65.恋バナをドーソンと(2)
馬車は城の正門ではなく、ぐるりと回った裏の通用口へとつけた。
そこからは徒歩で塔へと向かう。
程なく、四階建ての細長い建物が見えてシャイナとランディは、ドーソンの過ごす塔に到着した。
「これはまた、すごい結界ですね」
そびえ立つ塔を見上げてシャイナが言う。
四階建ての塔にはぴったりと張り付くように三重の結界がかけられていた。
一番内側の結界は中から出られないもので、その上に外からの侵入を防ぐものが二重にかけてある。
「シャイナ殿にそのように言っていただければ、城の魔法使い達も鼻が高いでしょう」
「侵入防止が二重なんて、厳重ですね」
「一番外側のものは、先週のドーソン殿の誘拐を受けて足されたんです」
「ほうほう」
シャイナは自身に防御魔法を施してそっと一番外側の結界に触れた。
手にチリチリと熱い感覚がして、何かが押し返してくる。
「ふむ……時間をかけて練られた結界ですね。これは解除は難しいな、数日かかりそうです」
そう呟くと、ランディが苦笑した。
「城の魔法使いが複数で一週間かけて作り上げた結界です。シャイナ殿がAランクの魔法使いとはいえ、お一人で数日で破られては困るんですけどね」
「おっと、ふふふ、違いますよー。Sランクのドーソンさんなら数日で破るかなあ、という話です」
にっこりするシャイナ。
シャイナは表向きのギルドランクはAなのだ。
実力的にはSランクなのだが、身分や義務でがんじがらめになるSランクにはなりたくないので、誰が何と言おうとシャイナはAランクだ。
「そういう事にしておきましょうね。あなたには何も突っ込むなと陛下直々に厳命されております。結界は毎日綻びがないか確認してますので、破るのは難しいでしょう。
まあ、ドーソン殿は破る気がなさそうなんですけど」
「ところで、これはどうやって入るんですか?」
「中から扉を開けて貰えれば入れるんです。外へ出る時は、魔力を封じる腕輪を付ければ出れます」
シンプルな条件だ。
うむうむ、よろしい。こういう条件はシンプルなものに限る。
シャイナが、よく出来た結界だ、と感心しながらその魔法の構造を観察していると塔の扉が開き、青白い顔が覗いた。
「遅かったな」
不機嫌な顔のドーソンだ。
「出来るだけ急ぎましたよ。ご要望通り、シャイナ殿をお連れしました、中に入れてください」
ランディがそう答え、シャイナと共に中に入ろうとしたがドーソンに止められた。
「お前はいい、騎士は懲り懲りだ」
「そういう訳には参りません、シャイナ殿に何かあっては困ります」
「何もしないさ。大体、僕が何かすれば、その狼娘にとって君は足手まといになるよ」
ドーソンの辛辣な返しにランディは肩をすくめる。
「盾くらいにはなれますよ」
そう言ってランディは、ドーソンの腕をチラリと見た。その腕には魔力を封じる腕輪が付けられている。
「その腕輪、塔の中では鍵が使えるので外せるでしょう? どうして付けているんですか?」
「煩いな。付けてた方が狼娘も安心するだろ。とにかく、騎士は入るな」
ドーソンの声に苛立ちが交じる。
「シャイナ殿、どうされますか?」
ランディはシャイナに聞いてきた。
「私なら平気ですよ。カロリーナさんは早く診てあげた方がいいでしょうし」
シャイナがカロリーナの名前を出すと、ドーソンの瞳が揺れる。
ランディの言った“ドーソンがカロリーナを心配している”には半信半疑だったのだが、本当らしい。
「だってさ、騎士はそこにいろ」
ドーソンが扉を広く開ける。
「ではランディさん、何かあれば大声でも出しますね。行ってきます」
シャイナは爽やかに手を振ると、さっさと塔の中へと入った。
「あっ、ちょっ」
若干慌てるランディの前で扉が閉まる。
「声を聞いても、中から扉が開けられないと助けに行けないのですけどね。うーむ、これは、報告しとかないと後が怖いな、というか今から怖いな……」
ランディがため息と共にそう呟いた。
***
「こっちだよ」
塔の中に入るとドーソンがそう言って階段を昇り出す。ぐるりと螺旋階段を上がり、2階の部屋をドーソンは開けた。
