85.結婚祝い
夕暮れ時、店を早めに閉めたシャイナは贈られてきた花束を見た。
居間のテーブルの上に無造作に置かれたそれは昼下がりに大きな箱に入って届けられたものだ。差出人は空欄になっていたが箱を開けてすぐに誰かは分かった。
「ブラックローズとはね……」
シャイナはするりと花を撫でる。
かなり大きなその花束は一種類の薔薇だけで構成されていた。
薔薇は薔薇でもかなり珍しい花弁が黒い薔薇だ。深い赤が重なって黒く見えているらしく黒い花弁の端だけは赤い。なんとも妖艶な花である。
「これ、結婚祝いってことでいいんだよね?」
花束には小さなメッセージカードが添えられていて、そこには〈シャイナ殿、結婚おめでとう。是非こちらをあなたから新郎に渡してやってくれ。きっと喜ぶ L〉とあった。なので結婚祝いであるらしいが、色も暗いし祝い事には向いてない気はする。
そもそもブラックローズなんて一般的には手に入らないので通常のお祝いには使われない。
この妖しくも美しい黒い薔薇が咲いているのは、城の王族専用のローズガーデンの中だけだと聞く。
つまりこれの贈り主は王族だ。
そしてシャイナが直接知る王族は一人だけ。国王ルキウス・ハンだけである。
(いや、嬉しいよ? ありがたいよ? 花びらを乾燥させたらいろいろ使えたりもするしね? でもさ)
国王からの祝いの花束。もらうだけで畏れ多いとは思う。
思うけれども。
「なんか異質なんだよなあ。センスなくない?」
シャイナの家の床はアイボリーの大理石で壁は白い漆喰だ。家具類は軽やかな木目調で、リネンや敷物は温かみのある色で統一されている。全体的に明るく柔らかい雰囲気なのだ。そんな中で妖艶な黒い薔薇はけっこう浮いていた。
欲を言えばもう少し可愛らしいものにして欲しかったなと思う。
そして、シャイナとエスカリオットが教会で夫婦の誓いをしたのは昨日のことなのに、ルキウスがすでにそれを把握していることにはちょっと引く。
平民同士の結婚は教会の帳簿に記録されるだけで、大々的に公表されるものではない。
昨晩のうちにエイダには報告をしたけれども言いふらしたりはしていないのだ。
すごい情報網だな、なんて感心していると階下の扉が開く音がして、階段を上がる足音が近づいてきた。
(あっ、帰ってきた)
新婚らしく浮き足立つシャイナ。
ソワソワしていると居間に傭兵団の鍛錬から帰ったエスカリオットが顔を出した。
「お帰りなさい、エスカリオットさん」
「ただいま、シャイナ。もう店を閉めたのか?」
「今日はすごく暇だったので。気掛かりなものも届きましたしね」
シャイナの言葉にエスカリオットはテーブルの上の花束を見る。
「それか?」
「はい、大きな箱に入ってたんですよ。気になっちゃうじゃないですか。開けたらお祝いのお花でした。どうやらハン国王からみたいです」
「ほう」
エスカリオットはブラックローズの花束に近づき、メッセージカードを確認した。
それを読んだエスカリオットの口角が上がり、シャイナへとこう聞いてきた。
「渡してくれないのか?」
「へ?」
「あの男は、お前からこれを俺に渡せと書いているぞ」
「あー、そういえばそうでしたね。儀式的な何かでしょうか」
シャイナはがさりと花束を抱えるとエスカリオットに「どうぞ」の差し出した。
「ありがとう、シャイナ」
エスカリオットは甘く微笑みながら受け取ると、薔薇の香りを嗅いだ。
(うわあ)
シャイナの愛しい黒豹とブラックローズ。
妖しく美しいもの同士のコラボレーションにシャイナはドキドキした。
「なんだか目の毒ですね」
恐ろしいほどに黒い薔薇の似合うエスカリオットは何やら官能的で、見てはいけないものみたいだ。
シャイナはちらちらと盗み見るようにエスカリオットを眺めた。
「良い香りだ。ところでシャイナ、ブラックローズの花言葉は知っているか?」
「花言葉ですか? いえ、知りませんよ。薔薇だし“愛”とか“恋”とか情熱的なやつなのでは?」
シャイナは植物や花の効用は知っているが花言葉には詳しくない。ウェアウルフは花で気持ちを伝えたりはしないのだ。獲物や行動で示すのである。
「恨みや憎しみの意味もある」
「えっ、これお祝いですよね?」
シャイナはぎょっとした。
「だから今回は永遠の愛のほうの意味なのだろう」
「なんだ、そっちの意味もあるんですね」
「赤い薔薇に比べると少々仄暗いがな」
エスカリオットが可笑しそうに笑う。
「何で笑うんですか?」
「これをお前から渡されて嬉しく思う俺はすっかり落ちているのだな、と」
「何にですか?」
「お前に」
エスカリオットは片手を伸ばすと愛おしそうにシャイナの顔に触れた。
「ふあっ」
薔薇越しのエスカリオットの色気にめまいが起きそうになるシャイナ。
「エスカリオットさん、い、色気が暴走してますよ」
「ちょうどいい。昨夜はシャイナが恥ずかしがって初夜ができなかったからな」
「うひょおっ、まだ夕方なのになんてことを」
「残念だった」
「エスカリオットさんが、しょ、しょしょ、初夜をしようとか言うからでしょおっ、もっと自然にですね」
「分かった。おいで、俺の愛しい狐」
「狼ですっ」
「愛しいシャイナ」
「ひょおっ」
「ほら、おいで」
エスカリオットは薔薇の花束をずらして手を広げた。
「…………」
シャイナとて新婚さんである。
シャイナは真っ赤になりながらそっとエスカリオットに歩み寄り、その腕と薔薇の香りに包まれた。
お読みいただきありがとうございます。
ただ、ただエスカリオットさんに黒い薔薇を持たせたくて書いてしまった。
ブラックローズの花言葉の“愛”は少々重たく独占欲が強い意味合いのようです。




