10:広がる世界1
ふわりと、頬を撫でるのは程よい暖かさを持った空気。そしてホッとする様な、空腹を刺激するような美味しそうな香りに誘われて、エリスはそっと瞼を開いた。
「・・・・・・ん?」
「・・・あ、エリス起きた?」
「ん・・・・・・マーシェル?あれ・・・私・・・・・・・・・」
魔力暴走引き起こしてたんじゃ・・・?と、寝起きで未だすっきりとしない思考ながらも、でも、何で私ちゃんとした建物の中に居るんだろう?・・・村は確か・・・・・・壊滅状態じゃなかったっけ?と、直前までの記憶を掘り起こしながら、エリスは辺りを見渡した。
どうやらそこは広めの応接室のような部屋だった。中央部にはガラス製と思われるテーブルが有り、それを取り囲むようにふわふわのソファーが配置されていた。丁度その一つにエリスは寝かされていたようである。そしてそんな応接室っぽい部屋の続き部屋として存在していたのが、厨房らしく(美味しそうな匂いがダイレクトで届くはずである。)、エリスは「えっ!?」と思わず驚きの声を上げた。
「な・・・何、此処・・・・・・」
「こらこら、エリス。その言い方はちょっと失礼だよ。・・・確かに斬新な内装ではあるけれど・・・」
因みに、アクティアハート王国の一般住宅にはリビングダイニングキッチンが続き部屋で存在する設計はなく、厨房の隣に併設されるのは食事室や配膳室で、食後に憩う場所は専ら自室もしくは庭やテラスと言った、そことは場所が普通なのである。それは王城や貴族の邸宅でも同じで、そちらの場合、厨房、食事室は別室で、それに慣れているエリスたちにとっては未知なる領域とも言えるのかもしれない。
「ヴェルフレイド様が言うには、この建物はエリスが喚び出した方の所有するものらしいよ・・・どうやってここに持ってきたのかが凄く気になるんだけど・・・・・・」
異世界には建物まで召喚する魔法があるんだろうねぇ・・・と、想像を膨らませるマーシェルに(実際に彼が考えているようなロマン溢れる方法ではないのだが・・・)エリスははっと、自分が召喚した人物を脳裏に浮かべ「アルトさんが・・・」と呟いた。
「・・・・・・ん?お嬢さん、呼んだかい?」
「!!?」
そう、エリスはポツリと、呟いただけなのだが、本来ならばそんな些細な声が届くはずもない厨房側からひょっこりと顔を出したアルトゥールに二人は驚いた表情を浮かべた。そんな彼らの表情を見てアルトゥールは「あー・・・」と何とも言えない微妙な表情を浮かべたが、意を決してエリスの方へと歩み寄り、すっと膝をついた。
「緊急事態とは言えお嬢さんの力を俺が勝手に処置したこと、まず謝らせてくれ。」
「え?あ・・・いえ、そんな・・・・・・アルトさんのおかげで私、助かってるっぽいので・・・謝られる要素が見当たらないというか・・・」
神妙な顔付きで頭を下げるアルトゥールに、とんでもない!と手をバタバタと動かし否定するエリスに、アルトゥールは「いや・・・この方法に問題があるというか・・・何というか・・・」と言葉を濁した。
「・・・どういうことです?」
そんなアルトゥールの様子に、エリスの護衛としての立場があるマーシェルが怪訝そうに彼を見やると、アルトゥールは「さぁて・・・どう説明すべきか・・・」と苦笑した。
「・・・・・・・・そうだなぁ・・・・・・簡潔に言えば、今現在、お嬢さんの荒れ狂う力を絶えず吸収し続けているのは俺の【生命石】の欠片なんだよ。」
「「・・・レーベン・・・シュタイン??」」
「そう。俺の魂と、司る金剛石が一つになったもの・・・なんだけど・・・・・・そうだよなぁ・・・普通の人間の感覚とはちょっと違うからうまく説明できないんだけど・・・要するに、俺の一部がお嬢さんの中に留まって、お嬢さんの力を制御してるって思ってくれれば・・・・・・」
「!!?」
「アールートー?その説明の仕方はどうかと思いますわぁ!」
「っ痛ってぇ!!!」
ある意味間違いではないのだが、その表現の方法は些か下品にも取れてしまうものだったので、途中から様子を伺っていたヒルデガルドの水晶球がアルトゥールに落とされる。ゴッシャアアアンっという打音と破壊音(無残にもアルトゥールの頭を直撃した水晶球は粉々に砕け散ってしまったのだ。)が周囲を凍てつかせた。
