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師匠は弟子のヤンデレキャンセルで今日も忙しい!

作者: 乃間いち葉
掲載日:2026/02/12

 二度目の転生をしたら前世の弟子がニケを攫いにきた。


 ろくでなしの父親に向けて金貨百枚を叩きつけて、「いらないのなら僕が貰い受けます!」とキラッキラの笑顔で言う。たしか、前世でニケが弟子を奴隸商から買った値段と同じだ。


 なるほど、ろくでなしの師匠への復讐か、と。ニケはそう思い素直に誘拐された。同じくろくでなしの姉が「剣聖になんであんたが貰われるのよ!!」と憤っていたが、代われるものなら代わってほしい。


 そして連れてこれられた先は独房──などではなく、なぜか大農園である。馬も牛も羊も鶏もいる、果樹園もある、広大な畑もある、非常に牧歌的な風景だ。ニケが弟子をぽかんと見上げると、弟子は破顔した。


「師匠を育むためのすべてを僕の手で作りたいと思いまして! 今では立派な農園主です!」

「怖いわ!!」とニケが元剣聖の気合で光の剣を作り上げ、かつての弟子を峰打ちしたのは仕方がないことだろう。



 ◇ ◇ ◇



 弟子を取った。

 奴隸商から買った、痩せぎすのエルフだ。ニケはそのときすでにソードマスターとして名を馳せており、希少なエルフを買うにも余裕があった。


 反抗的な目でニケを見つめる少年は、飢えた狼のようだった。帰る場所もない長命種。頑強な肉体と優れた魔力。そのすべてがニケにとって都合が良かったのだ。

 ──まあ、後のその全てがニケの都合の悪いことになるのだが。


「お前を私の弟子にするつもりだ」

「弟子?」


 諦めた目をして馬車の中で揺られる少年──ロシェに告げると、訝しそうな顔をする。


「知らないか? これでも有名なソードマスターなのだが……」

「ソードマスター? あなたが?」


 ロシェはニケを鼻で笑ったので、ニケは精神を研ぎ澄まして、オーラで剣を錬成した。馬車の中ということもあり、小刀サイズに収める。

 刀身が黄金でできたような眩い剣を恭しく掲げて見せた。


「光の剣聖とは私のことだよ。まあ、それさえも知らなかったら私の知名度が足りてないということだ」


 きらきらと青い目を輝かせたロシェの顔を見つめて、ニケは思う。罪のない子供に酷な運命を押し付けることになるだろう。


 ──そしてニケはその運命がとんでもない方向に捻じ曲げられるのをこのときは知らなかったのだ。




 ◇ ◇ ◇




 ロシェは半年はニケにツンケンとした態度を取っていたが、一年になる頃には小うるさい小姑のようになっていた。肉を食えだの栄養バランスを考えろだの、もはや母親のような指図をする。


 そのたびにニケはロシェの口に肉を放り込んだ。

「よく食え、チビ助」と笑えば、素直に咀嚼しながらもムッと顔を歪める。そしてニケの躾通りに嚥下してから、「僕はあなたより年上なんですよ!」と怒った。


「75歳と言えど、こちらからすれば12歳の子供にしか見えないが」

「エルフの成人は100歳ですから。これから一気に背が伸びるんです」

「なら肉を食うのはお前だな」


 ニケがぐしゃぐしゃと目の前の銀髪をかき混ぜると、「食事中にやめてください!!」と怒られた。


 そうやって、ニケとロシェは生きてきた。ニケはソードマスターとして覚醒してからは肉体年齢が止まっていたから、ロシェと過ごしていくうちに彼の成長に驚くことばかりだった。

