52.回復したステファン
ダイアナ・シラー嬢による、魅了の事件から二ヶ月が過ぎた。
事件の二週間後には、ダイアナの父であるシラー伯爵の関与も発覚し、シラー伯爵の屋敷からは、魅了のかけ過ぎによって廃人となった被害者が何人も見つかった。
伯爵はダイアナを使って取引先を魅了し、多額の利益を得ようとしていたのだ。
企みが明るみに出て、禁術の魅了を私欲の為に使用したとして、シラー家はお家断絶、伯爵は財産没収で国外追放、ダイアナ嬢は修道院送りとなった。
魅了の被害者の中には、裕福な商家の息子なんかもいて、シャイナにお礼としてまあまあの金額をくれたのは嬉しい誤算だった。
廃人になっていた人々は現在、騎士団の治療院で治療中だ。幸いにも皆、徐々に快方に向かっているらしいが、完全な回復までにはまだ数ヶ月かかるようだ。
だから、この日、シャイナ薬草店を訪れた人物にシャイナは驚いた。
「迷惑をかけたな」
ちょうど客が途切れた頃合いに、カランコロンと扉を鳴らして現れたのは、金髪の爽やかAランク魔法使いで剣士でもある、冒険者のステファンだった。
「ステファンさん!もう大丈夫なんですか?魅了の被害者達の回復はもう少しかかると聞いていたんですが」
シャイナは店のカウンターから外に出ると、いそいそとステファンへと近付く。
ステファンの足取りはしっかりしていて、目の焦点もちゃんと合う。
よかった、大丈夫そうだ。
「俺は腐っても、Aランク魔法使いなんだ。魔力も多いし回復も早い」
ステファンが苦々しげに小さな声で言う。あっさり魅了に落ちて、シャイナを攻撃しかけた事を気にしているのだろうか。
「ステファンさん、Aランクのライセンスは腐るものではありませんよ。ステファンさんは正真正銘、Aランクです」
シャイナの言葉にステファンは、ふっと笑い、「シャイナらしいな」と呟いて、店内をきょろきょろと見回した。
「今日は、あいつは?」
「あいつ?エスカリオットさんのことですか?エスカリオットさんなら、今日は傭兵団ですよ。週に2回ほど鍛練に付き合ってるんです」
「そうか、じゃあ、迷惑をかけたと伝えておいてくれ」
ステファンはやはり覇気のない小さな声だ。
いつもの元気がないステファンに、シャイナは少し心配になる。明るくて単純なだけが取り柄の人なのに。
「ステファンさん、そんなに気にしないでください。今回の事は実害はなかったし、予想外のお礼も貰えたので、私は全然大丈夫ですよ」
「そうか、ならシャイナ、結婚してくれ」
「そうですよ……うん?」
「結婚しよう、シャイナ。魅了にかかってぼやけた意識の時、お前だけは認識できたんだ、つまり、やっぱり、俺にとっての特別はシャイナってことなんだ」
おっと?
シャイナはそっとステファンから身を引いた。
「お前が店が大切だと言うなら、冒険者もやめる、たぶん!何とかなる!」
あ、ちょっと元気出てきてる。
「シャイナのポーションを売り歩いてもいいし、そこらの居酒屋で働いてもいい!」
そこは無計画なんだ。
「ステファンさんの夢は世界を股にかける冒険者でしょう?」
完全に小さな男の子の夢だが、ステファンの真面目な夢だ。
「そうだが!」
そうだよね。
「そういうの、諦めない方がいいですよ」
「じゃあ、じゃあ!俺は外で冒険者で稼いでその金をシャイナに全部あげるから!」
「無理です」
「なんでだ!」
「私は狼なので、夫となる人は近くにいないとダメです。ウェアウルフは愛が深いんです、伴侶とは四六時中一緒にいる事を好みますし、相手の行動を把握したがります。
相手から他の異性の匂いや気配がするのを嫌がりますし、ひどい人だと他の異性と話したり見ることすら嫌悪します。異種族間ではこの傾向が特に強く出るんです。だから離れて暮らす冒険者の夫は無理です」
「ぐう」
シャイナの冷たい返答にステファンが項垂れる。
「家族への紹介も早いですよ。家族というか一族ですね、これは自分の物だから手を出すな、という牽制です。ステファンさんはそういう面倒くさいこと、嫌いですよね?」
「うぅ」
がっくりするステファン。
「という訳で無理です」
「…………」
「ステファンさん?」
項垂れるステファンが、無言のまま、ごしごしと顔を擦った。
ずびっと鼻をすする音も聞こえる。
「え?泣いてるんですか?」
「うるさいっ、泣いてないっ」
怒って顔を上げたステファンの目は真っ赤で、しっかり潤んでいる。
「ええぇ、泣くほどですか?大丈夫です、探せば、それなりのポーション作れる魔法使いの女の子はすぐに見つかりますよ」
「俺はお前のポーションが目的じゃないっ、お前が目的だ!」
おっと?
シャイナはステファンからさらに距離を取って、なんとなく腕で我が身を庇う。
「確かに先月18才にもなり、艶めいた気もしますが、」
「体目的な訳がないだろう!」
「あ、治癒魔法の方でしたか。ん?体目的な訳がないというのは、それはそれで失礼ではありませんか?」
花も恥じらう、18才の乙女なんだぞ。
「うるさいっ、もういい!俺だって馬鹿じゃないんだ、いろいろ知ってるんだ!エイダにだって聞いたし、ギルドでシャイナがラシーンの国境まで行って、そのままラシーンに行ってた事も知ってるんだ!あいつの首輪と義手の事も見れば分かる!お前、さっき言った事、全部やってるんだぞ!なんで気付いてないんだ?!」
「さっき言った事?」
「ふん!もう知らねえ!俺は次に行く、シャイナ、せいぜい後悔するんだな!あばよ、またな!」
ステファンは一方的に変な捨て台詞のようなものをわめくと、ぽかんとするシャイナにくるりと背を向けた。
「あっ、待ってください、ステファンさん!気になる事があるんです!」
遠ざかろうとするその背中にシャイナは慌てて声をかける。
これだけは教えてもらいたい事があるのだ。このチャンスに何としても聞いておかなくては。
「なんだよ!俺にお前の恋の相手まで教えろっていうのか?!」
かんかんになったステファンは、それでも振り向いて対応してくれた。
「何ですか、それ。違います」
「じゃあ、なんだよ!」
「ずっと気になってたんですけど、魅了にかかりやすいステファンさんは、どうやってセイレーンを倒したんですか?」
シャイナの質問にステファンが愕然とする。
長い長い沈黙の後、ステファンは船酔いで天地も分からないくらいの目眩の中でセイレーンに遭遇したので、歌声がちゃんと聞こえてなかったのだと教えてくれ、しょんぼりして帰っていった。