「ちょ・・・ヒルダ姉、痛いって。」
「・・・・・・全然痛そうに見えないのは何故かしらねぇ・・・・・・」
「あー・・・瘤になってる・・・・・・氷あったっけ?」
((なんでアレで平気なんだろう・・・・・・))
そんなエリスたちの疑問は尤もなのだが、ヒルデガルドははぁっと溜息を吐くと、粉々になった水晶を元の状態に修復しながらエリスに視線を向け「ごめんなさいねぇ・・・デリカシーのない弟で。」と謝罪した。
「・・・間違ってはいませんのよ。【生命石】はわたくしやアルトにとっては重要な一部分なのです。・・・そうですわね・・・お嬢さんたちの心臓と同等のものとお考え下さいな。生命石を破壊されればわたくしたちの命は失われます。けれど、アルトのように、自分自身の意思で切り出す事も可能なのです。・・・急所とはいえ『石』ですからね。・・・当然その欠片にもアルトの魂が混じっていますの。」
ですから、お嬢さんの、目に見えない内側で、お嬢さんの制御しきれていない力から、お嬢さんを守っているのはアルト自身と言えるのですわ。
「それに・・・俺とお嬢さんの間には召喚によって繋がれた【主従の鎖】があるから、余計に影響度が高いらしい。まぁ、普段はあんまり意識しないようにするけど、有事の際は思いっきり心の中で俺の名を呼んで貰えれば、すぐに駆けつけることができるよ。」
と、言葉を繋げたアルトゥールを見ながら、エリスはそっと胸に手を当てた。規則正しく鼓動を打ちながらも、それとは別の何かを確かに、感じ取ることができた。
「・・・・・・そう・・・なんですか・・・・・・」
「うん。それがある以上、無理して力を抑制しなくても大丈夫ってことだな。・・・多分、俺の所為でお嬢さんの力の使い方が今までとは違うものになると思うけど・・・・・・」
「それは・・・うん。大丈夫。ルゥの封印術より全然、怖くもないし、苦しくもないし・・・・・・でも、自分の魔力を感じないのはちょっと不思議な感覚かも・・・・・・。失くなってるわけじゃないんですよね?」
そう問いかけたエリスのアルトゥールは「勿論。」と即答した。
「・・・・・・そう言えば、さっきあれだけ激しい音がしたのに誰も駆けつけてきませんね?」
ふと、マーシェルが首を傾げると、ヒルデガルドは「そうですわねぇ~・・・」と呟き目を閉じた。
「・・・・・・ヴェルフレイド様とレオンハルト様は図書室にいらっしゃるようですわね。図書室は防音処理を施してますので恐らく気づかれていないのでしょう。ルーチェ嬢は・・・・・・調理に集中しているようですわね。」
若干、青褪めていらっしゃいますけど・・・と、ヒルデガルドが言うと、アルトゥールはハッとした表情を浮かべ「やべっ・・・お嬢さんに任せっぱなしだ。」と、素早く立ち上がり、厨房へと向かっていった。
「そうですわ。エリュシフィア様、マーシェル様、よろしければ図書室に居らっしゃるヴェルフレイド様たちを此方へ呼んできてはくれませんか?」
もうすぐ夕食も出来上がりますし、わたくしたちは手が離せませんので。と、にっこりと微笑んだヒルデガルドの提案に二人は即答するようにこくんと頷いた。
「はい・・・それは勿論・・・・・・」
「・・・あれ?私ヒルダさんに本名、名乗りましたっけ?」
「!!?」
「うふふ。正式な自己紹介はまだですけれど・・・わたくしにはあまり意味がないのですわ。全て【視え】てしまいますので。」
ですから、そう警戒しないでくださいな、マーシェル様。と、目を細めたヒルデガルドに、思わず警戒心を顕にしていたマーシェルはそっと体から力を抜いた。そしてエリスはほぇ~っと、恐らく寝起きの影響がまだ抜けきらないのだろう、何処か緩い空気を纏いながら二人のやり取りを見ていた。
「ヒルダさん。図書室ってどこにあるんです?」
「廊下を右に向かって突き当りますと図書室・・・と、言うよりもうあれは図書棟ですわね。こちらを、扉に翳して頂ければ開きますわ。」
そう言って渡されたのは二枚の、透明な素材でできたカードで、その表面には小粒宝石が鏤められていた。
「これは・・・?」
彼女から渡されたこのカードが恐らく図書室の扉の鍵に当たるのだろうと予想はつくものの、魔力反応はなく、唯の綺麗なカードにしか見えなくてマーシェルは首を傾げると、ヒルデガルドは楽しそうに「わたくしたちの国では『身分証』のようなものですのよ。」と答えた。