そこはベッドと机とソファがあるこざっぱりした部屋だった。
その部屋の窓際の一人がけのソファにぴんと背筋を伸ばして座る小柄な侍女がいる。
茶色い髪の毛をきちんと纏めて、お仕着せを着た侍女は、ソファの背もたれに体を預けることなく前を向いて座っているが、その瞳は虚ろで何も映してはいない。
本来なら愛くるしいであろうと思われるその顔は、能面のように無表情だ。
シャイナはとことこと侍女に近づく。
「こちらがカロリーナさんですか?」
「そうだよ」
「ふむ」
カロリーナの虚ろな瞳の前で、手を振ってみるが反応はない。胸は僅かに動いていて、ゆっくりと静かに呼吸をしているのが分かった。
そっとその手に触れてみると、ちゃんと温かいが筋肉が強ばっている。
「魔道具の事故と聞きましたが、何があったんですか?」
「事故じゃない。僕が、おそらく、魔法をかけた」
小さな声でドーソンが答えた。
「へ? なんの?」
「……たぶん暗示の」
「暗示? 精神系の魔法の? 何してんですか?」
シャイナの声が尖る。
「かけるつもりはなかったんだよ。騎士には言うなよ」
「かけるつもりがなかった訳ないでしょう、たとえ魔法によるものでも暗示には開始動作とか、言葉での誘導が必要です。勝手にはかかりません」
魔法による暗示は、本人の意思を無視してかける暗示だが、それでもそれなりの準備はいる。
つもり、がないのにかかるものではない。
「その子が、かかり易い体質みたいなんだ。僕は言葉を唱えもしなかった」
「言葉も唱えずに、どうやって暗示にかけるんですか」
暗示は精神系の高等魔法だ。無詠唱でかけるなんて考えられない。
「僕は念じただけでも、少しなら作用は出来るんだ」
「げっ」
シャイナは思わずドーソンから距離を取った。
「心配しなくても少しだし、警戒されてたら、さすがに無詠唱では影響ないよ、それくらいのものだ」
「それくらいって……うわあ、無詠唱で精神系の魔法は怖いですね、さすがSランク」
「……どうせ、化け物だよ」
「……そういう言い方はどうかと思いますよ。天才、とか、珍獣くらいにしましょう」
ドーソンが傷ついているように見えて、シャイナは“化け物”を柔らかく言い換えてみた。
「珍獣は君だろ」
むっ。
「狼ですう」
「それで、治せるの?」
「精神系は治癒では難しいんですよね……ところで、どういう暗示をかけたんですか?」
「しっかり覚えてはないけど、口答えされて、腹が立って、お前なんか人形になれ! と強く念じたんだと思う」
「人形って」
「『私なんか、掃除する人形くらいに思ってるんでしょう!』とか言うからだよ」
「よくは分かりませんが、喧嘩したんですね。事情はともかく、念じただけで作用すると知っていたなら気を付けるべきだったとは思いますけどね」
シャイナの言葉にドーソンは俯いた。
「こんなにしっかりかかるなんて思わないだろ、その子がかかり易すぎるんだ」
ぶつぶつ言いながら、腕輪をこする。
ここでシャイナは気づく。
ドーソンは、間違ってもカロリーナにこれ以上何かしてしまわない為に腕輪を付けているのでは、と。
「……もしかして、カロリーナさんの為に魔力封じの腕輪を付けっぱなしにしてるんですか?」
魔法使いが魔力を封じられている状態は、不安が強くなり気持ちがいいものではない。
Sランクのドーソンなら、魔法は日常生活でも自然に使うだろうしかなり不便なはずだ。
シャイナは同じ魔法使いとしてそれがよく分かる。
(気持ち悪さと不便さよりも、カロリーナさんの安全を取ったんだ)
シャイナはしげしげとドーソンの腕輪を見る。
「これは、何となくだよ。この塔は狭いし、魔力なんて魔道具の調製する時だけ使えれば不自由はない」
「ふーん?」
ニヤニヤしてしまうシャイナ。
「なにニヤついてるんだよ。それより、あの騎士には僕が暗示をかけたなんて言うなよ。その子が魔法にかかり易いなんてバレたら、その子はきっと首になる、金に困ってるんだよ、可哀想だろ?」
「ほーう?」
やっぱりニヤつくシャイナ。
そして、腕輪を意味深に見ていたランディには全部バレているような気がするシャイナ。
