49.魅了されたステファン(3)
ギルドを訪ねた2日後、再びダイアナはやって来た。
エスカリオットは今回も、ちゃんと事務的にダイアナを3秒見る。ダイアナは上機嫌で少し長く話してから、帰っていった。
「シャイナ、分かったか?」
ダイアナが出ていってから、エスカリオットは不快そうに顔を振る。何かがまとわりつくような感覚があって、気持ち悪いらしい。
「はい、多分」
集中してダイアナを観察していたシャイナは頷いた。
「それで扇子だったか?」
「そうだと思いますね。きっとあれにセイレーンの声帯を組み込んでいるのでしょう。ダイアナ嬢の扇子からは何らかの魔法の作用を感じました」
「セイレーンか…」
「会った事あります?」
「ないな、船に乗ったことがない」
「私もです。ステファンさんが正気になったらどうやって倒したのか聞いておきたいですね」
これであらかた解決したようなものなので、ほくほくするシャイナだ。
ダイアナとステファンの接点が分かってすぐに、シャイナはステファンの航海護衛の報告書を見せてもらった。
海での船の事故の多発と、それに絡んでいるかもしれない魔物。
そして、ダイアナが使う魅了の魔法。
上手く繋がればいいな、と思って読んだ報告書は、果たしてシャイナの読み通りだった。
ステファンは今回の海難事故の多発の地点で、ある海の魔物と遭遇して、倒していた。
ステファンが遭遇した魔物は、セイレーン。
その声で船乗りを魅了して、岩礁に乗り上げさせたりして船を沈める魔物だ。
海難事故の多発はセイレーンによるものだったらしい。
魅了にかかりやすいはずのステファンが、どうやってセイレーンを倒せたのかは疑問だが、とにかくステファンはセイレーンを倒し、無事に依頼を終えていた。
希少な魔物の死体は高値で取引される。
報告書によるとセイレーンの死体は、シラー伯爵が依頼の報酬とは別で買い取ったとあった。
それにはもちろん、セイレーンの魅了の声を作り出す声帯も付いていたはずだ。
ダイアナはその声帯を利用して、それを通して話しかける事で相手を魅了しているのだと思われる。
シャイナの店にやって来たダイアナは、喋る時はいつも扇子で口元を覆っていた。
扇子に声帯を埋め込んでいるのだろう、というのがシャイナの読みだ。
「後は、次回ダイアナ嬢が来たときに、扇子を奪って調べるだけですね。セイレーンの声帯かあ、初めてです」
ルンルンのシャイナ。
「扇子ではなかったらどうする?」
「扇子から何らかの魔法の作用は感じましたし、間違いないですよ。ダイアナ嬢は扇子以外に声を通すものなんて持ってなかったし」
「ステファンは?」
「上手いこと近付いて、魔力を封じます。魔力さえ封じれば後は何とかなります、今日の感じだとステファンさんの動きはかなり鈍かったです。魅了のかけすぎでしょうね」
「それは俺がやろう」
「いえ、エスカリオットさんはダイアナ嬢です。私が彼女に近寄ると警戒されますからね、エスカリオットさんが魅了されたふりでフラフラ近付いて扇子を奪ってください。まずは扇子を押さえなくてはいけません。扇子はすぐに私にください」
シャイナの言葉にエスカリオットは不満そうだったが拒否はしなかったので、やってくれるみたいだ。
後はダイアナ嬢の来訪を待つだけとなった。
***
3日後、すっかり恒例となったダイアナ嬢の登場だ。
「いつ来ても、ちっさい店ね。こんなしけた所でエスカリオットが生活してるなんて」
開口一番の悪態も恒例だ。
その後ろには、ぼんやりしたままのステファン。足元が覚束なくなっている。
中毒となるほどに魅了魔法にかけられると、睡眠や食事がままならなくなる。
ステファンはあまりいい状態ではなさそうだ。
シャイナは、元冒険者仲間として少し胸が痛んだ。
「それで、そろそろ決心はついたかしら?」
ふぁさ、と扇子を広げてダイアナは憐れむようにシャイナを見る。
