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「――というように」

 英気に満ちた瞳が印象的な男は、講演会場である公民館の段上から、備え付けの椅子に腰掛けた百名ほどの来場者を見渡した。

 落ち着いた声で生き生きと弁を振るう男の体からは、漲るような生気が周囲に放たれている。

 見た目では、年齢は三十そこそこといったところだろうか。

 張りのある声と、いかにも活動的な男の雰囲気がそう感じさせるだけで、本当の年齢はもっと上なのかもしれない。

「もとは同じと思われる遊戯であっても、地方によっては、その遊び方に差異があるわけです。」

 この公民館の最大収容人数は二百人程度だから入りが良いとは言えないが、来場した聴衆は、皆熱心に男の話に聞き入っているようだ。

「先のような例をわざわざ上げずとも、幼い頃に引越しをされた方には、ご自身にも覚えがあるかもしれません。引っ越した先で新たに出来た友達と遊んだ鬼ごっこや、面子、おはじきといった昔懐かしい童遊の数々。これらは土地土地によって遊び方の根幹は同じでも、微妙にルールが異なることがあります。その事にとまどったご経験のある方は、意外と多いのではないでしょうか」

 講演が続く段上の下手には、『水無瀬みなせの遊戯と、その中に見る古来の神々の姿』と書かれた縦長のボードがあった。

 そんな、悪い言い方をすれば年寄り好みのしそうなテーマにしては、やけに若い女性の来場者が多いように見受けられるのだが、それは男の容姿が、大いに関係していると思われた。

 すらりとしなやかに伸びた均整のとれた体躯は、さながらアスリートのようだ。彫りの深い鼻筋の通った役者顔負けの整顔に、そしてなによりも強い意志を感じさせる瞳が、男の最も目を引く特徴だった。

 段上上手のテーブルの上のネームプレートには『深青しんせい学園大学考古学教授 逢沢裕輔あいざわゆうすけ』とある。どうやらそれが男の名前らしい。

「これからみなさまには、ある遊戯風景をフィルムでご覧いただきます。口で説明するよりも、みなさまに実際に見ていただいたほうが、遊戯が変容するということのニュアンスをお伝えしやすいと考えたからです。

 ご覧いただく遊戯は、もとは“はないちもんめ”に端を発する、もしくはそれ以前から存在したものが、それに近い形に変容したと推測される遊戯を撮影したものです。この遊びはここ、水無瀬市東部にある旧村地域で主に遊ばれていたもので、“しょごんさん”と呼ばれていました。この呼び方もいくつかあり、時に“ごんずさん”とも“しょごんずさん”とも呼ばれていたようです。呼び方は違えど、これはどれも同一の遊戯の中の“鬼”の役を指す名前です。

 残念ながらもう遊ぶ子供もいなくなってしまい、今日実際にその遊戯風景を見ることはできなくなってしまったのですが、運良く、と言いますか、私の大学にその遊戯を撮影したフィルムがありましたので、こちらにお持ちいたしました。

 当フィルムが撮影されたのは1955年のこと。二次大戦終戦から数年後、日本がまだ混乱の最中にあった頃、アメリカにあるミスカトニック大学教授“H・ウォルターズ博士”によって記録されました。

 なぜ戦後間もない頃の日本の遊戯が、アメリカの学者によって記録されたのか、疑問に感じられる方もいらっしゃるかも知れません。なので少し脱線するかとは思いますが、ウォルターズ博士について簡単にご紹介しておきましょう。

 博士は大戦以前から幾度も日本に来訪されていた親日家で、専門は考古学でしたが民俗学に関する造詣も深く、特にここ、水無瀬市に伝わる古い伝承や慣習に強い興味を抱いていらっしゃいました。博士は書物による情報収集だけでなく、実際に水無瀬の村の各地をご自分で赴かれ、見聞きし、映像によって記録するという研究方法を好まれていたようで、戦後アメリカとの国交、と呼べるかどうかは分かりませんが……が回復するとすぐに水無瀬市を来訪され、そしてこのフィルムが博士により撮影されたと言うわけです。

