77.再会(6)
「今はハン国領となった旧タイダルの一部の領主達に不穏な動きがある、という情報は一年ほど前に掴んでいたんだ。うちにも接触があったが、公国としては関わるつもりはないから断った。そして最近、公国内で嫌な動きがあってね。イザベラが実家に送る手紙が偽装されていた」
シャイナの説明が終わると、コーエンはそう切り出した。
「偽装は数ヶ月前から念入りに行われていて、悪戯にしては手が込み過ぎていた。そこで手紙を秘密裏に調べると複雑な暗号になっていたんだ。タイダル公国とテロの一味がやり取りしているという内容で、昨日発送された直近の手紙には、ハン国で起こすらしいテロの詳細が記されていた」
シャイナはごくりと唾を飲む。
それは三日後の計画の事なのだろうか。
「グロリオーサ公爵家は、手紙の偽装には気付いているが暗号の解読まではしてない様子だ。貴族らしい対応だね。もしテロが起これば、ハン国は公国の関与を疑うだろうし、娘がそこに嫁いでいる公爵家を捜索する。その時に知らぬ存ぜぬで通す為にも深入りはしない方がいい。でもそこで手紙がハン国に渡るとどうなる?」
「……暗号は解読され、タイダル公国がテロを主導したのでは、となりますね。イザベラ嬢はそれを知ってしまって苦肉の策で暗号の手紙を出した、と」
シャイナの回答にコーエンが頷く。
「うん。そうなると公国は巻き込まれざるを得ない。おそらくテロ犯は公国を力付くで巻き込む事を狙ってるからね。
ハン国王は馬鹿じゃないから鵜呑みにするとは限らないけど、あの狸国王がどう出るかは分からない。うちとしては非常にマズい事には変わりない。テロの詳細はある程度は本当だと思うんだ。その方がうちへの疑いが増すからね。決行の日も近いようだった。それなら一刻も早くハン国に知らせて恩を売るべきたと思い、私が来た」
「なにもあなたが来る事はなかったでしょう。危険です」
こう言ったのはエスカリオットだ。先ほどから、コーエンに対してはきちんと敬語を使うエスカリオット。おまけにつっこみ属性になっている気がする。
「より確実な手段を取った。使者を立ててはすぐに国王に謁見できない可能性がある。それにハン国王はこういう潔いのを好むから心象もいい」
コーエンはそこで言葉を切ると、エスカリオットに向かってにっこりした。
「何よりそれらしい事態にかこつけて、君の近況も知れる」
「…………」
エスカリオットが沈黙したのでシャイナがその様子を窺うと、困惑と嬉しさの混じった変な顔をしていた。
(こういう顔、珍しいな)
そう思ってからシャイナは、エスカリオットにこんな表情をさせたコーエンにちょっとイラッとする。
(あ……いかん)
すぐにイラッとした自分に気付いて、慌ててその感情を抑えた。
これはマズい。エスカリオットに近付く者は、たとえ男であっても嫉妬するなんてヤバい女の末期だ。
「手紙の事をイザベラに相談すると、震えながらジュバクレイの魔法陣を渡してくれた。何かあればシャイナ殿が守ってくれるから大丈夫、とも言われたな」
コーエンの瞳がまた柔らかくなる。
「私も己の身くらいは守れると思うんだが、イザベラは私よりもシャイナ殿に信を置いているようだった。あれは少し妬けたな」
「えーと……それは、すみません?」
「ふふ、いいよ。使わせてもらった移動の魔法陣は完璧だった。ジュバクレイの布を使っているとはいえ、これ程の距離を正確に転移できるとはすごいね。描いた魔法陣と込めた魔力がとても緻密で精度が高くないと出来ないことだ。シャイナ殿の実力は確からしい」
「えへへ、ありがとうございます」
褒められて口元が緩むシャイナ。照れながら礼を言う。
「謙遜しないのがよいね。自分の実力を知っている者は好きだ。さて、そういう訳で城からの迎えに便乗させてもらうでいいのかな?」
