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98話 奇妙な感情

 カリス殿下に想いを告げられた日から、約半年が経過した。その半年の間に、私はさまざまな変化を迎えることになった。



 その中でも最たる変化であり、かつ大きな成果を得られたことがある。

 実はヴァンロージア滞在時に培った人脈が功を奏し、ヴァンロージアとその周辺地域、そしてブラッドリー領間で、無関税の交易路を確保する同盟が結ばれたのだ。



 従来であれば、各領内にある関所を通るたびに関税を払わなければならなかった。

 しかし今回の同盟により、行き来するときに商人たちは一定区間関税を払わなくても良くなった。

 そのようにした目的は、互いの活発な交易を可能にするためだ。



 財政規模が大きな領地の場合、厳正な調査や上限額を定める対策をした上で、通過に要した関税額の申請分を領主が商人に払うのが、この国では主流だった。

 だが、どうせそのように領の財政から金銭を出すのなら、上限額未満の関税を撤廃しようということになったのだ。



 ただ中には、関税が主な収入源になっている領地もあった。その領地に関しては、仕入れする作物の価格を一定期間値引きして相殺するということで話が付いた。

 関税撤廃により輸入額が減る上、そこから更に減額されるということもあり、問題に該当する領主たちはすぐに同盟の条件を飲んでくれて助かった。



 ちなみにこの提案をしたのは、ヴァンロージアの新たな領主代理となったイーサン様だ。

 彼は領主に向いている人なのだろう。副指揮官を務めていただけあって、冷静に分析し、即座に解決策を提案していた。



 私が言えたことではないのだが、彼のお蔭でヴァンロージアは安寧を保てる。そのことに心からホッとし、ひっそりと涙を流した日もあった半年でもあった。



 そんなこんなで、私は何とかこの忙しない日々を乗り越えてきた。

 だからだろうか。私はこの半年でずっと前を向けるようになった気がする。新たな人生が進み出したと感じ始めていた。



 そして、それは私だけではなかった。



「ティナ……!」

「嬉しそうですね。何と書かれていたのです?」

「ジェリーが王都の学校に通うことが決まったそうよ!」



 実は今から二カ月ほど前、王都に貴族と平民の共学校が出来ると王室から発表があった。しかも発表されるまで知らなかったのだが、この学校は寄宿学校ということだった。



 王都から遠い地に住む人たちも通えるようにする目的。そのほかにも、集団生活をする中で規律や礼儀、自立心やコミュニケーション能力を養成する目的があり、寄宿学校という形態にしたという。ちなみに、成績次第で卒業が早められる飛び級制度もあるらしい。



 そしてその学校の入学試験は、一カ月前に行われていた。つまり通うことが決まったということは、ジェリーがその試験に合格したということを表しているのだ。



「しかも、特待生ですって! 次席入学だそうよ! ジェリーったら、本当にすごいわ!」

「えっ……首席ではなく次席なのですかっ!? あの賢いジェラルド様が!?」

「そうみたいね。でも最初から一番よりも、二番の方が頑張ろうと思えるんじゃないかしら? ジェリーの年齢を考えても、これはきっと良い経験になるわよ」



 ジェリーの手紙を眺めていると、それだけで自然と笑みが零れる。

 以前の拙い筆跡と比べて、半年でずいぶんと綺麗になったものだ。そんなところからもジェリーの成長を感じ、嬉しい気持ちが込み上げてくる。



――ジェリーも第一歩を踏み出したのね。

 私ももっと頑張らないとっ……。



「ティナ、入学は一カ月後だったかしら?」

「はい、そのはずですよ」

「なら、それまでに刺繍をしたハンカチを作って、ジェリーにお祝いとして贈りましょう」

「はい! きっとお喜びになられますよ!」



 そう告げると、ティナは何か思い出したように「あっ!」と声を上げた。



「エミリア様、カリス殿下にもご用意なさってはいかがですか?」



 ティナの発言を聞き、私は思わずジェリーの手紙の返信を書いていた手を止めた。

 そして、ほんの戯れのように眉と口角を上げてこちらを見つめるティナの目を見つめ返し、問いかけた。



「どうしてカリス殿下が出てくるの?」

「どうしてもこうしても、あれだけエミリア様を気にかけてくださる方、私が応援したくなるのも当然じゃないですか!」



 そう言うと、ティナは目を爛々と輝かせながら、ジェリーの手紙と共に届いたもう一つの手紙に目を向けた。



「それで、届いた手紙には何と書かれていたんですか? 今日こそ愛のお言葉は――」

「っ……いつも通りよ」



 ティナを遮り告げたこの言葉は、半分本当で半分嘘だ。


 実は告白を受けて以来、カリス殿下から会えない代わりにと手紙が届くようになった。しかも、手紙は必ず二つ入っている。



 一つは仕事や近況、私の送った手紙に対する反応について。もう一つには、個人的な感情が綴られていた。



 私が告白された際、ティナは私に対するカリス殿下の言動を見聞きしていた。

 その日以来、ティナはカリス殿下のことを心から応援している。離婚のときに、全面的に私の味方になって助けてくれたからだそうだ。



 だからこそ、私はティナが勝手に逆上せ上っても困ると思い、未だに後者の手紙は見せたことが無い。ティナにはその手紙の存在を隠しているため、彼女は世間話的な手紙しか届いていないと思っているのだ。



