喫茶「Yui-結-」へようこそ
長編として書いていたのに、番外というかスピンオフ的なのが先にできたのでこちらを投稿します。設定ゆるゆるなので生温い目で暇潰しにでも読んでいただけたら嬉しいです。
「ぜっっんぜん! 理解なんかできないわ!!」
苛立ちのまま、摩耶はカウンターテーブルを拳でぶっ叩いた。分厚い樫材のテーブルが怯えるほどの一撃だった。
怒りを湛えるその瞳は縦に細長く金色にギラギラと燃えているようだ。
白くなるほど握りしめた手の甲には、淡く白に煌めく鱗。
「摩耶さん、今日は荒れてますね〜」
「うん、鱗が出ているくらいだからね〜」
摩耶は下位とはいえ竜人族。普段は人族と変わらぬ姿だが、感情が高ぶると竜の目になるし、鱗が浮き出るくらいよくあることだし、角が出ることだってあるのだ。
「摩耶さん、一体何があったんですか? 良ければ話してみてくださいよ」
「そうですよ。ある意味それが僕らの役割ですしね」
そう、摩耶は気の良いこの人族たちに胸の内を聞いてもらいたくてここに来たのだ。
ここなら職場も家も関係がない。どこにどんな目や耳が光っているかわからない普通の飲食店では言えない愚痴もここでなら吐き出せる。
「婚約を、解消されたのよ」
摩耶は婚約者から別れを告げられた。婚約期間は約5年、結婚を目前に控えていた。
婚約者、否、元婚約者曰く、理由は別の女性と結婚するためだという。
摩耶は竜族の長である竜王陛下に仕える竜人族である。
例えるならば竜族は王族、竜人族は貴族のようなものだ。そして、この世界にか弱き人族はすでに滅びて存在していない。
では、摩耶の話を聞こうとしている彼ら人族は何者か?
彼らは異世界の人族で、ここは異世界の喫茶店であるのだ。
時折あちらとこちらが繋がることがある。今回はかなり珍しいことだが、空間ごと繋がってなんと固定してしまったのだ。それが数ヶ月前のこと。
男性がここの店主で名を怜、女性は給仕担当で結衣と名乗った。
職務として、この現象の調査に入った摩耶は彼らへ諸々の説明をし、経過観察やら彼らの保護を名目にいりびたり、常連と化して今に至っている。
ここのコーヒーが気に入ってしまったのだ。
「別の女性と? 婚約までしておいて?」
「ない話じゃないわ。相手の身分が高ければ、ね」
彼も摩耶と同じ下位竜人族。相手の女性は末端とはいえ竜族。これを断ればどうなるか、想像するまでもない。しかし。
『君にはすまないと思っている。だが僕の立場も考えて理解してほしい』
言葉はいかにもだが、目が、表情が完全に摩耶を見下していた。
「その相手って、美人だけれどわがままで浪費癖がひどいって有名なのよ。で、仲人に立ったのがあの人が異動を希望している部署の長で、腹黒のクソジジイ。これってぜっったいに裏があるわ」
彼は実力も出世欲もあり、努力も怠らない野心家だ。毎回異動の申請時期にはそこへの希望を出していることを摩耶は知っている。ただ、あそこは上位の竜人族以上でなければ入れないのが暗黙のルールだ。
そこをクソジジィに狙われたのだろう。
おそらく、わがままで浪費家の娘など嫁に貰ってやろうなどというところがなく、そろそろ嫁き遅れ間近。困った父親は権威を持つ老害へ相談を持ちかけ、老害が目を付けたのが、彼だ。
上位の竜人族以上しか勤められない、ということが暗黙のルールであるのを逆手に取って彼を望む職場へ異動させると言ったのだろう。その代わりに格を補うためと不良物件との婚姻を持ち掛けた。
さすがの彼も迷っただろうが、当の不良物件、見た目は大層美しい。
日に当たらない、ストレスのない生活をしているため、抜けるような白い滑らかな肌。黙って微笑まれて天秤がかたむいた、と容易に推測できる。
「うっわー!! そのひとホントさいってですねー!!」
結衣は椅子に座って摩耶の話を聞いていた。座ってていいのかと聞くと、「お客様のお話をじっくり聞くのも仕事のうち」という返答があった。雇い主をちらりと見ても頷いて微笑むだけだった。
「僕もそう思うよ。出世を取るにしても摩耶さんときちんと話をするべきだし」
とりあえず、とマスターは手元からトレーを出して結衣に渡す。すっと立ち上がった結衣はそれを「どうぞ」と摩耶の前へコトリと置いた。
トレーにはコーヒーとホイップクリームが添えられたドーナツが2つ、そしてなぜか食事用のナイフ。
「マスター、これは?」
摩耶が注文したのはコーヒーだけだ。ドーナツなんて頼んでいない。
「悪縁切り、といったところです。ドーナツの丸い円を切ることで悪縁を絶ち切る、ってかんじですかね」
「悪縁を、絶ち切る…」
悪縁とは、なんだろう。
彼のこと? それとも、このモヤモヤイライラした気持ち?