話題が元に戻り、シャイナは顔を引き締めた。
「ええ、それが一番早いでしょう」
「ありがとう。ところで、イザベラはシャイナ殿とエスカリオットを、とても仲の良さそうな主従だったと言っていたんだけど、この様子は……本当に主従なのかな?」
コーエンはそう言いながら、意味深に部屋を見回した。
シャイナとエスカリオットの居るダイニングは明らかに親密さが溢れた空間で、主従が過ごす場所ではない。
ソファにはエスカリオットの洗濯済みのシャツが掛けてあり、キッチンには朝食で使って洗われた食器とコップが二セットずつ伏せてある。
エスカリオットが小さくため息を吐いた。
「関係性への言及が遅れました。恋人です」
「つあっ」
直球での暴露にシャイナは変な声を出した。顔に血がのぼり、口がはくはくする。
「シャイナ殿はびっくりしているようだよ?」
口が半開きのシャイナを見ながらコーエンは楽しそうだ。
「慣らしている最中です」
エスカリオットの返事にコーエンは「それはとても面白そうだ」と朗らかに笑った。
❋❋❋
「お待たせし、まし……た」
シャイナ達を迎えに来たランディは、出てきた三人を見て笑顔のまま固まった。
口角は上げたまま、その目はコーエンを上から下までしっかりと観察する。
「シャイナ殿、これは一体……ご本人ですか?」
「ご本人です。陛下にお目通り願いたいようですよ」
「ご本人、えっ、お一人で? えっ、いつから?」
「ランディさん、ここでは目立ちますし、馬車に乗りましょう。乗りながら説明します」
混乱するランディを急き立てて、シャイナは馬車へと乗り込んだ。
城に着くとまず応接室へと案内され、しばらく待たされた後にエスカリオットとコーエンだけが呼ばれて出ていく。
やがてエスカリオットだけが戻ってきて、シャイナに告げた。
「シャイナ、不穏分子の一掃に手を貸す事になった」
「ええっ、分かりました!」
ソファにのんびり座っていたシャイナは、もちろん自分も一緒だろうと立ち上がってエスカリオットの側へと行く。
「これからですか? 荷物はここに置いてていいのかな?」
「シャイナ、お前は行かない。お前はここにいろ」
「へ?」
「お前は城に残るんだ」
「…………」
シャイナに獣の耳があればぺしょりと下がっていただろう。
「……どうしてですか? エスカリオットさんだけを危険に晒すなんて嫌です。あっ、私が拐われたからですか? でもすぐに対応出来ましたよ。現場でも役に立ちます」
シャイナは一生懸命主張した。
シャイナを拐った男達は全員手練れで、魔法使いもそこそこの使い手だった。森の中でエクスカリバーの力を使っても問題ない状況だったからあっさり片がついたが、あれが街中だったなら結構苦労したはずだ。
今日の奴ら以上の実力者も出てくるかもしれない。エスカリオットが十分強い事は知っているが、自分が共に居る方が安心だろう。
「ダメだ。役に立つ立たないの問題ではない。今日、目の前でお前が消えた時に俺がどれほど怖かったか分かるか? あんな思いはもうご免だ。それにお前は人に対しては情にも流されやすい、今回は不向きだ」
「むう」
シャイナは眉を寄せた。
確かに対人の戦闘は苦手だから強く反論できない。
「ドーソンの塔に居るのが安全だろう。今は騎士での守りも固めているらしい」
「ええぇ、嫌ですう」
「三日で片付けるから、大人しくしていてくれ」
「……私も一緒がいい」
ぶすっとしながら言ってみるが、エスカリオットは頑なだった。
「ダメだ。俺一人だ」
「ええぇ、大体なんで手を貸す事になったんですか?」
そう聞いてから、シャイナはコーエンが戻って来なかった理由について考えた。
「……まさか、大公を人質に取られましたか?」
エスカリオットが一人に拘るのはそういう背景があるから?