 剣士として、才能が無いと思っていたわけではない。なぜなら、ニケは知っていたからだ。

『前世』で。


 魔剣士のロシェ。彼はとある漫画でラスボスである魔鬼を倒すために、主人公の仲間になる人物だ。


 その漫画では『光の剣聖の没後』にストーリーが始まる。


 ──つまり、ニケはいわゆるナレ死をする存在なのである。


 そして剣聖であるニケに憧れていたロシェも旅の途中で死ぬ。作中でめっちゃ人が死ぬタイプの漫画なのである。


 だからこそ、ニケはすべての運命を捻じ曲げようとロシェを引き取って、魔剣士ではなくソードマスターへと仕立てあげようとした。


「ロシェ、しばらく留守にするから」

「僕も行きます!!」

「駄目だ、お前は留守番だ」

「どうしてですか!? 僕にはニケの食生活を管理する義務があります!」

「そんな義務はない」

「あります。同棲生活三十年ですよ、あなたに長生きをしてもらわなければ!!」

「同棲した記憶はないな」

「師匠ももう五十歳ですもんね、肉体は若くても記憶力が……」

「手足を折ってから留守番させても私は構わないが」

「構います師匠。暴力に訴えるのは良くないと教えてくれましたよね?」

「最近、記憶力の衰えが酷くてな」


  ニケは最初、ロシェをソードマスターにして、二人で魔鬼を討伐するつもりだった。ニケ一人で魔鬼に致命傷を与えるられた。それが二人であれば──。


 だが、もうそんなことができるはずはない。


「まあ落ち着け、お前が飲みたがっていたワインを開けてやる」


 ニケはワインのコルクを抜き、二つのワイングラスに注いだ。それをロシェは不機嫌な顔をして見つめている。


「急にどういう風の吹き回しですか?」

「今日は記念日なんだ。なんの日かわかるか?」

「わかりませんよ。貴女は気分屋ですから。誕生日も、初めて会った日も、僕がソードマスターまで到達した日でもない」

「まあ、楽しめ」


 ニケはグラスをロシェへと差し出し、カツンとグラスを軽くぶつけた。それを煽って見せれば、ロシェもおとなしくそれを飲み下す。


 迫り出した喉仏が嚥下で動くのを見届けて、ニケは笑う。


「お前は可愛い弟子だ。それを忘れるなよ!」

「もう酔ったんですか?」

「ああ、いい気分だ! やがて剣聖のロシェとお前は呼ばれるだろう。光の剣聖に育てられた新たな剣聖。それが誇らしいよ」


 ニケは立ち上がり、ソファに座るロシェの頭を撫でくりまわした。すでに背はロシェの方が高くて、座っているときにしか撫でてやれないが。


 ロシェの尖った耳が赤くなるので、ニケは笑った。それからロシェの目蓋が重たげに閉じられるので、ニケはロシェのグラスを取り上げる。


「にけ、ねむいです……」

「度数が高いから酔ったんだろう。ここで寝ていいぞ、おやすみ」


 ニケはすぐに寝入ってしまった弟子の前髪を避けて、額に口づけを落とした。その日が来ても死ぬな、という願いをかけて。

 机の上に手紙を置き、ニケは外へと出る。


 ──その夜、ニケは単独で魔鬼に挑んで負けた。魔鬼の右手を持っていったので、健勝と言えるだろう。


「あれを献杯にするつもりはなかったが……すまないな、ロシェ……」


 息絶え絶えの自嘲が、ニケの最期の言葉となった。


 ──はずだった。




 ◇ ◇ ◇




 そしてなんの因果か二度目の転生、そして二度目の弟子との出会いが訪れてしまった。


 転生したニケを攫った弟子はニコニコしながら、「野菜とお肉たっぷりのシチューですよ!」とほかほかのシチューをニケに差し出した。

 ニケは死んだ目でそれを見下ろした。毒でも入ってるのだろうか、と考える。


「あ、熱いですか? フーフーしてあげますね!」

「いや、毒が入ってるのか考えていた」

「愛情が毒だと言うのなら間違ってませんが……」

「毒が愛情だと言うのならそれもまた一興」


 弟子の盛った毒すら平らげてやるのが元師匠としての矜持だ。

 ニケが木のスプーンでニンジンをすくい上げて咀嚼すると、弟子が嬉しそうに「ニンジンから食べてる! やっぱり師匠なんですね」と言う。注目のポイントが絶妙に気持ち悪い。


