57.タイダルの傭兵達(4)
馬車の速度が緩やかになり、馭者が馬に止まるように声をかけるのが聞こえた。
シャイナは目的地に着いたようだと頭を上げる。
馭者席から幌が上げられ、やはり傭兵の成りをした男が顔を出した。
「ヨダ、少し様子がおかしい」
馭者の言葉にヨダが眉を上げる。
「おかしい、とは?」
「誰かが出入りした跡がある」
ヨダとビーツに緊張が走る。
2人は荷馬車の後ろの幌を少し上げて外を確認した。
「……そうだな、馬の足跡に扉の前の石も動いている」
「大家さんすかね?んな訳ないかあ。流しの傭兵に破格の値段で貸す家だもんなあ、又貸しに不法侵入、ブツの隠し場所、何でもありか。床下に大量のワインならありましたもんね。しかし、借りてまだ4日なのに」
ビーツがぶつぶつ言う。
どうやらここはヨダ達が借りている家の前で、その家の様子がおかしいようだ。
シャイナもひょこりと2人の後ろから覗いてみる。
そこにあったのは荒れ果てた庭と、その奥の古い洋館だった。
随分と町の外れに来ているようで、周囲に建物はなく、畑と普段は使われていない小屋があるくらいだ。
洋館は塗装が剥げ、一部の窓が割れたりしているが外観は凝った造りで、庭の延び放題の生け垣も昔はかなり立派だったのだろうと思われる。
貴族が愛人でも囲っていた家なのかもしれない。今は見る影もなく打ち捨てられている。
そしてその庭には、ヨダの言うように複数の馬に踏み固まれたような新しい跡がある。馬は見当たらないが、洋館の裏だろうか。
シャイナは馬車が通ってきた街道も観察する。
そこには、シャイナ達の馬車の轍の跡しかない。
洋館に先客がいるとすると、その先客は街道の人目を避けてひっそりとここへやって来た事になる。
確かに、大家さんではないだろう。
その時、洋館の中からくぐもった爆発音が響いた。
「!」
「ヨダさん」
「何だろうな、近付きたくないが中には荷物もあるし、確認はした方がいいな。おい、マーカス」
ヨダの呼び掛けに馭者の男が荷台へと移ってくる。片足が義足だ。
「俺とビーツで行ってくる。お前はこの子を見ておいてくれ」
ヨダの“見ておいてくれ”の言い方は、“監視しておいてくれ”ではなく“側にいてやってくれ”の言い方だった。
馭者の男、マーカスが無言で頷く。
シャイナがちらりとマーカスを窺うと、マーカスの目元が和らいだ。
完全に子供扱いで、ちょっとプライドが傷つくシャイナだが、エスカリオットの昔の仲間がいい人揃いな様子には満足する。
早く会わせてあげたいな、なんて思う。
なので、出来れば怪しい洋館には立ち入ってほしくないのだが。
シャイナが不安気にヨダを見ると、ヨダは「大丈夫、外から様子を見るだけだ。君を危険な事には巻き込まないよ」と言って馬車を降りていった。
先ほどの爆発音以降、洋館は静まりかえっていて不穏だ。
自分を連れていった方が安全だとは思うが、ここでそれを説明して証明するのは混乱させるだけだろう。
シャイナは無詠唱の炎と防御をいつでも発動出来るように準備をした。
マーカスと2人で幌から顔を出して、洋館に向かうヨダとビーツを見守る。
ヨダとビーツが庭をそろりと横切り、洋館の窓に近付こうとした時、ガチャリと正面の扉が開いて男が一人出てきた。
「!」
扉から出てきた男にシャイナは目を見張った。
出てきたのはボサボサの青黒い髪の、細く青白い病的な様子の男で、彼は自分の首にある首輪をいじりながら出てきたのだが、すぐに少し離れたヨダとビーツに気付く。
「……まだいたのか」
男は、ヨダとビーツを見てそう呟いたように見えた。
そして、忌々しげに顔を歪めると首輪から手を離し、何も言わずに身に纏うローブの袖から丸い水晶のような物を取り出す。
いかん!