視界が少し赤くなる。
エスカリオットが苦しい決断を迫られたのなら、黙っている訳にはいかない。
だが、エスカリオットは優しく笑ってシャイナの頭をくしゃりと撫でた。
「怒らなくていい。確かに国王は閣下を盾に脅してきたが、協力は俺の願いでもある。旧タイダルの不穏分子を残しておけば、俺はまた巻き込まれるだろう。そうするとシャイナが狙われる。今日みたいな事は二度と起こさないように一掃しておく」
「脅されてるじゃないですか」
「ちょうど良いから乗っただけだ」
「ちょうど良いとは?」
「協力も出来て、大公閣下の安全も保証される」
「はあ、ものは考えようですね」
一応納得したシャイナをエスカリオットはそのままくしゃくしゃ撫でた。
「シャイナはいつも俺を守ろうとしてくれる。甘えてしまいそうだ」
「甘えてもらって良いですよ?」
なんと言っても、エスカリオットはシャイナの美しい黒豹である。全力で守るべきものだ。
「俺にも守らせてくれ。今日も身が凍る思いで拐われたお前の元へ行けば、あっさり全滅させていて、膝から崩れ落ちそうだった」
「……ピンチっぽいのがよかったと?」
「そういう意味ではない。これからも全力でまず逃げろ。何というか、シャイナは俺の想像の遥か上を行くので困る。俺の事情で巻き込んでおいて、助けも出来ないとはな……俺がお前の側に居る意味について考えしまった」
「何だかすみません」
シャイナがせっせと移動の魔法陣を描いている間に、エスカリオットはいろいろ考えていたようだ。
よく分からないが困らせていたのであればと、シャイナは謝ってみた。
「謝るところではない」
「うん?」
「ふと、俺はお前に相応しくないのでは、とも考えた」
「…………………………は?」
シャイナの声が低くなる。まさかエスカリオットはシャイナから離れて行くつもりなのだろうか。
恋人だと宣言までしておいて?
(逃す訳がないぞ)
ぐるると喉も鳴るシャイナ。
それを聞いてエスカリオットは再びふっと笑った。
「帰って縋るように抱きしめると、お前は“褒めろ”とでも言うように俺を見てきて、また力が抜けた。今は日々精進しようと考えを改めた」
唸り声が引っ込む。よく分からないが側にいてくれるように聞こえる。
「えーと、つまり、離れたりはしないという事ですね?」
「要約すると、俺はシャイナにベタ惚れだということだろうか」
「べっ、えっ」
ベタ惚れに慌てふためくシャイナ。
「一掃が終わって俺なりのけじめが着けば、プロポーズもしたい」
「プ、プロ!?」
「プロポーズだ、シャイナ」
「ひゃあ」
(なにこれ!? プロポーズって宣言してからするものだったっけ?)
おろおろするシャイナに構わずエスカリオットは続けた。
「ハン国王はテロ犯の一味を片付ければ、お前が俺を買うのに要した金額と同じ報酬をくれるらしい」
エスカリオットの言葉にシャイナは嫌な予感が閃く。
「それまさか、陛下にプロポーズの相談したんですか!?」
「相談はしていない、要望した」
「ぐあっ、一緒ですう」
あの国王に、これからされるプロポーズがバレているとか、居た堪れない。恥ずかしさでシャイナの顔から湯気が上がる。
「シャイナ、気にするな」
「気にしますう」
「俺を買った金が戻ってくるぞ」
「…………」
それは正直嬉しい。シャイナの美しい黒豹はとってもお高かったのだ。
沈黙したシャイナにエスカリオットが笑う。
「俺の事は心配しなくていい、お前は塔でのんびりしていろ」
エスカリオットはシャイナの頭をもうひと撫ですると、部屋を出ていった。
その後、シャイナはランディに案内されて、見知った塔に身を寄せた。




