12話 エスカリオット
エスカリオット視点です。
「エスカリオット、すまない。ハン国は戦利品として生きているお前を求めてきた」
長きに渡った戦争に負け、領地のほとんどを奪われハン国の公国に成り下がったその宮殿でタイダル公国の初代大公、元タイダル国第4王子のコーエンは悲痛な声でエスカリオットに言った。
「わが君、あなたがお気になさる事ではない」
「だが、悲惨で過酷な運命である事は分かりきっている。ハン国の要望がせめて、そなたの首であればとすら思う」
「私の悲しみは、これからのあなたの支えと成れない事ただ1つです。それに比べれば運命など何でもない」
「エスカリオット、すまない」
コーエンの悲痛な声が響く。
エスカリオットは冷たい闘技場の地下監獄の石の床ではっと目を覚ました。
昔の夢だ。エスカリオットがまだ騎士として国と主に忠誠を誓っていた昔。
昔、というほど時は経ってもいないが、剣闘士奴隷となったエスカリオットにはもはやあの頃は昔だ。
戦争に負け゛戦利品゛としてここに来てからもうすぐ5年経つ。求められるまま、向かって来るままに日々闘いに明け暮れる日々だ。
何て事はない。エスカリオットに取っては場所が戦場か闘技場かの違いだけだ。
環境としてはこちらの方が酷いが、それでも支配人が変わってからはただのイビりで首輪の仕置きをされる事も無くなったし、飯も最低限出るようになった。
父が戦死し、13才で少年兵として戦場に立ってからエスカリオットはずっと命のやり取りをしている。そして初陣からずっとエスカリオットは恐怖の対象だった。
狂戦士、死神、ネクロマンサー、悪夢、ついた渾名は全て戦場でのエスカリオットの恐ろしさからきている。
望んだ訳ではないが、エスカリオットには天性の戦と人殺しの才能があった。
子供の頃から続いた侵略戦争は5年前にやっと終わったが、エスカリオットは今でもここだ。相変わらず戦う日々だ。
虚しいが自死するほどでもないし、負けないから生きているのは仕方がない。騎士の忠誠を誓った主のために剣を振れないのはやるせないが、最近はそれすらもどうでもいい。
そもそも、あのまま公国で主に仕えたとして、戦しか能のない自分には別の苦しい運命が待っていたのかもとも思う。
今日はまたヒトカゲと闘えという。
構わない。
憐れなヒトカゲが増えるだけだ。
だが、このヒトカゲとの対戦がエスカリオットの運命を変えた。
その日、闘技場にはエスカリオットとヒトカゲと、子猫が居た。
そう、子猫だ。真っ白な毛並みに青い目の子猫。
子猫なんてもう十何年も見てなかったエスカリオットは三度見くらいはした。
子猫に気付いてるのはエスカリオットとほんの一部の観客だけだった。
この阿呆が、とエスカリオットは思った。
何で、よりによって闘技場に迷い込んでいるんだ。
別に守ろうとか、庇おうとした訳ではなかった。そもそもヒトカゲはエスカリオットしか眼中にないのだから、壁際で大人しくしていれば子猫に危険はないのだ。
それでも気は散った。
十何年ぶりの子猫だったのだ。
そして左腕を屠られた。
もちろん、右腕だけで難なくヒトカゲは倒した。
そうして、闘技場の支配人ゼントはエスカリオットを売り払う事に決めた。何でも5年も生き残ったエスカリオットの所有権は既に国から闘技場に移っていて、どうするかはゼントの自由になっていたらしい。
「君を売りに出す事にした」と夜中にゼントはエスカリオットに告げた。
「希望先はありますか?君には随分稼がしてもらいました」
エスカリオットはニヤリと笑うと言った。
「じゃあ子猫に売ってくれ」
「子猫?」
「毛が白くて、目が青いやつだ」
