58.タイダルの傭兵達(5)
町外れの洋館の庭に満ちるエスカリオットの殺気。
その圧迫感にシャイナは背筋がピリピリした。
「その殺気は止めてほしいな、息が詰まる」
ドーソンが目だけでエスカリオットを見ながらそう言う。
全身でエスカリオットの殺気を受けているのに、息が詰まるだけなんてすごいな、とドーソンを見直してしまうシャイナだ。
以前に城の謁見室でシャイナを拘束してエスカリオットの殺気を受ける事になった騎士は滝のような汗をかいていたが、ドーソンは涼しい顔だ。
肝がすわっているのか、かなり変なのかどちらかだと思う。
「シャイナの頬の火傷と手枷はお前がやったのか?」
ぞっとするほど冷たいエスカリオットの声。
「僕じゃない、僕はついさっき会ったところだぜ?あれは別件らしいよ。彼女の後ろの奴らが絡んでるんじゃないかな」
ドーソンの言葉にエスカリオットの視線が動き、シャイナは背後のヨダとビーツに凄まじい緊張が走るのが分かった。
「ヨダ?……と、ビーツか?」
その名を呼びながらも、エスカリオットの殺気が2人へと向けられる。
「た、たいちょ」
ぽたり、と2人の汗が地面に落ちたのが聞こえた。
わお、いかぁん!
「エスカリオットさーん、落ち着いてください!」
シャイナは手枷の両手を上げてぶんぶんと振り、エスカリオットの注意を引く。
「頬の火傷は自分でしました。手枷はただの成り行きというか遊びです。ほら、傷つかないようにちゃんと裏は布張りされてますよ!」
このままだとエスカリオットは問答無用でヨダとビーツの手くらいは切り落としそうだ。
シャイナは慌てながら、ほらほら、と手枷の構造を見せる。
ヨダ達はエスカリオットを思ってシャイナを拐ったのだし、扱いはずっと丁寧だった。
そのエスカリオットに斬られるとか可哀想すぎる。
それにシャイナも、わざと逃げなかったのだ。ヨダ達が責められる責任の一端は自分にもあると思う。
「遊びだと?」
イラつくエスカリオットにドーソンがニヤニヤしながら囁く。
「なあ、エスカリオット。君の狼はそういう趣味なの?」
ああいう傷付けない仕様のって、夜のプレイ用に使うんだよね?とドーソンが続ける。
「は?」
「聖剣の召喚に、一瞬での完璧な障壁。治癒も早かったよね。おまけにウェアウルフで被虐趣味なんて君には手におえなくない?僕が貰おうか?」
「やる訳ないだろう。そもそも俺の所有じゃない、俺があいつの所有だ」
「へー、じゃあ、僕も貰ってもらおうかな」
「お前なんか、いらん」
「それは本人に聞いてみないと分からないよ」
「必要ない」
「ご執心だよね、意外だなあ。ゴーレム作る時に肉を抉っても顔色一つ変えなかった君が、あの子の火傷に必死だね。あの子を傷付けたらどうなるのかな?」
「おい」
「2人で何をこそこそ話してるんですか?ドーソンさん、エスカリオットさんの機嫌がどんどん悪くなってるじゃないですか!止めてくださいよ」
何やら小声で険悪そうなやり取りをするドーソンとエスカリオットにシャイナは近付いた。
「エスカリオットさん。ヨダさん達には拐われましたが、エスカリオットさんの知り合いのようだったのでそのまま捕まっていただけです。特に何もされてません。
ドーソンさんはドーソンさんで他の人に誘拐されていたようですよ。こちらは偶然会いました」
とにかく、不穏な黒豹を落ち着かせなくてはとシャイナは早口で状況を説明する。
「シャイナ」
「殺気は引っ込めて、剣を下ろしましょう。ドーソンさんは城に帰るつもりのようですし、敵意はないです」
ね!と強くエスカリオットを見上げると、その瞳から殺気が引いた。
エスカリオットはため息をついて、剣をしまう。そうしてゆっくりとシャイナの前まで来た。
「シャイナ、言いたい事と聞きたい事はいろいろあるが、まずは火傷を治せ」
おや?
殺気は無くなったけれど怒ってる声だ。しかもシャイナに怒っている。
エスカリオットがシャイナに対して怒るなんて初めてで、シャイナはちょっと狼狽えた。
「お、怒ってますか?」
「ああ、だが、まず火傷を治せ」
呆れられている事はあったけど、何だかんだでエスカリオットはいつもシャイナに優しい。
そもそも喜怒哀楽があまりない普段のエスカリオットは、淡々と低空飛行している感じで何を考えているのか分かりにくい。それでもシャイナに優しい事は伝わってくる。
たまに揶揄かわれてシャイナが怒る事はあったけれど、逆はなかった。
自分は何かしてしまっただろうか。
何の伝言もなく帰るのが遅くなったから?