なんでもいい。自分にとってイヤなものはすべて絶ち切ってしまおう。
そんな思いで摩耶はナイフを構え、1つのドーナツをサクッと切ってみる。
それだけのことなのに、古い鱗が剥がれたようなすっきりした気分になった。
サクッ、サクッ、サクッ、サクッ。
どんどんとドーナツの輪切りが量産されていく。
「摩耶さん、摩耶さん! もう粉々ですよ!?」
「あ、あら?」
切りすぎた。
サクサクすぎて切っているうちに崩れてしまったようだ。
「さすがに下げましょうか」
苦笑いのマスターの言葉に摩耶は首を横に振る。
「ドーナツに罪はないもの。自分で始末はつけるわ」
とはいうもののさてどうしよう。
少し考えて、添えられたホイップクリームが目についた。
粉々の元ドーナツと、真っ白なホイップクリーム。
コーヒーのスプーンにクリームを取り、そのまま元ドーナツを掬って口に運ぶ。
意外と美味しかった。
もう一つの丸のまんまのドーナツも食べてみた。クリームがなくてもきちんと美味しいが、あるとさらに美味しかった。
「美味しいドーナツね」
「そう言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます」
思わぬ御礼の言葉が聞こえた。
「もしかしてこのドーナツ、マスターが作ったの?」
「ええ、まぁ。実はそれ試作品なんです。なかなか思うようにいかなくて」
あるドーナツショップのもちもちとしたドーナツに触発されて作ってみたはいいが、思った食感に到達できなかった。味は悪くないのでサービス品として供しているらしい。
もちもち食感のドーナツとはどんなものか、気になった。
「マスター、納得がいく完成品ができたときに私がここに来たら、また出してくれる? もちろんお金は払うから」
「はい、今度はサクサクとは切れないもちもちを作りましょう」
何気なく言ったつもりだった。マスターの返しもおかしく思わなかったが、なぜか結衣が嬉しそうに手を叩いた。
「これも縁ってやつかもしれないですね!」
不思議に思って首を傾げると、マスターが頷いてそうだね、と続けた。
「摩耶さん。縁って結んで切れて、またどこかで繋がったりするものなんですよ。試作ドーナツの悪縁切りが今度は完成ドーナツで良縁を呼び込む、そんな可能性もありますよ。僕は貴女の元婚約者を直接知らないし、あちらの世界の結婚観や身分制度は僕たちの世界とは違うからなんとも言えないけれど、もしかすると貴女とは実は釣り合わない相手なのかもしれない。この先、結婚してからいろいろ無理が出てくるかもしれない。どっちかが我慢してたら結婚生活なんて成り立たないからね。結婚する前にわかって良かったのかもしれませんよ」
「さすが! 離婚経験者の言葉はしっくりくるね!」
それはマスターにとって触れられたくないところだったようだ。眉が情けなさそうに寄せられている。
この二人の掛け合いは見てて飽きない。だからここへ来るのがやめられない。
そうだ。あんな男は願い下げ。結婚する前にわかって良かった。
「ありがとう、二人とも。ごちそうさま」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしてます」
「摩耶さん、また来てくださいねー!」
チリリン…
最後はドアベルに見送られて扉から出ると至近距離で声が聞こえた。
「うおっ! 失礼、少しよそ見をしていたようだ」
通りがかった人が摩耶に気づかずぶつかりかけたらしい。
「こちらこそ申し訳ありません。もう少し気をつけるべきでしたわ」
「貴女はいまこの建物から出てきたのか?」
「ええ、馴染みの飲食店がありまして」
それでは、と踵を返して立ち去った。数歩の距離が開いてからどこかで見たような? と互いに考えていることなど知らぬまま。
知ってるかい? 人と人の縁を結んでとうとう異世界とも縁を結んじまった喫茶店があるんだとさぁ。
へぇ、なんてぇとこだい?
そのまんまさぁ。
喫茶 YUI。
YUIってのはぁ、結ぶってぇ意味だとよ。
読んでいただきありがとうございました!