60.タイダルの傭兵達(7)
気持ちのよい青空、太陽は今にも天高く上り詰めようとしている。
打ち捨てられた洋館と荒れた庭にも、燦々と日光が降り注ぎ、伸びきった草がそよそよと揺れる様はそれなりに爽やかでもある。
そんな中、怒れるシャイナの黒豹と、黒豹に睨まれて縮み上がっている3人の男達。
ただ、縮み上がる男達は怯えながらも、彼らの黒豹隊長が元気そうな事への嬉しさが隠しきれないようで、顔が情けなく緩んでいて涙を浮かべている者もいる。
「シャイナを拐うとは、どういうつもりだったのかと聞いている」
地を這うようなエスカリオットの問いに、「隊長が怒ってる……」「隊長が生き生きしてる……」と呆然と呟く男達。
ダメだな、こりゃ。
話し合いは全く進展しなさそうなので、シャイナはそろりとエスカリオットに声をかけた。
「エスカリオットさーん」
エスカリオットがシャイナを振り返り、その目がシャイナの手枷にいく。
あ、しまった。
シャイナの手枷を再確認してエスカリオットの怒りのゲージが上がったのが分かった。
逆効果だったみたいだ。
シャイナは、そろりと手枷をローブの裾に隠した。
シャイナとしては4人で早々に和解して、旧知の仲間達の感動の対面をして欲しいのに、和解はどんどんと遠退いている。
とにかく、珍しく怒ったままのエスカリオットを宥めなくては、と思う。
邂逅を果たせば、場合によってはエスカリオットはヨダ達と共にシャイナの元を去るかもしれない。
もしそうなったらすごく寂しいが、エスカリオットには今度こそ自分の望む人生を歩んで欲しい。
望まぬ戦地で十代を過ごし、やっと戦争がおわったら剣闘士奴隷として差し出され、闘技場で闘う日々だったのだ。
エスカリオットが仲間と共に行きたがったら、行かせてあげるべきだ。
拐われた馬車の中で、シャイナはエスカリオットを引き留めないと決めている。
お願いしたら手紙くらいはくれるだろうか。
時々、義手を通して位置と状態の確認くらいならしてもいいだろうか。
何とかして、ジュバクレイの布をもう一度手に入れて帰還の魔方陣を作って渡したら、たまには帰ってきてくれるだろうか。
いろいろ考えると涙が滲みそうになるが、泣かないぞ、と頑張って堪えた。
涙を堪えてからシャイナは覚悟を決める。
ここは、自分が雇い主として懐の深い所を見せなくては。
私がエスカリオットさんを宥めて、3人と和解させて見せる!
シャイナは決意を固めると、狼へと姿を変えた。
ぱあっとシャイナの体が光り、カランと音を立てて手枷が転がる。ぱさりとシャイナの着ていたローブが地面に落ちた。
「えっ?!」
ヨダ達が驚きの声をあげる。
ヨダとビーツとマーカスの3人がいきなり消えたシャイナに驚愕する中、地面に落ちたローブのお腹の辺りが盛り上がり、もそもそと動く。
やがてそれは首もとへと移動して、襟ぐりよりちょこんと白く愛らしい獣の顔が覗いた。
「!」
白いモフモフの可愛さに息を飲むヨダ達。
エスカリオットの禍々しい怒気が緩む。
因みに、この、ちょこん、に他意はない。
断じてあざとくやった訳ではない。
断じてない。
これは偶然というか必然だ。
狼になったシャイナはローブから這い出てぷるるっと体を震わせると、エスカリオットの元へと、トコトコ歩きその足にすりすりと顔を擦りつけた。
数回、顔を擦りつけてから、瞳を潤ませてエスカリオットを見上げる。
こっちの一連の動作は、わざとだ。
エスカリオットの気持ちを落ち着けるために狙ってやっているシャイナ。
エスカリオットが、ぐっと唇を噛み締める。
よし!もうひと押しっぽいぞ。
シャイナはもう一度、エスカリオットの足にすりすりする。ズボンとサンダルの間の剥き出しの足首の部分に、ふあさっと尻尾を絡めるのも忘れない。
再度、潤んだ瞳で見上げてみた。
「…………シャイナ、それは反則だろう」
陥落したエスカリオットが弱々しく言い、ひょいとシャイナを抱き上げた。
大きな手で優しく包まれて、ゆるゆると背中が撫でられる。
エスカリオットの怒気が完全に緩み、今だ、とシャイナは口を開いた。
