79.タイダル公国へ(1)
シャイナが塔に身を寄せてから五日目の夕方。
かちゃり、とシャイナは塔の扉を開けて来訪者を見た。
「…………」
そして無言で来訪者を睨んでから、シャイナはそっと扉を閉じてやった。
「シャイナさん? お迎えの方ではなかったですか?」
背後でシャイナを呼びに来てくれたカロリーナが戸惑っている。
今日の昼にランディより、シャイナの塔での暮らしの終了が告げられて、夕方には迎えが来ると聞かされていた。
来訪者はその迎えなのである。
「…………いえ、お迎えです」
腹は立っているが、カロリーナを困らせるのは申し訳ない。シャイナはぶすっと答えてから再び扉を開けた。
艷やかな黒髪を輝かせ、黒シャツ、綿パンにサンダル姿の訪問者は俯いて片手で口元を覆っていた。肩が小刻みに揺れていて笑っているのが分かる。
「なに笑ってるんですか?」
シャイナは不機嫌を隠そうともせずに、迎えに来たエスカリオットに突っかかった。
「拗ねているのか?」
笑みを残した顔でエスカリオットが聞いてくる。
(拗ねているのか、だと?)
シャイナはぎっとエスカリオットを睨む。
もちろん、拗ねている。そして怒っている。
現在は塔に入ってから五日目の夕方だ。三日で片付くはずの不穏分子の一掃は結局二日延びたのだ。
延びたのは仕方ない。テロは周到に計画された大規模なもののようだったし、いろいろあったのだろう。
無事に何事も起こらずに片を付けられたようだし、一般人には人的被害はなかったらしい。万々歳だ。
だから延びたのには怒っていない。
怒っているのは、この五日間、エスカリオットから何の連絡もなかった事に対してだ。
シャイナはずっと心配していた。
特に三日が過ぎた後の二日の間は、延びているという事は何か問題があったのでは……と、ずっとヤキモキして過ごした。
エスカリオットの義手を通して、その無事は確認出来ていたが、それでも心配は心配だった
それなのにエスカリオットからの連絡は一切なく、連絡らしい連絡は、三日目の晩にランディが申し訳なさそうに塔の滞在が少し延びそうだと伝えてきただけだ。
これは怒っていいと思う。
シャイナは睨んでいたエスカリオットから目を逸らし、口を開いた。
「三日で終わらせるって言ったくせに」
「すまない、延びた」
「連絡もくれなかった」
「こちらに帰る余裕がなかったからな」
「王都からも出てましたよね」
これは義手を通して把握済みである。
「拠点の一つがあったんだ」
「遠くに行くなんて聞いてません」
「心配をかけてしまった」
「その通りです」
「だが、終わった。後は騎士団が関係していた領主達を引っ張るだけだ。帰ろうシャイナ、おいで」
エスカリオットが手を差し伸べる。
この手をはたき落とす事が出来ないくらいには、シャイナはエスカリオットに惚れている。
「…………」
むっつりしながらシャイナは頷いた。
荷物を取ってくる、とエスカリオットに告げて塔へ引っ込み、荷をまとめてカロリーナに別れの挨拶をした。
ドーソンにも声はかけたが、青白い顔の魔法使いは今日も呪いのサークレットとにらめっこをしてして、聞こえていたかどうかは不明だ。
「お待たせしました」
むっつりはしたまま改めてエスカリオットの隣に並ぶ。
ふわりと優しく微笑むエスカリオット。
騙されないぞ、と思うが五日ぶりに愛しい黒豹に会えたのだ。嬉しさと安堵でシャイナの頰はちょっと紅潮して緩んだ。
「ところでシャイナ」
「……はい」
緩んでいた頰をむっつりに戻してから返事をする。
「明日からもう少し店を休んでくれないか?」
「えっ、なぜですか? もう少しってどれくらい?」
「一週間ほどだな。タイダル公国へ行こうかと思っている」
「へっ? でも今回の事に公国は関与してないんですよね」
シャイナはタイダル公国は完全に潔白であったとランディから聞いている。
「ああ、だから明日には大公閣下が帰途につかれる。その護衛を国王から頼まれた」
「国王がですか?」
意外だ。あの狸はエスカリオットと公国が結び付くのを嫌がりそうなのに。
「閣下を人質にして脅した事への詫びのようだ。今回の事で俺をそれなりに信用もしたのだろう」
「ふーん」
「閣下は完全にお忍びでハン国まで来ているから、大袈裟な護衛も付けられないしな。俺とお前がちょうどいい」
「私も行くんですね」
「俺個人としてもシャイナの同行を願いたい」
そう言ったエスカリオットの声は随分柔らかくて、何だろうとエスカリオットを見あげる。
「公国はかつての王都とその周辺だけになっていて、戦争のせいで面影はなくなっているが、いちおう俺の故郷だ。もはや家も血縁者もいないし、仕事のついでで申し訳ないが、お前を連れていけたらと思う」
甘い笑顔でそう言われてシャイナの不機嫌が吹っ飛ぶ。
だってこれは、確実にあれだ。
ほら、結婚する予定の恋人を故郷に連れていって、いろいろ報告するやつだ。報告する相手はいないようだが、なんと言ってもシャイナはプロポーズもされる予定なのだ。
シャイナの顔が熱くなって口元が緩む。
「一緒に行ってくれるだろうか?」
「……ふん。い、いいですよ」
「よかった」
シャイナはじわりと緩む口元を隠して移動の魔法陣を発動させた。
ほどなく二人は懐かしの我が家のダイニングへと降り立ち、旅の準備を行った。




