18話 ギルドにて
二度目の満月から数日経ったある日、シャイナとエスカリオットは王都の冒険者ギルドの事務所を訪れていた。
今まで毎月、実家からきちきち届いていた獣化を抑える薬が二度も届かなかったからだ。
しかも最初の満月の後、シャイナは、薬は届かなかったがどうやら獣化がコントロール出来た事と、しかしまだ心配だから来月こそは薬を忘れずに送ってくれ、と書いた手紙も送っている。
そんな手紙が届いたら、さすがに送るのを忘れないと思う。
実家の様子が少し心配になってきたので、ギルドで何か情報があるかとやって来たのだった。
ギルドの事務所の扉を開けて、中へ入る。
入ってすぐはロビーや待ち合い、談話室や商談スペースに休憩所、それら全てを兼ねた場所になっていて、ベンチやテーブルセットが置かれ、無料のお茶があり、掲示板には公開依頼の張り紙がジャンルごとに張ってある。
このロビーの奥が受付で、ギルド職員に公開依頼の詳細や非公開依頼の相談、魔物から採れた魔石やアイテムの買い取り依頼、仲間の募集や武具の調達、本日の宿や遠方の町への交通手段、旅先の領主の評判までその他いろいろ、一部は有料で相談出来る。
本日もロビーには、依頼の値段交渉する人々や、依頼を探す人、情報交換を兼ねた雑談する人々など、いろいろな人達で賑わっていた。
シャイナは、この感じ少し久しぶりだな、と思いながら活気のあるロビーを歩く。
エスカリオットはギルドに直接足を運ぶのは初めてらしい。元貴族なので、ギルドとやり取りする時は従者や商団を通じて行っていたようで、興味深そうにロビーを見回している。
せっかくなので、説明してあげる。
「エスカリオットさん、あそこの掲示板にあるのが公開依頼の張り紙です。多いのは特定の薬草の採取とか、旅の護衛なんかですね。高額の依頼や上位ランク指定のものは非公開の事が多いので、受付に直接聞いた方が早いですよ、あと、あの奥はですね」
商談スペースについて説明しようとした所で、声がかかった。
「シャイナ、久しぶりだな!」
大きな声で呼び掛けられて、旅の装いの若い男が向こうからやって来た。
近付いて来たのは、金髪の爽やかなイケメンだ。でもシャイナはこの男があんまり爽やかではない事を知っている。
「エスカリオットさん。すいません、ちょっとややこしい人です」
シャイナはエスカリオットに小声で伝えた。
「シャイナ!今日こそは俺の相棒になってくれ、何なら結婚しよう!俺の剣と攻撃魔法とお前の治癒魔法があれば、どんな依頼でも……おい、誰だこいつ?」
金髪は笑顔でペラペラとまくしたてながらやって来たが、シャイナの背後のエスカリオットを見ると、憎々しげに睨んだ。
エスカリオットは無表情だが不遜な態度で男を見る。
「ステファンさん、あなたとパーティーは組みません。というか私は誰とも組みません、お店がありますからね。そしてこちらは店の護衛のエスカリオットさんです」
シャイナはよいしょ、とすかさずステファンとエスカリオットの間に入って説明した。
「ああ?護衛ぃ?お前、護衛なんか要らないくらいには強いだろ?エスカリオットなんて大層な名前、貴族か?止めとけよ」
「大丈夫です。エスカリオットさんは自分の事は全部自分で出来ます」
「全部自分で出来て当たり前だ……ふーん、まあまあ強そうだな。でも魔力は大した事なさそうだ、なら俺の敵じゃないぜ?なあ、Aランク魔法使いの俺と組めんのはお前くらいなんだよ、得意分野も攻撃と治癒で相性もいい、これはもう運命だろ?なあシャイナ」
ステファンは最後の部分はシャイナに覆い被さるようにして囁く。
シャイナは身をよじって距離を取った。
「私には店があるので、運命ではありません。私は程よくのんびりお金を稼ぎたいんです。旅!また旅!みたいな生活は望んでません」