「毒が回って舌がもつれる前に聞いておきたいんだが」

「確かに舌がもつれそうなほど愛情はてんこもりですけど……なんですか?」

「なぜ私が転生したことに気づいた?」


 ニケがそう言った途端、ロシェはキョトン! という顔をした。昔から変わっていない表情に胸がくすぐられる。


「酔って私は転生者なんだ!って騒いでたの忘れたんですか?」


「マジか」とニケはスプーンを落としそうになった。確かに酒には強いが、一定量飲むと記憶を飛ばすことがある。


「だから師匠が死んだ時に備えて魂の契りを」

「待て」

「師匠が輪廻転生してもすぐさま感知できます!」

「同意って言葉を知ってるか?」

「弟子に眠り薬を盛って勝手に死地に向かった師匠が言える言葉ですか?」

「む……」


 そう言われると弱い。


「寿命の問題で師匠が先に死ぬことはわかってました。これに気づいたときはとてつもなく悲しくて師匠のベッドに潜り込んだぐらいです……」

「あの日か……」


 ニケはでかい図体の弟子が己のベッドに入り込み、「悪夢を見て眠れないんです……」という子犬の目をして見てきたときのことを思い出した。


「でも師匠の腕の中で思いついたんです! 師匠が一度輪廻転生しているのなら、また可能なのではと! なのでポジティブに考えることにしました。金髪の師匠、黒髪の師匠、銀髪の師匠が見れるかもと……!!」

「人の生死をカラチェンだと思ってるのか?」

「ただ、人間に生まれ変わるかはわかりませんでした……でも僕は師匠が犬でも兎でも小鳥でも探してみせると決意したのです。そう、例えハエでも探してみせると……!!」

「ハエだったらさっさと殺して欲しいところだな……」

「次回以降考慮しますね」

「次回の転生を考慮するな」

「でも実際に二度目の転生してますよね?」

「うん……」


 ぐうの音も出ない。


「師匠が転生するたびに僕は貴方に会いに行きますからね、安心してください」

「つまりそのたびに殺すと?」

「はい、僕は貴方を毎日三食栄養たっぷりな食事をさせて快適な気温の中で毎日8時間睡眠を取らせて100歳で殺さねばなりません!」

「ん?」

「それが僕の義務なのです!」

「んん?」

「ですからこのシチューもたくさん食べてくださいね。冷めてしまいますよ」

「む、そうだな」


 ニケはシチューを掻き込んだ。「ニンジンの次はキノコ……! やっぱり師匠だ!!」と弟子がひどく感銘を受けていたがとりあえず気持ち悪いので放置した。




 ◇ ◇ ◇




「殺さないのか?」

「愛する人に殺されたい系の願望があるんですか、師匠。やぶさかではないですが、あと85年待っていただけると……」

「ツッコミの大渋滞が起こってるから黙れ」


 同居三日目にして、ニケは目の前の野菜たっぷりなミネストローネを見つめながら問いかけた。


 実家とは違いフカフカの大きなベッドで、肌触りのいい寝間着で八時間は眠りについて、朝は鶏の声で目が覚める。

 着替えのワンピースも質のいい生地で出来ていて、さらに体に合わせて仕立てられたような着心地の良さだ。


「てっきり、薄情な師匠に憂さ晴らしをするために連れてきたのかと」


「なんでそうなるんですか!?」とロシェは碧い目をめいっぱい開いて叫んだ。


「いや、己の都合でお前を買って、己の都合でお前を置き去りにして死んだ自負はある」

「なら今世は僕に償ってくれる覚悟があると」


 半眼になったロシェに、ニケはぎこちなく頷いた。


「煮るなり焼くなり好きにしてほしいところだが……お前、だいぶ様子がおかしくないか?」

「逆になんで様子がおかしくないと思ってるんですか、ぐっすり寝た翌日に師匠が家にいなくて、しかも死んでたんですよ!! 何ならあれから百年僕は様子がおかしいです!!」

