62.お仕置きとキス
「エ、エスカリオットさん、あの、これは?」
そう聞いたシャイナは、軽いパニックに陥っていた。
美しい黒豹が近すぎて、その色香にくらくらする。
首すじにはその吐息がかかっていて、シャイナの心臓は爆発寸前で、顔は羞恥で真っ赤だ。
夕方の薬草店の2階のダイニングで、シャイナは今、エスカリオットの膝に座らされ強く抱き締められていた。
(どうしてこうなったんだ?!)
真っ赤になりながらシャイナは考える。
ついさっきまではヨダ達が帰った後、2人で平和にお茶を飲んでいたはずだ。
その時にシャイナがエスカリオットに、「もし、ヨダさん達と暮らしたければ、ここを出ていってもいいですよ」と勇気を出して言ったのが始まりだったと思う。
すうっとエスカリオットの雰囲気が変わったのだ。
「シャイナ」
シャイナを呼ぶ声は、静かで冷たかった。
「?」
何か気にさわる事を言っただろうか、と困惑していると、エスカリオットが妖しい色気を纏って「シャイナ、俺はここを出ていかない。おいで」と言った。
ただならぬ雰囲気に逆らえなくて、恐る恐る近付くと、抱き上げられて、椅子に座るエスカリオットの膝で横抱きにされたのだった。
(そうだった。なんかいきなりこうなったんだ)
ドキドキして回らない頭で考えて、改めて己の置かれた状況を見る。
エスカリオットの右手はがっちりとシャイナの腹と腰に回されていて、これ以上ないほどエスカリオットが近い。
そして黒豹の顔はシャイナの首すじに埋められ、その鼻先や唇がシャイナの首をなぞった。首が沸騰しそうに熱くなる。
(うおおおおお!!!それにしてもなんだこれは?!)
降りようと身動ぎすると、腰に回る腕に力が込もった。
「エスカリオットさん、これは一体?」
「これは一部の人種でされている仕置きの一種だ」
「仕置き?お、お仕置きですか?」
「そうだ」
「まだ怒ってたんですね」
涙目でエスカリオットを見ると、いい笑顔でにこりとされた。
「ああ、怒っている」
(うわあ)
エスカリオットは洋館で見せた剥き出しの怒りではなく、ひたひたと静かな怒りを見せている。
「シャイナには仕置きが必要なようだ」
笑顔が怖い。
そして、これがお仕置きだと?
確かに、心臓は痛いくらいにばくばくしているし、頭はくらくらするし、息は上手く吸えなくて酸欠で苦しいが。
(え?これってお仕置き?)
何か違うような。でも、止めては欲しい。
「ち、近いですう、降ろして」
「ダメだ」
「えええ、何でですか」
「仕置きと言っただろう?こんなもの、初心者向けにもならないが、シャイナには十分なようだ」
すりり、と左手で耳をなぞられた。
「ひゃあっ」
シャイナの悲鳴にエスカリオットがくすくす笑う。
「エスカリオットさん!」
ぎっと睨むと睨み返された。
(ひいっ)
さっきまで笑ってたのに怒っている。
珍しく感情の起伏が激しいシャイナの黒豹だ。
ちょっと怖い。
「シャイナ、わざと捕まるなんて事はもう二度とするな」
低い声でエスカリオットが言う。
ヨダ達に拐われた事を言っているのだろうというのはすぐに分かった。
「でも、あれはですね、」
「俺はやろうと思えば、お前を昏倒させて自由を奪うことも簡単に出来る」
口答えしようとしたシャイナの耳元でエスカリオットが囁き、同時にまた耳をすりすりされる。
「ひゃいっ」
「シャイナ」
耳に直接吹き込むように名前を呼ばれて、シャイナの背中が粟立つ。
「な、なんですかっ」
「お前はまず逃げるべきだった」
「いや、でも、わあっ」
ぎゅむっと耳をつねられた。
すりすり、よりはお仕置きっぽい。
でも、すりすり、ほどはゾワゾワしないので、出来たらこちらでお願いしたい。
「俺じゃなくても、薬や暴力でお前の意識を奪うのは容易だ。お前がウェアエルフである事を知っていたら何らかの対策も出来る」
また耳元で吹き込むように喋られる。
「ひゃあぁ、エスカリオットさん!それ、言ってる事の中身が入ってこないですう」
「お前は傷つけられたり、損なわれたりする恐れがあったんだ」
「私だって、人くらいは見ます、ヨダさん達はいい人達だと判断しました」
「シャイナ、いい人が他人を害する事もある」
「でもぉ、最悪、お、狼になればですね」
「それだって、阻止しようと思えば出来る」
「……」
「今だって、されるがままだ」
「それは、エスカリオットさんだからで」
「こんなに、へろへろになってるのにか?」
ここまで全て、エスカリオットはシャイナの耳に唇をつけて喋っている。
耳が溶けるんじゃないかと思うくらいに熱い。
頭に直接エスカリオットの声が入ってきて、まともに考えられない。
心臓が痛い。
息が苦しい。
自分が自分でなくなるみたいだ。
だめだ、限界だ。
耳がじんじんして、涙目になりながらシャイナは気合いで言い返した。
「だって、エスカリオットさんの知り合いだったもんっ」
ぎゅっと拳を握る。
はふはふと息を吸うが、興奮し過ぎて上手く吸えない。
「昔の知り合いだったもん!私の知らない騎士の時の仲間で大切な人でしょう。会わせてあげたかったの!私が逃げたら二度と会えないかもって思ったんだもん、ヘイブンさんと会って泣いたの知ってるんだからね、ヨダさん達にもきっと会いたいだろうと思ったの!」
シャイナは大きな声で一気に捲し立てた。
頭の血管がきりきりして、切れるんじゃないかと思う。
酸欠気味だった所に、大声で息継ぎなしで捲し立てたからだろう。言い終わった後に、はあ、ふう、と息を吸って、シャイナの上半身がふらっと倒れる。
エスカリオットの左手が後頭部に回されて、優しく支えられた。
「シャイナ、ゆっくり息をしろ」
はあ、ふう、と息をする。
「シャイナ」
何度かゆっくり息をして少し落ち着いた所で、柔らかく名前が呼ばれた。
「悪かった。意地悪をし過ぎたようだ。初心者も初心者、入門編だったんだが」
「これが……入門?」
シャイナはまだじんじんしている耳を擦る。
自分は今、首まで真っ赤だろうし、耳へのすりすりと囁きとその後に出した大声のせいで腰が抜けているような気もする。
(これで、入門?)