 今日の深青学園がミスカトニック大学と姉妹校提携を継続しているのも、博士の御力によるところが大きく、学園の旧図書館――みなさんもご存知かもしれません、西の今須山いますやまの山中から学園校舎群と並んで顔を出している、大きな塔状の建物です――にも博士のご好意により寄贈された、世界的に貴重な古文書や文献が多数蔵書されています。

 それほどまでに博士は、この水無瀬市と、そこに伝わる数々の民話を愛しておられました。博士の熱心な研究がなければ、現代、日の目を見ることのなかったろう水無瀬の伝説も多く、この“しょごんさん”の実際の遊戯風景もその一つと言えるでしょう。

 いやはやすみません。博士の話が長くなってしまいましたね、話を戻しましょう――よくゼミの学生にも注意されるんですよ。『先生は脱線が本線になりそうになることが良くありますね』と」

 小さく上がる笑い声に、男は照れくさそうに頭をかきながら中央から上手のテーブルへと歩き、その上の操作盤で段上中央後方の大スクリーンに映像を映す準備に取り掛かった。

「ともかく一度このフィルムを通してご覧いただいた後、さらにもう一度適時一時停止して解説していきたいと思います。あまり最初からうるさいことを申しますと、せっかくのフィルムに映し出された当時の遊戯風景の味わいを台無しにしてしまいそうですから」

 その言葉を合図に場内の照明が落とされ、暗闇にスクリーンだけが白く浮き上がった。目を細めた男の端整な顔立ちが、濃い陰影に彩られる。

「みなさんにご覧いただき易いよう、デジタル処理を施してありますが、何分もとのフィルムの損傷が激しかったために、所々見づらい所、聞き取りにくい所があるのはご容赦を。それでは自分がその場にいらっしゃるように想像して、童心に帰ってご覧になって見てください」

 会場の二階にある映写室から伸びた光条が、スクリーンに映像を投射した。


 画面中央、青草の生い茂る草原に立つ巨木の根元に、十人程の子供達が集まって、わいわいとはしゃいでいた。

 いつからのものとも知れぬ巨木だ。これほど大きくなるのは珍しいだろう、おそらくは林檎の木である。白黒のフィルムでも分かるほどの目も眩む青空が、頭上に広がっていた。

 木の下に集う子供達は十歳前後ぐらいだろう。内何人かはカメラが気になって仕方ないようで、物珍しげな視線で、じっとこちら――レンズを凝視していた。他の子供達も、こうしてカメラに撮影されるなどという経験は初めてなのだろう、賑やかにしながらもどこか緊張した面持ちをしている。

「さあ、じゃあみんな、始めてくれるかな。安心して。いつもと同じようでいいのだよ。」

 しわがれているものの、はっきりとした男の声。声音はやわらかく、子供達をリラックスさせようとしている意図がうかがえた。おそらくこれが、このフィルムを撮影している人物、すなわちウォルターズ博士の声に違いない。イントネーションに外国人特有の調子が少しみられるが、十分に流暢だと言えるだろう。

 その言葉に子供達はほっとしたような笑顔で頷くとその内一人、鶸色の紬を着た、中でも一際目を引く可愛らしい少女が、艶やかなおかっぱの黒髪を弾ませて一団から離れ大木の裏側へと回って行くと、足元に落ちていた小石を一つ拾う。

 カメラもそれとともに、少女が反対側の子供達と、大木を中心に挟んで丁度対称になる位置に移動する。

 残された子供達は手をつなぎ、大木の向こう側の姿の見えぬ少女と対峙した。

「竹縷々(たけるる)のしょごんさんに聞き申す。折ごとの捧げ物、どの子がよかろうか」

 童謡のような節をつけて、子供達の唱和が草原に広がっていく。

「あの子が欲しい」

 少女が返す。小鳥が囀るような声だ。

「あの子ではわからん」

真司しんじが欲しい」

 子供達が問いかけ、少女が答える。

「送りの禊じゃ、いやまたれよ」

 子供達の中から、物静かな穏やかな目をした利発そうな少年が進み出た。子供達はその少年を手を合わせて一拝し、大木の向こう側へ送り出す。

「竹縷々のしょごんさん。真司じゃ」

 少年の名前は真司というのだろう。真司は大木の向こう側で、木に寄り添うように隠れていた少女に近づき、手を差し出した。しかし少女は恥ずかしそうにうつむいたままだ。カメラマイクの直ぐそばで、堪えきれないといった忍び笑いがする。こちらは博士のもののようだ。

