33話 訪問者達
「では、金額はこちらで問題ない、という事でサインをいただけますか?」
剣闘士闘技場の支配人ゼントが、カウンター越しにぴらりと契約書を差し出す。
「はい、まさか手付金だけでこんなに貰えるとは……ゼントさんを指名して良かったです」
シャイナは、うきうきしながらサインをした。
本日ゼントは、先日、王宮でシャイナが国王と約束した、ラシーン公国との国境の森の件でシャイナの薬草店に来ている。
ゼントが説明してくれた所によると、ラシーンとの国境の森で魔物が多発し、数か月前より国交が途絶えてしまっているらしい。
ラシーンはその国の周囲を深い森と海が囲み、ハン国との行き来は、森の中を通る1本の道しかないが、そこが完全に封鎖されているのだという。
国交が途絶えているのも問題ではあるが、それよりも困っているのが、日に日に増える魔物に、国境の町エラストリアが脅威に晒されている事だ。
近々派遣される国の傭兵団と騎士団の任務は、国境の町の防衛と、魔物の多発の根本的な解決である、との事。
そこにシャイナとエスカリオットは参加する。
参加するだけで、まあまあの金額が貰えて、現地での働き具合によっては、もっと貰える。
ふふふ、とシャイナの頬は緩む。
前に、聖剣エクスカリバーを打ち直した時にかなり稼いだのだが、そのお金はほぼエスカリオット本体の代金へと消えてしまった。
そして貯蓄を切り崩してエスカリオットの義手を買ったりなんかしたので、少し心もとなかったのだ。
今回の働き次第では、貯蓄が十分に安心出来る額になる筈だ。
「こちらも仲介料をかなり戴けますので、ご指名いただけてありがたいです。再度のご指名もお待ちしておりますよ」
ゼントが優雅な微笑みを浮かべ、膝の白猫がにゃーん、と鳴く。
そう、本日もゼントは猫連れで来ている。
シャイナは契約書の控えをしまいながら、ちらりと猫を見て、エスカリオットを見る。
大丈夫かなあ、エスカリオットさん、爆発しないかな……。
この猫、さっきからエスカリオットを煽りまくっているのだ。
猫はまず、店に入って来ると少し思わせ振りにエスカリオットに近寄ったが、伸ばされた手はするりと交かわし、あまーく鳴きながらエスカリオットを見上げ、ゼントの元へと走り去った。
ゼントの膝の上では、たまにエスカリオットをチラチラ見ながら、気持ち良さそうにゼントに撫でられ、尻尾を、ひょいっひょいっと振ったりしていて、
先ほどは、一度カウンターに登ると、ゆったりとシャイナとエスカリオットの方へとやって来て、2人で手を伸ばすと、くすりと笑って(ように見えた)引き返したりもした。
シャイナには分かる。
エスカリオットが、うずうずしているのが。
困るなあ、あんまり煽らないで欲しいなあ。
エスカリオットさんの小動物欲求が爆発してしまう。
うちでも、猫を飼うべきだろうか。
いや、でも飼い猫にエスカリオットさんを取られるとか、哀しくないか?