そうしてその8時間後、真っ白な髪と青い目のシャイナと名乗る子猫がやって来てエスカリオットを買った。
エスカリオットは当初、シャイナが人だとは思えなかった。今にも目の前であの子猫になって、「私はあの時助けていただいた子猫です。あなたへの恩を返そうと人の姿を借りて参りました」とか言うのではないかと疑っていた。
エスカリオットはあの子猫を助けてはいないのだが。
どうやら人らしい、と思えてきたのはシャイナが移動の魔方陣を使ったあたりからだ。
移動の魔方陣と軽く言うが、これが使える魔法使いは珍しい。緻密な魔方陣は描くのが難しい上に注ぐ魔力の配分を間違えば作動しない。
シャイナはあっさりとそれをやってのけた。
そしてエスカリオットの肩の傷をほぼ一瞬で塞ぐ。
何だ女神か、猫の女神なのか、と思ったりもしたが、エスカリオットの顔に見惚れてもいたしやっぱり子猫だと思い直す。
風呂に入れと言うから、洗ってくれと揶揄かってみるとちょっと怒ったが、すぐに変に余裕ぶってエスカリオットの事をガキ扱いしてきた。
阿保な子猫だ。
エスカリオットからすれば圧倒的な弱者の子猫をあんまり虐めるのもどうかと思うし、頭を洗ってくれるというので素直に付いて行く。
風呂へ行く途中のシャイナの寝室にはおそらくエスカリオット用の檻がちゃんと用意してあった。また檻かと思ったが闘技場の地下よりは格段にマシだろうからそんなに嫌ではない。
それにこの中で寝るという事は、シャイナと一緒の部屋で寝れるという事だ。それは悪くない。あの小さな体の息遣いを感じながら眠るのはきっと悪くない。
夜は少し苦手なのだ。
嫌な夢を見る。
クッションくらいなら、所望すればくれるだろうから貰おうと決める。
そして、その後の風呂は気持ち良かった。頭を丁寧に洗ってくれるその手も、とても心地良い。
シャイナは風呂に入れてくれた後は、せっせと食事も手ずから用意してくれた。
何だ、何が目的なんだ、そもそも何でこんな子猫が自分を買ったんだ、といよいよ気になってきて゛仕事゛について聞いてみた。
するとシャイナは「私を縛ってくれ」と言い出した。
あんなに驚いたのは人生初だ。
そんな趣味があるようには見えない。そもそも乙女だろう?と思っていると縛るのは間違いだった。
そして人狼だと言う。満月の夜、狼と化した自分を捕らえてくれと。
狼を生け捕るくらい容易い事だ。
請け負うことにする。そもそもシャイナが買ったシャイナの奴隷なのだから、命令されれば何でもするのだが。
シャイナがヒトカゲに負けそうだっただろう、と生意気を言うから、縛ってくれと言った話を持ち出すと真っ赤になって弁解していた。
阿呆で可愛い子猫だ。
シャイナとの話が一段落すると、エスカリオットは急激な睡魔に襲われた。
5年ぶりのまともな風呂と食事、目の前には自分のためにとせっせと茶を入れる子猫までいて、眠くならない訳がないのだ。
シャイナが布団で寝ろ、と言う。
とても眠いが檻まで移動してやろうと思っていると、あの檻はエスカリオット用ではなくエスカリオットが寝る場所はここのソファらしい。
同じ部屋で寝れると思っていたのに、面白くない。
試しに同じベッドを所望してみるが、拒否された。
同じ部屋でないなら寝るのなんてどこでもいい。どこでも寝れるのだ。
そうしてエスカリオットは眠りに落ちた。
夢も何も見ない深い眠りだった。
夜中に目を覚ます。
一瞬、ここがどこか分からない。
地下の牢獄でない事は確かだ、何だこの静かで穏やかな場所は。
混乱する頭で立ち上がり、テーブルの上の食事を見つける。
ああ、ここはあの子猫の家だ。
名前は確かシャイナだった。
エスカリオットはまずそっとシャイナの寝室に行って、その小さな息遣いに耳を澄ませた。
