9話 私の魔法、受けてみよ(2)
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満月まであと2日の朝。
シャイナは全身筋肉痛みたいな状態で起きて来た。
昨日の魔力消費がたたったようだ。帰宅後、ポーションで無理やり回復させて店で働いたのも悪かった。
「おはようございますう」
ぎこちない動きでよろよろとダイニングへ行くと、いい匂いがする。
食卓を見ると、エスカリオットがフレンチトーストを食べていた。
「!」
「エスカリオットさん、フレンチトーストなんて作れるんですか?」
びっくりだ。びっくり仰天だ。貴族なのに?
「戦場で覚えた。鉄板料理なら一通り出来る」
そう言うエスカリオットは心なしか得意気だ。
鉄板料理……鉄板料理なんていうジャンルあるかな。
あったとしてそれにフレンチトーストは入ってない気はする。
「因みにそちら、私の分なんてあったりはしないですよね?」
「…………」
「ですよねー、ないですよね」
「欲しいなら作ろう」
「えっ、いいんですか!?」
「コーヒーも淹れよう」
感動にうち震えるシャイナが見る中、エスカリオットは手際よくフレンチトーストを焼いて、コーヒーを淹れだした。
バターの焦げるいい匂いが漂ってくる。
作業中のエスカリオットは明らかに機嫌がいい。鼻歌を歌うんじゃないかと思うくらい機嫌がいい。
エスカリオットは相変わらずの無表情なのだが、滲み出る雰囲気でシャイナはエスカリオットの機嫌が分かるようになっている。
料理するのが好きなようだ。
死神エスカリオットの意外な一面だ。
出来上がったフレンチトーストは甘くない仕様のやつなので、蜂蜜をたっぷりかけて食べる。
じゅわっと口の中でフレンチトーストと蜂蜜が混ざって広がる。
「美味しい」
至福だと思いながらエスカリオットをちらりと見ると、満足そうにこちらを見ていた。
コーヒーもいただく。
いただいて、びっくりする。
何という事だ、全然酸っぱくない。香りはふんわりと鼻に抜けて、どこか甘さもある濃い茶色の液体は程よい苦味と余韻を残して喉を通る。
シャイナはまじまじとコーヒーを見た。
エスカリオットが淹れる工程を見ていたので、豆も同じだし、コーヒー以外は何も入ってないのも知っている。
エスカリオットの方を見る。
エスカリオットがこくりと頷く。
何という事だ。
「……私のコーヒー、不味かったんですね。」
エスカリオットがまたこくりと頷いた。
「ところでエスカリオットさん、今晩ですが外食しようかなと考えています」
シャイナは気を取り直してエスカリオットの淹れた美味しいコーヒーとフレンチトーストの蜂蜜がけを味わいながら切り出した。
「外食か……」
「ええ。明日はいよいよ満月なので呑気に外食は出来ないですし、明日の満月が終わればエスカリオットさんは晴れて自由の身なので、お別れ会というか記念というか?の外食です」
「そうか」
「私の行きつけのバールに行きましょう」
「分かった」
***
その夜、薬草店を閉めてから準備をしてシャイナはエスカリオットと家を出て少し歩いた先のバールへと向かう。
職人街の職人達やギルドに出入りする冒険者達がよく利用する店だ。
゛ダイズバー゛と看板の出ているその店はこじんまりした店でコックとオーナーの2人で切り盛りしている。
店に入るとすぐにカウンターから声がかかった。
「シャイナちゃん、いらっしゃい」
20代後半くらいの茶色い髪に長身のグラマラスな女がシャイナを見てにっこりした。女は隣のエスカリオットを見て少し目を細める。この店のオーナーのエイダだ。
「エイダさん、こんばんは」
シャイナはエイダに挨拶するとカウンターに座った。エスカリオットも隣に座る。
「こちらは?」
エイダがエスカリオットを見ながら聞く。
「うちの店の護衛をしてもらってるエスカリオットさんです」
「あら、護衛を雇ったのねえ……ってそうじゃないわよ、シャイナ?」
エイダは笑顔のままドスの効いた声でシャイナに詰めよってきた。この若さで独り身で店のオーナーをやっているだけあって、かなりの迫力だ。
「グスタフから聞いてるわよ。あんた闘技場行ってこちらを買ったらしいわね」
「お、お耳がお早いですね。エイダさん」
お怒りモードのエイダにシャイナは一気に腰が引ける。
「あんたは何考えてるの?剣闘士奴隷って半分以上罪人なのよ?誘拐、強盗、婦女暴行、そういうのの特に悪質な奴らが送られる所よ?もちろん幼女趣味のもいるのよ?」
