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サクラサク  作者: 雪兎
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2章


第2章穂積星二(ほづみせいじ)潮里(しおり)


 あらゆる手段を使い、真は弟切耕一から聞いた“ホヅミキリト”という人物に何とか辿り着いた。

誰もが1つはSNSのアカウントを持ち、インターネットには個人情報が溢れているのが、ホズミキリトは全くやっていなかった。

真は同僚のSNSからホヅミキリトが長崎の端に住んでいると突き止めたようで、愛用のノートに住所などが書き込まれていた。ただ真も東京から長崎へと長旅するのに抵抗があったのだろう、机の上には別の資料も乗っていた。

薄暗い部屋でスマートホンの液晶画面が光った。メールアプリの画面を開き、真はメールの内容を凝視した。

そしてカレンダーの日付と時計の時刻を確認すると、スーツの上着に袖を通して部屋を後にした。

真は電車を乗り継ぎ、都内の閑静な住宅街のある駅に着いた。そしてすぐに駅前でタクシーを拾い、真は運転手に住所を告げた。するとタクシーの運転手は頷いてアクセルを踏んだ。小さな唸り声を上げ、タクシーは住宅街の方へ向かっていった。

立派な門のある家の前でタクシーは止まった。真はおつりだけは忘れないようにしっかり受け取って車外へ出た。もうすぐ3月になるというのに、この日の空気は身を切るように冷たかった。そして真はジッと大きな家を見つめた。

資本主義社会の勝ち組にいる者の家を見つめ、真は冷笑を浮かべて階段を上がっていった。そしてローマ字で『HOZUMI』と書かれている表札の横のボタンを押した。

『はい』

 少しぼんやりしたような女性の声が聞こえてきた。真はカメラに笑顔を向けて口を開いた。

「こんにちは。お休みの日に申し訳ありません。本日13時にお約束頂いていた者です」

『……。あー、確か雑誌に記事を書いているとかいう?』

 真はその言葉を聞きニヤリと笑った。インターホンのレンズから隠れるように。そしてすぐに『はい』と応じた。

「今すぐに開けますのでちょっと待っていて下さいね」

 通話が切れ女性が言った通り間も無く表門の扉が開かれ、女性の顔が覗いた。そして柔和な顔を綻ばせて『どうぞ』と言った。真は会釈して門をくぐった。

 静かだが幸せな空気が漂うと感じられる廊下を抜けて応接間に通された。そこにはこの家の主人がいて、真を見ると腰を上げて挨拶を口にした。

 真も『こんにちは。今日はお時間を頂戴して申し訳ありません』と言った。そして内心では小柄な人だなと思っていた。

 直後真は顔をハッとさせ、女性に手土産を渡した。今日はわざわざデパートで虎屋の羊羹を買ってきたが、落ち着いた雰囲気のこの家にはピッタリだと考えていた。

「あらあら、ありがとうございます。私も主人もここの羊羹が大好きなんですよ」

 本心なのだろう、女性は眉を曲げた笑顔で部屋を出ていった。

「それじゃ、こちらでお話をしましょう」

 主人に促され、真は革張りのソファに座った。そして真は名刺を差し出した。

 それを見た主人の顔は特別変化しなかった。大手雑誌社の名前でなかったからか、そもそも興味が無かったのかもしれない。

「どうも……。それじゃ、私のも」

 用意していたのであろう、主人は自分の名刺を差し出してきた。真は両手で受け取り、印刷している文字を凝視した。

 主人の名前は穂積星二、これは調べていたので知っていた。しかし真は星二の勤めている会社と役職を見て目を瞠った。

 株式会社M&Wエレクトロニクス、家電で有名な会社なのでもちろん真も知っていた。そして何より随分前にトランスジェンダー問題に切り込み、会社を上げて容認する発表をした事で真も覚えていた。そして星二はその会社の常務取締役だった。