「え、ごめんな……?」

「謝罪が軽い!! でもこれでこそ師匠ッ!!」


 怒りながら感激している。器用な奴である。


「あ、でも、魔鬼はお前と仲間が十年前に倒したんだよな? 素晴らしいぞ、ロシェ。師匠は誇らしい」

「この寒暖差が癖になる……ッ!」


 様子がおかしくてニケは困惑よりも心配が先に来てしまった。没後百年がいかに弟子を変えてしまったのか実感する。


 そのとき、ドアが蹴破られたのでニケは光の剣を即座に錬成しようとしたが、侵入者の動きの方が早かった。


「君か!? ロシェが師匠の生まれ代わりだととち狂ったことを言って人身売買に手を染めた挙句軟禁されてる哀れな少女とは……!!」 


「大体合ってるな」とニケは同意してしまった。


 誰だこの常識人は、と侵入者を見上げて、ニケはぽかんと口を開けた。主人公だ、この世界の主人公がいる。黒髪に赤い目の真面目な青年──主人公のアルトである。そしてロシェと共にラスボスを倒した仲間でもあった。


「前から奴はおかしかったんだ、いや、初対面のときからだいぶおかしかった……! 『師匠が生まれ変わったときのために世界を綺麗にしとかないと!』と言いながら笑って魔物を斬っていたからな!! だがこんな事態になるならもっと真に受け取るべきだった、すまない……!!」

「大公閣下、頭をお上げください。私は大丈夫です」


 ニケはアルトへと柔らかな声音で話しかけた。アルトは原作が終わったあと、自身の家門を建て直して公国の主になった。そしてロシェは剣聖として功績を讃えられ、大きな領地を貰ったと聞いている。


「君も辛いだろうに俺の心配をしてくれるだなんて……!」


 顔を上げたアルトは涙目だった。童顔のせいか、歳よりも若く見えて可愛げすら感じる。弟子も昔はこんな感じだったな、と懐かしい思いを抱いた。

 そして弟子はどうしてこうなった。……私のせいか。


「退け、お邪魔虫! 僕と師匠の愛の巣に土足で踏み入るなんて、お前が公主でも許せない! あと師匠から半径50ルーテは近づくな汚れる!!」

「目を覚ませ、ロシェ! 彼女は君のお師匠様ではない!」

「バカめ、この方は僕のお師匠様だ! 見ろ、この冷ややかな目を! 猿どもがウキャウキャ騒いでやがる、とでも言いたげな面倒そうな顔!! そう、師匠はこういう目でよく僕を見てた!! ……グスッ」


