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辺境診療院の異端医 ver,4  作者: 朝陽 澄
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第1話:火のない凍死体

 朝靄の奥に、城壁の影が浮かび上がる。

 その向こうには、私の知らない世界があった。


 馬車に揺られながら、ぼんやりと考える。

(……露店の焼餅、あれ、冷めないうちに食べきればよかった)


 そんなことを思い出していたのは、現実から目を逸らすためだったのかもしれない。

 なにせ目の前には、武官三人と、金の刺繍をあしらった召使が一人。

 そして、私の手にはしっかりと“招集状”が握られている。


 ――蘇静蓮、王命により診療招集。速やかに帝都へ。


(命令じゃなくて、これはほとんど拉致では……?)

 反論の余地はなかった。

 辺境の診療院で薬草を煎じて暮らしていた、ささやかな生活は、あっけなく終わりを告げた。




 「ここが、後宮――」


 帝都の中心、天陽宮。

 その北の奥まった場所に、女たちだけの楽園――などと呼ばれるにはあまりに広く、沈鬱な空間が広がっていた。


 敷き詰められた白い石畳には、香の煙が漂う。

 季節外れの梅が咲いているのに、空気は妙に重い。


 異様な沈黙。目を伏せる侍女たち。

 誰もが何かを恐れていた。


(これは……病気ではない、けれど……)


 私は、運ばれた先の部屋で“それ”と対面した。


 木でできた屏風の向こう、床几に寝かされた若い女性の亡骸。

 名は霞音かおん

 二十二歳。下妃。


 化粧が薄く、もとは美しい人だったのだろう。だがその唇は青く、指先には紫の変色がある。


 ふと、背筋が寒くなった。

 理由はわからない。だが――


(……変だ)


 冬ではない。

 なのに、彼女の肌はひどく冷たく、硬直が通常よりも早く、強い。

 しかも、頬の一部には擦過傷。胸には薄い皮下出血。


(まさか、と思うけれど)


「これは、呪いです」


 声をかけたのは、金の髪飾りをつけた若い宦官だった。

 名を崔文さいぶんという。

 帝に近しい立場らしく、私に対しても高圧的だった。


「先月も、同じように若い妃が突然亡くなりました。夜も昼も関係なく、香も食も変えておりませぬ。それでも三人。共通しているのは――死の直前、口にしたのが“供物の菓子”だったことです」


 供物。

 つまり、宮内で神前に供えられた後、下妃に分け与えられる菓子のこと。

 甘く、保存がきくものが多いが、口にした後に死ぬとは……。


 だが、私はうなずかない。


「あなた方は“呪い”と呼びますが、私は“現象”を見ます」


 指先で、霞音の頬をなぞる。

 すこし削れば、爪の跡があった。


(苦しんだ、はずだ。なのに、声も出さず、身を起こすこともできずに死んだ……?)


「お腹を見せていただけますか」


 侍女が顔をしかめるのを無視して、衣をまくる。

 細い肋骨の下、脇腹に、わずかに赤い刺し跡。


(……やはり)


 私の中で、かつて辺境で見た“奇妙な死”の記憶が結びついた。

 死後、心臓に明らかな器質損傷がなく、毒も検出されず、それでも死ぬ。

 しかも、瞬間的に。


 その時と、同じだ。




「これは、心因性の――致死性不整脈による心停止です」


 私の言葉に、宦官たちは沈黙する。


 香でも毒でもない。

 命を絶つには、“心臓”を止めればいい。


 だが、そのためには身体のリズムを乱す何かが必要。

 供物の菓子。それはトリガーにすぎなかった。


「問題は、この刺し跡です」


 私は、脇腹の跡を指す。

「ここにあるのは……はりです。医療用の、しかもごく細いもの。これは、ただの呪いではありません。医術を逆用した殺人です」




(ああ、また――面倒なことになった)


 目を閉じて、天を仰ぐ。

 重く、どんよりと曇った空。

 まるで、この後宮の空気そのものだった。


 私はただ、薬草を煎じて静かに暮らしたかった。

 だけど、目の前に“理不尽な死”があるのなら。

 黙って見過ごすのは、もっと嫌だった。


 数日後、私はまた別の妃の死体と向き合うことになる。

 すべての始まりだった。

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