「わたくしやアルト・・・それに他の姉弟たちが所有する物件には少なからず機密文書やそれに該当する品が数多くありますので、わたくしたちが認めた者以外は立ち入れないようにするためのものですの。」
「・・・そんな大切なもの、お預かりしても?」
「あら、それはもうお二人の所有物ですわ。それに同じものを既にヴェルフレイド様たちにもお渡ししておりますので、気にせずお使いくださいませ。」
今回だけでなく、貴方達は何度もアルトの屋敷に来ることになるのですから。そう微笑んで、ヒルデガルドは厨房へと姿を消した。そんなヒルデガルドの予言めいた言葉に、残されたエリスとマーシェルは顔を見合わせた後首を傾げた。
「・・・どういう・・・ことだろう?」
「さぁ?・・・まぁ、とりあえず、フレイ兄様達呼んでこようか。」
そしたらきっと美味しいご飯が食べられる!と、疑問よりも食欲の方が優っているエリスにマーシェルは苦笑した。
アルトゥールの屋敷の右棟は、彼の一つ上の姉であるリーゼロッテの領域である。
基本はエーデルシュタイン王城にある図書塔(歴代の本好き王族が築き上げた、本好きの為の塔で、ありとあらゆる書物・機密文書等が保管されている)で読書している姫君なのだが、有事の際には武力で応戦する姉弟を支えるべく頭脳を用いて戦うのが彼女の役目である。そして大抵の場合はアルトゥールと組まされるので、その副産物として、彼の所有する屋敷に立派な図書棟が出来上がってしまったわけなのだが、その貯蔵量は想像以上のものがあり、ヴェルフレイドは素直に感心した。
扉を開けてすぐの場所に本を読むためのスペースと上階に上がるための階段があり、後は建物の三階部分までずらりと本棚が立ち並んでいる。ここを熟知しているかの姫君ならば、どの棚にどの専門分野の書物があるのか、意識しなくともするりと取り出すことも可能なのだが、それ以外の者にはそんな芸当出来るはずもないので、案内板のようなものが本棚の側面に取り付けられていた。
「・・・・・・凄いですね・・・・・・」
「あぁ・・・中々興味深いんだけど・・・如何せん、文字が読めないのではなぁ・・・」
探索しつつ、ヴェルフレイドが気まぐれに本棚から抜き出したのは【イェンス=ペーター・ラパツィンスキ】著書の【美しい筋肉のつくり方】と言う暑苦しさ全開の一冊なのだが(此処にリーゼロッテ姫が居たならこう言うだろう『昔の脳筋戦闘馬鹿が需要もないのに書き上げた執念の一冊よ。しかも無駄に解説図が上手いから医学書と間違われやすいのよねぇ・・・』と。)、エーデルシュタイン王国を含む大大陸ではアクティアハート王国を含む大陸で使われている文字は【古代文字】となってしまっているため現在では使われていない・・・と言うよりは失われた言語なのである。当然、それに代わる新言語が急速に広まっていったのだが、当然、外界からの接触を絶って今に至るこの地の人間が、それを読み取ることができるはずもなく、ぱらぱらとただ無意味に頁を走らせるヴェルフレイドは「・・・医学書か何かなのかなぁ?」と解説図のみで判断するしかなかった(しかもそれは間違いである。)。
「でも、ヒルデガルド様もアルトゥール様も、僕たちとちゃんと会話出来てますよね?」
「・・・・・・それは・・・確かにそうなんだが・・・彼らの場合はもうそういう風にできているのだと、割り切っているけどね、僕は。寧ろできないことなんて何もないんじゃないかな?」
僕らと同じ王族でありながら、一通りの事は自分でできると言い切ったヒルデガルド達は、その言葉通り、厨房で夕食作りに勤しんでいる。何か手伝いたくても、調理に関することなど全て人任せで育った彼らには何をどう手伝えば良いのか分からず、逆に気を使ったアルトゥールが「どうせなら本でも読んで待っててくださいよ。」と、送り出してくれたのに、その本が読めないのでは本末転倒な気がしてしまう。
「・・・・・・僕らは一体何を知った気でいたんだろうねぇ・・・・・・」
自嘲したヴェルフレイドの脳裏には聖教プリヴェーラ聖典の一節が浮かんでいた。