「エスカリオットも、あなたのような平民の小娘より、伯爵令嬢の私の方がよいと思っている様子よ?」
3秒見られただけで、よくここまで自信満々になれるな、と感心してしまうシャイナだ。
「決めるのはエスカリオットさんです。まずは本人を説得してください」
シャイナはローブのポケットの魔力封じの腕輪を確認してから、エスカリオットを呼んだ。
「ところで、そちらの金髪の護衛の方も騎士ですか?」
エスカリオットが降りてくる気配を感じながらシャイナは聞く。
「あら、興味あるの?エスカリオットを売ってくれるなら、あげてもいいわよ。今はあんまり使えないけど、こう見えてもこの男はAランク魔法使いなの、役に立つわよ」
「へえー、Aランク魔法使いですか、近くで拝見してもいいですか?」
「いいわよ、どうぞ。ステファン、じっとしてなさい」
ダイアナに名前を呼ばれると、ステファンが呆けたまま嬉しそうに口角を上げた。
そんなしまりのない顔のステファンを見るのは初めてで、シャイナは哀しくなる。
シャイナはステファンの事は嫌いではない。自分を執拗にパーティーに誘うのは鬱陶しいし、前にギルドでエスカリオットに鎌鼬を放ったのは許せないが、それ以外は単純でアホでいい人なのだ。
魔法だってなかなかだし、剣の腕も立つ。仲間として頼れる人だ。
ステファンの変わり果てた姿を見て、シャイナは少しダイアナに憎悪した。
「では、失礼しますね」
憎悪を飲み込んで、シャイナは、とことことステファンに近付く。
エスカリオットも1階に姿を現して、ダイアナの興味は完全にエスカリオットへと向かった。
ダイアナが熱心にエスカリオットに話しかける間に、シャイナはしげしげとステファンの顔を見上ならがら、素早くポケットから魔力封じの腕輪を出して、カチンとステファンにはめた。
「!」
ステファンの顔付きが変わる。
呆けていてもAランク魔法使いだ、自分の魔力を封じられた事が分かったのだろう。
魔法使いにとっては致命的な状況に、ステファンの体に染み付いた冒険者の本能が反応した。
ぶわっと殺気が湧き起こり、シャイナには追えない早さで剣に手がかかる。
おっと、まずい。
シャイナは慌てて、瞬きする間に無詠唱で防御魔法を展開した。
十分な防御にはならないが、致命傷は避けれるはずだ。
とりあえずステファンの初手を防御魔法で受け止めて、それから黒炎だな、と瞬時に判断する。
弱っているとはいえ、相手が本気のステファンなら、店を焼きたくはないが黒炎を出すしかない。
ああ、店は確実に燃えるなあ……と思っていると、ステファンの動きが止まった。
「………………しゃ、な、か?」
掠れた声で名前を呼ばれる。
ステファンは剣の柄に手をかけているが、抜刀はしていない。
ステファンの目にシャイナが映る。
シャイナはほっと息を吐いた。
「ステファンさん、良かった。シャイナです。楽にしてください、私を信じて受け入れましょうね。汝よ、良い夢を」
シャイナは言葉を紡いでステファンの額に手をかざす。催眠の魔法だ。
ステファンは安心したように目を閉じると、その膝が折れて、倒れこんだ。
ぱしん、と背後ではエスカリオットがダイアナから扇子を払った音が聞こえた。
「シャイナ、足元だ」
くるくると回りながら、扇子が床を滑ってシャイナの足元で止まる。
「ナイスです、エスカリオットさん」
シャイナはさっと屈んで、扇子を拾った。
すぐに裏面を確認する。
「?」
だが、そこにはセイレーンの声帯らしきものはなかった。
そこには、幾つか平凡な防御用の魔石が組み込んであるだけだ。
かかっているのは、魔法を減弱させる作用だけ。
魔法を減弱?
「え?」
シャイナの背中を嫌な汗が、つうと落ちる。
ダイアナの笑い声が響く。
背筋がぞくぞくするような声だ。
「お馬鹿さんね、そっちじゃないわよ」
ダイアナの声がシャイナの頭に直接入り込んできた。




