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サクラサク  作者: 雪兎
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7章


第7章日下かえで


 9月の中旬。ゴーストタウンではないが、活気の無い寂しい村に真はやってきた。家よりも農地の方が多く、田や畑には青々と植物が育っていた。

 真はこの村に来るのは2度目なので迷う事なく目的地にやってきて、1軒の家を見つめた。3分程そうしていただろうか、真は顔を歪めて体を反転させた。

 真が睨んでいた家から田畑を2枚隔てた家の敷地に車を乗り入れた。そして玄関脇の呼び鈴を押した。インターホンなどは無く、家の奥の方から『ハーイ』という声が聞こえてきた。

 都会では絶対に出会えない無警戒で引き戸が開けられた。30代後半の女性が出てきて、真を見るや顔を引き攣らせた。

「初めまして、ワタシ、こういう者です」

 すかさず真は件の名刺を差し出した。女性は訝しげな顔をしたまま名刺を受け取り、それに目を落とした。

「雑誌社の方……ですか? 東京からこんな何も無い村に何しにきたんですか?」

「もしかして日下……」

 真は玄関脇の表札に目を向けた。家族全員の名前が木の板に書いてあった。昭和風の男女の名前、もう1組の真もなじみのある音の男女の名前、今風の子供の名前が3つ。真はその中の1つに当たりをつけた。

「かえでさんは、この村のご出身ではない?」

「ええ、私は関東の出身で、主人と大学の時に東京で出会って……。でも、何で分かったんですか?」

 かえでは怪しむような口調でそう言った。こんなのんびりし、誰の顔でも知っていそうな村内であれこれ聞かれたら不審に思うのも仕方がないだろう。

「ああ、言葉が標準語だったからです」

 合点がいったようにかえでは首を縦に動かした。すかさず真は手土産をかえでに差し出した。東京でも名を轟かす有名パティスリーの焼菓子セットだった。

 それを見るなりかえでの目が輝いた。このような片田舎に住んでいたら食べる事に大きな喜びを見出し、情報を仕入れたりお取り寄せしているのかもしれない。とにかくこの手土産でかえでの心の壁が少し薄くなったのを真は感じた。

「えっと、日下さんはこの人をご存知ですか?」

 真は1枚の写真を示した。

「ええもちろん。穂積さんの奥さんのシノさんですよね」

 先程真が睨んでいた家のある方向を指差しながらかえでは言った。その答えを聞いて真は満足そうに微笑んだ。

「実は、シノさんはご主人と駆け落ちしていまして、ご両親がさるやんごとなき家系の方で、今どこにいるのか探して欲しいと頼まれたのです。いえ、連れ戻すようには言われていません。むしろ幸せそうにしているなら結婚を認めてもいいと言っていまして。穂積さんのご家族がどのように生活なさっているのか、特にご主人の霧人さんがシノさんに負担をかけていないかなど調べているのです。どうでしょうか、お話を聞かせて頂けませんか?」

 真の話を耳にするとかえでの顔はムッと不満を露わにした。

「私はそういう事情には詳しくないですけど、穂積さんのご家族は本当にいい人ですよ。ご主人はこちらにツテが無いみたいなので集会にも積極的に参加してくれますし、シノさんだってとっても気立てが良くって、お兄ちゃんに障害があるけどお世話と教育もしっかりしてて、子供さん達もとってもいい子なんですよ。無理矢理帰らせるなんてやめて下さい」

 かえでがまくしたてるように言ってきたので、真は気圧されて1歩後ろに下がってしまった。そして両手の掌を下に向けてかえでに落ち着くように促し、強張った声で話し掛けた。

「あの、その、ワタシが判断する訳でもありませんし、強硬手段にでるつもりもありません。えっと失礼ですが、日下さんとシノさんが友達である事、周りと上手くいっている証拠……、写真とかあったら見せて頂けないでしょうか」

