94話 青天の霹靂
「カリス殿下……なぜ……」
「それは後で説明する。っ……今のはエルフォードのディーン卿だろう? なぜ一緒に?」
極めて真剣な表情で訊ねられ、思わずたじろぎそうになる。素直に答えられるのなら、早く答えたら良い。そうは思うが……
――ビオラのあんな行いをカリス殿下に言うなんて……。
恥ずかしいから、あまり知られたくないことだわ……。
「ちょっとした所用があり、お会いした後お送りいただいたんです」
「ちょっとした所用?」
怪訝そうな表情で訊ねられ、何となく後ろめたいような気分になる。だが、所用であることには変わらないため、動揺を悟られないよう「はい」と返した。
その途端、カリス殿下の表情にわずかに強張りが生じた。直後、綺麗な形の彼の唇が躊躇いがちに動かされた。
「それが……結婚の話だというのか?」
「えっ……いいえ! 結婚の話ではございませんっ……」
「だが、先程聞こえてしまったんだ。結婚について何か話をしていたんだろう? それに手にも……」
話ながら、カリス殿下の視線が私の右手に落とされる。その瞬間、右手の甲に先程の感触が蘇るような感覚がして、それを忘れようと左手で右手の甲を覆うように押し隠した。
――そこから聞いていたのね。
まったく気付かなかったわ……。
カリス殿下の誤解を解かないとっ。
「カリス殿下、少々誤解が生じているようです。確かに……結婚の話はありました。ですが、私は丁重にお断りいたしました」
「っ本当に……?」
どこか余裕のない様子で軽く目を伏せていた殿下が瞳の翳りを晴らし、ベニトアイトに光が戻る。その宝石のような瞳に引き込まれそうになりながら、肯定の意味で合槌を打つ。
すると、それを合図と言わんばかりに、殿下は平常の表情を取り戻した。
先程までの表情の理由は何だったのか。理由は分からないが、触れてはならないような気がする。それに……
――このままここで話をするなんて、殿下相手にあまりにも不作法すぎるわ。
話は……きっとこのあいだの続きよね。
場所を移しましょう。
ディーン卿のことで一瞬飛びかけたが、ふと殿下がやって来た理由を思い出し、私はムズムズとする空気を払拭するように声をかけた。
「殿下。とりあえず中へご案内いたします。そちらでお話しましょう」
「っ……ああ。ごめん、ここで止めて。案内してくれるかな?」
「はい。では、どうぞお入りください」
謝るほどの事でもないのに謝る殿下。そんな彼に、気にしていないという気持ちを込めてそっと微笑みかける。
すると殿下は、安心した様子で優しい微笑みを返してくれた。そのことにホッとしながら、私は殿下を目的の部屋へと通した。
◇◇◇
「すまない。出先からそのまま来たら、思ったよりも早く着いてしまったんだ」
「お謝りになる必要はございませんよ。殿下が御無事だったのなら何よりです。それにちょうどタイミングが合ったのですから、何も問題は無いでしょう?」
「っ……エミリアは優しいな。ありがとう」
控えめにはにかむ殿下の顔を見て、ほんの少しむずがゆい気持ちになる。その気持ちを誤魔化そうと、ティーポットを傾けカップに中身を注ぐ。その瞬間、部屋には華やかな紅茶の香りがフワッと広がった。
馴染んだその香りは、不慣れな場所で飲むハーブティーよりも不思議と心を落ち着けた。
「殿下、こちらをどうぞ」
「ありがとう。うん、いい香りだ」
ティーカップを手に取り少し香りを楽しんだ後、殿下は早速紅茶に口をつけた。火傷しないのかと思いながら見るが、どうやら何も問題ないようだ。
「味も美味しいよ」
「ありがとうございます」
殿下の言葉を確かめるように、私も自身で入れたお茶を口にする。すると、口腔内には空気よりも濃厚で華やかな香りが広がった。
――お兄様の舌が肥えていて良かったわ。
そこだけは、無条件に信頼できるお兄様の良いところね。
