39.シャイナの決意
ラシーン公国との国境の森に大量に出没していた魔物の掃討が終わり、騎士団と傭兵団は事後処理の部隊だけを置いて、帰還する事となった。
シャイナはマックスに魔剣と報告を託して、エスカリオットと共に、魔物の脅威が去った街道を馬でラシーンへと向かっている。
「!、エスカリオットさん、止まって下さい、結界ですね」
丸1日駆けた所で、シャイナは前方に結界の壁を確認する。
馬を降りて、近付いてみる。
結界は左右にかなり長く伸びていた。
ヒトカゲがラシーン公国側へと行かないように、ドーソンが施したもののようだ。
「大分弱くなってますが、術者が魔力を封じられても残ってるなんて凄いですね、さすがSランク魔法使いです」
シャイナは感心しながら結界に触れた。少し跳ね返りは感じられるが、シャイナでも押し通る事が出来そうなくらいに弱まっている。
「斬るか?」
「いえ、ここまで弱いと解除も簡単です。汝の守るべき主はもういない、去れ」
シャイナの言葉に、結界はふわっと光ると消えた。
「さ、行きましょう、エスカリオットさん。国境の森はラシーン側の方が深いですからね、ここからが長いですよ、馬だと3日でしょうか。狼だと森の最短ルートを通れるので2日もかからないんですけどね」
「シャイナが狐になって先導してくれればいい、付いて行こう」
「狼ですー。無理ですよ、狼の私とエスカリオットさんでは体格差がありすぎます。大体、馬を置いていけないです」
答えながら、その手にはのらないぞ、とシャイナは思う。
狼になったら最後、絶対にエスカリオットはシャイナを抱えてラシーンまで行くだろう。
抱っこされて検問所通るとか、抱っこされて久しぶりの家族との再会をするとか、したくない。阻止だ。
「さ、行きますよ、もう日も暮れますし、野営出来そうな所を早めに探しましょう」
よいしょ、とシャイナはふたたび馬に股がると、歩みを進めた。
***
街道から少し森に入った所で、適当な空き地を見つけて、馬を繋ぎ、簡単なテントを張った。
火はシャイナの魔法で簡単に起こし、鍋をかけて、エスカリオットが干し野菜とベーコンのスープを作りだす。
すっかり日も暮れた中、スープが煮えるのを待ちながら、シャイナとエスカリオットは焚き火を囲んだ。
「ところで、ラシーンには行った事がないが、簡単に入れるのか?」
スープの仕上げに、シャイナには何か分からない、スパイスのような物を刻んで鍋に入れながらエスカリオットが聞く。
「検問はありますが、特に厳しくはありません。そもそも、エスカリオットさんは私の持ち物扱いなので、平気です」
「ラシーンは閉鎖的だと聞いた事がある。住民も9割がウェアウルフなのだろう?他種族に排他的ではないのか?」
「別に排他的とかはないんですよ、ただ、ラシーンでは、普通の人というか、軽い気持ちの方は暮らせないだけです」
「なぜだ?」
「ほら、満月の夜があるので……」
満月の夜、ウェアウルフの一族は皆、強制的に獣化する。真夜中に国中に大人より一回り大きい狼が溢れかえる。
ほとんどの狼達は家で丸まって眠るが、中には満月の夜に気分が昂る者も居て、そういう狼は町や森を徘徊し、遠吠えして仲間を呼んだりもする。
通常の人ならかなり怖いと思う。
そして徘徊しないほとんどの狼も、言葉は理解出来るが話せないし、獣の感覚が強くなるので、人型の時とは明らかに様子は異なる。
丸まって眠っているだけとはいえ、そんなのが同じ家の中に居たら、友人や恋人であってもやっぱり怖いだろう。
「徘徊してるのに、間違ってちょっかいかけたら普通に襲われますしね。そんなのが毎月あるので、生半可な気持ちで定住は難しいみたいです」
満月の夜ごとに、国の機能を停止させる訳にはいかないので、獣化を抑える薬で最低限の人数は人型のままだが、自然の摂理に逆らう薬は推奨されておらず、ほとんどの人達は満月の夜は狼で過ごす。
「そういう訳で、特に、一族以外の女性の定住は非常に珍しいです」
「なるほど」
「ウェアウルフ以外の住民は、ウェアウルフの女性と夫婦になった方とか、とにかく狼好きな方とか、学者の方とかですね」
「種族を越えて夫婦にもなるのか?」
「少ないですが、います。特に禁止もされてません、あー、でも、おそらく本能的なもので、ウェアウルフの男性が種族外の女性を妻とするのは、物凄く珍しいです」
「本能的なもの?」
「ウェアウルフの血は、女系に受け継がれるんですよ。母親がウェアウルフなら、産まれてくる子供は100%ウェアウルフですが、そうでなければ血は継がれません。種の存続の本能が働くようで、種族外からの妻の娶りは滅多にないです」
「つまり、シャイナの子供は必ず、狐になるんだな」
何やら、とても重要な事のようにエスカリオットが聞いてくる。
「狼ですう、そうですよ」
「ほほう」
シャイナの答えに、エスカリオットはとても満足気に目を細めた。
口元も少し緩んでいる。
うっとりするような表情のエスカリオット。
焚き火に照らされて、妖しい色気すらある。
うっとりしている黒豹なんて、初めて見たのでシャイナはちょっとびっくりだ。
さっきの話のどこに、うっとりしたんだろう?
うっとりする所なんて、無かったように思う。
それとも、話じゃなくて、スープの出来映えにうっとりしてるんだろうか。
鍋からはいい匂いが漂ってきている。
「エスカリオットさん、どうしました?スープが会心の出来ですか?」
「…………いや、柄にもなく、未来を想像した」
エスカリオットの顔が元に戻る。
「未来?」
「気にするな、似合わない事をした。その資格もない」
完全に無表情になるエスカリオット。
エスカリオットの、資格もない、という言葉に、シャイナは夜中に汗びっしょりで起きていたエスカリオットを思い出す。
エスカリオットがマックスに言っていた、「死神という称号を誇らしいと思った事はない」という言葉や、国王との謁見で口にしていた「屠った命からの苛みなら別の形で受けている」も甦る。
戦争の傷痕はまだしっかり残っているんだろうか?
「よく分かりませんが、未来を夢見るのに資格は要りません。戦争時の事を気にしているなら、悪いのはエスカリオットさんではなく、戦争です」
「俺の大切なシャイナは優しいな」
エスカリオットが微笑む。
「さ、ご飯にしましょうね」
シャイナはグツグツ煮たってきたスープを器に入れて、エスカリオットに差し出した。
差し出しながら、この美しい黒豹の残りの半生は、自分が必ず穏やかなものにしようと、心に決めた。