 真司の背丈は少女と比べて頭一つ高い。真司は困ったような笑いを浮かべて、小石の納まった少女の手のひらに、その上からそっと手をつないだ。

 少女は真司の手が触れた瞬間にびくりと小さく体を震わせたが、嫌がる様子もなくうつむいたまま、されるがままになっている。頬がカメラ越しにも分かるほど赤らんでいた。

「竹縷々のしょごんさんに聞き申す。贄足りや否や」

 子供達の唱和が再び始まり――。

「足りた」

 答えて少女の微かに震える声が返った。

「おいおいおいおい!」

 子供達の中の、真司とは対照的な気の強そうな少年が、輪の中から一歩踏み出し、大木の向こうに大声を投げかける。

「八重! それじゃあ続かんじゃろうに、まじめにせんか!」

「正三、そんな言い方もないじゃろう」

 その少年の声に怯えたように身を竦ませた少女――こちらは八重やえというらしい――を見て、真司は宥めるように返し、申し訳なさそうにカメラの方を向く。

 先ほどから小さく続いていた博士の忍び笑いが、決壊したように噴出し、大笑となった。

「真司の言うとおりだ、正三。八重はまだ小さいのだから、勘弁しておやりなさい」

 笑い声交じりに博士に諭された少年、正三しょうぞうは、しぶしぶといった感じで輪の中へと戻る。

「なぁ八重、もうちょっと兄ちゃん達と遊ぼうな。しょごんさん、わかるよな?」

「でもな……もう誰もいらんもん……」

 膝を屈めて八重の肩に手を置く真司に、八重はうつむいたまま答える。

「そう言わんで、オルさんも鬼の役は八重がいいと言ってるんじゃし」

「それはオルさんの勝手じゃ」

 抗議めいた少女の声を聞いて博士は再び笑う。どうやら博士は当時の村では“オルさん”と子供達に呼ばれていたらしい。

「だからそう言わんで、な、八重。オルさんには良くしてもらっていようもん」

「鬼かえたらええんじゃ!」

「正三は静かにしとってくれんかい」

 大木の向こうから上がる正三の声に、ため息交じりに真司が答える。

「八重、兄ちゃんのお願いじゃ。たのむ」

 真司のあくまで穏やかな物言いに、ようやく八重が首を縦に振る。

「いい子じゃ」

 真司が八重の頭をゆっくりと撫でると、不満そうに口を尖らせながらも八重の頬がようやく緩んだ。

「またせたのう、みんな。続きをしよう」

 子供達に言いながら真司は、カメラの方へ一つ頭を下げた。

「贄足りや否や」

「足りぬ!」

 大木の向こうから来た声に返す八重の声にはまだ不満そうな響きが残っていたものの、その後順調に“しょごんさん”は進行していっているようだ。

 二組にわかれた子供達が歌いあい、子供達の問いに八重が名指しし、次々に“禊”を終えた子供が八重の方へと移っていく。

 “はないちもんめ”という遊びは、二つに分かれた子供達がじゃんけんをし、勝ったほうが負けたほうから一人子供を指名して子供が行き来して、適当な時点で終わった時に人数の多いほうが勝ちとなる遊びだが、この“しょごんさん”ではじゃんけんは行われずに進むらしい。