「ヨダさん達はエスカリオットさんを奴隷から解放したくてこんな事をしたんです、責めるのは可哀想です。親切でしたよ」
「手枷までしていた」
「あれは、猿ぐつわを取れないようにする為です」
「は?猿ぐつわだと?」
おっと。
「あー、間違えました」
「猿ぐつわだと?」
「魔法使いの呪文を封じるのは基本ですよう。私なんかドーソンの喉を焼きましたよ?」
「喉を焼くだと?」
「ひゃー、間違えました」
「ヨダ!!!」
「エスカリオットさん!落ち着きましょう!まず私とエスカリオットさんの事をきちんと説明しましょう!」
「拐った奴の味方をするのか?」
「そもそも、エスカリオットさんがいつまでも奴隷に甘んじているのが悪いんですよ!いろんな誤解を生みます、じょ、情夫とか」
そうだぞ、情夫とか情夫とか情夫とか、あらぬ誤解を生むのだ。
「良い機会です、せっかく仲間とも会えたんですし、今ここであなたを解放しましょう、首輪よ、聞け!」
これ以上、情夫と勘違いされるのはご免だ。
大体、奴隷契約でずっと縛ってしまっているから、未練みたいなものまで感じてしまうのだ。
ここは、すっぱりさっぱり解放するに限る。
シャイナが首輪に解放の命令を出そうとした時、がぼっとエスカリオットの黒龍の3本指の内2本がシャイナの口に無理やり突っ込まれて、手のひらで顎を押さえ込まれた。
「かほっ、」
「解くな」
「はえ?」
指が邪魔で全くしゃべれない。
「俺はお前の所有がいい。手懐けておいて捨てるな」
「はええ?」
え?懐いていたの?
確かに、当初に比べると格段に心を開いてくれているが。
エスカリオットはヨダとビーツとマーカスを見ると、そちらにも宣言した。
「俺は今の境遇に満足している、シャイナのものでいたいんだ。勝手に掻き回すな」
「隊長……」
「それは、さっきからの様子を見てると分かります」
「はあ、本当に、よかった、隊長っ」
3人とも涙ぐんでいて、ビーツに至っては号泣している。
あれ?
いつの間にか、3人はエスカリオットの奴隷の境遇に納得しているようだ。
何でだ?
シャイナとエスカリオットの関係性についてはまだ何も説明出来ていないのに。
驚くシャイナだが、3人の表情は晴れ晴れとしていて明るい。
説明は不足しているが、和解は出来そうだ。
やれやれ、よく分からないけど、よかった。
シャイナは安堵の息を吐き、エスカリオットの胸をぺしぺしと叩いた。もうそろそろ指をどけてもらわないとえづいてしまう。
「なんだ」
「ふうっ、おえっ」
口をはくはくすると、エスカリオットに伝わった。
「離しても解くなよ」
こくこくと頷くと、ずるりと指が離れた。
シャイナは唾液でベトベトの口元で、げほげほと咳き込む。
エスカリオットが、「悪かった」と言いながらシャツの袖口で唾液を拭ってくれた。
ヨダとビーツとマーカスは深々と頭を下げて、「勝手に誤解してごめんなさい」と謝ってくれて、エスカリオットとかつての仲間達は改めて再会を喜びあった。
「隊長おぉ」
「良かった、隊長が幸せそうで、よかったあぁ」
「シャイナ殿、隊長を末長くよろしくお願いしますね」
エスカリオットも、「お前達が生きてて、また会えて嬉しい」と柔らかく微笑む。
シャイナとしても大満足の再会となった。
「隊長、ところでそちらの狐さんは、シャイナ殿という事でいいんですよね? 化身の魔法か何かですか?」
再会を喜びあった後、ヨダが探り探りで聞いてくる。
狐に“さん”が付けられ、シャイナにも“殿”が付けられている。
ほんの短い間にヨダの中でシャイナは確たる地位を確立したようだ。。
「ヨダ、狐ではなく狼だ。シャイナはウェアウルフの一族だ」
「!」
エスカリオットが初めてシャイナの事を狼と言ってくれ、シャイナは驚きに目を見開く。
「エスカリオットさんが、ついに私を狼と……」
感動していると、エスカリオットがにっこりする。
「お前の事を狐と呼んでいいのは、俺だけだ」
「え? あれ?」
「お前は俺の愛しい狐だ」
「狼ですう」
むすっとするシャイナ。
「帰ろう、シャイナ」
エスカリオットが笑顔で告げた。