「幼女趣味は聞き捨てならないですが、ここは流しましょう……エイダさん、例えそうでも首輪で服従するしかないから大丈夫ですよ」
「そういう考えが甘いのよ。表面上はへこへこして、じっくり機会を窺うのが犯罪者なの。店の用心棒くらいなら私がいくらでも紹介できたわよ、あんたが魔法使いなのは知ってるけど危ないでしょう」
「ぐう」
「グスタフも言ってたけど、本当に買ったのがエスカリオットで良かったわ。政治犯みたいなものだし」
エイダがため息を付きながら言う。
エイダもシャイナが3年前に王都に来た当初からお世話になっている人だ。少しの間この店の2階で寝泊まりさせてもらっていた事もある。
「グスタフさんにも危険だったと言われました。反省しています。でも大丈夫ですよ。闘技場の支配人さんは良い方でしたし、こうしてエスカリオットさんとのご縁もありました。あ、エスカリオットさんは無口ですが良い人です」
「まあ、結果オーライだけどね」
エイダは今度はじっくりとエスカリオットを見た。エスカリオットはいつものように無表情のままエイダを見返す。
「ふうん?良い人かはともかく、いい男なのは間違いないわねえ」
エイダはすうっとエスカリオットの顔に手を伸ばした。エスカリオットは避ける気はないようだ。
「ちょっとエイダさん、勝手に触りませんよ」
シャイナがぴしゃりと止める。エイダはあら、と手を引っ込めた。
「ふふふ、あらあらね。エスカリオットさんはお酒は?」
「ワインをくれ」
「うちは安いのしかないわよ。構わない?」
「構わない。シャイナ、飲めるか?」
「えっ、私ですか?私は弱いからいいです」
「なら少し付き合え。適当に甘いのもくれ」
「聞いてましたかー、弱いのですよー」
シャイナは抗議したが、程なくワインと甘いカクテルが並ぶ。
ハン国では16才で成人となるので飲酒自体は問題ない。
でも、弱いんたけどなー。
シャイナは自分の前のカクテルグラスをくるくる回して迷う。
料理はじゃが芋と鱈のチーズ焼きに、トマトと魚介のリゾット、豆のサラダを注文した。
エスカリオットはワインをひとくち飲んで、すうっと目を細めた。
とても満足気だ。
お酒はいける口のようだ。
お酒については全く考えてなかったな、とシャイナは反省した。
シャイナが酒に弱いので家に酒類は一切置いてない。エスカリオットは5年ぶりに剣闘士奴隷から解放されて、もしかしたら飲みたかったのかもしれない。気が回らず悪い事をしてしまった。
今度、お酒買っておこう。
そして今夜は不肖シャイナ、出来るだけお付き合いしよう。
シャイナは甘いお酒をちびちびと飲んだ。
やって来たじゃが芋と鱈をいただきながら、お酒も飲む。ふわふわしていい気分だ。
時々、エスカリオットに料理を取り分けてやる。
エスカリオットが注文したのかいつの間にか煮込み料理と人参のマリネも並んでいる。
エスカリオットが「肉まんはないのか」と聞いてエイダが笑っている。
む、何だかエイダとエスカリオットが仲良さげなのは面白くない。
私のエスカリオットさん、私の美しい黒豹なのに。
面白くなくて、ついついお酒が進む。
ちびちびではあるがシャイナのお酒は順調に進み、1杯目のグラスが空になる。
エスカリオットがエイダに向けてくいっと顎でシャイナを指し示すと、エイダがすっと2杯目のお酒をシャイナの前に置いてくれた。
むっ、息もぴったりじゃないか。
ますます面白くない。
シャイナは2杯目のお酒もちびちび進んだ。
お酒が入って変な感じだ、周りのざわめきがシャイナを心地よく包む。
じゃが芋と鱈のチーズ焼きは結局1人で全部食べてしまった。今は皿にこびりついたチーズをスプーンでカリカリして食べている。
少し眠い。
うとうとしながらふと隣を見るとエスカリオットとエイダが何やら話し込んでいた。
むっ!
私のなのに。
シャイナはエスカリオットの黒龍の左手を取ると、はむっと甘噛みした。
エスカリオットが少し驚いた顔をする。
「あら、妬いてるのね」
エイダがふふふ、と笑う。
そんな2人の様子はぼんやりしていて、少し離れた光景のように感じる。
とにかくエスカリオットは自分のものであるし、はむ、はむ、と甘噛みを続けていると、エスカリオットが右手でシャイナの頭をぽんぽんして言った。
「心配するな。俺の好みは小動物だ」
がーん!
ショックで、エスカリオットの左手を離す。
「……そんな、私、狼です。」
うちひしがれてそう言うと、エスカリオットは優しく笑った。