「・・・【世界】は、【創造の女神】によって齎された【魔力】に満ちている。【魔力】は【世界】と、そこに住まう全ての生きとし生けるものにも宿り、そしてお互いを繋ぐ。・・・・・・【世界】よ。多くと繋がり絆を深め、永久の安息を―――――確かに此処は魔力に満ちている。だから魔法が使えるし、発展させてきた。けれど・・・・・・それは守護竜の結界の中での話だと言う。・・・実際に世界は・・・・・・・僕らの知る世界はあまりにも狭い・・・・・・・・」
それだけ守護竜がこの大陸を必死で守ってきた事の証であるのだろう。けれど、ヴェルフレイドは納得できなかった。人知れず【深淵の毒】と言う世界に淀む負の感情の成れの果てと戦い続ける国が結界外にあるのに、そんなことも知らず平和を享受し続けていた。守護竜は知っていたはずなのだ。けれど、助けることもせずに現在まで―――――――――――――――
「・・・・・・・・・ヴェルフレイド様・・・・・・・・・」
「・・・・・・あまり不信感を募らせるものではないわ。感情の揺れ幅が強いと【深淵の毒】を引き寄せてしまいますよ?」
「「!!??」」
重い雰囲気をぶち壊すように三階部分から顔を覗かせたのは濃い藍色の長い髪を緩く三つ編みで纏めている女性で、いつからそこで彼らを見ていたのだろうか、気配は感じなかったのにと、慌てるヴェルフレイド達を一瞥すると「まぁ、ここはまだ大丈夫でしょうけどね・・・」と、ゆっくりと階段を下りて彼らの前にやってきた。
「貴女は?」
「私はこの図書棟の住人・・・リーゼロッテ・ザフィーア・フォン・エーデルシュタインと申します。・・・古代語という事は此処は【封じられた大陸】なのですね。アルトも厄介な所に飛ばされたわねぇ。」
でも、予想通り、アルトの屋敷に潜んでいて正解だったわ。と、くすくすと悪戯が成功して嬉しいというように笑うリーゼロッテに二人ははっと現実へと意識を戻した。
「エーデルシュタイン・・・では・・・ヒルデガルド嬢とアルトゥール殿の?」
「えぇ、ヒルダ姉さまの妹でありアルトの姉ですわ。」
「潜んでたって・・・・・・大丈夫だったんですか?」
この建物が突如荒野に現れた経緯を知っているレオンハルトが若干青褪めながら問いかけると、リーゼロッテは首を傾げ「大丈夫だからここに居るのだけれど・・・」と呟いた後「あぁ・・・」とぽんと手を叩いた。
「アルトの収納術の影響のことを言っているのかしら?だったら、何も問題はないわね。異空間に在っても特に影響を受けるような貧弱な肉体ではないから。」
「ここに貴女が居ることを彼らは?」
「ヒルダ姉さまは気づいていらっしゃるでしょうね。」
あっさりと言い切ったリーゼロッテは「まぁ、アルトは鈍感だから仕方ないわね。」と苦笑した後にヴェルフレイドへと視線を投げた。
「・・・狭い世界しか知らないのであれば今から知っていけば良いのでは?幸い此処にはそう言った類の書物は十二分に揃っています。それに文字が読めないのならば、読めるようになるよう努力すれば良いのです。」
そう言って、ヴェルフレイドの手にしていた本を抜き取り、代わりに別の本を渡したリーゼロッテは「・・・それは私たちの国の国語教材(幼児用)です。まずはそこから始めてみては?」と、微笑んだ。そんな彼女の言葉に、ヴェルフレイドは新たに手にした本の頁を、先程と同じように捲っていった。
「!!?」
「古代語は私たちの大陸では大昔に廃れましたが、私たちの国では第二の言語でもあるんですよ。」
それは主に古代語の練習に用いていたものですから、一応読めるでしょう?と、リーゼロッテが言った通り、読めなかった文字の下には拙い筆跡ではあるものの、見慣れた文字が大きく踊っていた。
「世界は、広いですよ。途轍もなく・・・ね。」
凡ゆる書物を読み漁っても尚追いつかないというリーゼロッテのその強い意志を秘めた瞳は新たな知識に飢え、求めていた。
「ですから、こちらの歴史書なんかがあれば是非拝見させていただいきたいものですわ。」
勿論、読ませてくれますよね?という脅しにも近い視線に、ヴェルフレイドは思わず苦笑した。そんなやり取りをしていると、不意に図書棟の扉が開き、顔を覗かせたエリスとマーシェルの言葉に、三人は図書棟を後にするのだった。
次回はキャラ紹介を含めた説明回(食事回)になる予定です。