「なら結婚だけしよう!俺が外で稼いでくるから、難しい依頼だけ一緒に行こうぜ」
「嫌ですー。ステファンさんは、ただで私のポーション貰うのが目的ですよね?ダメです。私には損しかありません」
「……別にポーションだけが目的じゃねえよ」
ぼそり、とステファンが言う。
「え?何ですか?とにかく、組むのも結婚もお断りです。それでは急ぐので。行きましょう、エスカリオットさん」
シャイナはさっさと話を終わらせると、エスカリオットの腕をぐいっと掴んで早足で奥へと向かう。
残されたステファンは険しい顔で、シャイナがエスカリオットの腕を掴んでいるのを見ていた。
「命じられれば、あいつを斬り倒すが」
奥に向かいながらエスカリオットが言う。
「ダメです。アホみたいに見えますが、ステファンさんは歴としたAランク魔法使いで、剣もまあまあです」
「構わない。魔法は結局避けるか斬れば脅威はない」
「負ける心配はしてません。そうじゃなくてエスカリオットさんとステファンさんでやり合ったら事務所がめちゃくちゃになります、それにギルド事務所内での揉め事は禁止です」
少し殺気が漏れてきているエスカリオットをシャイナはぐいぐい引っ張った。
「おや、シャイナさん、お久しぶりですね。どうしました?」
受付では馴染みのギルド職員、マリオが声をかけてくれた。
茶髪のおかっぱ頭の美少年だ。
「マリオさん、こんにちは」
「ええ、こんにちは。おおー、噂は本当だったんですね。本当にエスカリオットだ」
マリオが感心しながらエスカリオットを見上げる。
「噂?」
「シャイナさんが、死神エスカリオットを買った、ってここらじゃ有名です」
「……有名なんですね、それで店に貴族の方々が売ってくれって来るんだ」
「行くでしょうねえ。えーと、こんにちは、エスカリオットさん、私は王都の冒険者ギルドの職員、マリオといいます」
「エスカリオットだ」
マリオがにこやかに挨拶をして、エスカリオットがぼそりと返した。
「わあ、喋ってくれた。こんな声なんだ」
「はいはい。マリオさん、エスカリオットさんに絡みませんよ」
「お、独占欲ですね」
「違います」
「ふふふ、むっとしないで下さい。さて、今日はどうしました?」
マリオがシャイナに向き直り、シャイナは事情を説明した。
「ふむ……シャイナさんのご実家は、ラシーン公国ですよね。向こうからの手紙は分かりませんが、こちらからシャイナさんが出した手紙の記録なら追えます」
マリオはそう言うと、ファイルを引っ張り出してページを繰る。
「あった。ありました。そうですね、ちゃんとラシーン公国との国境のエラストリアの町には着いてますね。ここから先はラシーン公国内の事になるのでちょっと分からないなあ……
あ、でも、エラストリアの町と言えば、最近、そこからの依頼がパラパラ来てるんですよ。現地では冒険者が捕まりにくいみたいで、王都へも募集が流れて来てるみたいです」
「何の募集ですか?」
「護衛が多いですね、何かあったのかな」
「何か……」
シャイナの顔が少し曇る。
「まあ、ラシーン公国自体はちょっと特殊ですし、大丈夫だとは思いますよ」
心配そうに顔が曇ったシャイナをマリオが気遣う。
「そうですね。ラシーンはほとんどウェアウルフ族なので、少しくらいの事なら平気なんですけど」
シャイナの故郷、ラシーン公国は住民の9割がウェアウルフ族の単一民族国家だ。ウェアウルフ族は、特に狼に変形時は、身体能力が一般的な人間よりも優れていて、戦闘能力も高い。
「ええ、ラシーン公国が揺らぐほどの何かがあったなら、もちろんここまで伝わってくる筈ですよ」
「そうですね」
「はい、もし何か情報が入れば連絡しましょうか?」
「ありがとうございます、お願いしてもいいですか?」
「もちろん」
