会想
今作は新潮新人賞に応募し、見事に落選した作品でございます。こんなじゃ落ちて当たり前だろう的な御意見でも結構ですので、感想等宜しくお願いします。
会想
八月ももう終わりだというのに、夜になってもその蒸し暑さは続き、滝沢馨を苛つかせていた。
否、滝沢が苛ついてるのは暑さだけのせいではない。
取引先の接待で、上司の倉沢ともう三時間以上も顔を付き合わせているせいもあった。
こんな蒸し暑い日は、たまらなく生ビールが美味い。
しかし、取引先の接待である以上、こちら側がぐいぐいと酒を飲む訳にもいかない。
相手を心地よく酔わせてこその接待である。飲みたくても飲めないもどかしさ。
そして倉沢のいやらしいまでの御世辞。そう言う諸々の状況が苛立たしさに拍車をかけているのである。
滝沢が愛想笑いを浮かべ、倉沢のたわいもない話に相槌を打つ。
チラリと店の壁に掛けられているデジタル時計に視線を移した。
九時二十分。
もうーいいんじゃあねーの──
滝沢が心の中で呟いた時だった。
「滝沢! 次行くぞ」
滝沢の胸の内にあったダムが、倉沢の言葉と共に決壊し、そこから大量に溜息が溢れ出た。
俺は絶対に神様なんか信じね――
「さあ、山本社長。次参りましょう」
「あん、悪いがこれ以上遅くなったら内のがやばいんだ」
おっ、これはもしかして――
「そんな事おっしゃらずに、次の店にまたこれ、飛び切りなのがいるんですよ」
余計な事を言うな、こら!
って、山本。お前もニヤつくな!
「しょうがない、後三十分だけだぞ」
悪魔だったら俺は信じる!
「さすが、山本社長。さあ、参りましょう」
そして、その後の三十分は地獄の一時間に変貌したのであった。
「お疲れ様でした」
倉沢と山本をタクシーに乗せた滝沢は、そう言って開いているドアを閉めた。
「まったく、何を考えてんだ。あいつは!」
走り去るタクシーに背を向けて滝沢が罵声を浴びせる。
「もう、十時半だぞ。こら!」
失業中か? 神様は――
滝沢がとぼとぼと歩道を歩き出す。
十分程歩くと三咲小路と呼ばれる商店街が見えてきた。
地域活性化の為に札幌の狸小路と呼ばれる商店街を真似してアーケードを付けた通りである。アーケード内には、五メートル間隔で外灯が取り付けられている為、その通りだけ夜でも活気付いている空間であった。
滝沢のアパートはその三咲小路より二本道路を挟んだ七、八分の所にある。
三咲小路の真ん中にある小道を通ると二、三分は短縮出来る為、滝沢はアーケード内へと足を向けた。
アーケード内には、その明るさに引きつけられる虫の如く様々な人が路上で店を構えていた。
簡単にゴザを引いてその上にアクセリーを並べて売る者。似顔絵描き。占い屋。そして、ストリートミュージシャンと呼ばれる若者がそれぞれギターを片手に歌を唄っている。
「しかし、相変わらず暇な連中が多いな」
滝沢は左側でギターを抱えて唄っている、まだ幼さが抜けきれない青年を見ながら呟いた。青年の歌を耳に流しながら
これは、駄目だな――
などとボンヤリと考える。
その時、三メートル程先の女性の似顔絵描きが滝沢の目に止まった。
その髪の長い女の元へ吸い寄せられるように滝沢が歩いて行く。
「へえー、上手いもんだな」
小さなビニールシートの上に数枚の芸能人の似顔絵が飾られている。
滝沢がチラリとその女の顔を伺った。
栗色のくせのない髪が腰の辺りまで伸びていた。ほっそりとした面立ちの中で大きな瞳が印象的だった。どことなく少女のあどけなさを残しながら、整った顔立ちをしている。
やっぱり神様はいるじゃん――
そんな事を思いながら、滝沢はその女の顔に見取れていた。
「どうですか、お客さん。一枚?」
「あっ、いいよ。俺は」
「もう、店終いなんで安くしときますよ」
「もう、終わりなんだ?」
「はい。帰ってゼミの宿題もしなくちゃならないし」
「学生さんなんだ」
「予備校生です。ほら、この先にHK予備校ってあるじゃないですか。そこに通ってるんです」
「そうか、予備校通いながらこんな事してるんだ。大変だね。よし、頑張る苦学生のために一枚描いてもらうか」
「ありがとうございます。すぐに、終わりますから」
その女性はそう言うと色紙に鉛筆を走らせ始めた。
「そしたら、昼間は予備校に行って、夜はここでバイトかい?」
「いいえ、似顔絵描きなんて、大した収入にはなりませんから単なる技術を磨くためのものです。昼間バイトして、夕方六時から予備校です」
女性は滝沢の質問に答えながら真剣な表情で鉛筆を走らせている。
「じゃあ、予備校が終わってすぐにこれを始めるんだ?」
「ええ、予備校の最終が八時半までなのでそれからすぐにこれです」
「ふーん。で、今ぐらいまでずっと描く訳だ」
「はい」
「で、君はどこの大学狙ってんの?」
「G芸大です」
「えっ、G芸大ったら超難関じゃん」
「はい」
「はいって、それだったらこんな事している場合じゃないだろう。少しでも多く勉強した方がいいんじゃないのか」
「受験勉強ばかりが、勉強じゃありませんから。はい、出来ました」
その女性は見とれてしまう程の魅力的な微笑みを浮かべ、色紙を滝沢に渡した。
「これって、俺か?」
「お気に召しませんか?」
「格好良すぎじゃあねえか、これ」
「いいえ、充分お客さん。格好いいと思いますけど」
いきなりその女性は頬を赤らめた。
「えっ?」
と滝沢が、その女性を見つめた。
「あっ、いくらだっけ?」
「五百円です」
「ずいぶん安いな」
滝沢は背広の内ポケットから財布を取り出すと、千円札を一枚彼女へと手渡した。
「細かいのないから、釣りはいいよ」
「えっ? あっ、でも……」
「いいから、頑張れよ」
滝沢はそれだけ言ってその場を去って行った。