もしかしたら、猫とエスカリオットさんに虐げられる生活が始まるかもしれない……。
「では、詳しい日程などは、傭兵団長のマクシマム様よりご連絡があるはずです。お知り合いだとお聞きしています」
ゼントの言葉に、シャイナは、はっと我に返る。
「知ってます、マックスさんですよね。分かりました」
「ええ、では、私はこれで失礼します」
ゼントがすっと立ち上がり、猫が不満そうに降り立つ。
そして、猫はエスカリオットに挑発的な流し目を送りながら、ゼントの足にまとわりつきつつ、帰っていった。
シャイナは、欲求不満が爆発しそうなエスカリオットから、そーっと距離を取った。
***
ゼントが帰って、ほんの半時ほど後、シャイナとエスカリオットは、本日2人目の訪問者を今度は2階のダイニングのテーブルに迎えていた。
2人目の訪問者は、焦げ茶色の髪と瞳の、精悍な男で、今は優雅にエスカリオットの淹れた美味しいコーヒーを飲んでいる。
「そなたは、コーヒーを淹れるのが上手いのだな、意外だよエスカリオット」
ひと口すすって、感心したように男は言う。
シャイナの家のダイニングで、エスカリオットに負けない存在感で寛ぐこの男。
ハン国王、ルキウス・ハン、その人である。
ゼントが去ってひと息付いた所で、呼び鈴が鳴り、出てみると、お忍び風の地味な格好をした国王だったのだ。
お忍び風国王は、「やあ、今日はお忍びだ」と見たまんまの事を言い、店と作業場をぐるりと回った後で、「せっかく来たんだ、お茶くらい飲ませてくれ」と言い、ぐいぐい2階へ上がってきて今に至る。
「何の用だ」
「ところで、シャイナ殿は不在かな?」
「白々しい、ここに居る」
エスカリオットが自らの腕の中の、白いもふもふを示す。
「!?」
せっかく狼のまま、この珍客をやり過ごそうとしていたシャイナは焦る。
ゼントの猫の来襲により、エスカリオットのもはや殺気みたいな無言の圧力に負けて、お昼までの約束で狼バージョンでお送りしていたシャイナなのだ。
「ちょっと、なぜ、バラすんですか!!」
小声でシャイナは怒る。
「シャイナ、この男の事だ、もうバレてるから無駄だ」
「いやあ、噂に違わず愛らしい狼殿だな、シャイナ殿」
ルキウスがにっこりする。
そしてシャイナは、“狼殿”と言われて少し気をよくしてしまう。
「ええ、このような場所から失礼致します、陛下」
「構わん。言葉も話せるとは実に素晴らしい獣化だ」
「あら、そんな、ほほほ」
「ははは、相変わらず、遠慮深いな」
「それで、用件は何だ」
茶番をぶったぎるエスカリオットだ。
「そんなにイライラするな。宰相から今回の依頼の金が高くついた、とぶつぶつ言われてな、まあ、1つ文句でも言っておこうかと思って来たんだ」
「そういう事なら、こっちじゃなく、ゼントさんに言ってくださいよ」
「あと、シャイナ殿としっかり話もしたいと思ってな」
「……」
シャイナは少し身を固くする。
「そう警戒せずとも、ここは謁見の間ではない。今は非公式だ」
「そう言われてもですね、あなたは現にエスカリオットさんを殺そうとしてましたからね」
「はは、違いない。あの時はすまなかった。
しかし、それについては今はもう、そんな気持ちはない。それどころかエスカリオットに手を出すのは危険だと思っている」
「危険?」
「シャイナ殿、あなたについて少し調べさせてもらった。確かにAランクの魔法使いで、おまけにラシーン公国のウェアウルフの一族。そして、幾つかの興味深い点も出てきた」
「む?」
「まあ、興味深い点については、興味深いままで置いておく事にしたのだが、自分の目で安全確認はしておこうと思ってな、突然、お邪魔した訳だ」
「安全確認?別に何も企んでいませんよ」
「君達の身辺も一通り調べさせた、近所の評判や、ギルドでの噂、そして、今日、ここへも足を運んだ」
ルキウスはそこで一度言葉を切る。
それから、ゆったりと座り直して口を開いた。
「まあ、結論としては、さわらぬ神にたたりなし、だな、と」
「?何ですか、それ」
「そのままの意味だ」
「エスカリオットさんを、疫病神みたいに言わないで頂きたいですね」
憮然とするシャイナの言葉にルキウスは、ぽかんとして、そして笑いだした。
「ふはっ、ははは、シャイナ殿、どちらかというと、あなたが、さわらぬ神、なのだが」
「んなっ」
なにい!
ぴーん、とシャイナの耳が立つ。
うら若い17才の乙女になんて失礼な事を!
「俺もその通りだと思うぞ」
「くあっ」
なんたる裏切り。
「ふふ、とにかく、さわらない事にした。ああいった事はもうしないから、私としてはこのまま穏やかに暮らして頂きたい。たまに我が国の依頼を受けてくれると助かりそうだ」
笑いを堪えながらルキウスは言い、少し歓談した後、少し名残惜しそうに帰っていった。
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