14話 魔方陣
その朝、シャイナは朝ごはんの片付けを終えると、テーブルの上に数枚の羊皮紙を並べて、特殊なインクとペンを用意した。
「よし!」
腕まくりをして気合いを入れる。
「何か描くのか?」
筋トレに向かおうとしていたエスカリオットが聞いてくる。
「移動の魔方陣を書こうと思ってます。いちいち現場で地面に描くのは大変ですからね、予め描いておくんです」
シャイナが答えると、エスカリオットはシャイナの向かいに座ってきた。
興味があるようだ。
「見ます?」
「ああ」
最近のエスカリオットはこうして相づちを打ってくれる事が増えた。前は無言だったのでちょっと嬉しい。
シャイナはほくほくしながら、魔方陣を書き出す。
2つの円とそれを囲む六芒星だ。
2つの円の内、内側には移動したい場所の情報が、外側にはその場所へと向かう作用の為の魔法の情報が、六芒星には、空間を繋ぎ合わせる為の魔法の情報が組み込まれている。
手を動かしながら、そういった仕組みを説明してあげると、エスカリオットはふむふむと僅かに頷きながらしっかり聞いてくれる。
3枚ほど移動の魔方陣を描いて、手が慣れてきた所で、シャイナはごそごそと取って置きの物を取り出した。
「更に今回は珍しい、ジュバクレイの布が手に入ったので、こちらは気合いを入れて描いていこうと思ってます」
ばばーん、という感じで真っ白な布を広げる。
「ジュバクレイ?」
「会った事ないですか?自分の縄張りへの執着が凄まじい魔物です。縄張りは狭くて、半径2メートルくらいの円で、そこに入らない限りは布を被って立ってるだけなんですけど、入るとめちゃめちゃ怖いし、けっこう強いんですよ。
なのでジュバクレイを見つけても戦う方、あんまりいなくて、その布は中々手に入らないアイテムです」
シャイナは机の上に、丁寧に布を置いた。
「縄張りに執着あるだけに、この布だと移動場所を正確に覚えてくれて、長距離でも安全に移動の魔方陣で帰って来れます」
移動の魔方陣は、通常は距離が長くなると、全然違う場所に移動するリスクがあるので、国をまたぐような移動には使えないのだ。
「更に更に、今回は魔石も組み込んで、魔力も注いで、誰でも呪文を唱えるだけで発動するようにしようと思ってます!」
胸を張り、ふん!と鼻息荒くシャイナは宣言した。
「……俺の為に作るのか?」
何だか、妙な沈黙の後、エスカリオットが聞いてきた。
「なっ、ええっ……えっ?」
エスカリオットに聞かれて、シャイナはびっくりする。
聞かれて初めて気付いたのだが、この移動の魔方陣はシャイナの家に帰ってくる為のもので、シャイナが使う時は自分で魔力を込めれば良いから、わざわざ魔力を注いでおく必要はない。
そして、この家に帰ってくるのは現在、シャイナとエスカリオットの2人だけだ。
つまり、これを使うのはエスカリオットしかいない。
あれ?