「なんで泣いてんだよ……」とアルトが引いている。同様にニケも引いていた。弟子の情緒がおかしすぎて怖い。


「フフ、懐かしくて……師匠、その冷ややかな目はコイツには不要ですのでこれ以上見ないでください。いっそ何も見えないように、潰しますよ」


 ゾッとするような底冷えする声でそんなことを言うので、ニケは自分が取り返しのつかないことを弟子にしてしまったのではないかと焦りが募る。


「お前! 罪のない少女になんてことを……!!」

「アルトの目を」

「俺か!?!?」


 アルトが驚愕しているが、ニケも同じツッコミをしそうになった。


「そこは私の目ではないのか?」

「師匠の目を潰したら僕の顔を見てもらえないので……この世の男の目をすべて潰した方がマシです」

「すみません、大公閣下。こいつは師匠である私が責任を持って軟禁しておきます」


 世に出してはいけないエルフに育ててしまった。

 深々と謝罪のために頭を下げると、アルトは慌てだした。真面目で常識人を見るとホッとする。


「いや、君も師匠役を買って出なくてもいいんだぞ……。これは大人の責任だ」

「そこ、なにイチャイチャしてんですか!? 師匠、僕と言うものがありながら!!」

「危ない薬とか接種してないだろうな?」

「見たところ正気でアレです」

「正気でアレか……」


 アルトが肩を落としている。

「アルトは帰れ!!」とロシェは魔法を使ってアルトを強制的に退去させてしまった。

 ニケはジッとロシェを見ながら、「きちんとお城に返しただろうな?」と詰問する。


「……お城よりちょーっと手前に帰しました」

「よし、なら私たちも散歩しにそこまで行くか」


 ニケがそう言うと、ロシェは慌てて魔法陣を起動し直し、発動させた。緑の光が散逸するので、アルトはとんでもないところに移動させられたのだろうと察する。


 後ほど、「魔物の森に転移させるやつがあるかー!!」と城でアルトが叫んでいたらしい。




 ◇ ◇ ◇




「ロシェ、そろそろ私も外に出たいぞ」


 この屋敷に来てすでに一週間だ。広い邸宅だが、使用人はいない。ロシェの魔法で清掃はできるし、昔からマメな男なので管理はきちんとされている。

 ピカピカのキッチンを見ればわかるだろう。


「師匠、外は危険でいっぱいです」

「目の前に一番の危険が存在しているが」


「僕のことですか……!?」とロシェは愕然とした顔でスプーンを手から落とした。皿の上に落ちる音がする。


「安心安全の師匠の弟子ですのに……」

「発言が危険すぎる」

「安心安全ですよ、師匠の産湯から死に水まで優しく見守ります」

「シンプルに怖い」


 本当にシンプルに恐怖しかない。


「というか、お前、私が転生したのにすぐ気づいたのか?」

「気づきました。十月十日待ちました」

「精度が高すぎてキモいな……」

「師匠のハイハイもヨチヨチ歩きも初めてのことをすべて見てました」


「ちなみにどの位置から見てたんだ?」とニケは好奇心が先走り聞いてしまった。一応元剣聖だ、この体になっても気配には聡いままだ。


「屋根の上からです」

「時折不審者情報が出ていたがまさか……」

「師匠に気取られないほどの隠密ですよ、一般人にはわかりません」

「なら別人か……嫌な世の中だ」

「でも多分半分くらいは僕のことです」

「何をしたんだ? いや待て、知りたくない何も言うな」


 ニケは頭を抱えたくなった。だが、それよりも外出の話である。


「外に出せ」

「ダメです」

「なんでだ?」

「あなたが逃げて僕のいないところで死んだりしたら、確実に僕は発狂するからです」


 一瞬、ニケは言葉を失った。

 ニケの先走った行動が死を招き、それがロシェのトラウマになってしまった。唯一の家族を、寝ている間に失ったのだ。


「ロシェ……すまない」

「いいんです。師匠は僕の言うことなんて聞かないので。でも、外出はダメです。本当はこんなことはしたくありませんが……仕方ない」


 ロシェが指を鳴らすと、ニケの足首に何かが絡み付いた。足元を見れば、魔法で出来た足枷が右足に嵌められている。そして足枷につながる鎖は長く、足元に余っている。鎖の先は部屋の真ん中の支柱へと繋がっていた。


「ロシェ……!」

「師匠が悪いんですよ。すべて師匠があの日眠り薬を僕に盛ったから。あなたとなら一緒に死地に赴くことも辞さなかったと言うのに……」

「それは、すまない……」


 顔を覆って蹲った弟子に近づくために、ニケは椅子を降りて弟子の座る椅子へと向かった。鎖は質量を感じず、歩く妨げにはならない。


 それから、ロシェの頭を撫でた。長く伸びた白銀の髪を、ニケはいつも羨望の眼差しで見ていた。それをロシェは照れ臭そうにしながら、「師匠に撫でてもらえるなら手入れをきちんとしないと」と言っていたのを思い出す。


 よしよし、と会えなかった百年分の優しさを込めて弟子の頭を撫でる。たしかに、この子は昔から繊細で面倒な子だった。それをこんなふうにしたのはニケの軽率な行いのせいだ。


 しばらく頭を撫でてから、ニケは気づいた。

 鎖がだいぶ長い。ロシェから離れて、洗面所へと向かってもまだ鎖が余る。トイレに行ってもそうだ。なんなら奥の寝室へも行けるし、試しに家の玄関を開けたら三歩は出れた。


 ロシェを振り返れば、ロシェの表情が抜け落ちていたので、ニケは静かに家に戻って扉を閉めた。

 内鍵もつけておく。


「ロシェ、お前はたまに抜けてるな……」

「やめてくださいそのおっちょこちょいを見る哀れみの目は……!! でも懐かしい、やっぱりもっと見てください!!」

「監禁するにも鎖が長すぎる」

「だってトイレとかお風呂とか行けないと師匠に嫌われるし……」

「あとなんか脆くないか? 軽すぎるぞ」

「師匠が動くのに重くて支障が出たら嫌われるし……」

「なんか剣で壊せそうだな、えい」


 ニケは剣をオーラで錬成して、光の剣を作って足枷の鎖に向けて刺した。パキンッ! と小気味の良い音がして魔法が散逸して、足枷と鎖が消えるのでニケは思わず弟子の顔を見た。