「気になるのなら、この手紙を読む?」



 秘密の手紙はバレないように机の脇に裏向きに置き、当たり障りのない内容の手紙をティナ向きに差し出す。するとその手紙を受け取ったティナは、さっそく内容に目を落とした。



「ふんふん……。カリス殿下は今、メベリアにおられるのですね」



 ティナは独り言ちるように告げると、ホッとしたような顔つきになった。

 ティナがなぜこのように安心したような顔をしているのか。それはおそらく、約四カ月前のことがきっかけだろう。



 カリス殿下は王立学校の教授を決めるため国中を奔走し、ようやく全教授が決まったのが約四カ月前だった。

 そしてこれで一段落と思ったその矢先、今度はバリテルアに行くよう殿下に陛下からの勅命が下ったのだ。しかも、帰り道には陛下が指定した領地を順々に視察しなければならないという。



 その勅命を受けた殿下は、そのまま使節団と共にバリテルアに向かった。

 ちなみに、バリテルアに向かった理由については、現段階では極秘事項ということで知っている者はいない。



 ただ、このようにして国を代表し、かつての対戦国に行ったカリス殿下に対する評価は、社交界で大きく変わった。

 というのも、それなりの能力が無ければ外交交渉の代表として選ばれることは有り得ない。にも関わらず選ばれたということは、彼はそれなりに能力を持っており、かつ陛下に認められた人物と考える貴族が増えたのだ。



 それ以来、社交界ではカリス殿下に関する情報合戦が始まった。しかし、バリテルアに向かってからの彼の動向を知る者はいなかった。

 私もしばらく音信不通だったため、彼の動向は分からずにいた。



 だがある日突然、バリテルアに居る彼から手紙が届いた。

 初めて来た手紙は、あと一週間ほどでティセーリンに戻ることになるという内容だった。



 このように手紙が届いた日以降、彼は新しい拠点に来るたびにこうして手紙を送ってくれる。

 王都に戻りながらも視察を並行し、一拠点にしばらく留まることを繰り返す彼は、今はメベリアに居るとのことだった。



 こうして新たな拠点から届いた手紙を見て、殿下が無事王都に帰りつつあると知り、ティナも安心したのだろう。最後まで読み終わったらしい彼女は、穏やかな声をかけてきた。



「お忙しいでしょうに、律儀な方ですね。仕事も順調そうで何よりです」

「ええ、私も本当にそう思うわ」



 ティナが手紙を読む間、ジェリーへの返信を書き綴っていた私は顔を上げ、合わせるように言葉を返す。

 すると、ティナが慌てた様子で口を開いた。



「お止めにならず、どうぞ続きをお書きください。この手紙はこちらに置いておきますね」

「ありがとう。お願いね」



 そう礼を告げ、私は再びジェリー宛の手紙へと視線を落とした。そして、ティナは手に持っていた手紙を机に置こうとした。そのときだった。



「あっ……!」



 ティナの控えめな驚き声が耳に飛び込む。その声に驚き顔を上げると、ティナがある一点を見つめていることに気付いた。

 思わずその視線の先を辿る。すると、床に落ちた一枚の紙が目に入った。



「すみません! 手紙を置こうとしたら、風圧で飛んでしまいました!」



 申し訳ないと謝りながら、ティナは慌ててその落ちた紙を拾おうとする。その声を聞き、私は反射のごとく机の脇へと視線を移した。そして気付いた。



――あの紙はっ……!



