56.タイダルの傭兵達(3)
エスカリオット視点。
呼び鈴が鳴り響き、その応答を待っていられないとばかりに、だんだんっ、と一階の薬草店の扉が叩かれる。
「すみませんっ、誰かいますか?」
その音に混じって男の声で叫ぶ声も聞こえた。
ただならぬ様子にエスカリオットは階下へと降りて扉を開けた。
転がるように入ってきたのは、数日前にシャイナへの花束を買った花屋の店主だった。
「よかった、いた!あのっ、あんたのっ、この店の女の子がっ!」
丸っこい男は、ふうふうはあはあしながら、途切れ途切れに何かを必死に訴える。
(この店の女の子、とはシャイナか?)
とても久しぶりにエスカリオットの背中はぞわりとした。
「シャイナに何かあったのか?」
「シャイナ?はあふう、いや、名前は知らない、ふうふう、白い髪の女の子」
(シャイナだ)
エスカリオットの心臓が冷たく音をたてた。
エスカリオットは、落ち着け、と自分に言い聞かせてから花屋の店主を問いただした。
「白い髪の女に何があった?」
花屋はふうふうしながら、花束の代金を払いに来たシャイナが店の前で傭兵風の男2人に荷馬車で拐われた事、驚いて馬車を追ったがすぐに引き離された事、騎士団の詰所よりも薬草店が近かったし、死神エスカリオットの方が騎士より強いだろうと判断して真っ直ぐに薬草店を目指して走ってきた事を話した。
「拐った男は2人だけか?」
「見えたのは2人だったよ。女の子は呪文を唱えられないように猿ぐつわを噛まされていたから抵抗出来なかったんだと思う」
つまり、拐った男達はシャイナが魔法使いだと知っていた事になる。
行き当たりの誘拐ではなく、シャイナを狙ったのだ。
ぶわり、と思わず殺気が立ち上がり花屋が身をすくませる。だがエスカリオットの頭は冷静にこの事態を見つめていた。
すぐにでもシャイナの身を確認しに行きたいが、闇雲に飛び出す前に状況を整理すべきだ。
まず、シャイナがそのように拐われるのは変なのだ。
シャイナは黙って拐われるような女ではない。
言葉が封じられた所で、無詠唱で通常の炎は出せるし獣化すれば逃げるのは簡単だ。
「女の意識はあったか?」
「え?どうだろう、でも、ぐったりはしてなかったような」
花屋の回答はあやふやだった。
シャイナの意識がない可能性はあるだろうか、とエスカリオットは考える。
シャイナは魔法に対する免疫はあるだろうが、薬品や物理的な方法で意識を奪う事は出来るだろう。
ダイアナの件の時に感じたが、シャイナは対魔物への戦闘にはそれなりに経験もあり上手く立ち回れるようだが、対人となると大分詰めが甘い。おそらくほとんど人とやり合った事がないからだ。
相手が手練れだったなら、簡単にシャイナの意識を奪えたかもしれない。
意識がなければ、ただの小さな少女だ。連れ去るのは簡単だし、好きなように……
「ひっ」
途端に膨れ上がったエスカリオットの殺気に花屋が今度は悲鳴をあげた。
「すまない、少し取り乱した」
エスカリオットは、再び自身を落ち着ける。
まだシャイナの意識がなくて、逃げられない状態と決まった訳ではない。シャイナがあえて逃げてない、という事も考えられる。
拐った男達にシャイナが同情したり興味が湧くような事情があった場合、シャイナならわざとそのまま拐われるかもしれない。
愛しい女は少し己の魔法を過信している所がある。
エスカリオットは胸を張ってお座りしているシャイナ(狐)を思い出す。
己に自信を持つことは良いことだし、それだけの実力もあるのだが、少々危なっかしいとは思う。
自分の魔法の実力と獣化に安心しきって、のんびり捕まっているシャイナは容易に想像出来た。
想像してしまうと、いやにしっくりする。
(逃げれるなら、さっさと逃げてくれ。逃げれるだろう?今にも帰って来れるんだろう?)
