5話 左腕を補完します(1)
翌朝、シャイナが起きてダイニングへ入っていくとエスカリオットは優雅にコーヒーを飲んでいた。
「……起きてる」
シャイナがつぶやくとこちらをちらりと見てくるが、すぐにふいと目を反らされた。
「おはようございます、エスカリオットさん。あれ?夕飯は食べてくれたんですね」
テーブルの上の食事がきれいに食べられている。
「昨夜、遅くに起きて食べた」
「そうでしたか!」
エスカリオットが会話してくるようになってる。これは進歩だ。
「朝ごはんまだですよね?うん?コーヒー、よく淹れれましたね。場所とか分かりました?」
「分かったから飲めている」
ごもっともだ。
「パンとベーコン焼きますね」
そう言ってみると沈黙だったので、メニューに異論はないようだ。
パンとベーコンを焼き、食卓に持っていく。
エスカリオットはもちろんシャイナの分のコーヒーなぞ淹れてくれてないので、自分でコーヒーも淹れる。ついでにエスカリオットのお代わり分も淹れてあげる。
エスカリオットはお代わりのコーヒーを当然のように受け取って飲みだした。
「今日は店をお休みにしたので、次の満月に向けてエスカリオットさんの装備を整えましょう」
「装備?」
「ええ、ちゃんとした服と靴、それと……エスカリオットさんの得物は剣ですか?槍ですか?鞭ではないですよね?」
「剣だが……斬ることになるぞ」
「何言ってるんですか、人型の私の可憐な様子に騙されてはいけませんよ。狼型は何ならきっとエスカリオットさんより大きいですからね。瀕死の重症程度なら治癒魔法で何とかなります、剣も揃えましょうね」
「…………」
「あとは左腕ですね。何とかしましょう。」
「さ、準備したら出掛けますよ。あ、首輪の形態を変えましょう。目立つので」
シャイナは少し考えてから言葉を紡いだ。
「首輪よ、黒を彩る金の鎖となれ」
エスカリオットの首輪が光り、金の華奢なチェーンになった。
奴隷の首輪は希少な鉱物に魔石を混ぜ合わせた特殊な素材で出来ている。コツはいるのだが、こんな風に素材と見た目を変える事も可能だ。
「我ながら良い出来です。エスカリオットさんの瞳の色ともリンクしてますしね」
「…………」
「気に入りました?」
「ミスリルにしてくれ」
「えっ、ミスリルですか?」
「ああ」
「ミスリルかあ……難しいんですよ、頑張ってはみますが」
シャイナはイメージを固めてもう一度紡ぐ。
「首輪よ、月の光を宿す白銀の鎖となれ」
金のチェーンが光り、白銀のそれとなった。銀色よりも白に近い眩い輝き。
「ふうー、成功しました。どうです?」
シャイナが聞くとエスカリオットはミスリルのチェーンを摘まんでニヤリと笑った。
「とても良い」
ミスリル好きとは……さすが元お貴族様だ。
片腕がないのも目立つので、シャイナはエスカリオットにフードも被せた。2人で連れだって1階へ降りる。
1階の半分は店舗、半分は作業場だ。
「ここは?」
「あれ?言ってませんでしたか?これが私の本業です。ここは私の薬草店です。ポーション、飲んでおきます?」
エスカリオットは首を横に振る。
店を出ようとした所でエスカリオットが口を開いた。
「シャイナ、靴がない」
「うわっ、忘れてた!すいません、すぐ、すぐに」
シャイナはパタパタと作業場に駆けていくと自分用の作業場スリッパを持ってきた。
「少し大きめなので何とか入るかと」
さっとエスカリオットの足元に揃える。
エスカリオットは無言でスリッパを履く、かかとが半分以上出ているが歩けない事はなさそうだ。
「よし!一区画しか歩かないので何とかなります。行きますよ!」
2人は揃って店を出た。
***
カランカランっ
ドアの呼び鈴を鳴らしながらシャイナはエスカリオットと゛グスタフ武具店゛に入る。
並ぶのは金属製や革製の鎧に、剣や槍、盾から手袋やマント、靴、鎧の下に着る肌着までいろいろだ。
「いらっしゃい、おや、シャイナちゃんかあ、どうした魔剣の依頼でも入ったか?」
呼び鈴の音に奥から穏やかそうながっしりした男が出てくる。この店の店主、グスタフだ。
「お早うございます、グスタフさん。魔剣なんて滅多な事言わないでくださいよ、秘密なんですからね。今日はちょっといろいろ入り用で、あと相談もあります」
「とりあえず座んなよ……そっちは連れかい?」
グスタフはものすごく怪訝な顔でエスカリオットを見た。シャイナもつられてエスカリオットを見る。
長身の体格がいい得体のしれない男が店の中でフードを被って立っている。
かえって目立ったかもしれない……。
おまけにエスカリオットは立ってるだけなのに、ただ者ではない雰囲気を醸し出している。
怪しい。
フードは間違いだったかしら、とシャイナは後悔した。
「まあ、連れです」
「連れ、ねえ。まずは飴食いな」
シャイナはいつもの様に受付カウンターに腰かけて、グスタフはいつもの様に飴を差し出してきた。
グスタフはちらちらとエスカリオットを見ている。大分警戒しているようだ。
「ところでグスタフさん、死神エスカリオットって知ってますか?」
シャイナは飴を口に含んでから聞いてみた。
こういう風にして自然にエスカリオットを紹介する流れにするつもりだ。
「ああ、知ってるぜ。タイダル国の世界最強と吟われた騎士で今はこの国の剣闘士奴隷だ。すげー強いぞ、5年前に闘技場に来た時に一度見に行った。俺はああいうのあんまり好きではないけどすごい話題だったからなあ」