 ティナに見られたらマズい。

 瞬発的にその考えが浮かび、私はティナよりも先にその手紙を拾おうとした。だが、一歩遅かった。



「あれ、これは殿下の便箋と同じ……えっ!!!!!!」

「ティナ、返し――」

「エミリア様! どうして隠していらっしゃったんですか!? この手紙っ……。きっと本当は、今までも届いていたのでしょう!?」



 私の言葉を遮ったティナは、顔を真っ赤にし興奮した様子で、手紙と私を食い入るように交互に見つめる。そんな彼女の手に握られているカリス殿下からのもう一つの手紙。



 そこに綴られているのは、カリス殿下からの恋文だ。しかも今回の恋文は、今までよりも一際熱量のある仕上がりだった。

 それをティナに見られている。その事実に直面し、私は羞恥のあまり頭を抱えた。

 私の気持ちをここまで乱すカリス殿下からの手紙。そこには、このようなことが書かれていた。



【一枚目にも書いたけど、この手紙はメベリアから送っている。ここには食糧難対策に関する視察するために、しばらく滞在しているんだ。



 ここに来てから驚いたんだけど、ブラッドリーやヴァンロージアでもないのに、エミリアの話が耳に入ってくるんだよ。

 エミリアがメベリアの食糧難のときに助けてくれたから、恩を感じているみたいなんだ。

 それと、関税が撤廃されたことも関係あるみたい。

 とにかく、彼らはエミリアは元気だろうかと随分気にかけている様子だったよ。



 こうして皆が君の話をするからだろうね。

 メベリアに来てから、毎晩夢に君が出てくるんだ。

 そのたびに、ずっと夢から覚めなければいいのにって思う。



 ……会いたいよ、エミリア。君がたまらなく恋しい。

 夢じゃなくて、ちゃんと現実の君に会いたい。

 想いを告げた矢先、こんなに長い間会えなくなってどうにかなってしまいそうだ。



 エミリアに告白して以来、君への想いが日毎に増しているんだ。

 耐えていた数年、僕は自分がどうやって過ごしていたのか不思議だよ。



 僕にどんな魔法をかけたんだ?

 これはエミリアにしか解けない魔法だよ。

 でも、解かなくていい。

 エミリアが僕と同じ魔法にかかってくれるのならね。



 まだ道半ばだけど、必ずエミリアに相応しい人間になる。

 君に僕の手を取ってもらえるよう最善を尽くすよ。



 随分と長くなってしまったな。

 直接言えない分、こうして手紙に僕の想いをつい綴ってしまうんだ。

 でも君への想いならいくらでも綴れて際限が無くなるから、今回は一言に纏める。



 好きだよ、エミリア。



 続きは今度会った時、直接言わせてくれ。

 身体に気を付けて、無理せず頑張ってね。

 僕も頑張るよ。】



――ああ、よりによってこの手紙を見られるだなんてっ……。



 気恥ずかしさでどうにかなりそうだ。耳が熱く、顔に熱が集まってくるのが分かる。



「ティナ……もう読んだでしょう。返してちょうだいっ……」



 まるで恋のポエムのような内容を思い出し、面映ゆい思いになった私の口からは、自分でも驚く程に上擦りか弱い声が出る。

 するとようやく冷静になったティナは、目を見開き私を一瞥すると、すぐに手紙を机の上に戻した。

 そして次の瞬間、酷く真剣な表情で私と相対した。



「エミリア様……単刀直入にお聞きします。カリス殿下の事、現在どのように思われているのでしょうか?」

「どのようにと言われても……」



 この質問に、私はどう答えようかと困惑してしまう。正直、よく分からないと言うのが本音だからだ。



 カリス殿下に対して理想の兄と思っていた気持ちは、半年前に崩れ去った。

 その代わり、今までとはどこか違った感情を彼に抱いていることは確かだ。



 ただし、それは恋愛感情ではないと思っている。

 というのも、恋愛感情だと定義付けるほどの根拠を感じたことが無いのだ。



 ただ、カリス殿下から届く恋文に困ったと思うことはあっても、不思議と嫌だと思ったことは無いのも、また事実だった。

 だからこそ、どう思っているかと訊かれても、明瞭な答えを返すことが出来ずにいた。



 すると、ティナはそんな私を見て深い息を吐いた。その直後、新たに何か閃いた様子で口を開いた。



「では、質問を変えましょう。この恋文に対して、不快さを感じられましたか?」

「いいえ、奇妙な気持ちになっても、不快だと思ったことは無いわ」

「では、カリス殿下を好きか嫌いかで答えなければならないのでしたら、どちらですか?」

「えっ……。それは……好きよ。だってそうでしょう? 嫌いになる理由がないもの」



 私の答えを聞くと、ティナは「それなら良かったです」と声を漏らし、ホッとしたように張り詰めた表情を緩めた。

 その表情につられ、ドキドキする鼓動を感じながらも、僅かに緊張が緩む。その隙に冷たくなった指の甲を、火照った頬にそっと添えた。



 だがそれから間もなく、ティナは再び表情を固くした。

 そして腕を組み右手を自身の顎に添えた。まるで考える人の見本のようだ。



「どうしたのティナ? 私……何かおかしなことを言ったかしら?」



 表情の変化が気にかかり、頬の火照りはまだ冷めていないがパッと手を下ろしティナに訊ねる。

 するとティナは予想外なことに、困り顔を私に向けてきた。

 そして、ある人物の名を出した。



「でしたら、まずはディーン卿のことを解決せねばなりませんね。ビオラ様が、頑張ってくだされば万事解決――」



 コンコン。



 ティナの言葉を遮るように、突然扉をノックする音が響いた。

 話しかけのティナには悪いが、とりあえずそちらを優先する。そう判断し、私は扉に向かって声をかけた。



「どうぞ、入って」



 私の言葉に応じるようにゆっくりと扉が開かれ、訪問者であるビオラがその姿を現す。

 そして彼女は私の近くまで歩み寄ると、長めのドレスの裾を持ち上げ流れるようにカーテシーをした。



「お姉様、約束の時間よ。今日もお願いいたします!」



 そう告げるビオラは、社交界の花の名に相応しい咲き誇るバラのような笑みを浮かべた。

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