「何だよ」
「いえ、別に。完全に掌で転がされているとは思いますけどね。しっかりカロリーナさんを守ってあげてくださいね」
「は?何で僕が守らないといけないのさ。それより早く治せよ」
「だから、精神系って治癒は効きにくいんですよ。正攻法なら外界から弱い刺激を与えて徐々に戻すのがいいと思いますよ。声をかけ続けて、反応してきたら食事させてお風呂に入れて、ってやつです」
「そんなに長い間、この状態はよくないだろ。身体中、強ばってるんだぞ」
「そんな状態にしたのは誰ですか、仕方ないでしょう」
「したくてしたんじゃない!」
ドーソンが声を荒らげる。
シャイナはびくっと身をすくませた。
「あ……わるい」
「いえ、大丈夫です」
「…………」
沈黙が流れる。
「……お薦めはしませんが、荒療治はあります。ドーソンさんなら可能かも」
しばらく黙ってからシャイナはそう切り出した。
「荒療治?」
「暗示の重ねがけですね。全く同じ質と量で正反対の暗示をかけるんです。“今から眠って目が覚めたら人形ではなくなる”みたいなのを。
カロリーナさんの暗示をかけたのがドーソンさんなら魔力の質は同じなので、量をきっちり揃えられるなら上手く払えると思います。ただ、少しでもずれると暗示が重複するだけになるで、解くのに余計に時間がかかります」
「君、詳しいんだね」
「最近、精神系の魔法で嫌な目に合いまして、勉強しました」
胸を張るシャイナ。
ダイアナ嬢による魅了事件の後、シャイナは精神系魔法の魔法書を買ってせっせと読んでいる。
幼い頃より感覚で魔法を使っていたシャイナには魔法の師と呼ぶような存在はおらず、魔法を系統だてて学んだ事もなかった。
天才肌の魔法使いではそういう者が多い。
シャイナもその中の一人で、今までそれに不自由を感じた事はなかったが、そのせいでエスカリオットを危険に晒してしまった。
自分には傲りがあったな、と反省して初心に返り、最近は自己研鑽しているのだ。
「というか、ドーソンさんは精神系魔法が得意なんでしょう? これくらい押さえておくべきですよ」
「かける事しか考えてこなかったんだ、解き方なんて気にした事もない」
「うわあ、悪の魔法使いみたいですね」
「煩いな、知識をつけるだけならすぐだ。さて」
ドーソンは真剣な顔つきになると、机の方へと向かい、その引き出しから鍵を取り出す。
その鍵で、かちゃりと魔力を封じる腕輪を外した。
「やるんですか? 荒療治」
「ああ」
「提案しといて何ですけど、失敗しません?」
失敗したらかなりややこしくなるはずだ。
「僕を誰だと思ってるのさ、タイダルでは国家魔導師だったんだぜ? ハン国も、僕を殺すのは惜しいってさ。失敗する訳ないだろ」
言いながらドーソンはカロリーナの顔に手をかざす。
その手は少し震えている。
ドーソンは数回深く呼吸した。
手の震えが止まる。
シャイナはごくり、と唾を飲み込んだ。
***
「上手くいきましたね」
ベッドで気持ち良さそうに眠るカロリーナを見てシャイナが言う。
能面みたいだったカロリーナの顔は、頬に赤みが戻っていて、その寝顔は健やかだ。
この様子ならしばらくすれば元気いっぱい起きてくるだろう。
「これくらい簡単だよ」
涼しげな顔で言うドーソンだが、暗示を重複させた途端、くたりとなったカロリーナには大慌てだった。
自分がカロリーナに触れる訳にはいかないと、鬼気迫る顔でシャイナにカロリーナの状態を確認させ、眠っているだけだと分かってやっと落ち着きを取り戻している。
「はいはい、よかったですねえ。では、私はこれで」
お暇を告げ、帰ろうとするシャイナだったが、腕輪を付け直したドーソンが止めてきた。
「お茶くらい淹れるぜ、飲んでいけよ」
「え?」
意外すぎる申し出に目を丸くするシャイナ。
「何だよ、僕の淹れる茶は飲めないのか?」
「いえ、そんな事はないですけど」
「じゃあ、来いよ」
ドーソンがすたすたと部屋を出る。
「えー、ドーソンさんとお茶?」
あまり気乗りはしないが、これから二人でお茶する事になったようだ。




