒルデガルドは苦笑した。
「わたくしたちの国を脅かす敵国の民なら尚更、ですわね。それに彼らの思惑がどうであっても、わたくしたちに剣の鋒を向けたのであれば、その時点で手加減は無用。完膚無きまでに叩きのめしますの。」
その時の生死については、対応した王族によりますけれど・・・・・・と、困ったように言うヒルデガルドにマーシェルは違和感を覚えた。
「ヒルデガルド様も戦われるのですか?」
「場合によっては。ですが、わたくしは宿している宝石の特性上、穢れを嫌いますので後方支援が主ですけれどねぇ。ですが・・・・・・わたくしとは別の意味で、その宿している宝石の特性上、凄惨な状況を簡単に生み出してしまう方もいらっしゃいますの。」
脳裏に、血液を思わせる鮮やかな緋色を纏う、気高く、そして何よりも強い王太姫の姿を思い浮かべながら、ヒルデガルドはどことなく痛ましそうに語った。そんな彼女の雰囲気から、マーシェルはなるほど、と何かを悟った。
「(・・・・・・意志がどうあれ、自身の能力によっては思わぬ状況を作り出す・・・のかな?)じゃあアルトの場合は・・・」
「あの子の場合はちゃんと自分の意志で物事を制御できるから、状況次第ですわね。ただ、その強すぎる意思は、時として真っ直ぐ過ぎて逆に危ういところではあるのだけれど・・・・・・」
きっとね、あまりにも平和な世界をあの子は知らないから。普通の男の子としての在り方を、わたくしたちもアルトや他の弟妹にも教えてあげられなかったから。自分を磨く事を、強く在る事を真っ先に理解してしまっているから、レオンハルト様のような、これから先に成長していくであろう少年の心情を慮る事ができないのでしょう。そこに悪気があるわけではないのよ。
そっと、眠るレオンハルトの頭を一撫でしたヒルデガルドは、穏やかに微笑むと「もう、大丈夫そうですわね。」と呟いた。その言葉に、マーシェルはレオンハルトの顔を覗き込むと、血色が戻り、表情も幾分、穏やかになっていた。
「とは言え、レオンハルト様も一国を担う王子なのですから、もっと、視野を広げるべきですわねぇ。」
幾ら第二王子で王位継承権も肩書き程度になろうとも、多感な時期であっても、まずやるべきことは他にもあるでしょうに。と呟いた後「・・・そういう風に考えてしまうほどにはわたくしも、普通を知らないということですわね。」と苦笑したヒルデガルドにマーシェルは「でも・・・・・・ヒルデガルド様やアルトは間違っていないと思います。」と彼女の目をしっかりと見据えて言い切った。
「僕は・・・いや、僕たちはアルトやヒルデガルド様がどれほど過酷な世界で生きてきていたかは想像でしか知ることができませんけれど・・・もし、僕がアルトと同じ立場にいたなら・・・・・・多分、同じこと、してます。僕も、エリュシフィア姫の護衛として傍に居ますけど、未だに『人間』相手にこの剣を振るったことはありませんけど・・・大切なものを守るためならば、自分を鍛え、何と対峙しても、折れず、恐れず、向かっていかなければなりませんから・・・」
例えそれでどちらが命を散らす事があっても。それを受け入れるだけの覚悟はちゃんと、しなきゃいけないんだって、アルトの言葉で気づかされましたから。
一生懸命に言葉を紡ぐマーシェルに、ヒルデガルドは彼の中に宿る魂の強い輝きを見出し、眩しそうに目を細めた。
「・・・そう・・・ですか・・・・・・うふふ、では是非、その事をアルトにも伝えてあげてくださいな。きっと喜びますわよ、あの子。」
「はい・・・必ず。」
夜風の冷たさをも緩ます、ふわりとした空気が彼らの周りを包み込んでいた。
なにが、いけなかったのだろう・・・・・・・
ぼくは・・・・・なにをまちがえてしまったのだろう・・・・・・
こわかった。かれがぼくにむけたものはぼくのいきをかんたんにとめてしまえるものだった。
でも、じごうじとくだと、かれはいった。
どうして?
ぼくは・・・・・・ぼくは・・・・・・・・・
いやなよかんがしたんだ。
あのこは・・・・・・きっと、あのじしんにみちあふれたかれにひかれる、と。
それはどこかかくしんして、でも、ひていしたくて・・・・・・・
だって、ぼくがかれよりもさきにあのことであったんだ。
すごしたじかんだって、ずっと、ずーっとながい・・・なのに・・・・・・・・
あのこはぼくを、ぜったいにえらばない。
どうして?
わからない、わからない・・・わからない!!
ぼくの、なにがいけなかったの!?