「どうしました?」

 名刺を凝視したまま黙っている真を見て心配したのだろうか、星二が声を掛けてきた。意外に高い声を耳にし、真はハッとして顔を上げた。

「ああ、申し訳ありません。有名な会社にお勤めなんですね。驚いてしまって……」

 失礼な事を言ってしまったと、真は言葉の最後の方で顔を歪めた。しかし星二は気を悪くしなかったらしく、破顔して陽気な声で喋り始めた。

「いや~、大した事ないと言ったら逆に失礼になりますかね。でも、本当に偶然入れたのですよ。運が良かっただけです」

 星二の言葉には嫌味が一片も混じっていなかった。すると部屋のドアが開き、妻がお盆を持って入ってきた。そして膝をついてお茶と羊羹を置くと、『失礼しました』と会話を中断してしまった事を謝ってドアに向かって歩いていった。

「あの、出来れば奥様にもお話を……」

 慌てて真は星二に声を掛けた。すると星二は眉を少し上げ、瞬時に妻の方へ顔を向けた。

「おい、潮里、君にも話を聞きたいそうだ。ここに来て座りなさい」

 妻の潮里は顔を驚かせた。そして星二の目を真直ぐ見つめた。星二が顎を縦に動かすと、潮里も頷いて星二の横に腰を下ろした。

「それで、今日は何の話をすればいいのですか? わざわざ家を指定してきたという事は、会社に関する話ではないんですよね。いや、会社の、私の知らない不正の話でも掴み、その話をしにきたという可能性もありますかね」

 星二の言葉を聞いて真は息を飲んだ。あまりにも察しが良かったからだ。そしてこれは話が早いと考えて頬がムズムズしたが、真は慌てて笑いを噛み殺した。

「いえ、そんな話ではありません。8年程前に女性が北陸で自ら命を絶ちました。当時は女性が鬱病だったからと片付けられてしまったのですが、ワタシはもっと根が深いのではないかと考えたのです。女性はこの国の経済政策で困窮し、将来に希望を持てなくなっていたのではないかと」

 潮里は顔色を青くしたが星二に変化はなかった。いや険しさが増したように見えた。

「なるほど……。それであなたは国の経済をけん引する我々のような大企業がその片棒を担いだのではないかと、糾弾しようとしているのですか?」

 察しがいいというより、思考が走り過ぎる。真は部屋の空気が刺々しくなったのを感じ、額に汗を浮かべ慌てて口を開いた。

「いえ、まさかそんな事は全く考えていません。自殺した女性は弟切密というのですが、穂積さんはご存知ですよね?」

 真の言葉を聞くと星二は額に深い縦皺を作り首を斜めに傾げた。

「いや……」

 星二が小さな声を出すと、潮里が身を寄せ、星二の手に自分の手を重ねた。そして不安が表れた顔を向け、震える唇を動かした。

「あなた、弟切さんって、あの……」

 会った事があるのかどうか分からないが、一人息子が結婚しようとした人物だ、強い印象を持たない筈がない。真は自分の言葉が2人に与えた影響に満足感を感じて笑った。

「思い出しましたか。そうです霧人さんが結婚しようとした人の名前です」

 すると星二と潮里の顔が、鳩が豆鉄砲をくらったようになった。それを見てむしろ真の方が驚いてしまった。

「あ、ああ、そうだった。霧人から話を聞いた事があったな。いつ頃だったかな?」

 今度は潮里が首を斜めに傾げた。

「えっと、計算すると、霧人が23歳か24歳の頃ですよね……」

 すると突然星二が右手の拳を左手の掌に打ちつけた。『パチン』と乾いた音がした。

「うん、思い出した。潮里、ほら、あの可愛らしい女の子だよ」

 星二の話を聞いている内に、泳いでいた潮里の目に力が戻ってきた。そして力強くウンウンと何度も頷いた。

「この、女性だったと思うのですが」

頃合いと思い、男は1枚の写真を机の上に置いた。星二と潮里の視線が写真に集まった。

「そう、確かこの子だ。なあ」

「ええ、そう、この子だったと思うわ」

 やはり写真を持ってきて良かったと真は思い満足気に微笑んだ。すると真は眉を上げて額に皺を作った。壁際に置かれている家族写真が目に入ったからだ。

 今よりも少し若い星二と潮里、間に挟まれて青年が写っていた。潮里とよく似ているので、穂積霧人と思われた。

「その弟切……密さんは分かりました。それと今日いらっしゃった事と何の関係があるのですか?」

 不覚にも写真に見入っていた真はハッとした。そして慌てて姿勢を正して口を開いた。

「ああ、そうでした。遅ればせながら今日伺った目的になるのですが、政府の無策の被害者と思われる弟切密さん。その女性は特殊な人物なのではなく、市井の一般的な女性である事を証明したいのです。そこで、弟切密さんが恋した男性の話を聞かせて頂きたいんです。普通の女性が恋した男性も普通の人であったと。彼女の死は誰にでも起こりうるのだと、政府に突きつけてやりたいのです」