「ええ、もちろん構いませんよ」

 鼻息を荒くして家の奥に入っていき、スマホを手にして戻ってきた。そしてスマホの画面上で素早く動かした。時を刻む毎に、かえでの顔が曇ってきた。

「あれ……、おかしいな……。あっ、そっか」

突如かえでの顔がハッとなり、真直ぐ真を見てきた。

「あの、シノさんはとても恥ずかしがり屋さんで、写真を撮ろうとうると断られるし、絶対に撮ろうとしないんです……」

 シノの支援を出来なくて悲しんでいるのだろうか、かえでの顔は暗く沈んでいった。すると真はかえでを励ますように優しい声で話し掛けた。

「それでは、シノさんのご両親に良い報告が出来るように、詳しく話を聞かせて頂けないでしょうか」

 それを聞くとかえでは鼻から強く息を吐き出した。そして目に意志を漲らせ、相手を説得するような口調で話し始めたのだった。

 ――庭に出て洗濯物を干していたかえでは、のどかな道を走る2トントラックを目にした。そのトラックは隣の、といっても間に田畑を挟んだ先にある、家に入っていった。

 こんな田舎に引越してくるなんて物好きもいるもんだなと思ったかえでは、重い溜息を吐いた。今までにもこの村に都会の生活に疲れたとか、農業を志してとかいう理由で若い人が何人か引越してきた。しかしどの都市にも遠いこの村の不便さに辟易し、全員が去ってしまった。どんな人なのか分からないが、若い人ならまた同じ轍を踏むのだろうと思った。

 かえでは自分の身を憐れんだ。東京に出て青春を謳歌し、恋人が出来て、トントン拍子で結婚が決まった。そこまでは順調であったが、選んだ相手がまずかった。結婚する相手の実家が長崎だったのだ。それも僻地の。

 彼は東京で教員をしていたが、両親が年老いていく事を心配し、長崎で採用試験を受けようと思っているといった。そしてかえでにも長崎に来て欲しいと言った。

 もちろんかえでは悩んだ。彼を愛していいたが、住み慣れた東京や実家から離れる事に不安があった。ただ異郷の地にも住んでみたいという気持ちが天秤を傾けた。

 かえでは彼の実家に入る事にした。

 初めての農業、初めての九州住まい、のどかな田舎生活にかえではとてもはしゃいだ。しかし新鮮なのは最初だけで、元々都会が好きなかえでは後悔するようになった。

 ただそのうちに子供が産まれ、この地にも友達が出来、夫の両親からも頼りにされるようになった。かえでは自分の体に鎖が巻き付き、もうここから出る事が出来なくなっている事に気付いた。

 自由に来て、自由に出ていく、そんな人がまた来たのだろうとかえでが思ってしまうのも無理からぬ事だっただろう。

 トラックを目にしてから1時間くらい経っただろうか、かえでがお茶を飲みながらテレビを見ていると呼び鈴の音がした。かえでは玄関まで走っていって、いきなり引き戸を開けた。

 こんな不用心な事は東京では考えられなかった。ここに来てすぐの頃家中の鍵をかけ、人が来た時に内側から誰何したら舅姑に怒られた。『ご近所さんを泥棒扱いするな!』と。

 果たしてそこには若い男女が立っていた。かえでよりも少し年下に見える。

「初めまして。隣に引越してきました穂積霧人と申します。こっちが妻のシノです」

 シノは恥ずかしいのか、霧人の影に隠れるように立ち、顔を俯かせたまま頭を下げた。『こんにちは』と蚊の鳴くような声を添えて。

「私達はここに全く知り合いがいませんので、妻と仲良くしてやって下さい。これ、お近付きのしるしにどうぞ納めて下さい」

 そう言うと霧人は紙袋を差し出してきた。東京自由が丘『』の焼菓子の詰め合わせだった。かえでも東京にいる頃は何度か通った事があり、味を思い出して口中に唾を溜めた。

「私、日下かえでって言います。数年前まで東京に住んでいたんですよ。穂積さんも東京からですか?」

「ええ、元々は。私は転勤族であちこちを転々としてきたのですが、この場所を気に入って、ここを終の宿にしてもいいかなって思っています。日下さんは何で私達が東京からと?」

 手土産で気が弛んでいて不用意な発言をしてしまったと思い、かえでは顔をハッとさせた。

「す、すいません。お2人の言葉が標準語だったので」

「ああ、そうでしたか。それなら元同郷人という事でよろしくお願いします」

 そう言うと穂積夫妻は帰っていった。結局奥さんのシノは一言しか発しなかった。あまり社交的ではなさそうだったので、かえでは仲良くなれるかどうか不安だった。

 しかし、その考えはかえでの杞憂だった。

 霧人は自治会や神社の集会に嫌な顔1つ見せず参加し、よく働いた。最初警戒心で武装していた住民達も。徐々に霧人を受け入れていった。

 シノは最初姿を現さなかったが、霧人が受け入れられるにつれて集会に顔を出すようになった。若い人が少なくてこき使われたり、肩身が狭かったり、セクハラに耐えてきたかえではシノの参加を歓迎した。