「いやっ、ええっ」
「俺が遠くに行ってしまっても、帰ってきて欲しいのか?」
エスカリオットが甘い声を出す。
「ちがっ、別にそんなんじゃ」
シャイナは真っ赤になった。
違う、そんなんじゃない筈だ。
グスタフの店で、ジュバクレイの布を見つけて、珍しいから買っただけだ。買ったからにはもちろん使わないとだし、せっかくならちょっとオプション的に誰でも使えるように、と思っただけで、別にエスカリオットの為ではなかった……筈だ。
たぶん……。
「どこに行こうとも、帰ってこいという事だろう」
「だから、ちがう……」
確かに出来たら、エスカリオットに渡すつもりではあったけれど、別に他意はなかった。
と、思う。
私の元へ帰ってきてね、とか、私はあなたの港になるわ、みたいなヤツじゃない。
それは、違う、違うぞ、ちがう。
「貰ってやってもいいぞ」
「え?」
シャイナの心臓がとくとくと音をたてる。
「貰ってやると言っている、早く作れ」
「ほ、欲しいなら、しょうがないですね。作ってあげます」
真っ赤なままシャイナが言うとエスカリオットは、くっくっと笑った。
「なに笑ってるんですか」
「いいから、さっさと作れ」
シャイナはせっせと、ジュバクレイの布に魔方陣を描き、魔石を組み込んで魔力も注いでから、エスカリオットの方へそれを押しやった。
エスカリオットは布を綺麗に畳むと、ポケットに入れる。
何だかじわじわと嬉しくて、顔が火照ってしまう。
火照りを誤魔化そうと、シャイナは猛然とそこから5枚、羊皮紙に移動の魔方陣を描いた。
「今日は獣化の練習はしないのか?」
魔方陣を書き終えて、片付けているとエスカリオットが聞いてきた。
「しませんよ、その手には乗りません。前に狼になった時、1日中私の事を抱き潰したじゃないですか」
ぴしゃりとそう言ってから、シャイナは自分の言った言葉にまた真っ赤になった。
エスカリオットがニヤリと笑う。
「ま、間違えました、ずっと抱っこしてきたじゃないですか!」
そう、ほんの数日前、エスカリオットに同じように言われてシャイナが軽い気持ちで狼になると、そこからひょいと抱き上げられて、夕方まで離してくれなかったのだ。
狼から人間に戻ると服を着ていないため、シャイナとしてはエスカリオットに抱えられている間は人間に戻れない。
その日は午前中にエイダの店に寄る用事と、午後からはグスタフ武具店にも行く予定にしていたのだが、両方ともエスカリオットに抱っこされて行く羽目になってしまった。
「うそぉー、これがシャイナちゃんの狼の時なの!可愛いっ、めっちゃ可愛いじゃないの」
エイダは狼のシャイナを見て大興奮だった。
「もー、いつも狼の姿は凄く怖いから見せられないって言ってたのに、何これ?凄く可愛いの間違いじゃないぃ」
ぎゅううと抱き締められて、厨房の中にいるコックのマッドにも紹介される。
「マッド、見て見て、シャイナちゃん」
いつもエスカリオット張りに無表情なマッドも、目を細めて優しく微笑む。
マッドは頬に傷があり、切れ長の目の凄みのあるイケメンなので、優しく微笑むと破壊力が増す。
シャイナがその笑顔にドキドキしていると、マッドがそっとシャイナを撫でてくれようとして……、そこで、エスカリオットがエイダからシャイナを取り上げた。
「エイダ、男には触らせるな」
「あら、愛されてるわねえ、シャイナちゃん」
「違いますよ、エイダさん、エスカリオットさんは小動物に目がないんですよ」
「まあ!しゃべれるのね、可愛い~、すごい~」
そこからまたエイダにもみくちゃにされて、シャイナは屈辱的な事にそのまま狼の姿で、エイダの店でお昼も食べる羽目になってしまった。
狼でも食べれるようにと、シチューを食べやすい熱さまで冷ましてくれて、お肉もほろほろに割いてくれ、パンはエスカリオットが千切って口に運んでくれたので、食事は美味しくいただいたが、人様の前で犬食いさせられるなんて屈辱は屈辱だ。
美味しくいただいたけれども。
エスカリオットから食べさせてもらうのはちょっと嬉しかったし、その時のエスカリオットの優しい笑顔は眼福ものだったけれども。
そして、午後からもそんな調子でのグスタフ武具店に行き、グスタフからもエイダと同じようなリアクションをされ、とにかく狼のシャイナを他の男には触らせたくないエスカリオットによってがっちり抱き込まれたまま、買い物をする羽目になったのだった。
「ああいうの、困るんです。今日は獣化はしません」
「残念だ」
「そこら辺の野良猫と遊んでください」
「俺が近付くと逃げる」
「殺気だしてるからでしょう」
騎士と剣闘士が長かったせいなのか、外でのエスカリオットは無意識に周囲を警戒して、うっすらと殺気が漂っているのだ。
人間はちょっとビビるくらいだけども、もちろん猫は逃げる。
「殺気を消しても逃げたぞ」
「エスカリオットさんの場合、野生動物並みに気配まで消してるんです。そんなのが近付いて来たら、やっぱり野良猫は逃げます。適度に殺気だけ消さないと」
「難しいな」
「そもそも、小動物への欲求の代理を私にさせないでください」
シャイナの言葉にエスカリオットは少し黙る。
「代理ではない。狐のシャイナが一番だ。一番可愛い」
「お、おおお、狼です」
今日はとにかく顔を真っ赤にする日のようだ。シャイナは真っ赤になりながら訂正した。