そもそもエスカリオットはどうやってここまで来たのだろう?
おろおろしながらもシャイナは火傷を治す。
エスカリオットが義手の左手で火傷のあった箇所にそっと触れた。ほら、優しい。
「痕が残らなくてよかった」
「治癒魔法は得意ですから」
「髪が一部焦げている」
するりと髪の毛がひと束取られる。
「それは元には戻せないですね。焦げてる部分を後で切ります」
「俺が切ろう」
そう言うとエスカリオットはそっとシャイナを抱き締めた。
「うわっ、エスカリオットさん?」
びっくりはするが、最近は随分とハグには慣れたので、シャイナは暴れずに大人しくエスカリオットの腕に納まる。エスカリオットのシャツは湿っていて汗の匂いがする。せっかくなので、すんすんと匂いを嗅いでおく。
狼の本能的なものだもの、しょうがない。
そう、しょうがないぞ、と自分に言い訳しながら匂いを嗅ぐ。
「シャイナ、帰ったら言いたい事がある」
すんすんしていると、怒った声でそう言われた。
抱き締める腕は優しいが、怒っているエスカリオット。
「えーと、心配をかけてすみませんでした?」
これで正解なんだろうか、心配してたっぽいよね、とドキドキしながら謝っていると、馬のいななきと蹄の音がして、複数の騎士達が洋館の庭へと入ってきた。
「エスカリオット殿!」
先頭の騎士が馬を降りて駆けてくる。
見たことがある顔だなと思っていると、エスカリオットはするりとシャイナから離れた。
「ランディ、遅かったな」
「一番速い馬をあなたに取られましたからね。ああ、ドーソン殿もご無事ですね!よかった」
ランディはドーソンを認めてにっこりする。
「別に僕の無事はどうでもいいんだろう?」
「ははは、そんな事仰らずに。あなたを拐ったのは国内の不穏分子の一つです。あちらの手中にドーソン殿が落ちれば皆が困りますよ」
「あんな、しみったれた奴らになんか靡かない。あいつらならその家の中だよ。息があるかは知らない」
「すぐに確保を」
ランディが他の騎士達に命じる。
それからランディはシャイナに向き直り、胸に手をあてて腰を屈めた。
「シャイナ殿ですね」
「はい」
「ダイアナ嬢の件ではお世話になりました。ランディです、覚えておられますか?」
「はい、お世話になりました。今回はドーソンさんに何かあったんですか?」
先ほどのドーソンとの会話から察するに、ランディを含む騎士達は拐われたドーソンの救出にやって来たみたいだ。
「ええ、ドーソン殿を拐って利用しようとした一団がいましてね。ヒヤリとしましたが解決しそうです」
「良かったですね、エスカリオットさんはランディさんに協力してたんですかね?」
朝、家を出てくる時にそんな素振りはなかったが、ドーソンの誘拐にエスカリオットが巻き込まれたのだろうか。
「いいえ、エスカリオット殿はあなたを探していたようですよ」
ランディの答えに、シャイナはドキリとした。
「あ、そうなんですね」
「シャイナ殿が乗っているらしい馬車を追っているエスカリオット殿と近くで会ったんです。急いでましたよ」
エスカリオットはシャイナの為にここまで来たのだ。
抱き締められたシャツは汗で湿っていた。
必死に探してくれたのだろうか、と想像すると何やら胸が疼いた。
「ところで、シャイナ殿は大事ないですか?」
ランディがちらりとシャイナの手枷を見る。
「あ、これは気にしないでください。私にはあまり意味のないものなので」
「確かにあなたの場合は狼になれば抜け出せますものね。狼の時も愛らしかったが、人の姿も負けず劣らず愛らしいですね」
ランディが眩しく微笑む。
「ランディ、シャイナに構うな」
怒ったままのエスカリオット。
「おっと、怒らせてしまいました。ところでシャイナ殿、後ろの方達は?あちらの馬車にもお一人いますが」
ランディの問いにシャイナは、びくっと身を固くした。
「その手枷と関係ありますか?騎士団で対応しましょうか?」
「いや、それは」
騎士団で対応は困る。ヨダ達はシャイナを拐ったが、それはエスカリオットの解放の為だ。
いろいろ誤解して強行手段になってしまったが、シャイナをエスカリオットから離して話し合いがしたかっただけなのだ。
騎士団には突きだしたくない。
「あー、うーむ、えー」
「俺の古い知り合いだ、行き違いがあったようだ」
しどろもどろのシャイナに代わってエスカリオットが口を開いた。
“行き違いがあったようだ” の部分ではヨダを睨み、ヨダが身をすくめた。
「そうですか。なら深くは追及しません」
ランディはあっさり引き下がると、ドーソンと不穏分子だという、ドーソンの誘拐犯達を連れて引き上げていった。