 そして、かえでとシノは自然親交を深めていったのだ。

 家が近いという事もあり、かえでとシノはよく家を行き来した。そしてしばしば、かえでもシノも酒が好きだったという事もあり、昼間から飲む事もあった。またかえでの家の庭でバーベキューをした時などは、シノは強か飲んでいた。しかしそれでもシノは常時とほとんど変わる事がなかった。

 そんなある日、子供達が寝た後にコーヒーを飲んでいると、夫の(たかし)が言い難そうに話し始めた。

「あのさ、穂積さんの旦那さんってさ、左遷されてきたって聞いたんだけど。それでこんな所で、もう会社の利益にならない仕事をしているって聞いたんだけど、お前何か知ってるか?」

 一瞬にして頭に血が上った。もちろん気の良いお隣さんの陰口を言った事もあるが、何より自分でも『こんな所』と思っている場所に自分を東京から連れてきて閉じ込めている事について腹が立ったのだ。

「ハァ? 何言ってんの? あなただってこの前一緒にご飯食べたじゃない。友達をそんな事言う?」

 かえでは自分でも抑えられず、声を荒げて崇に詰め寄った。すると崇は目を丸くし、胸の前で手を振って弁解を始めた。

「いや、俺が言ってんじゃないって。中高の時の友達のケンケンがさ、この前飲んだ時に言ってたんだよ。いや、俺はもちろんそんな事ないって言ったよ」

 崇は明らかに動揺していた。これを見る限り。本当かどうかかなり怪しかった。

 かえでは翌日早速シノの家を訪ねた。そして昨晩崇から聞いた話をやんわりと伝え、自分が守ると鼻息を荒くして宣言した。

 シノはニッコリ笑って『ありがとう』と言っただけだった。ただ状況は急激に変化した。霧人が集会に参加した時、核となる人物と頻繁に話し合いを持つようになったのだった。

 かえでの目には喧々諤々唾を飛ばして議論をしているように見え、どちらともなく手が出しやしないかヒヤヒヤしていた。

 ただ、これはかえでの杞憂に終わった。ある日かえで達が住む村のホームページが出来上がったのだ。そこには村の歴史、名産品、店舗などの情報が羅列されていた。

 そして特筆すべきは農産畜産品の通信販売が始まった事だった。自然に囲まれた村で作られた質の良いものが全国へ発送されていき、村人達は富を得る事が出来るようになった。

 このシステムを構築したのは霧人で、村人達は掌を返したように霧人を持ち上げた。そして口々に『やはりITの仕事をしている人は違う』ともてはやすようになったのだ。それを見て、かえでは顔を歪め、舌を出して村人達を軽蔑した。

 穂積夫妻がやって来てから約2年が経ち、2人の間に子供が産まれた。赤ちゃんという存在は輝いており、かえでもシノのいる産院へ面会に行った。その時、かえでの胸に微かな違和感が生じたが、頭を振って必死にそれを追い払った。

 しかし、かえでの予感は奇しくも当たってしまった。霧人とシノの間に産まれた男の子“康太郎(やすたろう)”には障害があったのだ。

 そんな事考えてはいけないのだが、かえではシノを憐れんでしまった。更に、自己嫌悪を覚える事に、自分の身にそれが起きなかった事に安堵と優越感を持ってしまったのだ。

 しかしすぐにかえでは猛省した。シノは悲しそうな顔を一瞬も見せず、他の子供達より成長の歩みの遅い康太郎を一生懸命世話していたのだ。もちろん夫の霧人もそれに加わり、康太郎が生後半年も経つ頃には以前と同様に村の集会に出てくるようになっていた。

 穂積夫妻のどちらの実家も遠いらしく、誰も手伝いに来なかったのに夫婦で協力して子育てをする2人に嫉妬と劣等感を持つようになった。しかし、かえでは自分の小暗い感情を見つめて乗り越え、シノとの友情を深めていったのだった。

 村の者達も半年間見ていなかったシノの価値に気付いたようだった。シノが再び集会に出てくるようになると、以前以上にシノをもてはやすようになった。

 元々妖艶な雰囲気を持っていたシノだが、子供を産み育てる事で母性も身に付けたようだった。その為、独身者妻帯者構わず魅了していった。崇も鼻の下を伸ばす事があったが、そんな時は所構わずつねって正気を取り戻させてやった。