「そんなに話題の方だったんですね」
「シャイナちゃんは王都に来たのが3年前だもんな。敗戦したタイダル国からの戦利品で引き渡されて剣闘士奴隷にされたんだよ」
「あんまり素敵な話ではないですね」
飴を変に甘く感じてしまう。
「まあ戦争だったからなあ、エスカリオットは向かって来る奴しか相手にしないし、この2年くらいは死神エスカリオット相手じゃ他の剣闘士が向かっていかないから試合にならなくて、魔物とばっかり闘ってるって話だぜ。いやあ、あの強さは忘れられないなあ、ああいうのに俺の武器を持ってもらえたら職人冥利に付きるんだろうなあ」
「ファンでしたか」
「ファンは結構居ると思うぞ、戦場でも非道な手段は使わない奴だったんだろ?戦争は5年前に終わったし俺ら一般人は死神に何かされた訳じゃねえしな。そういえば昨日来た客が、エスカリオットが魔物に左腕喰い千切られたって言ってたな、ついに売りに出るんじゃないかってお貴族方や傭兵団がもう騒いでるってよ。そろそろ闘技場に問い合わせが殺到してるんじゃないか」
「殺到ですか」
シャイナはかさかさと飴の包み紙をいじる。
「ああ、以前から大金積んで売ってくれっていう貴族は多かったらしいからなあ。エスカリオットは見目もいいんだよ、シャイナちゃん。あれを護衛騎士にしたらそら鼻が高いだろうよ」
「そうでしたか。私はすごい方を買ってしまったのでは、とドキドキしてきてしまいましたね」
シャイナは飴の包み紙を無意味に折ったり広げたりしながらぶつぶつ言った。
ゼントさんよ、そういう事なら買う前に説明して欲しかった。
そして、ゼントさんよ、何故私に売ったのだ。
買っちゃったぞ……狙ってた人に怒られるかな?
ちらりと傍らに立っているエスカリオットを見る。相変わらずフードの隙間から覗く目は無表情だ。
まあ、でもそれくらい強くないと不安だ。狼のシャイナは凄く強いのだ。
誰に何と言われようとシャイナが買ったんだし堂々としていよう。
シャイナはふんっと息を吐く。
「で? この怪しい男は一体なんだ?」
グスタフが最初の質問に戻る。
「あー、えーと、うーむ……フードとれます?」
シャイナはエスカリオットに聞いてみた。
いつものスルーだ。
ぴくりとも動かない。何ならこっちすら見ない。
しょうがない。
シャイナは椅子から立ち上がると、ぴょこぴょこ跳んで長身のエスカリオットのフードを剥がした。
昨日お風呂で頑張ってきれいにした艶やかな黒髪が現れる。
闘技場に居た時と比べると1日ですっかり艶々している。
エスカリオットは無表情で不遜な態度でシャイナとグスタフを見下ろしていた。
「こちら、そのエスカリオットさんです。私が買いました。えへ」
一瞬しんとしてから、がたっとグスタフが後ずさった。
「うわっ、えっ、本物っ!? 本物じゃねえか! えっ、どうやって買ったんだ?」
「昨日、闘技場に開場前に行って、売りに出てすぐの所をたまたま買いました」
「開場前って、よく入れたな」
「ギルドAランクの特権を初めて使ってみました。便利ですねえ。人間同士の血生臭いのは得意ではないんですよ。魔物は平気なんですけどね。なので闘いが始まる前にと思いまして」
「Aランクの調査権限使って入ったのか……よく売ってくれたなあ、まあシャイナちゃんだもんなあ、なんか想像は出来ちゃうよ。いやあ、しかし、エスカリオットかよー。うわあ、なんかこっち睨んでないか」
「そうですか? これがエスカリオットさんの通常営業状態です。お風呂と食事時はもう少し目が細まって穏やかになりますよ」
シャイナのその言葉にグスタフは眉を寄せた。
「シャイナちゃん、嫁入り前の女の子が男と一緒に風呂なんか入っちゃダメだ」
重々しく言われてシャイナは真っ赤になって否定した。
「一緒には入ってないです! 入るわけないでしょお! あんまり汚れてるから頭だけ洗ってあげたんですよ、頭だけを! そんな事よりもお仕事ですよ! まずはエスカリオットさんの靴です」
「待て、シャイナちゃん、これだけは聞かせてくれ。なんで死神エスカリオットを買ってるんだ? そもそもなんで剣闘士奴隷なんか買いに行ったんだ? 何かトラブルでもあったか?」
グスタフが今度は真剣に聞いてきた。
グスタフはシャイナが3年前に王都に出てきた初日よりずっとお世話になって、ずっと心配してくれている人だ。
シャイナは言葉を選んで説明した。
「トラブルはないです、グスタフさん。ただ最近大口の取引が増えてきてます。私のポーションすごく評判が良いんですよ。何も起こらない内に備えをと思ったんです。私の先見の明です。それで、可憐な女子の独り暮らしですし? 護衛の男性よりは、首輪で絶対服従の剣闘士さんの方が危険がないかな、と」
「だからって……剣闘士奴隷はほとんど罪人だぞ。とても危なかったと思うよシャイナちゃん。こうなると選んだのがエスカリオットで良かった。前の支配人も裏で違法な人身売買やってたような奴だったんだ、今の支配人はまともらしいけど。今度からは俺に相談してくれ。な」
「分かりました。ご心配おかけしてごめんなさい。グスタフさん」
「うん」
「さあ、という訳で、まずは私の店の護衛騎士、エスカリオットさんの靴を見繕いましょう。そろそろスリッパが限界なんです」
グスタフはエスカリオットの足元を見た。そこには千切れてボロボロになりそうな瀕死のスリッパが居た。