シャイナはすぐに炎の魔法を発動した。
ぼおっと顔の横に灼熱の塊が出現して、右頬に引きつれる痛みが走り、布と髪の焦げる匂いがする。
「わっ、えっ?」
マーカスの驚く声が聞こえたが、構ってはいられない。
シャイナは手枷のついた手で焼き切れた猿ぐつわを取り去るとすぐに言葉を紡いだ。
「障壁よ!我の望むものを守れ!」
シャイナの防御魔法の発動と、青白い男が水晶玉をヨダ達に投げたのは同時だった。
どおんっ!と洋館から聞こえた音よりも遥かに大きな音がして爆風と熱気が馬車を揺らす。
「おいっ」
マーカスが慌てる中、シャイナは馬車を飛び降りると洋館から出てきた男に対峙する為に走った。
爆発は熱い水蒸気と爆風だけをもたらしたようで、火の気はない。熱気が残る庭を駆けてシャイナはヨダとビーツと男の間に、ざざっと滑り込む。横目でヨダとビーツの無事も確認する。
「ヨダさんっ、下がってください!」
「君、どうやって!」
「私のことは後です!この男はドーソンです!タイダルで騎士していたのなら名前は知ってますよね!」
シャイナの説明にヨダとビーツが息を飲んで呟くのが聞こえる。
「Sランクの?なぜここに?」
「あれえ?久しぶりだね」
ドーソンはシャイナを認めると、にこりとした。意外に上機嫌で、シャイナをすぐに攻撃してきたりはしないようだ。
「この傭兵達を守ったのは君?完璧な障壁だったね。展開の早さも素晴らしかった、ここまで完璧に防がれると気分がいいよ」
「ええ!ありがとうございます!あなた、こんな所で何してるんですか?」
ドーソンは旧タイダル国のSランクの魔法使いだ。
国境の町でラシーンとの諍いを起こそうとした企みで捕らえられ、城の地下牢にいるはずなのだ。こんな所をふらふらしていていい訳がない。
聞きながらドーソンを見ると、魔力を封じる首輪と腕輪はきちんと付いていて、魔力は封じられたままだ。
シャイナは少しほっとする。
さっきも、爆発する魔道具を投げただけで、呪文は唱えていなかった。
「見ての通り、拐われたんだよ」
ドーソンが腕輪と首輪を強調してくる。
「え?」
あれ、一緒じゃん?と奇妙な親近感が湧く。
「何か、変に組織だった奴らに拐われたんだ。だから僕は被害者。今は魔法も使えないから警戒しなくていいよ」
「いやいや、今しっかり攻撃してきてましたよ。さっきの爆発はなんですか?」
「爆発したのは持ち歩いている護身用の魔道具だよ。そこの傭兵も僕を拐った奴らの仲間かと思ったんだ……あれ?まさか、君が黒幕なの?」
「違います」
こんな奴、拐ってたまるか。
「なんだ、残念だな。君とならさっきの話も現実味あるし考えるんだけど。ん?ねえ、何その手枷?」
ドーソンがシャイナの手枷に気付く。
「え?ああ、これですね。私は私で別件で拐われ中です」
何となく胸を張って答えるシャイナ。
むん!
私も拐われ中だぞ、だからお前を拐った人物の黒幕ではないのだ!とアピールする。
「は?拐われたの?まさか後ろの奴らに?というか拐えてないよね?遊んでるの?」
「遊んでません、こちらにはこちらの事情があるんです」
「ふーん、エスカリオットは? いないね」
「エスカリオットさんは、お留守番ですよ」
答えてから、ふと、エスカリオットは帰りの遅い自分を心配していないだろうか、と不安になった。
シャイナの美しい黒豹は、暇な時は大体シャイナに付いてくるほどには心配性だし寂しがり屋なのだ。
探し回ってたり、してないよね?
シャイナはそっとエスカリオットの義手の気配を探った。
「…………おや?」
思ったよりその気配が近い。
「あれ?」
おまけにすごい早さで更に近づいてきている。
「会いたかったのにな。まあいいや。黒幕じゃないなら、僕を城に帰してくれない? 移動の魔方陣はあるけど、今は魔力が使えないからさ」
「え? 帰るんですか?」
シャイナはびっくりする。
帰るの?
地下牢に?
「帰るよ」
「なぜ? そもそも、拐われたのでは?」
「なぜって、まあ不自由だし制約は多いけどいろいろ揃えて研究させてくれてるからね。これ以上の好条件がないなら無理に逃げなくてもいいだろ? 拐った奴らは、クーデターがどうの、自由がどうの言って協力しろって脅してきたから、さっきと同じ魔道具で黙らせた」
ドーソンが裾からまた一つ、水晶玉を取り出す。
洋館から聞こえたくぐもった爆発音もこれだったようだ。
「でも、戻ると地下牢なんでしょ?」
「は? 地下牢? そんなとこなら、何としてでも脱走してるよ。塔だよ塔、ガチガチのギチギチに固められてるけど、どうせ引きこもるから平気だ。僕は攻撃魔法は得意じゃない、錬金術や精神系の魔法に特化してるんだ。何らかの庇護は必要なタイプの魔法使いなんだよ」
「へえぇ、そうなんですね、あ」
シャイナが適当に相槌を打った時、辺りにすごい質量の殺気が満ちた。
風を切る音がして。
「お前、何をしている」
ドーソンの首に剣をあてるエスカリオットがいた。