 真はヒラリとソファから下り、磨き込まれた木の床に手をつき、直後額を打ちつけた。あまりにも滑らかな動作なので、恐らく真は土下座するのも想定していたのだろう。

 ただ、この真の行動は星二と潮里に衝撃を与えたようだった。2人の顔から表情が消え、石像のように固まっていた。

「……、どうぞ顔を上げてください」

 我に返ったらしい星二もソファから下り、真の手を取りながらそう言った。真は顔を上げて星二の顔を見た。そこには慈愛溢れる母親のような顔があった。

「穂積さん、それでは……」

 星二が頤をゆっくり上下に動かした。

「はい。私で役に立つのであれば、息子の事をお話ししましょう」

 この言葉を聞くと真はソファに戻った。そして鞄からメモとICレコーダーを取り出し、星二の顔を真直ぐ見つめた。

「お願いします」

 真の言葉を聞き、星二は口を開いた。

 ――星二と潮里は友人の紹介で知り合った。星二は潮里に一目惚れし、交際を申し込み、2人は付き合い始めた。

 2年後に2人は結婚した。周囲は2人があまりにもお似合いだったのですぐに結婚すると思っていたらしく、『意外に時間がかかったな』と口にした。

 結婚から2年後、星二が26歳の時に2人は子供が欲しいと思うようになった。潮里になかなか懐妊の兆候が現れず、どちらかに原因があるのではないかと考えた。

 まだ2人共20代であったが、万が一の事があれば里子から養子をとるという事も視野に入れて動いていた。

 すると奇蹟が起きた。もちろん潮里が懐妊したのだ。2人は幸せに満たされた。そして出産の日を心待ちにしていた。

 出産の日、潮里は2日間陣痛に苦しんだ。分娩もとても大変で、立ち会った星二は潮里の安否をとても心配した。

 出産に体力を使い切り、潮里は2週間入院した。子供は元気そのものだったが衰弱した潮里を見て、星二はこの時点で2人目以降を諦めたのだった。

 子供の名前は“霧人”と決めた。

 親の欲目で、幼い頃の霧人はとても優秀に見えた。しかし小学校に入ると、それは勘違いだと分かった。霧人は可もなく不可もなく、中の上辺りの成績だった。ただ算数は平均よりも理解するのが速かった。

 運動も飛び抜けて出来る方ではなく、無理矢理やらせた水泳は平泳ぎを修得すると『バタフライは普通の生活で使う事ないから』と言ってやめてしまった。しかし幼い頃両親としたバトミントンが相当楽しかったのか、中学はバドミントン部に入部したそして高校まで続けた。

 中学の頃、霧人は突然理科の生物分野に興味を持った。特に遺伝子については熱心になり、一時期尊敬する人物はメンデルだと言っていた。

 そして理科の若い女教師と仲良くなり、彼女の仕事を手伝うようになった。特に熱を入れたのが生き物の飼育だった。かたつむりを貰ってきて、霧人は繁殖も成功させていた。

 霧人は社交能力も高く、友達が沢山出来たようだった。中学入学時に買い与えた携帯電話は、体育祭や文化祭などのイベント前にはメールの受信音がひっきりなしだった。

 また異性にもそれなりに人気があったようだ。バレンタインの時期は毎年いくつもチョコレートを貰ってきて、親の前でも恥ずかしげもなくポリポリ齧っていた。

 もちろんチョコレートやプレゼントを貰うだけでなく、その中から霧人は彼女を作ったようだった。相変わらず親の前で掛かってきた電話を取って話していたし、部活でとは考えられないくらい遅く帰ってくる事があった。