「俺の為にと、捕まってたんだな?」
「そうです」
「シャイナ、それでもダメだ。これからはたとえ俺の為であっても、まず自分の身の安全を優先するんだ」
エスカリオットは支えたシャイナをそっと抱き寄せる。
「お前が拐われたと聞いて、身が凍るくらい心配した」
シャイナの髪の毛に切ない息がかかった。
「ああいう思いはもうしたくない。だからもう絶対にしないでくれ」
その声は掠れている。
ああ、すごく心配をかけたんだ。
シャイナは洋館の庭での、汗で湿っていたエスカリオットのシャツと汗の匂いを思い出した。
申し訳なかったな、と胸が締め付けられる。
「心配かけてごめんなさい」
「ああ、もうしないでくれ」
「気を付けます」
「それと、俺はお前の奴隷のままがいいんだ。最初はお前の所有物である方が都合がよくて楽だっただけのものだが、今の俺にとってこの首輪は、お前との唯一の繋がりだ。勝手に切らないでくれ」
「私との繋がり?」
「俺には何もない、お前だけしかいない」
シャイナの胸がきゅんと疼く。
「お、お、大袈裟ですよ」
「お前が俺のものになるまでは、解きたくない」
「へ?俺のもの?え?」
今、しれっと何か言わなかっただろうか。
「ところで、シャイナ」
「オレノモノ……」
「シャイナ」
「ふぁいっ?」
「こういう仕置きは通常、恋人同士でなされる。という事で俺とシャイナは恋人同士という事でいいだろうか?」
「ふぁっ、へっ?こ、こいびと?」
まだ“オレノモノ”にも対処できてないのに展開が早い。
「もうしてしまったし」
「ふえっ?」
何を?
え?何もしてないよね?
何だその既成事実作ったみたいな言いぐさは。
「俺はシャイナをアイシテイル。シャイナは?」
「いや、だからアイシテイルが片言ですよ」
「シャイナは俺をどう思っているんだ?」
「ど、どうって……」
エスカリオットはシャイナの美しい黒豹で、出来れば誰にも渡したくないし、どこにも行ってほしくない。
いや、こういう束縛はよくない。
百歩譲って、誰とどこに行ってもいいが、ちゃんとシャイナの所へ帰ってきてほしい。
それは、つまり……つまり?
「俺の事は大切だろう?」
「あ、はい、それはその通りです」
シャイナの大切な黒豹だ。
「俺もシャイナが大切だ。お前は俺の為にと拐われて、俺はお前を死ぬほど心配した。こんなにも想い合っているならもう恋人でよくないか?」
「な、なる、ほど」
恋人?
美しい黒豹と自分が?
恋人?!
シャイナはドキドキしながらエスカリオットを見つめた。
金色の瞳が切なく熱くシャイナを見返す。
耳をすりすりされていないのに、背中がぞくぞくして、瞳が潤んだ。
エスカリオットの顔がすっと近付く。
睫毛が数えられるほど近い。
心臓が口から出そうだ。
「キスしてみるか?」
楽しそうなエスカリオットの声。
顔が近過ぎるので、言ってる側から唇がかすかに触れている。
「あの、もう」
キスしているのでは?
これ、く、唇があたってるよね?
かすめる程度だけど、あたってるよね?
どうしたらいいか分からなくて、またじわりと涙が滲む。
エスカリオットは、くすりと笑うと、そっと触れている唇を押し付けた。
しばらく唇を触れあわせた後、真っ白になっているシャイナからエスカリオットが離れる。
「ゆっくり進める。これ以上をしたくなったら言葉で伝えるか態度で示してくれ」
「ふぁい」
燃え尽きたシャイナはぼんやりしながら返事だけした。
お読みいただきありがとうございます。
ブクマに評価、いいね、感想、いつも感謝しています。そして誤字報告、本当に助かります。
次の更新は少し開きます。よろしくお願いします。