ぼくは・・・・・・・ぼくは・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・結局、僕は独りぼっち、なんだ・・・・・・」
ふっと、瞼に感じる眩しさにゆっくりと目を開けると、いつの間に戻ったのか、そこは簡素ながらも清潔感がある客室で、あぁ、そうだった、ここは僕に宛てがわれた部屋だと、理解した頃にはそっと、ベッドがら起き上がっていた。
ふと、頬を伝う何かに気づき、指を当てる。・・・怖い夢でも見たのかな?思い出せないけれど・・・・・・でも・・・・・・
「あれ?僕、なんで泣いて・・・・・・・・・」
―――だって、ぼくはいつだってひとりぼっちでしょう?―――
「!!?」
不意に聞こえた幼い声に、僕ははじかれたように辺りを見回すけれど、当然、僕以外がこの部屋にいるわけがない。
「・・・・・・気の、せい?」
―――そうやって、きづかないフリ、するんだ?でも、そのつよがり、いつまでもつの?―――
「強がってなんかっ!!」
―――だぁれも、ぼくをみてくれないのに?ぼくのこと、りかいしてくれないのに?―――
「ちがう・・・違うっ!!」
―――うけいれようとしてくれないのにきづいてるのに、どうしてがんばるの?―――
「僕はっ・・・・・・僕はっ!!」
気のせいだ、相手にしちゃダメだと、解っているのに、どんどん嫌な感じで鼓動がドクドクと響いてくる。それと同時に体の内側から黒い靄がふつふつと湧き上がってくる感じがして、僕はそれを押さえ込むように胸を抑え、必死に否定の言葉を口にする。
―――ねぇ、そんなぼくをみようとしないおろかものたち、けしちゃおうよ。―――
「!!?なに、いって・・・・・・・」
―――ほしいものはさ、ぜぇんぶ、ちからづくでうばばいいじゃん?だって、だれもぼくにはさからえない!―――
だって、ぼくは―――――――――――――――――――――――
「あらあら、困ったちゃんですわねぇ・・・」
「!!?」
誰もいないはずだった室内に、不意に清廉な声が響き渡る。この声は・・・・・・・
「・・・ひるで、がるど・・・さま・・・」
「レオンハルト様、気をしっかりお持ちになって。まだ、貴方は呑まれてませんから。」
いつの間に傍に来ていたのだろうか、ベッドに座っている僕と目線を合わせるように屈みこんだヒルデガルド様の、その澄み切った淡い水色の瞳が、不安に揺れる僕を映し出す。
「たすけて・・・」
「えぇ、その為に参りましたのよ。安心なさって。」
ふわりと微笑んだヒルデガルド様に、あぁ、これでもう、大丈夫なんだと安堵して、僕の意識は再び闇に飲まれた。
「宝石加工に優れた細工の国・レシェンティス王国・・・・・・その国の王家の者に取り付き、この大陸を闇に沈める気でしたの?でも残念。それは私たちが許しはしませんわ。」
昨夜、彼女が渡した水晶の腕輪が、その透明度を失い、墨を混ぜたような不気味な色合いにまで変貌していた。その腕輪に、ヒルデガルドはすっと手を翳し『内側に眠りし闇の欠片よ、気高き水晶の名の元に集まり、鎮まりなさい。』と、呟くと更にその色合いが黒く染め上がっていく。そして、限界まで吸収させたそれをそっと抜き取り、予め呼び出していたフェレットサイズの【清廉なる水晶竜】の口に向かってぽいっと投げ捨てた。当然、それを逃すはずもなく【清廉なる水晶竜】はぱくりと、それを飲み込み、満足そうにもごもごと咀嚼した。
「・・・・・・取り敢えずは間に合ってよかったですわ。」
ほっと、一息吐いたヒルデガルドは、レオンハルトの頬に残る涙の跡をそっと拭った。
彼女はこちらに来た時からレオンハルトの不安定さに気づいていた。それと同時にこうなることも、視えていた。だから、保険をかける意味で腕輪を渡していたのだが、意外にもそれが早く駄目になってしまったなというのが、正直な心境である。
「・・・アルトとの接触が引き金になったようですわね・・・・・・けれど、あちらもこの程度で諦めるほど物分りが良いわけではないでしょうから、気が抜けませんわね。」
完全に【深淵の毒】に呑まれてしまった者ならば、【清廉なる水晶竜】の完全浄化を以てそれ以降の身の安全は保証できる(但し精神に至っては当事者の気力次第ではあるのだが)のだが、未完全な状態でのやりとりはまさに鼬ごっこなのである。
「・・・・・・そうですわね、レオンハルト様にはもっと精神的にお強くなっていただかないと・・・・・・」
何かを訴える水晶竜にヒルデガルドは苦笑した。