 目が死んでいた。


「だ、大丈夫だ!! 次は出力を30パーセント強めで作れば丈夫さも出るし、あと長さも20パーセント縮めれば完璧だぞ!!」

「このデリカシーの無さ、やはり師匠……ッ! ううっ、次は頑張ります!!」

「よし来い!!」


 この足枷もさらに一週間経ったときにはなくなった。監禁ブームが去ったらしい。「もういいのか?」とニケが聞くと、「貴女は鎖で留められるほど楽な人じゃないので……」と苦笑された。

 光の剣の耐久度を試したことを根に持っているようだ。




 ◇ ◇ ◇




 ニケの外出が許されるようになった。とはいえ、屋敷の外──農園の部分だけだが、ニケには十分だった。ニケが農園に行くたびに「師匠をしまわなきゃ……!! 足の腱を切ろう……!! でも師匠に痛いことはしたくない!」「がんばれ負けるな己の敵は己のみ……!」「でも僕なしじゃ生きられない師匠も欲しい!!」「目を覚ませ!!」とビンタをして、隣に弟子を伴っていた。


 農園の人間はみんなロシェを尊敬し、感謝しているようだった。そんな弟子を見るのがニケは嬉しかったのだ。



「師匠、十六歳の誕生日おめでとうございます!」

「あ、そうか、ありがとう」


 今世の誕生日をすっかり忘れていたが、なぜかロシェは知っていたらしい。夕飯が豪勢だなあ、と思っていたら、ケーキまで出てきてやっと合点がいった。


 ロシェの作る料理はいつも美味しい。さらに手の込んだものとなれば絶品だ。ニケはそれに舌鼓を打ちながら、気になっていたことを聞いてみる。


「なんで十五歳で迎えに来たんだ?」


 ロシェの口ぶりだとすぐに会いたがっていたように思えたからだ。ロシェは静かにフォークとナイフを置いて笑う。


「本当は十六歳で迎えに行きたかったんですが、貴女の父親が貴女を売ろうとしたので」

「なんで十六?」

「師匠に前世の記憶があるかわからなかったからです。記憶がなかった場合、十六で引き取って二年でこの顔面でゴリ押しして結婚まで持っていこうかと。あまりに早いと親代わりとして見られて意識されない可能性がありますからね」