 なので最初一人だった八重の方にどんどん子供が増えていく。

 “贄”として差し出され、逆側の子供達は当然減っていく。

 変化が見られたのは、差し出す側の子供達が、残り五人となった時だった。数にして半々だ。

「足りぬ!」

「贄尽き出せぬ」

「出し申せ」

「出せぬ!」

 ただ子供が片側に移動するのでは、遊びにはならない。どうやらこのまま終わるわけではないらしい。

「竹縷々のしょごんさん。聞かずば已む無し。火の神来たりて祓い給え、はーいーやーいーやーくーつぐ! 大火の御業ぞ、平伏さん」

 差し出す側の子供が歌い――。

「待たれ、待たれ。贄をば還さん」

 ――八重の側の子供達が歌い返す。

 歌い終わるとそれぞれの組の子供達が集まり、なにやら声を潜めて相談をしだした。

 差し出す側の子供達の輪の中では、残っていた正三が中心になり話あっている。正三の顔には意地悪そうな表情がありありと浮かんでいて、正三の提案に子供達は同じような笑顔で頷いていた。

 一方、八重の方の輪では真司が中心になっていた。真司は主に八重に何事かを話しかけているが、八重は大きく何度も横に顔を振っている。真司は先程と同じように根気よく八重を説得しているようだ。ほとんど泣きそうな顔になっていた八重だったが、真司の説得に最後は自棄気味に頷き、最初に拾った小石を押し付けるように真司に渡した。

 真司は苦笑を浮かべながらも八重の頭を撫でるが、先程のようには八重は笑わない。これ以上ないという程不満気な顔をして、今にも大声を上げそうになるのを真司になだめられている。

「きーまった!」

 それぞれの話合いが一段落したところを見計らって、正三達が声を上げた。

「竹縷々のしょごんさん。真司を還しゃんせ」

「いーやーじゃ!」

 あからさまに怒気を含んだ八重の声が、子供達が唱和するのも待たず返される。

「だから八重! それでは遊びにならんと……」

「いやじゃ! いやじゃ!」

 悔しそうに地団駄を踏む八重と対照的な、してやったりといった表情で、正三はにやにやと笑う。

「還すで待たれ」

 八重の側の子供達が返すも、八重は唱和しない。口をへの字に曲げたまま、地面にしゃがみ込んでじっと真司を見上げている。大きな瞳に滲んだ涙が、今にも零れそうだ。

 真司はそんな八重にやはり苦笑で答えながら、正三達の側へ戻っていく。

「還りしぞ皆の衆。真司じゃ」

 真司の声に正三達が歌う。

「往きて還る真司。穢れ無き事、証を見せよ」

 真司はそれに応えて握った手を正三達に差し出した。正三達の目がその手に集中すると、一瞬場が静まり返る。

 握った手を真司はゆっくりと広げ――手に握られた小石を正三達に見せた。

「てけりーり!」

 勝鬨のように真司が叫ぶ。

「てけりーり! てけりーり! てけりーり!」

 その声に続いて八重の側の子供達が一斉に叫び始める。どの顔にも笑顔が浮かんでいた。

 対して正三の側の子供達はがっくりと項垂れる。特に正三は歯を剥き出して悔しがっていた。

「一発で穢れかい……どうして真司が穢れとるんじゃ」

 残念そうにつぶやく正三には答えず、真司は八重の方を振り向く。

 どうやら八重の側、鬼の側の勝利らしい。

 嬉しそうに笑いあう子供達の中で唯一八重だけは、真司を“還した”時の表情のまま、じっと真司を見つめていた。


 ――スクリーンが暗転し、場内に明かりが戻った。

「短い映像ですが、これでフィルムはお終いです。これが現在唯一残っている、“しょごんさん”の実際の遊戯風景です」

 場内をゆっくりと見渡してから、男は再び語り出した。

「先程も申しましたが今ではこの遊びは廃れてしまい、子供の頃実際に遊んだことがあるという方々も、遊び方の細部までは覚えてらっしゃらないということで、完全な解説にはならないのが心苦しいのですが……これからもう一度、今度は私の解説を交えながら、同じものをご覧いただきたいと思います。

 それではフィルムを再映する前に、“しょごんさん”の基本的なルールをご説明差し上げておきましょう」

 本当にこういった類の話が好きなのだろう。男の声の弾み具合からそれがわかる。

「遊ぶ際の人数は厳密には決まっていませんが、だいたい十人前後で遊ばれることが多かったようです。まずその中から鬼――遊戯の名にもなっている“しょごんさん”です――を決めます。フィルムの中ではウォルターズ博士が八重という少女を指定していたようでしたが、実際はじゃんけんで決めたり、その時鬼をやりたい者が立候補したりと適当です。