 村の男達はシノの写真を求めた。シノ単体の写真や自分と一緒に写るもの、集合写真などだ。しかし、シノはどれも即座に一蹴した。それでも男達は食い下がるようにシノに頼み込んでいた。シノはそれでもブレる事はなく、『恥ずかしいから嫌です』とキッパリ言った。そして『写真を求められるなら、もう集会には来ません』と言うと、男達は顔を青くして『もう絶対に言わない』と約束した。

 シノの芯の強さに微笑んだかえでは、シノが出産した直後面会に言った事を思い出した。あの時もかえでは親切心から康太郎と2人で写真を撮ってあげると提案し、自分のスマホのレンズを向けた。するとシノは顔を驚愕と恐怖に変え、布団に潜り込んだのだった。

 小さく震える布団の内側から、シノの『恥ずかしいから絶対やめて』という弱々しい声が聞こえてきた。申し訳なさを感じたかえでは謝り、今後は絶対にやらないと約束した。するとやっとかえでは布団から出てきた。

 これ以来、かえではシノにカメラを向ける事がなかった。シノの1番の友人を自認するかえででさえそうなのだから、下心丸出しの男達が写真を撮らせて貰える訳ないだろうと心の中で毒づいた。

 それから半年程が過ぎ、シノがあれだけ好きだった酒を突然絶った。理由はもちろん妊娠だった。また集会に出てこなくなると男達は悲しんだが、女達は心から慶びの声を届けた。

 しばらくして、シノは元気な女の子“晴奈(はるな)”を産んだ。かえではすぐに産院に駆け付け、今度はホッと胸を撫で下ろした。晴奈は他の子供達と同様に、健康に育っていった。

 かえでは男の子2人を産み育てていて、状況が似ているだけにシノとの仲はより深まっていった。子供同士で遊ばせる事もあったり、お互いの家でランチしたり、夫達も交えての飲み込みのディナーもあった。

 ある日、かえではランチの後にケーキを食べている時、明るい声でシノに話し掛けた。

「シノさん、1つ提案があるんだけどね。秋の連休に一緒にハウステンボスに泊まりにいかない?」

 突如シノの顔色が変わった。

「……、ごめん。私はそういう賑やかな場所はちょっと……」

 かえではしまったと思った。シノは九州一の都市博多はもちろん、隣町にも出掛けるのも見た事がなく、この村からとにかく出たくないのだなと再認識させられたのだ。

「こっちこそごめん……。シノさんの気持考えてなくて」

「いいえ、かえでさんの気遣いは本当にありがたくて。でも、私の気持的に、人が多くいる場所には出たくないっていうか……。もっと時間が経てば大丈夫になると思うから、その時に私とまだ仲良くしてくれていたら、また誘って」

 言い終えるとシノは深々と頭を下げた。かえでは慌ててシノの肩を掴んで顔を上げさせた。『私達、ずっと友達だから』と言って。

 しかし、どれくらいしたらシノが出掛ける気持になるのか分からないが、折角若いのだから今の内に色々な所に出た方がいいのではと思っていた。そして、あまり時間が経ったら、誰か分からなくなるくらい顔が変わってしまうのではないかと無用の心配をした。

 それから3年、かえでとシノが出会って8年経つが、未だ村外への外出は実現していなかった。

 ――自分とも、村の者達とも上手くやっている穂積夫妻の話を出来、かえでは満足そうに鼻から息を吐いた。

「こんな感じですよ。えっと……、多分言い忘れた事はないと思います」

 チラリとかえでは家の中へ目を向けた。真は時計を確認する振りをし、かえではこの話し合いを終わらせたがっているのだろうと考えた。そしてこのまましつこくしたら怪しまれると判断した。

「分かりました。ありがとうございます。穂積さんご夫妻は幸せに生活していると確認出来ました」

 かえでの顔が弛んだ。

「ところで、ワタシがこちらにお邪魔してどのような話をしたかは、お2人には言わないで頂きたいのです。いたずらにお2人に不安を与えるのも良くないですので」

 真は頭を下げた。そして別れの言葉を残して体を反転させた。5歩くらい進んだ辺りで、玄関の引き戸が『ピシッ』と音を立てて閉まった。

 やはり自分は歓迎されていなかったのだと再認識し、真は溜息を吐きながら日下家の敷地を出ていった。

 村には何事も起きていないかのように穏やかな風が吹き、道端の草を揺らしていた。


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