1話 世界最強の購入(1)
40,000字弱程度でさらっと終わる予定です。
よろしくお願いします。
「一番強い方を見せてください、と言いましたよ」
早朝の闘技場地下、薄暗くすえた臭いが立ち込める陰湿な牢獄に恐ろしく不似合いな少女の声が響く。
石造りの廊下の片側には鉄格子が並び、剣闘士達が強さのランクごとに入れられている。
皆、奴隷か罪人だ。ここは剣闘士奴隷の売買市場でもある。
声の主は剣闘士奴隷を買いに来た客で、披露された鉄格子の向こう側の商品が気に入らないらしい。
女?
牢獄の一番奥の部屋、鉄格子の向こう側で壁に背を預けて座り込んでいたエスカリオットはふっと目を開けた。
この部屋に居るのはエスカリオット1人だけだ。
広さだけはある牢獄の真ん中で今日もただ時間が過ぎるのを待っていた。
目を開けて意識を戻すと左肩の傷の痛みも思い出す。新しい傷だ、傷と言っていいのだろうか、昨日よりエスカリオットの左手は肩より先が失われている。
しかしもはや、片腕の欠損くらいで絶望しないくらいにはエスカリオットはこの生に厭きていた。
「身分証はお渡ししましたよね?こう見えてひと目で強い方かどうかは分かるんです。一番強い方が見たいんです」
少女の声は続いている。
「でしたら、こちらへ」
闘技場の支配人ゼントの声がして、足音と気配がエスカリオットの元へとやって来た。
ぼんやりと厭いた目で鉄格子の方を見やると、魔法使いのローブに肩からズックを提げた真っ白な髪に青い目の少女がエスカリオットを見ていた。
***
「この方、左腕はどうされたのですか?」
シャイナは鉄格子の向こうでだらりと座り込み、少し上向いた顔から見下すようにこちらを見ているエスカリオットを見て聞いた。
黒髪に金色の瞳、座り込んでいても長身だと分かる。痩せているが筋肉の付きはいい。
そして、左腕は肩から先がなくその肩口は血こそ固まっているが傷痕が生々しい。
「昨日、ヒトカゲに屠られましてね。それでもこの闘技場で一番強いのはこちらです。お噂くらいはお聞きになっておりませんか?あの亡国タイダル国の騎士、死神エスカリオットです。5年前にこちらに来た時ははずいぶん話題になったのですが」
ゼントが淀みなく答える。
剣闘士闘技場の地下の奴隷売買市場に、明らかに場違いな少女の客が来ているのに全く動じていない。
「エスカリオット、その名前、さては貴族ですね?それは……手がかかりそうで嫌ですね。せっかく強そうなのに」
シャイナは心配そうにつぶやく。
「確かにタイダル国では貴族でしたが、もう5年も奴隷生活なので手はかかりませんよ。そろそろ客寄せの効果は薄まってきたとはいえ、世界最強と言われた武人です。本来なら売りには出していませんでした。左腕を失って売り物としても扱うようになったばかりです。早い者勝ちですよ」
ゼントの言葉にシャイナは小首を傾げる。
「それほどの方でゼントさんの立場なら、こういった場所のお得意様にふっかけて彼を売った方が良くないですか?」
「いいえ、商いは縁が大事です。特にうちの商品は人ですからね。良い買い物には良い縁が肝心です。あなたが一番に彼に会ったのも何かの縁かと」
ゼントはそう言って、ちらりとエスカリオットを見る。
シャイナはもう一度じっくりエスカリオットを見てみた。
美しい男だ、というよりも美しい獣だ。
黒髪に金の瞳とは黒豹のようだが、その目に本来あるはずの肉食獣の輝きはなくどんよりと濁っていた。金色の瞳はそこに居るからという理由だけでシャイナをその眼球に映している。
傷付き、生を諦めているような檻の中の美しい獣。
シャイナの中で無性に連れ出したい欲望が込み上げてくる。
強さは問題なさそうだ。野性動物の勘でそれは分かる。
出来れば左腕は何とかしておきたい所だが、それはシャイナなら何とかなる。
「ふむ。世界最強の奴隷という訳ですね。悪くないですね。買いましょう」
「ありがとうございます」
シャイナは決断し、ゼントがにっこりする。商談成立だ。
シャイナは地下の牢獄を出て、商談用の小部屋へと通された。程なく鎖に繋がれたエスカリオットも連れてこられる。
「えっ、でっか……」
小部屋で改めてエスカリオットと対面してシャイナは息を飲む。
長身で堂々とした体躯。環境が環境なので筋骨隆々とはいかないが、5年もの剣闘士奴隷生活を送ってきたのにも関わらずそれなりにがっしりと筋肉が付いている。
その体を包むのは元の色が分からなくなっている薄汚れた膝までのズボンとベストで、ベストは血塗れだ。左腕の肩から先もない。
黒髪は土と泥を被り、肩口まで伸びていて毛先は絡まり大分傷んでいるようだ。
見上げて驚くシャイナをエスカリオットは無表情に見下ろしてきた。
「体の大きさや、力の強さは気にしなくても大丈夫ですよ。契約の首輪によって主の言う事を聞きます。奴隷の購入は初めてですか」
ゼントが書類を用意しながら椅子を勧め、シャイナは座って書類を確認しだす。
「はい。でも知識はあります。錬金術も嗜むので。契約書にサインすると首輪に私の魔力が注がれるんですよね」
「そうです。シャイナ様は錬金術もされるのですか、さすがはギルドのAランク魔法使い様ですね」
「はい。えへへ。ゼントさんも開場前に押し掛けた私相手にちゃんと対応してくれるなんて、さすが支配人さんですね」
褒められて分かりやすくシャイナの頬が緩む。
「ギルドのAランクの方には中々お目にかかれませんしな、しかもこんなにも麗しくお若い方。私の名刺をお渡ししてもよろしいでしょうか?裏では顔が利きますのでお役に立つこともあるかと思います」
すっとゼントより白いカードが差し出される。
「あら、ありがとうございます。ギルドに登録しているので頼み事があればいつでもどうぞ。ゼントさんのご指名なら受けますよ。あと、職人街にも薬草店を出してるので良ければご贔屓に」
シャイナはにこやかに名刺を受け取り、契約書にサインをした。
シャイナがサインをすると契約書はうっすらと光る。今書いたシャイナの名前が浮き上がってエスカリオットの着ける首輪へと向かい、すうっと吸い込まれた。
「契約完了ですな。では、お持ち帰りください」
ゼントがにっこりした。