ちらり、と店の扉に目をやるがもちろん閉まったままだ。さっきから心臓に汗をかいてるようで気持ち悪い。
エスカリオットは変な期待をするのを止めて、思考を戻した。
シャイナがあえて逃げてないとして、その理由としては、怒りで我を忘れていることも考えられた。
あの愛しい狐はエスカリオットの事になると理性が飛ぶ。
拐った奴らの最終目的がエスカリオットだった場合、しかもその理由が邪な理由だったなら、シャイナはそのまま本陣に乗り込んでそこを焼き尽くすくらいはしそうだ。
「馬車は小型か?」
「小さい荷馬車だったと思う。引いてる馬も一頭だった」
「走っても追い付けないほどの速度だったんだな」
「ああ」
「馬車の向かった方角を教えてくれ」
花屋が、方角を告げる。
馬車は都の外れに向かったようだ。
「後を追うのかい?」
「町中でそれなりの速度を出していたなら目立っただろう、とりあえず追ってみる」
「僕は騎士団に通報しておくよ」
花屋の提案にエスカリオットは少し黙って考えた。
万が一、シャイナが怒ってどこぞの腐った貴族の屋敷を焼き尽くしていた場合。
そしてそれがかなり高位の貴族だった場合。
そこに騎士達に来られては面倒だ。
「いや、いい」
「えっ」
「あんたはここで待っててくれないか。シャイナだけ帰ってくる可能性もある。俺もシャイナも夕刻まで戻らなければ、その時は騎士団に通報してくれ」
「えっ、いや、あの」
「恩にきる」
「あ、」
花屋の返事は聞かずにエスカリオットは薬草店を出た。
「あのー、僕も店があって……」
花屋の店主の呟きが、無人の薬草店に響いた。
***
花屋の言った方角へと馬車を追う。
一頭だての小さな荷馬車であれば、遠方を目指してはいないだろうが、今日中に見つけられないなら王都の外の捜索も必要だろう。そんなに遠くに行くなよ、と願いながら走った。
シャイナを拐ったらしい荷馬車の後は、思っていたよりずっと容易に追えた。
馬車は明らかに都の外れを目指して急いでいたようで、大通りでは目立っていたからだ。
シャイナを拐った人物は目立つ事には頓着していないようだ。
追われる事を考えていなかったのか、捨て身なのか、それとも目的はエスカリオットで、おびき寄せられているのか……
シャイナが傷つけられている可能性を考えると、頭に血が上って冷静でいられなくなるので、エスカリオットは出来るだけ違う事を考えながら馬車を追った。
石畳の道が終わり、剥き出しの地面になると新しい轍の跡が延びていた。
追跡が楽になりしばらく追った所で、道の真ん中で数人の騎士が作業しているのに出くわす。
「あれ?エスカリオット殿!」
通り過ぎようとすると、騎士の中の一人がエスカリオットに呼び掛けてきた。
エスカリオットはとりあえず、無視した。
「エスカリオット殿!無視しないでください!ランディです、お忘れですか?いつも手合わせしていただいていて、ダイアナ嬢の魅了でも現場に駆けつけたランディです!」
ランディと名乗った騎士はずずいとエスカリオットの前を塞いできた。
確かに、見知った顔ではあった。
「そうだな、知っている顔だ。急ぐんだ」
「ですが、そっちは今から立ち入り禁止です。これから封鎖のバリケードを立てる所なんです」
「封鎖だと?なぜだ」
「あー、一般人には危険なので」
「どういうことだ」
シャイナがこの先にいるかもしれないのだ。
理由を説明しろと詰め寄ると、ランディは「うーん、機密事項なんですけど、でも、エスカリオット殿は一応、知り合いでもあるだろうしいいかな?むしろ心強いかな?」とぶつぶつ迷ってからこう告げた。
「その、厄介な人物が拐われまして」
(は?シャイナのことか?)
「厄介は言い過ぎだろう」
エスカリオットは憮然としながら言った。