「緻密なライフプランだが当人からするとキッショイな……」

「ですが師匠が記憶がある今、あと二年は結婚できないと言うことです……!! クソ、計画が狂った……!!」

「策士策に溺れる、とはこのことか」

「アルトを脅してこの領地だけ独立して新たな法治国家にしましょう。そして法律を変えて明日にでも結婚を……!!」

「終わってんなその法治国家」


 この公国では女性は十八から結婚が許されるのだ。なのでニケはあと二年は自由である。


 ロシェは物置から持ってきたワインを開けて、グラスをひとつだけ持ってきてそれを注いだ。

 ワインを見ると、あの最期の夜を思い出す。ロシェはニケを見て柔らかく微笑んだ。


「ワインを飲むと、どうしても眠り薬を飲まされたことを思い出します……」


 憂いを帯びたロシェの言葉に、ニケは内心でひどく動揺した。たしかにそうだ。ニケのせいで、弟子は心に大きな傷を負った。


「それは……すまない」

「なので口移しで飲ませてください」


 スッ……とロシェはワイングラスをニケの前にスライドさせてきた。ニケの表情は死んだ。


「そうはならないだろ」


 ニケもスッ……とワイングラスをロシェへと押し返す。


「ここにカップル用の二股ストローがあります」

「くっそ、ドア・イン・ザ・フェイス……!!」


 ロシェの出した二股のストローは、二本のストローの根本にピカピカのピンクのハートがくっついている。


「まあ師匠にはハードルが高いのでこれは後々で。先に飲んでくださいね」

「お前が用意したのに何か盛られてるわけないだろう?」

「そうですけど、怖いんです。お酒を飲んで眠ったあと、貴女がいなかったらと」


 ニケは差し出されたワイングラスを見つめてから、それを手に取りぐいっと煽った。ごくごくとこの体では初めてのワインを飲み干してしまう。


「師匠?」と訝しむロシェを無視して、ワインボトルを手に掴んでさらにグラスへと注ぐ。


「ロシェ、今日は私はしこたま飲んで酔っ払うぞ! 足元もおぼつかないし、吐くかもしれない! 寝ながら吐いたら窒息の可能性もある! だから、つきっきりでお前は私のそばにいて私の世話をするんだ。いいな?」


 そう言うと、弟子はくしゃりと顔を歪ませて、目を潤ませた。ゆらりと視線が揺れて、そっと伏せられつつも、「はい」と小さな声で返事をする。

 なのでニケは、その弟子を見ながら酒を楽しむことにする。ぐにゃんぐにゃんのぐでんぐでんになるまで、今日はお酒を飲むのだから。


 ──今日は一晩中、ロシェの隣にいるのだから。




 ◇ ◇ ◇




 酔い潰れた翌日、ニケはひどい気分で目を覚ました。頭は痛いし胃はムカムカする。どことなく吐き気もあった。キッチンに向かうと、ロシェがスープを作ってるところだった。

 ニケが起きてきたことに気づいて、振り返って笑う。満面の笑みなので二日酔いのニケには眩しすぎる。


「昨日はひどい姿でしたね、師匠!」

「輝かんばかりの笑顔で言うな……」

「寝ながら吐く人って本当にいるんですね!」

「もうやめろ、頼むから……」


 ニケが椅子に座った途端に、玄関の扉が開かれた。油断していたニケは驚き、ロシェは舌打ちをする。


 またアルトだろうか、と振り向けば、予想外の人物とアルトが共に立っていた。


「ニケ……!! 会いたかったわ!」

「姉さん?」


 涙目で姉が駆け寄り、ニケを抱きしめる。家族の抱擁に喜ぶよりも先に嫌悪感が走った。


 姉はニケにも勝るろくでなしだ。働いていたニケのお金を奪い取り、化粧品に費やしたり友達とカフェに出かけたりするのが日常茶飯事だった。


「よかったな、メルナ殿」

「アルト、お前……」


 ロシェの怒気が膨らんで弾ける前に、姉のメルナはニケを突き飛ばした。二日酔いのせいか、よろけて尻餅をついてしまう。


 だがメルナはそれを気にも留めず、ロシェの前で膝をついた。そしてロシェの手へと触れ、握りしめる。


 その光景を見た時、スッとニケの体温が下がった気がした。


「剣聖のロシェ様、妹の身代わりに私をお使いください!」


「は?」とロシェは眉根を寄せた。ニケはその言葉の意味がわからず、姉を見つめる。


「不肖の妹はふてぶてしく愛嬌もございません、ロシェ様の愛した剣聖様の代わりになどなれるはずなどないのです!!」


「メルナ殿、身代わりなど……!」とアルトがメルナを諫めている。だが、ニケには目の前の光景がどうしても許容できなかった。


 ──私の身代わりだと? 怠惰なお前が?