 鬼が決まったら大きめの障害物、大木や大岩といったものを挟んで、鬼の陣営ともう一つ――こちらは“村人”の陣営のようです――に分かれ、向き合います。どちらの陣営からも、相手側の子供達は隠され、見えないようになるわけです。

 その後、歌によるやり取りで遊びは進みます。村人側から鬼側へ、次々に“贄”が捧げられて行くのですが」

 男は一旦言葉を区切り、テーブルに置かれたコップに水差しから水を注ぐと、喉を潤し言葉を続ける。

「ああ、また少し脱線してしまうかもしれませんが、今回の講演の題目と関連するものなので、ぜひともお聞かせしたいことがあります。

 ――この遊戯のもっとも素晴らしい点と言えば、その優れた演劇性にこそあると、私はそう思うのです。

 この遊戯の元となったとみられている“はないちもんめ”も、子供の人身売買という悲劇に基いて作られた遊びだと言われていますが、“しょごんさん”はそれを更に推し進めた演劇性を持っているのです。

 “しょごんさん”とは実は、童遊びに形を借りた、芝居と言ってしまって良いと思います。しかしそれこそがこの遊戯を複雑化し、廃れさせる最大の要因ともなったのは、皮肉というより他ないのですが……。

 “はないちもんめ”にもととなった話があるように、“しょごんさん”にも、やはりもととなったお話があります。

 それは“水無瀬怪聞録”――1720年に“相楽慧雲さがらけいうん”という人物によって記されたものです――の中にある、『諸魂の禍、主ノ浜の竹を枯らす事』という話だと思われます。

 水無瀬怪聞録は水無瀬で起きたとされる怪異を集めた古文書ですが、そこに書かれているこの話の大筋を簡単にお話しましょう。

 昔々“諸魂しょごん”といわれる海鼠のような姿をした禍津神、人に災いなす神が、水無瀬村東岸部にある主の浜に流れ着き、あたりに生えていた竹林をことごとく枯らしてしまった。

 更に被害が広がるのを恐れた村人達は、その神に生贄を捧げたが一向に鎮まらない。困り果てた村人達の前に旅の行者が現れて言う。『其は“諸魂”也。諸々の穢れし御魂の凝りたる神なれば、“紅津具くつぐ”の御力もちて祓うより他無し』と。

 紅津具とは水無瀬で古く信仰されていた火の神の名前です。諸魂は海からきた海鼠のような姿の神、海神だと思われます。つまり砕いて言えば、火の神様にお願いしてお化け海鼠を焼き払ってもらおうと、こういうわけです。

 それを聞いた諸魂は恐れ慄いて、今まで捧げられた生贄を帰すから勘弁してくれと村人に持ちかけ、村人は承諾します。

 普通の昔話ならここで『めでたし、めでたし』なのですが、この話には続きがあります。

 無事、生贄になった村人達が諸魂の元から戻ってきたのを喜び、村人達はもとの暮らしに戻るのですが、それから村では、神隠しに遭う人間が続出したのです。

 原因を探ってみると、どうやら帰ってきた生贄達の様子がおかしい。そこで村人達は、村はずれに滞在していた件の行者の知恵をまた借りに行きます。事情を聞いた行者は、その帰ってきた村人達は諸魂の変化した姿である、諸魂はどんな姿にも、そしていくつにでも分かれることができるのだと答えるのです。

 それを聞いた村人達は、それは一大事と帰ってきた元生贄達を“忌み小屋”――昔の遺体安置所のようなところなのですが――に一つに集め、小屋ごと焼き払ってしまうのでした――。

 物語はここで終わっています。その後諸魂と村人がどうなったかは語られていません。

 と、ようやくですが話を本筋に――“しょごんさん”のルール説明に戻しましょう――今の昔話をふまえてお聞きいただければ、更に理解が深まると思います」


 

 水無瀬第二公民館所蔵、深青学園大学考古学教授、逢沢裕輔氏による講演『水無瀬の遊戯と、その中に見る古来の神々の姿』撮影フィルムより抜粋。

 

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