 更に高校に入ると外泊する事があった。さすがにメールで『泊まってくる』と連絡はあった。しかし帰ってきた時、体からはいつもと違う石鹸の香りを漂わせていた。

「霧人、昨夜は帰ってこないで何やってた? もしかして、悪い友達が出来たんじゃないだろうな」

 星二は震えそうになる声を必死で止め、出来るだけ冷静に問い詰めた。潮里は隣に座り、手を揉みながら2人の様子を見守っていた。

 すると思いもよらなかった肩透かしをくらい、星二と潮里は目を丸くし、口を半開きにして呆然とした。

「昨日? 彼女と一緒だったよ。それでセックスしてた。俺は初めてじゃなかったから、ゴムは最初から付けてたから心配しないで」

 霧人はシレッと告白した。さすがに2人はもうこれ以上責められなくなった。ただ、親の目で見る限り、霧人はただれた女性関係を築いているようではなかった。それなりに真面目に女性と交際しているようだった。

 高校を卒業し、霧人は数学のセンスを活かして理系の大学へ進学した。やはり大学でも男友達、女友達が沢山いたようだった。

 また、忙しいながらもアルバイトをし、親からの小遣いを断ってきた。更にその合間を縫うようにして女性とも交際を育んでいた。

 星二と潮里は、霧人の学生生活は公私共に充実していると思った。子供の幸せを何よりも祈る親として、霧人が活き活きとしているのがとても嬉しかった。

 ――星二は言葉を切り、虎屋の羊羹を食べ、お茶を飲んだ。その刹那、星二はしかめっ面をした。

 手土産の羊羹が甘いからお茶が渋く感じたのだろうと男は思った。そして少しぬるくなったお茶に手をつけた。思ったよりお茶は渋くなかった。

「それで、卒業して数年して、霧人に結婚話が出ました。理由は何だったか忘れてしまいましたが、結局結婚しなかったので2人の間で何かがあったのでしょう」

 相当話し難い内容なのか、星二は顔をしかめ、一言出すのも苦しそうに喋った。

「ご両親はその理由をご存知ないのですか?」

 真の言葉に星二と潮里はほぼ同時に頷いた。

「なるほど……、それで霧人さんは別の方とご結婚なさったと?」

「ええ、でも、あっ……」

 これまで静かにしていた潮里が口を開いた。不安そうな目を星二に向けたが、星二は咎めるような顔はしなかった。

「奥様、もし差し支えなければ、今思いついた事を聞かせて頂けませんか?」

 再び潮里が星二を見ると、星二は優しい顔で頷いた。すると潮里は安堵の息を吐いてから口を開いた。

「最初、霧人は別の人と結婚すると思っていたんですよ。会社の上司のお嬢さんと。2人で写っている写真が送られてきたのですけど、背高くてスラッとしてて、とても理知的な人でした。でも突然破断になってしまって……。それで福井に転勤になってしまって……。今の人と結婚しました」

 真は眉を寄せた。潮里の口調と内容から、今霧人と結婚している人物より、会社の上司の娘と結婚して欲しいと思っている事を看破していた。

「穂積さんは、霧人さんの奥様にお会いになった事は?」

 2人に投げ掛けた質問であると分かるよう、真は星二と潮里の顔に視線を動かしながら言った。

「……ありません。でも、急に結婚したので……。長崎の外れに住んでいてとても遠いし、霧人が『来るなら俺が帰るよ』と言ってくれているので」

「そうなんですか……。しかし、奥様、それなら霧人さんは帰ってきたんですよね。だったら霧人さんの奥様も一緒だったのでは?」

 潮里の言葉に矛盾の影を捕らえ、やや食い気味に真は言った。

「ええ、霧人と孫2人は結婚してから2度帰ってきました。でも、シノさんは1度も顔を見せてくれていないんです」

真は顔を歪めそうになった。しかし奥歯を噛んで平常のものに戻した。

「何でも肺が弱いらしくて、空気の汚れている東京に来ると喘息が出るかもしれないと言って。それに極度の恥ずかしがり屋らしくて写真にも写りたがらないから、私達は最近の姿も見た事がないんです」