 ──私の金で遊ばせていたのは、特に使い道がなかったからだ。すべてをお前のものにするためではない。


 ──その男は、私の弟子だ。一番愛した存在だ。


 ──死んで欲しくないと思うほど、愛した男なのだ。


「──光臨(こうりん)(やいば)穿(うが)て」


 オーラを研ぎ澄まして、剣を錬成する。六本の剣だ。全盛期の半分しか力を使えないが、それでも十分だ。姉の足元にその一本を宙から落として、「きゃあ!!」と驚く姉を囲うように残りの五本を床に突き刺す。


「その男はまぎれもなく私の弟子だ。そして私は光の剣聖ニケ・アウゼンバークの生まれ変わりである」


 尻餅をついた姉を睥睨する。それから、驚くアルトへと視線を向けた。


「ゆえに弟子は正気だ。百年も師匠を待ち続けた、健気な子なのだ。わかってくれるか、大公閣下殿」

「……勿論です。これ以上の証拠はありません。あの光の剣聖様にお会いできて光栄です。魔鬼の右手を切り落とした功績を忘れはいたしません」


 騎士として最敬礼するアルトに「良いのだ。結局は死んだ。だが、少しでもアレの力を削いでいたのならよかった」とニケは告げる。


「そしてその不届な姉を頼む。昔からロシェに執心だったが、私の代わりにはなれまい」


 姉がカッと頬を染め上げて、怒りに肩を震わせる。アルトが声をかけるよりも早く、ニケを睨みつけて「化け物!!」と(なじ)って出て行った。アルトが「メルナ殿!?」と呼びながら家から出ていく。


 ふらり、と殺意を滾らせて姉を追おうとするロシェを引き止める。


「さすがに身内を殺した人間と結婚はできない。わかるだろう?」


 ロシェはニケの言葉にキョトン、と目を丸くしてから、また頬を赤らめて視線を右往左往させた。それから、ニケの手を取って床に膝をつく。


「結婚してくれるのですか?」

「産湯から死に水まで取ってくれるのなら、永遠を誓うのと違わないだろう?」

「はい、永遠の愛を誓えます」


 掴まれた指先にキスをされて、ニケは驚いた。慌てて手を引っ込める。


「だったらお利口さんにしてろよ! じゃないと二年後に結婚してやらないからな!!」


 顔が真っ赤になっている自覚はあるが、「愛してる」とはまだ言えないのだ。でも、あと何回も生まれ変わるならば、そのうち言えるとニケは思った。

 次に生まれ変わるなら、愛を伝えられる姿がいい。


「はい」とロシェははにかんで笑う。その顔がどうにも幸せそうなので、ニケは唇を尖らせた。


「いいか、お前を放っておけないからだぞ! 隣で見張ってるためだ!! お前はとんでもないことを言うから!」

「そうですね、ニケを閉じ込めたい欲求が押さえられないので」

「足の腱を切るのもダメだ」

「ええ、また貴女と剣の練習をしたい」

「それから足枷も……まあアレはいいか」

「師匠はすでに嵌めていますからね」

「え?」


 ニケはロシェを見上げた。ロシェは微笑んでいる。こちらが胸を締め付けられるほど、柔らかく穏やかな笑みで。


「足枷は僕です。僕を損いたくないという気持ちが、貴女の足枷ですよ」

「それは」

「手紙にも書いてましたよね? 『お前だけは生きろ』と。生きてこの世界を頼む、と。それがどうしても僕には『愛してる』としか読めないし、聞こえないのです」


 どうしてこうと恥ずかしげもなくこんなことを言うのか、ニケにはわからない。それでも、心の底をひっくり返されたように恥ずかしくて、ニケは吠えた。


「もうそれでいい! だから、また私が死んだら迎えに来い! でも次は五歳まで待てよ! 赤子のときに来たら怒るからな!!」


「はい、ニケ」と弟子が微笑む。その笑みの温かさに、どうしようもなく胸が苦しくなって、ロシェに抱きついた。


「ごめんな、ごめんな、ロシェ、私が悪い、私が悪いんだ……!」

「そうです、ニケのせいです。貴女に買われたせいで、貴女がそばにいないとダメな体になってしまいました。僕が正気を失わないよう、生まれ変わるたびにその責任をとってくださいね」

「取るってば!!」


 ひょい、と抱き上げられて、目線が重なる。ロシェの蒼い瞳が、愛に満ちてニケを見る。


「それと、ハエになる前に愛してるの一言は欲しいです」


 そう言われて、ニケはちょっとだけ笑ってしまった。尖った耳元に唇を寄せて、囁いてやる。


「お前だけは死なせたくないぐらいには昔から愛してるよ」と。



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