マリオは笑顔で請け合ってくれて、シャイナとエスカリオットは受付を後にした。
「心配か?」
ロビーまで戻ってきて、エスカリオットが聞いてくる。
「ああ、はい、まあ気にはなりますけど、マリオさんの言う通り、よっぽどの事でない限り揺らがない国です。団結力は強く、戦士達も負けません。その分、意固地で偏屈ですけどね。なので、ラシーンで何かと言うよりは、国境のエラストリアの町で何かあるんでしょうね」
「行ってみるか?」
「うーむ、そうなると店をしばらく閉める事になるのでそこまででは、手紙が来ないのは困りますけど……来月も来なければ考え」
そこで、シャイナの言葉を遮ってエスカリオットがシャイナの肩を掴み、ぐいっと後ろに庇った。
すぱっと、音もなくエスカリオットの頬が小さく切れて、つうっと血が滲む。
「…………」
エスカリオットは無表情で、ロビーの少し先のステファンを見る。ステファンは嫌な笑みを浮かべて立っていた。
その瞬間、シャイナの頭にかっと血が昇る。視界が真っ赤に染まった。
エスカリオットは、背後から低い唸り声が響くのを聞いた。
次の瞬間、ステファンの右手が青白い炎に包まれる。
エスカリオットが振り向くと、足元に目を紅く光らせて、毛を逆立てている獣のシャイナが居た。
「うわっ、何だ?」
ステファンは青白い炎に驚き、腕を振るがもちろん炎は消えない。イライラしながらエスカリオットに詰め寄った。
「おい!これは何だよ!」
「俺じゃない」
エスカリオットはそう言うと、ぐぅるるる、と唸るシャイナを抱き上げてそっと撫でた。
「シャイナ、落ち着け」
「は?シャイナ?それ、シャイナなのか?」
シャイナは言葉も忘れてまた低く唸った。
「シャイナ、ただの挑発の鎌鼬だ。殺気はなかったから別に防がなかっただけだ。落ち着け、事務所内は揉め事は禁止なんだろう?炎を消せ、あいつの右手使い物にならなくなるぞ」
ぽんぽんと頭を優しくたたかれて、真っ赤だった視界の色が戻る。
ステファンの右手を包んでいた青白い炎が消えた。
「私のエスカリオットさんに何て事をするんですか!?」
シャイナはきっとステファンを睨んだ。
「間違って目を切ったらどうするんです?こんな狭いとこで鎌鼬なんてアホですか?アホなんですか?避けたら他に当たるから避けれないでしょおが!!その右手!本当に燃やしてやりましょうか!!」
続けてきゃんきゃんと捲し立てる。
ステファンの右手の炎に驚いていた冒険者達が、今度は喋る狐に驚いているが知った事ではない。
私のエスカリオットさんによくも!
私の美しい黒豹なのに!
「うおっ、喋ってる!えー、これがシャイナの狼型……狼か?これ」
ステファンは呑気にしかも嬉しそうだ。
全然反省の色はなく、シャイナを触ろうとすっと手を伸ばす。
シャイナはぐるるる、とまた唸りそうになった。
エスカリオットは、ステファンがシャイナへと伸ばした手を、とても嫌そうにかわしてから言った。
「おい、お前。さっきのは狐火だ。すぐにある程度のレベルの治癒魔法使いを手配して治癒して貰え。深部が焼けてる筈だ」
「え……狐火?さっきの?」
そこへ、騒ぎを聞き付けたギルド職員達がやって来た。
周りのギャラリー達が職員に一部始終を説明すると、職員達はすぐにステファンを治療室へと引っ張って行く。「えっ、本当に狐火なの?ちょっと、ちょっと待って」ステファンは慌てながら引き摺られて行った。
「あなたは大丈夫ですか?」
残った職員の1人がエスカリオットの頬を見て尋ねる。
「問題ない」
「分かりました。様子を聞く限り、ステファンさんが悪いようですが、揉め事は困ります。気を付けて下さいね、えーと、シャイナさん?」
職員はエスカリオットの腕の中の白いもふもふに戸惑いながら注意した。
「気をつけます」
シャイナはしょんぼりそう答えた。