「あの、失礼ですが息子さんご夫妻は結婚式とかは?」

「ですから恥ずかしがり屋なので、入籍だけにしたみたいです。友人達への披露もしなかったみたいです」

 シノに対して潮里は不満を持っているのであろう、嫁のシノを責める口調は隠せなかった。

「それで、お孫さんはカワイイですか?」

 会話が愚痴になりそうなのを感じ、真は慌てて流れを変えようとした。すると効果はすぐに出て、潮里どころか星二の顔もフニャフニャになった。

 2人は口々に孫は男の子と女の子がいる事、どんなに可愛いか、兄が最初に口にしたらしい言葉、妹はまだ4歳なのに絵本を読める事、妹が幼児教室でどうなのか、兄が描いた犬だかブタだか分からない絵の事などを自慢してきた。

 真は目尻を下げ、口角を上げ、しきりに頷きながら2人の話を聞いていた。しかし内心はうんざりし始めており、早く話を切り上げたいと考えていた。

 話に突然間が開いた。真はこの機会を見逃さず、ノートを閉じて机をトントンと叩いた。すると星二がハッとした。潮里も自分達の行動に気付いたらしく、ほんのり頬を赤らめた。

「貴重なお時間を頂戴しまして申し訳ありませんでした。自ら命を絶った弟切密さんが好きになった男性も、一般的な人であると分かりました。政府糾弾の為の良い取材が出来ました」

「ああ、お役に立てたならなによりです。まあ、後半はちょっとアレでしたが」

 恥ずかしそうに星二が『ハハッ』と笑った。右手で後頭部を撫でながら。

「いえいえとんでもない。とても幸せそうな話で、ワタシも早く結婚して子供が欲しくなりましたよ」

 真は笑いながら言った。そしてノートを鞄にしまおうとした時手を止め、2人の方に顔を向けた。その目はもう笑っていなかった。

「とても失礼なお願いと承知の上なのですが、霧人さんがその、破談になってしまった上司の娘さんや仲の良かった友人のお名前を教えて頂けませんか?」

 今の今までにこやかだった星二と潮里の顔が曇った。プライバシーの大切さが叫ばれる昨今、このような質問をしたら警戒されるのも当然だろう。

「あぅ、いや、興味本位からではありません。勝手な私の言い分なのでが、普通の女性の弟切密さんは普通の男性の霧人さんと付き合い、結婚まで考えた。その普通の霧人さんの周囲の人達も普通であるという裏取りをし、弟切密さんの事案は誰にでも起こり得る事であると主張したいのです。どうかご協力お願いします」

 さすがにもう一度土下座はしなかったが、真は机に手をついて深々と頭を下げた。真の目には映らなかったが、星二と潮里は顔を見合わせてオロオロしていた。

 しかしさすがに夫の星二が先に自分を取り戻したようだった。

「分かりました。ご協力しましょう。しかしこのご時世ですから、詳しくは教えられませんよ」

 星二の声に顔をパッと明るくして真は顔を上げた。そして既にノートを開いていた。

「霧人の結婚まで考えて女性はキシダスズネさんで、大阪支社時代の上司の娘さんです。あと中高で仲の良かった友人は、フブキノゾミさんです。これ以上は……」

 星二が言い終える前に真は言葉を発した。これ以上星二に罪を重ねているという想いをさせない配慮からだった。

「ありがとうございます。それで結構です。ワタシもジャーナリストの端くれです。その情報から辿り着けないのであれば、この仕事を続けていく資格はありません」

 その言葉を聞くと星二と潮里はホッと安堵の息を吐いた。

「それでは今日のところはこれで帰ります。取材している中で何か聞きたい事が出来たらまた話を伺いに来るかもしれません。その時もどうぞよろしくお願いします」

 真が頭を下げながら言った。すると星二は躊躇いながらも『ああ』と呟いたのだった。言質を取る格好になった真は、満足気微笑んで穂積家を後にした。

 星二と潮里はリビングに行き、深刻な顔で長い間話し合っていた。客間に残された羊羹は固くなり、お茶は冷え切っていた。


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