なんて思っていると、カリス殿下が神妙な面持ちをしていることに気付いた。カップもソーサーに戻している。そのため、私もカップをそっとソーサーに戻す。
すると、カリス殿下は意を決した様子で口を開いた。
「エミリア。分かっているだろうが、僕が今日ここに来た理由は、このあいだの話の続きをするためだ。君の質問に答えるために来た」
殿下のあまりにも真剣な眼差しを受け、訊ねた記憶が今あった出来事かのように蘇る。それにより、緩みかけた気持ちが、緊張により一気に締まりあるものへと変わった。
「どうして私にここまでのことをしてくださるんでしょうか? という……質問ですよね」
「ああ。っ……気付いていたかもしれないが聞いて欲しい」
気付いていたかもしれないという言葉に、胸騒ぎがする。
何を言われるのかは分からない。ただ、禁忌に触れるような、そんな感覚が本能的に心を襲い、私の心臓の鼓動を急速に早めていく。
そのような中、少し間を置き私の名を呼ぶカリス殿下の声が静かな部屋に凛と響いた。
「エミリア」
「はい」
「回りくどいことはせず、単刀直入に言う。っ……僕はずっと前からエミリアのことが好きだった」
「……えっ?」
「好きだから、エミリアのためにしてあげられることをしてあげたかった。少しでも君の役に立ちたかったんだ」
頭を殴られたような衝撃が身体に降りかかる。
好きとは、どういう意味だろうか。
確かに、カリス殿下は私のことを人として好意的に見てくれていたとは思う。それは、私自身も体感として感じていたことだ。
だが、この好きというのはきっと、いや、絶対にそういう意味の好きではない。それくらいのことは、流石の私でも分かった。
目の前にいるカリス殿下は顔色一つ変えず、なおも真剣な眼差しを私に向けてくる。だがその瞳の奥には、怯えた彼の心がチラチラと見え隠れしているような気がする。
相当な覚悟を持って言ってくれたのだろう。無神経な私のせいで、今までずっと困っていたのかもしれない。
そう思いながらも、私の心にふとある疑問が過ぎった。
――ずっと前からって……いつからなの?
今までそんな素振り、感じたことが無いわ。
お兄様のビオラに対する態度を見ていて、私のそういう感覚は麻痺してしまっているのだろうか。いや、そんなはずない。そう思いたい。
そんな思いで、今にも破裂しそうなほどバクバクと鳴る心臓の鼓動を抑え込みながら、言葉短く彼に訊ねた。
「いつから……ですか?」
喉が絞られたように声量が弱まり、堪えようにも僅かに上擦ってしまった声が出てしまう。だが、カリス殿下が告げた想いから目を逸らすようなことをしてはいけないような気がして、殿下から目を逸らすことだけはしなかった。
一方、視線の先の殿下は私の言葉を聞くなり、何か考え事をするように視線を動かし始めた。そして、ゆっくりと噛み締めるように語り出した。
「いつから……か。正直、いつの間にかという方が正しい。ただ、エミリアが気になるようになったきっかけは、君のデビュタントの日だ」
「デビュタント……?」
予想外の言葉に驚きながら、あの日の記憶を脳内から引き出す。だが、どう考えても一緒に踊った以外は、とても良い印象があるとは思えなかった。
あの日以降、なぜか気まぐれに話しかけてくれるとは思っていた。だが、それは決して恋心からではないと思っていた。
ただの好奇心の延長線上で、今のように友人に近しい関係性になっただけだと思っていたのだ。
だって……
――カリス殿下との初対面は、貴族令嬢として私の品が無さすぎたもの……。
気になる理由として分からなくはないけれど、到底好きになるとは思えないわ。
私と彼の初対面。それはデビュタントとなる舞踏会場での、ある一連の出来事がきっかけだった。
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