小さな規則正しい息遣い。
戦場や闘技場とは明らかに無縁の小さな生き物。
(しばらくはこれを守るのもいいかもしれないな)
ふとそう思う。
今のエスカリオットには生きる目的のようなものが必要だった。
エスカリオットはシャイナの小さな息遣いに満足して、ダイニングの丸い大きな窓から差し込む月明かりの下、食事を食べた。
翌朝、当然のようにシャイナはエスカリオットの朝食を作り、コーヒーのお代わりを淹れた。
シャイナの淹れたコーヒーは不味かった。
これからは要らないと言おう。
そしてシャイナはエスカリオットの首輪を金の華奢な鎖に変えた。
咄嗟にエスカリオットはミスリルを所望した。
白銀、シャイナの髪の色だ。
誰かに、しかもこんな小娘に所有されたいと思うなんて、自分も堕ちるとこまで堕ちたものだ。守るどころか所有されたいなど、そんな願望が自分にあった事に驚く。
でも、首に収まった白銀の鎖にとても気分が良い。
(悪くないな)
この子猫の所有物になるのも悪くない。風呂と食事と夜の小さな息遣いが付いてくるのだ、悪くない。
***
「エスカリオットさんはシャイナちゃんと一緒に住んでるのかしら?」
満月が明日に迫った夜、シャイナが外食をしようという事でやって来たバール。
ちびちびと甘い酒を2杯飲んで、うとうとしているシャイナを横目に1人で飲んでいると、客の対応が一段落したらしいこの店のオーナーであるエイダがエスカリオットに話しかけてきた。
「これはよくこういう事をするのか?」
質問に答えずにシャイナを指差して聞く。
「こういう事?」
「知らない奴を家にあげて世話を焼く」
「ああ、しないわよ。エスカリオットさんが初めてよ」
エスカリオットが黙るとエイダは続けた。
「シャイナちゃん、結構モテるのよ。可愛らしいしAランクの魔法使いでしょ、しかも治癒が得意な。冒険者達からは特に人気なの。でもこの子そういうとこしっかりしてるからちゃんとあしらうのよ。お酒もこんな風に弱いから、普段ならうちでお酒なんか飲まないわ。だから私はちょっとびっくりしてるの」
「そうか」
「ねえ、エスカリオットさん。貴方、貴族で騎士だったのよね。騎士様なら大丈夫だとは思うけど、シャイナちゃんの気持ちを利用してひどい事はしないでね」
「気持ち?」
「グスタフから聞いてるわよ。この子、貴方の髪の毛整えて、食事も準備してるんでしょう?シャイナちゃんがウェアウルフの一族って事は聞いてるわよね、完全に求愛行動よ」
(求愛だと?)
エスカリオットは隣でうとうとしているままのシャイナを見た。
「そうか、狼だったな。毛繕いと餌付けか」
納得して呟いた。
毛繕いも、自分の食べ物を与える事もどちらも動物の求愛行動だ。
どうやらエスカリオットはシャイナの獲物だったようだ。
自然と笑みがこぼれる。
子猫のくせに、そういう所は一人前だ。求愛している自覚はないようだったが。
エスカリオットは同じベッドで寝かせてくれ、と言った時に真面目にダメだと諭してきたシャイナを思い出す。
「そうよ。泣かせないでね。ふるなら優しく振ってあげてね」
「ふる時はそうしよう」
その時、シャイナがエスカリオットの左手を取ると甘噛みしてきた。
驚いて見ると目付きがぼんやりしている。完全に酔っぱらっているようだ。
「あらあら、妬いてるのね」
エイダが笑う。
エスカリオットはシャイナの頭を撫でながら、エスカリオットの好みは小動物だと教えてやるともの凄くショックを受けていた。
「……そんな、私、狼です」
か細い声でシャイナが言う。
(大丈夫だ、どこからどう見ても子猫だ)
エスカリオットはそんなシャイナを見てまた笑みを零した。




